街
冷たい水滴が洞窟の天井から滴り、頭のてっぺんに落ちた。外では雨でも降っているのだろうかとディランは思った。洞窟の地面は以外にも柔らかい砂が多く、大きな怪我はなかったが、膝はすりむいてしまっていた。どこかで傷口を洗ってよく乾かさないといけないと彼は思ったが、いま洞窟の外に出れば、あの気味の悪い怪物の餌になるのが落ちだった。仕方なく、彼は少しでも風通しの良いところへ行って、傷口を乾かそうと体をおこすことにした。
「大丈夫?」
手を地面につけたとき、頭の上から聞き覚えのある声がした。ディランは、この声を聞いて、自分の考えていたことが、ただの悲観的な妄想だったのだと反省した。その声は、ドリイのものだったのである。
「怪我してるの?」ドリイは倒れているディランに手を差し伸べようと、身をかがめて言った。
「ちょっと擦りむいただけ、大丈夫……」彼は、彼女に対して疑いの念を抱いてしまったのを申し訳なく思い、言った。
「そう、よかったわ」
ディランはこのとき、ドリイの表情が柔らかくなったのを感じた。彼女の顔がちゃんと見えたわけではなかったが、声色でそうわかったのだった。それと、昨日と今では、今のほうが大人びているような気がし、背丈も高くなっているような気がした。
「ドリイも逃げてきたの?」
「………………いいえ、ただ、わたしはここに来たかっただけ」ドリイは妙な間をもたせてから、首を振った。
「そう、なら、いまは外に出ない方がいいよ。怪物がいて危ないんだ」
「そう…………わかった。気をつけるわね」ドリイは洞窟の奥の光に左手をやり、言った。「とりあえず、わたしの家にきて。傷口を消毒しないとね」
「うん。わかった」ディランは歩きはじめると、ドリイについて行った。《なんだ、こっちにも家があったんだ》
洞窟を抜けると、縦長の狭い道に出た。両側の建造物は四、五十メートルはあるのに、道幅は五十センチもなかった。壁を張り付くように横向きになって二人は先へ進むと、前を歩いていたドリイが首だけを彼に向けて言った。
「いまなら平気そうね……いい? わたしが出たら、十秒数えてから付いて来るのよ。間隔を保つの、私が背中に両手を回したら立ち止まって――でも、目は合わせちゃ駄目――あと、むやみに周りのものに触らないでくれる? ほら、その壁につけてる手もよ。ああ、あとね、万が一、見失ったら、誰にも目は合わせず、下を見ながらここへ戻ってきてね。それじゃ、いい? 十秒よ」
「う、うん……」ディランは壁に付けていた手を離し、叱られているような気分になって返事をした。
彼女が大通りへと出て、歩きはじめると、ディランは数を数えた。
《一……、二……、三……、四……、五……、六……、七……、八……、九……、十!》
彼は目の前の通りで、左右を確認したあと、体を外に出した。歩いている者が、二、三人いたが、みんなドリイのような白い服をきていて、自分だけ地味な灰色のシャツと茶色の半ズボンを着ていた。この街の者にとっては、彼の服装が物珍しいのか、通りがかったものは目を離さなかった。ディランはすぐに下を向いて、彼女の言う通り誰とも目を合わせないように歩いていった。
十字路に差し掛かったとき、彼女は両手を後ろに組んだ。後ろを歩いていたディランは彼女の仕草に気がつき、立ち止まった。すると、彼女の目の前を、同じ大きさの丸い鉄の塊が風を切りながら横切っていくのだった。
宙に浮く丸い鉄の塊は、次々と彼女の目の前を横切っていったが、一つだけ彼女のところへやってくると、なにやら彼女が喋りはじめるのだった。
「テ……ラ…………D……」
彼女がぼそぼそと喋ると、球体についていた豆電球が光り、ピロピロと鳴きだした。それを見たディランの目は輝いていたが、もし、あの球体に飛びついてぶら下がるようなことをすれば、さっきとは比べ物にならないほど、こっぴどく叱られてしまうのだろうと考えて我慢した。
球体が去り、組んでいた腕を彼女が解くと、また歩きはじめたので、ディランも同じように、前に進んだ。彼も、さっき彼女が立ち止まった十字路に差し掛かると、立ち止まって左右を見渡した。なにもやってこないのを確認したディランは、いつやってくるかもしれない浮かぶ球体を恐れながら、おっかなびっくり、水たまりの上をあるくようなステップで通りぬけた。
彼女は振り返って、ディランが通り抜けることができたのをみると、同じように立ちならぶ建物のうち、一つを指さして、合図した。どうやら、ここが彼女の家らしいことをディランは、悟って頷き、彼女の後に続いた。
扉をぬけると、飾り気のない灰色の階段と、長い廊下があって、廊下の両側には重たそうな鉄の扉が並んでいた。
彼女はすでに階段を登っていて、途中にある踊り場に立ってディランが入って来るのを待っているのだった。彼女の表情は冷たく、顔は死人のように蒼白かった。
階段を上ると、また彼女が扉を指さしていた。どうやら、二階のその部屋が、彼女の部屋であるようだった。