監獄
「ドリイ、朝ごはんの時間だよ。ゴホッ、ゴホッ……」ベッドに座っていたドリイにケイティがせき込みながら声をかけた。「ドリイ? ねぇ、聞いてる?」
脚を抱えながらベッドに座っていたドリイは、同居人のケイティを見た。ケイティは昔から喘息に悩まされており、いつもゼーゼーと音をたてて呼吸をしていた。しかし埃ひとつないこの施設では、薬なしでもある程度症状は軽減されているようであった。ケイティもドリイと同じ施設の子供であり、『テネブラエ』のラストネームをもっていた。ドリイにとって彼女はかけがえのない親友であり、唯一の理解者といっても過言ではなかった。
「あ、ごめん」ドリイは親友の呼びかけに上の空でいたことを謝った。「ぼーっとしてた」
「もー。昔からそうなんだから……」ケイティはドリイの手をとった。「ほら、さっさと整理整頓!」
「うん」ドリイはベッドのシーツを伸ばし、毛布も四角くたたんだ。パジャマも同じである。そうしないと看守に怒られてしまうのだ。「あれ、髪留めがない」
「髪留め? ないの? じゃ、あたしのあげるから、我慢して、ね?」
「ありがとう」ドリイは髪留めを受け取り、長い髪を後ろでとめた。
「はい、ゆびさし確認!」
二人は声を揃えて言った。
「ベッドよーし、布団よーし、パジャマよーし、トイレよーし、蛇口よーし、引き出しよーし」二人は向き合った。「服装よーし」最後に二人は口角を上げた。「笑顔よーし」
二人は口をつぐみ、部屋の扉とは反対側を向き、並んだ。
しばらく待つと、鍵の開く音が聞こえた。そして無機質な声が牢屋に響いた。
「ヘヤバンゴウ 1564 テネブラエ バンゴウ!」
「5265 テネブラエ!」ケイティが言った。
「5266 テネブラエ!」ドリイが言った。
「ヘヤバンゴウ 1564 テネブラエ オハヨウ!」
「おはようございます!」二人は声を合わせて言った。
「5265 5266 シュツボウ!」
この声は子供たちが『看守』と呼ぶロボットである。丸い形状をしていて、球体から二本の腕が付きだしている。顔は全体がスクリーンになっており、なにも映す必要がないときは、『オミネス・マム』と呼ばれる人物の目玉が映し出されていた。『オミネス・マム』はこの地底の国の女王と呼ばれる存在であったが、彼女のことを見た者は誰一人としていなかった。
数秒立つと画面が切り替わる。画面は真っ黒な下地に白い文字だ。
――『オミネス・マム』はすべてを知っている。
このメッセージは毎回『オミネス・マム』の目玉と交互に映し出されるものである。この地底の国で、この言葉をしらない人間はいない。いや、もしかすると、すべての動物がこの言葉を知っているかもしれない。
看守は、施設内を自由に移動できるが、足はなく、自分自身の意思で動いているわけではない。宙に浮いているが、ドローンのような風はない。なぜならば看守は、天井から伸びるワイヤーで吊り下げられているからだ。しかし、子供たちの噂によると、ワイヤーは必ずしも必要というわけではないようだ。まれに看守は天井のレールとワイヤーのさきにある、自分の車輪とのかみ合わせを調整するために外し、宙に浮くことがあるそうだ。ちなみに、子供たちは、この施設内で人間の看守を見たことがない。
「はい!」二人は牢屋を出て、扉の脇に並んだ。
すると、看守は部屋に入って言った。
「ベッドヨーシ フトンヨーシ パジャマヨーシ トイレヨーシ ジャグチヨーシ ヒキダシヨーシ」看守は部屋をでて、二人を見た。「フクソウヨーシ エガオ……」
看守はドリイの表情に違和感があることを検知した。
「5266 ナニカカクシテル ショウジキニイッテミヨ」
「はい、ごめんなさい! 髪留めを無くしてしまいました!」壁に背中をぺったりとつけていたドリイが答えた。
「ソレデハ イマツケテイル カミドメハ?」
「5265に借りました」
「ワカッタ ヨロシイ」看守は部屋の中に入り言った。「スキャン カイシ」
部屋の中を、平面の光が下から上へ、右から左へ動いた。すると看守はドリイのベッドの下に落ちている髪留めを発見した。看守は髪留めを掴み、外に出ようとしたが一旦静止し、髪留めの汚れを確認した。そのあと、看守は牢屋を出るのであった。
「カミドメハアッタ デモ ヨゴレテル ダカラ キョウハソレデイイ」看守は二人に近づいて言った。
「はい、ありがとうございます!」
「ヘヤバンゴウ 1564 テネブラエ モンダイナシ レツヘナラベ」
ドリイとケイティは、他の子供たちと同じように列へ並ぶ。閉鎖感のある低いセメントの天井と床に両側の檻。冷たい床のせいで足の裏は感覚がないこともしばしばある。それでも、子供たちはひとりとして私語はせずに、直立したままでいた。
しばらく待つと、すべての子供達が牢屋から出てきた。
「テネブラエ! キヲツケ! マエナラエ! ナオレ! アシブミ! ススメ!」
子供たちの行列が行進しはじめた。その行列は、まっすぐ施設の食堂へと続いていた。食堂につくと看守は、扉を閉めた。食堂といっても、部屋のどこにも厨房らしき部屋はなく、長い机が川の字に並んだだけのだだっ広い部屋である。もし、机がなかったら、さきほどの冷たい廊下と同じようにしか見えないだろう。
看守は子供たちを椅子に掛けさせ、そのあと、壁の向こうへ続くレールから形状の変わったロボットが数珠つなぎになって現れた。下のテーブルに沿って規則正しく分岐してレールを進み、子供たち一人一人に料理を運ぶのであった。
看守と似たようなロボットではあるが、腕の部品にはジャイロセンサーが搭載されており、配膳の際に料理をこぼさない様に作られている。この、こぼれそうでこぼれないスープの皿や飲み物のコップを眺めることは、この施設の子供たちにとってひとつの楽しみとなっている。
全員に料理が行き渡ると、一番位の高い看守が「キョウモ チャント タベロ」といい、自由にしてよいと付け加えた。命令のあと、子供たちはいっせいに話始めるのだった。食堂は、一気に賑やかな雰囲気になった。
「やっと朝ごはんだよ」「お腹すいたよ」「きょうはなんだろうね」「きっと、また貝のスープとパンだよ」「え! 貝はあんまり好きじゃないのに……」「だめよ、好き嫌いしたら看守さんにおこられちゃうよ」「だって……」「ねえねえ、もうすぐお外なんでしょ?」「うん、やっとZ班が終わるよ。僕、外に出たらいっぱい働くんだ!」「いいなー」「あ、ぼくも!」「えぇ、うらやましい!」
子供たちが食べているものは、すべて、四角いなにかであった。鉄製のトレーにくぼみが五つあり、手前が味のない橙色の何か、右にはゼラチン状の緑色をした何か、といった具合である。それを料理といっても良いのか疑問だが、子供達にとっては、それが生まれた頃からの食事なのであった。子供達は、母の味という表現を、言葉としては知っているが、意味まではわからないのであった。