黒い影
砂浜にしゃがみ込み、灰色と白い雲が混じった空をドリイは眺めていた。波はまだ穏やかだったが、もうじき雨が降って着そうな天気であった。足元に落ちていた貝殻を投げて水切りをするペーチャはドリイのことを見て口を切った。
「ねぇ、ずっと隠し通すつもりだったの?」ペーチャは貝殻を投げた。一回、二回、と貝殻は跳ね上がり、三回目で波にのまれていった。しばらくドリイは黙り込んでから、言った。
「わからない……どうしたらいいかわからなかった」
「まぁ……そうか……」ペーチャはまた貝殻を見つけて、遠くへと投げた。「でも、いまのままじゃ、きみはずっとディランの中に閉じ込められているわけだし、つらいんじゃないかな?」
「いいえ、つらくなんてないわ。むしろその反対」
「反対?」
「えぇ、いつもみんな楽しそうで羨ましいわ」
「きみも仲間に入りたいの?」
「いいえ、わたしは見ているだけでいいの。だって、彼らの表情はディランに向けられているものなんだから。わたしにじゃない……」
「ふーん……よくわからないな……」
「それでいいの」ドリイは言った。「ねぇ、ペーチャ。わたしって気味悪いでしょ?」
「えぇ? なんでそんなこと言うんだい」
「でも本当のことでしょ……」
「うん……まぁ、そうだよ」
「しばらくしたら出ていく。それまでは静かにいさせてくれる?」
「それはぼくじゃなくてディランが答えることだよ」
「そうだった。ごめんなさい」
「うん……」ペーチャは最後にもう一度、貝殻を海に投げてから言った。「そろそろ戻ろう。みんなが心配するからさ」
「わかった」
ペーチャが物置小屋を離れた時、ドリイはディランに戻った。そのままディランはペーチャの後ろへついて行くと、気まずそうに頭を掻いたり、苦笑いしてみたりしながら、話しかける言葉を探した。しかし結局、何もいう事はできずに解体場を通り過ぎて、皆が待機している食堂へと入って行こうとした。そのとき、沖の方を指さして、漁から戻ってきた漁師や海女、魚を仕入れに来た商人たちが、何やらがやがやと騒いでいる声が聞こえてきた。
「なんだろう……」ディランが言うと、ペーチャは首を横に振った。
砂を蹴りながら二人は人だかりへ近づき、彼らが指さす方向を眺めた。すると黒い影が沖のあたりからやって来るのが見えた。ペーチャはそれが何かわからなかったが、ディランにはわかったようで、群衆の中で一人、腰を抜かして尻もちをついてしまうのであった。
「どうしたの?」ペーチャは、砂浜に座り込むディランに言った。
「あいつが来た……逃げないと……」
「あいつって?」ペーチャが言うと、ディランは地面に手をついて立ち上がり、集落の方へと逃げていった。驚いたペーチャも彼の後を追い、後ろから逃げなければならない理由を問いただそうとするのであった。
「ねぇ! あいつってなんだよ!」ペーチャは走りながら、林の中へ逃げていったディランに聞こえるように言った。
「怪物だよ! それ以外説明のしようがない!」
「怪物……」
ディランは海岸の後ろにある林の蔭から、海にいる黒い物体をじっと眺め、いつ岸に上がってくるのだろうか、と待っているのであった。しかしその怪物は、いくら待っても岸へは上がって来ず、浅瀬でじっとしているのであった。孤島で見たときと違い、怪物は体全体が真っ黒なだけであった。腕が長く、顔や胴体は細長かった。
港では海坊主が出た、と騒ぎはじめ、急いで海岸に自生している煙草の葉を焚き木で燃したり、底の抜けた柄杓を海に投げ入れたりするのだった。
そのあと漁師たちは解体場に集まり、浅瀬にいる海坊主をどうやって追い払おうかと考えを巡らせていた。このままでは沖へ魚を獲りに行こうにも、襲われて舟を転覆させられてしまうかもしれないからだった。そしてディランの父が、同僚たちに沖合で一匹の竜を退治してしまったことを打ち明けるのであった。ディランの父は、海坊主を呼んでしまったのは自分のせいだと言い、自分が囮になって怪物を沖へ誘導すると言うのだった。それを聞いたディランは、父親だけが悪いのではないと言い張り、怪物は自分を追ってここまでやってきた、と主張するのであった。
「ディラン! おまえ、言っている意味がわかってるのか!」
「わかってないのは父さんたちだよ!」
「どういうことだ!」
「それは……」
ディランは皆の前でドリイになった姿を見せるのだった。ドリイに代わる瞬間を見た漁師たちは、冷たい目でディランを睨みつけ、気味が悪いと言い放った。解体場は静まり返って、嵐がやって来る合図のような風の音だけが聞こえてくるのだった。このときドリイは、自分の居場所がここではない、と悟った。
ディランの父親やその同僚たちは、すぐにディランを返すようにと強く言うのだった。ドリイは、それに従う他なかった。彼女はすぐに返すと漁師たちに言い、ディランの父親の前でディランに戻って見せるのであった。
ディランはひどく傷ついた。彼はどこかで、皆が彼女のことを認めてくれるのではないかと信じていたのであったが、その思いは一瞬にして裏切られてしまったのであった。
ディランはその場で悔しそうに泣き崩れた。その間も、黒い影はじっと彼のことを眺めているのであった。