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ドリイと楽園  作者: よた
第五章 孤独と自由
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遭難者


 ディランの父は、今日も漁で魚を捕っていた。息子が波にさらわれてから三ヶ月。彼と彼の家族の心は深い悲しみに沈んでいた。以前であれば、大物を獲ってこれた日は、家族全員で喜びを分かち合った。しかし今は、どんな大物が獲れたとしても、さほど幸運や幸福というものを感じなくなっていた。


《ディランがいたらなぁ……》男は囁くと、大銛を担いで思いっきり海面に投げた。すると海面にから、それほど大きくないカジキマグロが姿を現した。彼はいそいで足元にある網を持って魚をすくい上げると、頑丈な水槽の中に魚を入れるのだった。ディランが生きていれば、これは彼がやる最初の仕事であった。


 男は溜息をついてふと顔をあげた。するとはるか遠くの水平線に一隻の小舟がぷかぷかと浮いているのが見えた。


《ありゃいったいなんだ》


 どうやらピスカトレ村の舟らしかったが、とてもみすぼらしい小舟で、正直、同僚の舟とは思われたくないと男は思った。それに自分以外の舟がこの場所にいるのも妙だった。たまたまかもしれないが、自分のことをつけてきたとすれば、漁師としてはあまり好ましくはない。


 男は舟に乗っている奴がどんな顔をしているか確認しようと、雑嚢から双眼鏡を取り出して、覗き込んでみた。しかし舟を操縦している漁師の顔は見えなかった。


「……うーん」男は首を傾げた。どうやら舟には誰も乗っていなさそうだった。もしくは顔を覗かれないように伏せているのかもしれないが、あの大きさの舟なら背中が見えるはずである。《あるいは……》と男は思った。男は、あるいは体の小さな子供が勝手に舟をだして遊んでいたが戻れなくなったのかもしれない、と思ったのだった。


 男はオールを取り出して舟を漕ぎはじめた。徐々に小舟に近づくと、中の様子が見えた。舟の中には不揃いの壺が足場を埋め尽くすほど積み込まれていた。すべて空だったので、中に何が入っていたのかはわからないが、においからして、おそらく何かしらの保存食がしまわれていたものらしかった。しかしいったいなぜそんなものを積み込む必要があったのか男には理解ができなかった。いくら沖で漁をするからといってこんなにたくさんの食料を積み込んで行く必要などはないからである。そうなると、答えはもう一つだけだった。遭難者だ。


 舟には白い帆が被せられていた。この中に誰かいると男は思ったが、水も食料も底をついた状況から鑑みて、もう手遅れだろうとしか思えなかった。舟同士を縄でつなげ、遭難者の舟に乗り移ると、ひどい悪臭がした。これは死体の匂いだろうか、それとも食べ物が腐ったにおいだろうか、と男は考えながら、恐る恐る膝をつき、舟にかかった帆の下を覗き込んでみた。


 すると、中には小さくてげっそりと痩せた少女が意識を失って倒れていた。男は一旦顔を上げ、目を瞑って太陽に顔をむけると、胸に手をあてて大きく深呼吸した。彼女はどう見ても、生きているようには見えなかった。


「なんてことだ……」


 男はとりあえず岸まで運んで、人を呼ぼうと考え、自分の舟にもどり、帆を張って岸へと向かった。岸へ戻る間、男は、息子もあんなふうに死んだのかもしれない、という考えを振り払うことができなかった。


 船着き場に舟をとめた男は、魚の解体場へ向かい海女さんを呼んだ。すると髪の毛が白い年取った海女が、ベンチに腰掛けパイプをくゆらせながら男たちを待っていた。海女はやけに早く帰ってきた男を不審そうに眺めているのだった。しかし海女は、男から遭難者がみつかったことを聞くと、血相を変え、吸殻を鉢の中に落とした。


「それで? 生きてるのかい?」


「いいや、もう駄目だ」


「そうかい…………わかったよ。それじゃちょっと人を呼んでくるから舟の側で待ってな」


 そう言うと老婆は、ゆっくりと腰を上げて、海女たちが貝を獲っている磯まで歩いて行くのだった。男は舟の側まで生き、被せられた帆をじっと眺めていた。細くて弱々しい子供の足だけが見えていた。


「もう二度とこんなのは見たくねぇな……」男は眉間にしわをよせながらつぶやいた。


 しばらくすると、四、五人の海女が担架をもってやってきた。舟の側までやってくると、男は軽く手を上げて、「こっちです」とだけ言った。海女たちの中に若い者はおらず、年寄りばかりだった。若いのに遺体を見せると、取り乱すものがいて厄介だと思って、老婆が選んだ仲間たちだった。


 男は遭難者の舟にのって、海女たちと目を合わせると言った。


「そんじゃ、開けますね」


 海女たちが頷くと、男は舟に被せられた帆を持ち上げ、釘を無理やり引き抜いた。帆が取り除かれると、ミイラのように、ガリガリにやせ細った子供が倒れているのが見えた。


 それがあまりにも可哀そうな光景だったため、海女たちの中には、急に泣き出してしまうものまでいた。しかし彼女たちは、直ぐに気を取り直して担架を舟の側へよせるのだった。


 男は子供を担架に乗せるために、そっと抱きかかえようとした。子供からは何と言えばいいのかわからない、ひどい匂いがした。息を止めて子供の背中に手を通した。


「ん……」子供が抱きかかえた男が一瞬固まった。


「どうしたんだい」担架を持った海女の一人が言った。


「もしかしたら……まだ生きてるかもしれない」男は自分が言っていることが信じられないくらい動揺していた。


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