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ドリイと楽園  作者: よた
第五章 孤独と自由
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出発


 ウサギを狩った日の夕方。ドリイはウサギの干し肉をつくり終わると、また海岸へ向かい、魚を獲りに出かけた。いつも通り砂浜を歩いていると、沖の方から小舟が流れてきた。どうやら中には誰も乗っていないようだった。浅瀬の方までやってくるのを見たドリイは、急いで海岸に落ちていた残骸の板を拾い、服を脱ぐと、浮き替わりにしながら舟の側へ泳いでいった。


 舟を押し海岸に到着すると、彼女は海岸に転がり、ぼんやりとして目を閉じた。体の表面が日差しでじりじりと焼けていくのを感じた。すぐに服を着なければと思った彼女は、ごろんと熱い砂浜を転がって体を起こすと、服を着て、さらに舟を海岸の奥へ運ぶのだった。


 小舟はピスカトレ村のもので、転覆せずにここまでたどり着いたらしかった。舟の床には、銛や網、オール、帆柱など、漁師の仕事道具一式がそろっていた。


《これでやっと帰れる》とドリイは思った。彼女は自分の家が海のむこうにあると信じて疑わなかった。


 この日からドリイは、どのような準備をすれば海を渡れるか、と考えを巡らせるようになった。保存食の乾燥した魚や肉、たくさん水が入る壺、水がなくても土があればしばらく持つ野草、木の実を集めはじめるのだった。


 しかしどうやって目的地のピスカトレ村がある島へ向かうのかは、あまり彼女は考えていなかった。とにかくこの島を出て行きたいという気持ちが強く、舟が流れてきた方角から、だいたいの目星をつけただけで、それ以上はなにもなかった。


 そしてドリイは出発の日を迎えた。舟にできるかぎりの食料と水を積み込み、直した帆柱を床の穴に差し込み、動かないように金具で止めた。舟を引きずって海面に浮かべると、なるべく服を濡らさない様になかへ飛び乗り、余った帆でつくった日よけの中にもぐりこんだ。寝そべっている分にはいいいが、座り込むと頭がすこしあたってしまう。もうすこし時間をかければもっといいものができたはずだったがそうしなかったのは、あまり時間を掛け過ぎると、島の暮らしに慣れてしまい、期を逃してしまうのではないかと思ったためだった。


 オールを取り出して沖へ向かって漕ぎだすと、波で船が大きく揺れた。風はまだ岸にむかって拭いていたので、帆を張ることはできなかった。力強く、ただし体力は温存しつつドリイは舟を進めた。


 しばらく舟をこいでいると、背中から突き上げるような強い風が舟を押した。ドリイは《今だ!》と囁くと、オールをしまい、帆柱に繋がったロープを思いっきり引っ張った。


 帆がなびき、叩きつけられたような轟音が鳴ると、舟は海面を滑るように前進した。ロープは風に引っ張られ、ぎーぎーと鈍い音をたてるのだった。振り返ると小さくなっていく島の様子が見え、もう二度と帰ってこられない場所だと考えるだけで、なぜだか涙が出てくるのだった。確かに自分が存在し、自分がその一部であったはずなのに、いまはもう違うと思うだけで故郷を離れるときの名残惜しい気持ちになるのだ。


 太陽の下。大海原にぽつんど笹船のように浮かぶ小舟は、風を受け、沖へ沖へと進んでいった。


 その日の晩、真っ暗な海の上で、ドリイは眠った。夜空には幾千もの星々がきらめいていた。目印となる星が北の方角にあり、それを頼りに航路を確認するのだった。進むなら南か西だった。少なくとも北ではないことを彼女は知っていた。南か西なら小さな島がいくつもあるが、北にはひとつもないと、誰かに教わっていたのだった。しかし、それがいったい誰だったのかは覚えていなかった。ただなんとなく、それを教えてくれたのは、これから自分が合いに行く人たちの中の誰かであるような気がした。


 ドリイは舟の上で一週間ほど過ごした。食料はいくらか残っていたが、水が底をつきそうになっていた。こんなときに限って、雨も降らず、あるのは乾燥させた肉だけだった。途中で魚を釣って、着ている服で絞って水分を手に入れたりしたが、一日に必要な水分は手に入らなかった。ただでさえ、熱と湿気で意識がもうろうとしているのに、脱水症状でさらに体が弱っていった。いつの間にか彼女は、考えることをやめ、ただ舟を風にまかせていた。風が吹いたら帆をしっかりと張って、強すぎるならいったん下ろして、また弱まったら帆を張って、これの繰り返しであった。


 そして出発から一か月後、彼女はすっかりやせ細って、食料も底をついてしまっていた。《あと三日……》とドリイは思ったが、実際はもっと早いかもしれなかった。彼女にもう気力はなく、日よけの下でなるべく体力を使わない様に寝そべっていることしかできなかった。波と風に身をまかせて彼女はいくつも夢を見ていた。ひとつは地底での思い出。もう一つは自分ではない誰かの思い出だった。いったい自分は誰なのだろうか、とドリイは思った。なぜ自分の中には、知らない誰かの思い出が残っているのだろう、なぜ自分は知りもしない場所に、これほどの危険をおかしてでも帰りたがっているのだろう、と自分の中にいる誰かに問いかけてみるのだった。しかし答えが返ってくることはなかった。帰ってくるのは、波と帆が風にあたる音だけだった。


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