Y班
朝食のあと、子供達は自由時間が終わるまでに洗顔と歯磨きを済ませて仕事場へと向かうのだった。仕事場はいくつかの班に分けられている。ドリイが所属しているのはY班であった。班がいくつあるのかは誰にもわからなかった。ただ、ドリイは、アルファベットの最後、Z班の次があることは知っていた。例えば、AA班、その次がAB班というような感じである。しかしドリイはZ班までの子供達しか見たことがなかった。班は三日から三年の間に変更される。A班からB班になるまでの期間が最も長く、Y班からZ班になるまでの期間が最も短かった。班はさらに、部屋番号の上三桁で区切られた小規模なチームに分けられており、その中のひとつである156番のチームに、ドリイ、ケイティ、マックスの三人がいた。つまり、1560から1569までの部屋番号で、ドリイと同い年の子供は三人だけということになる。
彼らには、その日その日によって、やることが決められている。今日は〈労働の日〉であったため、彼らは仕事をしなければならなかった。ちなみに、労働の日以外にも、決まった祝日が存在しているが、長くなるので、ここでは述べないでおこう。
ドリイ達の生活はその繰り返しで、休日は存在しない。祝日はドリイたちにとって、いつもより仕事が増えるだけの、つらい一日であった。もちろん皆、どうしてこんなことをしなければならないのかという疑問は抱かずに、繰り返し、繰り返し、黙々とそれを一日中続けているのである。
仕事内容は単純なものが多かった。ドリイたちが今日している仕事は、施設内にある広い部屋で、渡された小包を指定された棚へもっていくというものだった。小包は、部屋の壁に空いた穴から出てくる。箱であったり、封筒であったり、形や大きさはバラバラであったがどの小包にも『AB‐1234‐1234‐1234』というような棚番号が書かれていた。運んでいる小包の中身がいったいなんであるかは、みんな知らないが、誰一人として中身を覗いてみようなどとは思わないのであった。
「マックス! ちゃんと運ばなきゃ怒られちゃうんだからね!」ケイティは怒った。どうやら、同い年の少年マックスが仕事をさぼっていたらしい。
「うっせーなー。テメーのいう事なんてききたかねーの!」
「ケンカしちゃだめだよ、二人とも……」ドリイが二人をなだめる。
「ふん!」マックスとケイティがそっぽを向いた。
「はぁ……」ドリイはあきれたように溜息をこぼした。
その後、なんだかんだで全員、さぼることなく仕事に取り掛かるのだったが、マックスとケイティは昼休憩までの間、必要最小限のやり取りを覗いては、進んで言葉を交わそうとはしなかった。
昼休憩のあと、Y班はまた仕事に戻った。終わりがまったく見えない作業ではあったが、淡々とこなしていけば時間がきて、夕ご飯の時間になって、ベッドに潜り込むことができる。皆、その瞬間だけを楽しみにして毎日を過ごしているのであった。
この施設の中では、ほとんど自由がなかったが、女王も子供たちの見る夢までは支配できていない。だから、子供たちにとって睡眠とは、誰にも邪魔されない自由の楽園なのであった。
十四時五十五分になると、看守が子供たちの目の前にやってきた。
「モウスグ ジュウゴジ ジュウゴジ ミナ キオツケ」看守が慌ただしくドリイたちの前にやってきた。「タイソウノジカンニナッタ ミナ キオツケ」
仕事をしていたドリイたちは看守の前に整列した。口をつぐみ、目をあけたまま、時が経つのをじっとまっているのであった。
十五時ぴったりになると、看守についているスクリーンに、人の体の形を模したマネキンのようなロボットが映し出された。
「さあ、みなさん。体操の時間ですよ! 今期の目標死者数は三百人! 昨年の六百人の二分の一にしなくてはなりません! だから運動して健康になりましょう! 『オミネス・マム』のために働く人間は健康でなくてはなりません! さぁ皆さん! ちゃんと義務をはたしましょうね! 不健康は裏切りですよ!」
どこか優し気な婦人を思わせる声であったが、同時にスピーカが反響し、声が二重になって聞こえた。加えて、複数の女性の声を合成したような、異なるイントネーションが耳障りであった。これでも看守たちは、『子供たちは、本物の人間の女性に指導を受けていると思っている』と考えているようであったが、とっくの昔に子供たちは、その女性が人間でないことぐらいは分かっているのだった。どうしたら、顔のない人形を本物の人間だと思えよう? まったく持って無理な話だということは論ずるまでもないであろう。
「さあ! まずは大きく跳ねて、いち! に! さん!」
マネキンが飛び跳ねると、スクリーンを見ていた三人も飛び跳ねる。
「いち! に! さん!」三人とも跳びはね、口をそろえて言った。
「よくできました! それでは次です!」マネキンは両手を足のつま先にくっつけた。「さあ、しっかりとつま先に手がつくように!」
三人がマネキンと同じように手を足のつま先に付けようとしたとき、ドリイはケイティの様子が気になって横を見た。すると、ケイティが顔を真っ赤にして息苦しそうにしているのが見えた。どうやら、喘息の発作で苦しんでいるようだ。しゃっくりをしているように見えるが、実際は、口を閉じて咳を殺しているのである。
《え、こんなときに……ケイティ、大丈夫かな……?》ドリイは心配そうに彼女のことを何度か確認したが、症状はますます悪くなる一方であった。
「5265番! どうしました? 苦しんでいるように見えますが! 裏切りですか?」
「いいえ、苦しくありません。だ、だい……じょうぶ……です」
「そうですか! では! 次!」マネキンは背中を後ろに折りながら言った。「さあ、今度は体を後ろにそらす運動です。 いち! に! さん!」
ドリイは、ケイティの様子が気になって、マネキンに気づかれないように、もう一度ケイティのことを見た。すると、いままで自分の呼吸だとばかり思っていた音が、実はケイティのものであることがわかった。咳はしていなかったが、ぜーぜーとひゅーひゅーという音がいっしょに鳴っており、音はだんだんと大きくなって言った。
このあとも、マネキンの言う通りに三人は体操を続けた。手足の運動、腕を回す運動、横曲げの運動、ねじる運動、深呼吸……。普段であれば、体操はここまでで終了であった。しかし、今日は違った。
「さあ! みなさん! 喜んでください! 今日から体操に新しいメニューを追加しましたよ!」
「え……」ひどくかすれたような小さな声で、誰かが言った。ドリイは、一瞬、この声がケイティがだした声だとは思えなかった。しかし、その声のする場所には彼女しかいなかったのである。
「その場で足踏みをしましょう! はい! いち! に! さん!」マネキンは腕を振りながらひざを高く上げてその場で行進しはじめた。
「いち! に! さん!」三人はマネキンの言う通り、その場で行進をはじめた。
これくらいの運動であればケイティもなんとか我慢できそうなので、ドリイは胸をなでおろした気分であった。しかし、同時に《このままおわってくれるはずがない……》という不吉な予感がドリイを襲った。そして、その予感は的中してしまうのであった。
「さあ! もっと早く!」マネキンが言った。「もっと早く! もっと早く!」
三人はほとんど全力疾走をしているような状態になった。ドリイは頭のなかが真っ白になり、汗が体中から噴き出して、いますぐ床に倒れ込んでしまいたかったが、いまそれはできなかった。目の前に看守がいる状況で、下手に止まれば、女王の意思に逆らったとみなされる場合もあるからだ。彼女はマネキンの命令がやむと、直立したまま呼吸を整えるのであった。そして、思い出したようにケイティの様子を確認した。そこには、床に倒れ込むケイティの姿があった。