自由
沈没船に何かがバチバチとぶつかる音が聞こえる。どうやら外は雨が降っているようだった。木造の沈没船の下で帆にくるまっていたドリイは、雨音に気がつくと目を覚ました。
筒状になっている帆の中を這って外に出ると、腕と膝に砂が刺さった。立ち上がって砂を払うと、彼女は辺りを見渡した。
昨日よりも潮が満ちており、波は沈没船の地面に突き刺さった船首の彫刻の辺りまできていた。それを見た彼女は、自分が冷静でなかったことを痛感した。もし嵐が来ていたら、自分は波にさらわれて、今頃海底に沈んでいたかもしれない。どうしてこういったことが考えられなかったのだろうか、と彼女は思いながら、ぶつぶつと独り言を言い、背筋が凍りつく感覚を紛らわした。
帆をいったん持ち運べそうな大きさに折りたたむと、辺りに散らばった船の残骸を集めた。彼女は雨に濡れたくなかったので、廃墟の外には出なかった。帆柱から伸びていた骨組みと、ロープを拾って帆の近くに集めた。探している最中、雨粒を貯められそうな壺の破片がいくつかみつかった。使えそうなものをいくつか集めていると、金属製で丈夫そうな壺が出てきた。どのような用途で使われていたのか、あまり考えたくなかったが、おそらく形と大きさからして唾壺の一種だった。それと、運よく調理器具がはいった木箱を見つけ、錆びた包丁も手に入れた。辺りを見渡しても、これ以上のものはなかったので、よく洗って調理器具として使おうと彼女は思った。
壺を海水でさっと洗うと、雨が降る砂浜に並べた。畳んだ帆の上に座って、雨が止むのをじっと待ち続けるのであった。
しばらくすると、壺に水が溜まってきた。ドリイは雨で体を濡らさぬように、急いで水が溜まった壺を廃船の中へ戻すと、しばらく置いてから匂いを嗅いで、水面に唇が触れる程度に顔を近づけた。よく見ると雨水には小さな塵のようなものが含まれていたので、それが壺の底に沈むのを待ってから、水を飲みはじめた。
ずるずると音を立て、水を吸い込んだ。変な味がしたらすぐに吐き出せるように、口に含んでからもしばらくは飲み込まずにいた。水面に映る雨雲と自分の陰を眺めながら、彼女は両頬を膨らましてまた、じっとしているのであった。
雨が止んだのはおそらく昼を過ぎた頃だった。雲の間から日が差して、太陽が真上にあるのが見えた。潮が引いて砂浜がしだいにひろがってきた。さっきまで海水に沈んでいた、湿った砂に雲間の陽光があたって、乾いていった。
もう大丈夫そうだと思ったドリイは、立ち上がると、重たい帆を担いで、昨日の野営地へと運ぶのであった。あそこであれば風も防げるし、波も来ない。狩りにだってすぐに行ける。
野営地に着いたドリイは、平らたい地面に帆を下ろし、また廃船がある場所へと戻り、帆柱に使われていた木材と長いロープ、重たい石をもってきた。
小屋をつくるために、周りの草を包丁で薙ぎ払うと、岩の上に座り込んで、彼女はなにやら作業をはじめるのだった。
ロープをほどいてから、細く編みなおした。持ってきた木の棒を網目状に置いて、十字になっている場所をすべて細いロープで縛りあげ、帆をかぶせた。出来上がった長方形の白い屋根を、岩と棒を使って立てかけ、さらに帆がずれないように、地面についた帆を岩と土で被せると、入り口のない小屋が完成した。包丁で、帆を上だけ残して真四角に切って入り口をつくると、よく乾燥した岩や、木の枝を敷き詰め、さらにその上にもう一つ、畳んだ帆をかぶせた。
今日のところは、この小屋で夜を過ごそうと考え、いい加減、狩りか漁にでかけることにした。そこら辺に生えている木の実でいくらか空腹を誤魔化していたが、だんだんそれだけでは足りなくなってきていたのだった。
狩りと言っても、狩るための道具がなかったので、とりあえず岩場を見つけて貝でも探そうと思い立った。岩場は砂浜に打ち上げられた廃船のさらに奥に進むとあった。服を濡らさない様、脱いでから海に入ると、岩の側面についたサザエや砂に埋もれたアサリをいくらか捕まえることができた。数十匹程度捕まえたところで、ドリイは廃船のある場所で海水の入った壺に貝を入れて砂抜きをした。
砂が抜けるまでまだ時間が掛かるので、いったん壺をもって野営地へと戻った。
「あ、忘れてた。取ってきても火がないと調理できないや……」
ドリイは、小屋の前に、廃船からもってきた木の板と、乾燥した雑草を集めはじめた。短く折った木の棒を板に押しつけて、棒を回転させ、擦りはじめた。
「うりゃァァァ!」
顔と手を真っ赤にしながら一時間以上彼女はねばった。すると、だんだん木の板が黒くなりはじめ、煙がたちはじめた。慌てふためいてドリイは、乾燥した草の上に火種を落として、息を吹きかけはじめた。すると火がついたので細い木をかぶせ、火をおおきくしていくのだった。
「あぁ……ついた。えへへ、もう動けない……」ドリイは地面に仰向けにひっくり返った。
《このままだと雨が降ったらやり直しだな》と思ったドリイは棒を二本もってきて、帆が棒の先に引っかかるように切り込みを入れると、帆の両端に小さな穴をあけて、棒の先を突き刺した。落ちてこないことを確認したら、次に、棒に二本のロープを引っ掛けて、立てたときにちょうど直角三角形になる位置に、ロープを引いた。ペグの代わりになりそうな枝をロープで引っ掛け、さらにその上に重しの岩をどすんと乗せると、棒が小屋とロープにひっぱられて、抑えていなくても立つようになった。もう片方も同じようにしすると、簡易的な雨除けが完成した。
「ふふん……いい感じだ」
ドリイは焚き木を小屋の側へ避難させると、雨が流れてこないように周りを掘って溝をつくった。
あっという間に日は沈みはじめていた。涼しくなってくると虫が飛びはじめた。小屋に入ってきたら困ると思ったドリイは煙が出そうな木の実や、まだ青い杉に似た葉を火の中へ放り込んだ。
想像を超える量の煙が辺り一面に広がって、霧の中にいるようだったが、《これなら野生動物もやってこないだろう……》と、むしろ好都合と彼女は考えるのだった。煙を追って顔を上げると、辺りはもう真っ暗になっていた。