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五月四日 水曜日 (2)

 



 僕は夢中で本を読んでいました。ついにクライマックスに差しかかっていたのです。


 けれどページをめくると、そこに文章がありませんでした。慌てて何度もページをめくったり戻したりして確認してみましたが、その本にはやっぱり物語の続きが書かれていなかったのです。真っ白な紙が綴じられているだけで、その小説の次回作が存在してあるというお知らせも書かれてありませんでした。


 僕はやられたと思いました。この小説は、とある小さな書店で買ったのですが、雑に扱われてきたのか表紙がところどころ破けていました。最初は買う気はなかったのですが、その書店で働くおじさんが、やたらとこの本を薦めてきたのです。僕は財布を開いてちょっと考えましたが、結局この本を購入してしまいました。おじさんの熱量に根負けしてお小遣いを使ってしまったのです。冒頭を読むとちょっとだけ面白そうな雰囲気があったので期待して読み続けていたのですが、途中で物語が終わってしまうなんて想定外です。作者が物語の続きを書けなくなったのか印刷ミスでこうなったのかわかりませんが、一番面白いところだったのに先が読めないなんて残念です。話が途切れると最初からわかっていたら、作者のファンでない限り僕はきっと、お金を出してまでこの本を欲しいとは思わなかったはずです。


 この小説の作者が誰だったのかは書いていなかったのでわかりませんが、書店のおじさんが「世界に一冊しかない貴重な本だよ」とか「結末が想定外だから読んでみるといいよ」とか言っていたのを思い出しました。今考えると、それは読者の購買意欲を刺激するための都合のいい言葉だったとしか思えません。そんなこと言われたら人の言葉に影響しやすい僕は買うに決まっています。


 僕は、ダイニングにいたママにこのことを知らせようと走りました。お小遣いで買ったこの本が予告もなく未完のまま終わってしまった小説だったことを報告しようと思ったのです。ママに同情をしてもらって、優しい慰めの言葉をもらって、あわよくば別の新しい本を買ってもらえないかな、とも僕は頭の中で考えていました。


 ちょうどそのとき、家のチャイムが鳴りました。ダイニングへやってきた僕の顔を見てから、ママは一瞬だけ考えるような素振りをし、ゆっくりとダイニングチェアから立ち上がりました。そして玄関へ行き、扉を開けます。


「姫っ!!! やっと会えたっ!!!」


 僕はパパが帰ってきたのかと思って後を追いかけましたが、そこにいたのは違う人でした。


 ママが開けた扉の前に立っていたのは、一人の背の高い男の人だったのです。


 その人はなぜかヒラヒラがいっぱいついた服を着ていて、上下とも白色の光沢のある生地に身を包んでいました。足元も白色の靴を履いていましたが、右側だけなぜか小さな穴が開いています。今まで色んなところを歩いてきたのか靴が泥まみれでした。汚れていなかったら、まるでどこかの国の王子様みたいな格好です。


 僕はその男性の顔を見ましたが、身に覚えのない人でした。親戚でもないし、学校の先生でもないし、同じマンションに住んでいる近所の人でもなさそうです。でもその人は、ママと同年代ぐらいの男性だということはわかりました。


 個性的な格好と微妙にずれたイントネーションから、その男性はこの国の人じゃないような気が僕はしていました。愛嬌のある顔立ちをしていたので、第一印象ではそんなに悪い人ではなさそうに思えます。だけどその人は、僕のママの顔を確認した瞬間に何を思ったのか、まるで長らく会っていなかった恋人と再会したときのように遠慮なく抱きついてきたのです。


「姫っ!!! ずっと会いたかった!!! 愛してる」


 その男性はママの身体にギュッと抱きついて離れようとしませんでした。僕はその光景に嫉妬して、二人を引き離そうと慌てて声を荒らげます。


「初対面のくせに、僕のママに何をするんだっ!!」


 僕の苛立った声が玄関に響きます。まだ会って数秒しか経っていないのに、挨拶の域を超えて身体を密着させて離れないなんて失礼にもほどがあると思ったのです。


 だけどそんな僕の思いとは裏腹に、ママは困惑した表情で玄関に立ち尽くしていました。その男性に抱きつかれたままの状態で目に涙を浮かべながら、怒っていた僕の頭にそっと手を置き、優しく撫でて、こう言ったのです。


「ごめんね。この人は、ママの知っている人なのよ」


 ママは一筋の涙を流して謝ってきました。何で謝っていたのかわかりませんでしたが、後に聞いた話によるとこういうことだったそうです。


 どうやらママに抱きついてきたそのヒラヒラの服を着た男性は、どこかの国の王子様のような人ではなく、本当に『とある国の王子様』だと言うのです。その王子様だという男性とママは何年か前にお付き合いをしていて、当時は結婚もする気でいたくらい特別な存在だった人だそうです。


 けれど二人は結局、結婚をしませんでした。それにはある理由があったようです。だからママは、王子様がいる国から離れて、遠い遠いこの国へと移り住んでいました。つまり、王子様がいる国の『お姫様』にはならなかったということです。


 簡単な説明を終えたママは、もう泣かずに僕の顔を見て優しく微笑んでいました。そして目の前にいる王子様に視線を移すと悲しげな目を向けていました。


 そのときには王子様は抱きつくことをやめていました。王子様はなぜか号泣しながら喜んでいて、ママの両手を手にとって握りしめていました。まるでもう二度とその手を離さないと言っているみたいに大切そうに力を込めています。


 王子様は、「早くこの国を出て、僕と二人で一緒にあの城へ帰ろう!」と突然ママに言いました。


 それを聞いた僕は胸がざわつきます。王子様は僕のママをどこかへ連れて行きたいようです。素性もよく知らない男性が、大好きなママをどこかへ連れて行こうとしているなんて知ったら、黙ってはいられません。ママと離れ離れになるなんて絶対に嫌です。なので王子様の考えを阻止しようと思いました。それで僕は王子様の右腕に噛みつこうと飛びかかろうとしたのです。


 けれど、まだ子どもで体重の軽かった僕は作戦に失敗しました。大人で高身長の王子様の右腕に、簡単に投げ飛ばされてしまったのです。


「!」


 頼りなく飛んでいった僕の身体を受け止めてくれたのは、ちょうど仕事から帰宅したスーツ姿のパパでした。


「ただいま。えぇ~っと、これは……」


 その日はもう夜だったので、僕はママとパパに眠りなさいと言われてしまいました。どうして子どもだけ早く寝なくてはならないのでしょう。大人はずるいです。

 なので、この続きはまた明日です。

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