夜中
日は既に沈んでしまって辺りが真っ暗になっていたので、ディランは、ドリイのところに泊めてもらうことにした。夜になると気温が下がってきた。寒くなったディランは焚き火の前でよこになり、ドリイもそばにいた。そして、ディランはふと、洞窟の中で見た二枚の看板を思い出し、ドリイに質問するのだった。すると、ドリイは地底の国について、教えてくれるのだった。
「ねぇ、『楽園』って、なんのこと?」
「地底の国のことよ」
「なんで楽園なんて呼ばれ方をしてるの?」
「わたしもよくしらない」ドリイは膝をかかえて俯きながら言った。「ただ、みんなそういってた」
「ふーん……」
「ねぇ」
「なに?」
「あなたはどこから来たの? 夢の国?」
「夢? ちがうよ。僕は『ピスカトレ村』ってところから来たんだ」
「ピスカトレ?」
「うん。テイラーズ市のそばなんだけど」
「しらない。どこにあるの?」
「わかったらこんなことしてないよ……」
「わからないの? どうして?」
「遭難したんだ」
「遭難?」
「うん……」
ドリイは、『遭難』という言葉自体は知っていたが、それがどれくらい絶望的な状況かまでは分からなかった。そして、いま自分は、遭難しているということになるのだろうか?……と考えもしたが、それほど落ち込むようなことでもないような気がした。どうしてそんな風に思えるのか、彼女にはわからなかったが、それは確実に、彼がここに来てからの変化であった。
「大丈夫よ。なんとかなるわよ。二人だもの……」
「そうだね……力を合わせて頑張ろう」ディランは焚き木を見つめて、何かを誓ったように囁いた。
「ねぇ?」
「なに?」
「ピスカトレ村って――幸せなところ?」
「幸せ? うーん……難しい質問だなぁ。お父さんもお母さんも幸せだって僕には言うけど。僕の村ってみんな漁師なんだけど、不漁が続くとまともにパンも食べられなくなるからな。そのときそのときによるなー。お腹減ってると不幸な気がするし、あと、お風呂も毎日入れないし、それと、お母さんがいつも勉強しなさいってうるさくって――」
「そう……でも、羨ましい」
「そうかなー。で、地底の国は? どんなところ?」今度はディランがドリイに質問した。
「たぶん、幸せなところよ。ご飯は毎日たべられるわ。お風呂も毎日入れるし、勉強もしたくなければしなくていいの」
「へぇー、それは羨ましい! だったら僕、地底の国に生まれたかったよ。あれ、でも、どうしてドリイはいまここにいるの?」
「わからない……信用計数がないから?」ドリイは右手を焚き木で照らした。
「信用計数? それがないと外に出るの?」
「わからない」
「ふーん……なんだか難しいんだね」
「そう? わたしはこれが普通……」
「そうなんだ……」
火が弱まってきたので、ディランは薪を足した。パチパチとはじけて、辺りに火の粉が飛び散るのを二人は目で追っていた。
ふと、ドリイは薪をくべているディランの右手の甲を眺める。彼女は静かに驚いた。ディランの手には、あるはずの物がないのであった。
《そうか……》とドリイは思った。《ディランの住んでいる村にある〈施設〉は、まだ自由があるんだ……なんて素晴らしいのだろう! 羨ましい……わたしもそこへ行けたらいいのに……》
「ねぇ、ディラン、わたしがそこへ行っても平気?」
「ピスカトレ村? うん。平気だよ。きっと、皆ドリイのことを守ってくれると思うよ」
「本当に!」ドリイはディランに顔を近づけた。
「う、うん。本当だよ」
「わたし決めたわ。わたし、ピスカトレ村に行くわ。いいわよね? ディラン」
「うん。いいよ。でも……」
「ありがとう! じゃあ、〈あなたがわたしの代わりになってくれる?〉」ドリイはディランの目をじっとみて言った。
「え? どういうこと……そ………………」ディランはドリイの目を見た瞬間、意識が遠くなり、気を失った。そして地べたにそのまま顔をつけ、ディランは動かなくなってしまった。
ドリイはディランの持っていたナイフで自分の手の甲に入った小さな塊を取り出した。それは米粒よりも小さく、皮のすぐしたにあったため、鋭利なもので簡単に取り出すことができた。彼女は、彼の水筒に入っていた水で血を洗い流し、ナイフの刃に乗せ、焚き木の熱で乾かすのだった。
すると、ディランは起き上がった。しかし、彼は一点を見つめたまま静止していた。彼は意識を失ったまま起き上がっているのであった。
「ディラン、これを飲み込んで」ドリイは微笑しながら言った。「これであなたは幸せになれるわよ」
ディランはドリイから小さな塊を受け取ると、口に含んだ。
「はい、これ」ドリイはディランの水筒を渡した。
ディランは水を飲むと、ドリイに水筒を返した。
「もう寝て良いわよ」
ディランはうなずいて横になった。
ドリイは毛布を手に取って立ち上がると、ディランが作ってくれた松明を手に取った。そして、真っ暗な森を歩くのだった。
《パオ、出ておいで》ドリイが、囁くとパオが暗い森の中から出てきた。
パオもディランと同じように意識を失っていた。
《ディランがどこから来たのかおしえて》ドリイがそう言うと、パオは頭を下げて匂いをたどった。
暗い森の中、ドリイが歩くと、怪物や獣、虫までが彼女に道をゆずり、付き従うように後をついてくるのだった。
ディランが隠した小舟は、すぐに見つかった。
ドリイが船に乗り込むと、虫たちが集まってそれを岸へと運び、海へと浮かべるのだった。小舟を浮かべた虫たちは、岸へと戻ることができずに、そのまま溺れ死に、魚の餌になった。
《ディランがどこから来たのかおしえて》ドリイが魚に言うと、小舟は動き出した。
ドリイは松明を海に投げ捨てると、毛布にくるまって、新たな旅立ちに心を躍らせ、鼻歌をうたうのであった。




