秘密
集落の周りだけが松明やランタンの灯りで明るくなり、海岸は真っ暗になった。ペーチャは寝床へ向かうために立ち上がると、深く息を吸って歩き出した。空は灯りの届かないところほど暗く、集落は大きなドーム状に包まれていた。海女の作業場にはまだ灯りがあり、何人かが話し込んでいた。まぶしい建物に近づくに連れて、星は見えなくなっていった。作業場を横切ってヤシの葉の家を見たとき、ひとりで小屋の外をうろうろしている少女をみかけた。その少女は昼間にみた、彼女であった。
「こんなところでどうしたの……」ペーチャはドリイに話しかけた。
「え……あ、その……なんでもない……」ドリイはせわしなく、空を見上げたり、下を向いたり、不安そうにしていた。
「気分でも悪いの?」
「いいえ、そういうわけじゃないのだけど……」ドリイは海岸の方向を眺めて言った。「気のせいかもしれないんだけどね。誰かに追いかけられているような気がするの」
「追いかけられてる?」
「えぇ、わたし一人しかいないはずなのに、陰が後ろから前にきたりしてね……」ドリイはペーチャの目を見た。
「うぅ……ん。たぶんそれはきみの影じゃないかな?……」苦笑いして、ペーチャはドリイの影に手をやり、そのあと、ドリイの周りでいったりきたりして見せた。「ほら、灯りが前と後ろにあると影がふたつできるでしょ?」
「うん……」ドリイはどこか不満そうに頷いて言った。
「そういえばきみ、ここらへんで見かけない顔だね。どこから来たの?」
「えぇ……こたえなきゃだめかしら」ドリイは後ずさりし、腕を胸の辺りでクロスさせた。
「いいや、別に答えたくないならいいけど……じゃーね。おやすみ」ペーチャは寝床へ戻っていった。
「おやすみなさい……」ドリイはペーチャに手を振った。
去り際、ペーチャには、彼女がとても孤独そうに見えた。なぜそう思ったのかは彼にもよくわからなかったが、もう少し話していたい、と彼女が一瞬、語りかけたような気がしたのであった。
《気のせいだろう、どうかしてるな、ぼくは……》
ペーチャは自分のベッドがある長屋へ入っていった。長い廊下に窓が一定の間隔にあって、反対側には扉がいくつも並んでいた。そのなかのひとつがディランとペーチャの部屋だった。ペーチャは部屋に入って、二段ベッドの下に潜り込んだ。目をつむってじっとしていると、廊下の外から話し声が聞こえてくるのだった。その話し声は、ディランとドリイの話し声だった。
「ねぇ、ディラン。なんで教えてくれなかったの……」
「そんなつもりはなかったんだけどさ、急に話しかけられたから僕もどうしようもなかったんだ」
「ふーん……」
部屋の扉が開いて、ディランだろうか、二段ベッドのはしごを登り始めた。ペーチャはうつ伏せになってその音を聞いていた。ペーチャはこのとき、おかしなことが起きていることに気がついた。ディランがはしごを登るのと同時に、ドリイの声もはしごの上に登っているのだ。いますぐ目をあけて確かめたかったが、やっぱり怖くてだめだった。それに親友の秘密をこっそりと覗き見るようなことはあまりしたくなかった。
「ディラン……それじゃあ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
ベッドの上でディランはいったい誰と話しているのだろう、とペーチャは思った。あきらかにディランは自分に『おやすみ』と言ったわけではなかった。気になって仕方なかったが、結局彼は、そのままの体制で我慢し眠りにつくのであった。
次の日もディランとペーチャは海に出て行った。その日も快晴が広がり、まさに漁日和といった感じであった。網をもって舟を出し、みんなで網を引っ張った。一度目の巻き網が終わり、他の舟が積んでいる魚を港で下ろしているとき、ペーチャはディランに昨日のことを聞いてみることにした。
「ねぇ、ディラン……ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
「ん?……なに?」ディランはあきらかに動揺して答えた。
「ドリイって誰?」
「ドリイ……あぁ、あの子ね。あの子は……僕の……えっと……従妹……」
「従妹?」
「そう、従妹!」
「それにしては雰囲気がだいぶ違うよね……」
「あぁ! それはね、あの……いろいろあってさ」
「いろいろ?」
「そう、いろいろ!」
「ふーん……」ペーチャはすでに、ディランが隠し事をしているのは分かっていた。「嘘だよね?」
「え!」
「嘘でしょ? ねぇ!」ペーチャはディランの目を見て言った。
「ぬぅ……」ディランはうなだれて言った。「うん、嘘……でもさ、話したって」
「信じるよ」
「わかった。じゃあ、仕事が終わったら教えるから」
「約束だよ」
「うん、わかったよ」
その日の午後、空に雨雲がかかりはじめたため、漁は取りやめとなった。昼食を終えた二人は海岸を歩き、人があまりいない場所を探していた。しばらく歩くと、使われなくなった物置小屋があったため、その裏へと回った。
「で、隠し事ってなに?」
「別に隠したくて隠してるわけじゃないんだけどなぁ……」ディランは後ろを向いた。「それじゃ、驚かないでね」
「うん……」
ディランはその場にかがんで、すぐに立ち上がった。立ち上がると同時に、髪の毛が下に伸びて、明るい色へと変わった。褐色だったディランの肌も白に近い薄い肌色へと変わっていった。彼は振り返ると、彼ではなくなっていた。
「黙っててごめんなさい」彼女は両手を前に組んで言った。「ディランには迷惑をかけたくなかったんだけど……」
ペーチャは親友に起きた出来事をまだ理解できずにいた。さっきまでいたはずの親友が消えて、代わりに彼女が立っているのだった。




