part 19
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「ふい~、最後のどたんばでこれが使えるとは、さっきのさっきまでぜんぜん考えてもいなかったよ~。」
あたしはもう本気でホッとして息を吐く。
よかった。当たった。読まれなかった。
『ジェノグラビティ・ストライク』
あたしの手持ちの魔法の中で、最大最強の重力魔法。何億トンもの重力荷重を空中の一点に集めて一か所に降らせるっていう―― まあ言えば、重力の矢みたいなヤツだ。これはものすごく強力で、ヒットさえすればどんな敵でもだいたい一撃で倒せる。
ヒットさえすれば。
けど、詠唱時間がものすご~く長いから実戦でなかなか使いにくいのがネックの魔法だ。どんなおバカなモンスターでも、さすがに数十秒の魔法詠唱が終わるまでずっと律儀に待機しててはくれないし。あとはなにげに、ねらった場所にピタリと当てるのが意外と難しい。ちょっと手元が狂うととたんにヒットしなくなる――
けど、
今はこれ、奇跡的にうまくいった。腕を一本失ってパニックになった――
ふりをして――
そりゃ、それはそれなりの痛みはあったし大量出血のビジュアル的な怖さもあった。だけどしょせん、そんなのはゲームの痛みだ。そこまで死ぬほどの何かじゃない。そこを逆手にとって―― だけど死ぬほど痛がってるふりをして、時間をかせいで――
「ありがとうカナナ。助かりました。最後はわたくし、ほんとにあきらめかけましたよ。」
ヨルドがふらふら、あたしの顔の前まで飛んできた。
「ですが、カナナがまさかあんな強力な魔法を使えるとはわたくし知りませんでした。ほんとうに驚きです。」
「へへへ。ずっと隠してたからね。最後の最後の奥の手ってヤツだね――」
あたしは照れて、ちょっとだけ笑った――
だけどすぐさま、笑いを消した。
なんだかヒヤリと、背中のうしろで嫌な感じがしたから。
「ね、だけどこれ―― なんで消えないの? このヒト、HPが完全にゼロになったのに――」
DEADの表示もしっかり出てる。
なのに―― だけどなぜか、そこに倒れてるヘスキアは――
血の海の中、なぜかそのまま、体はそのまま消えずに残って――
ひたひた流れ出た血の一筋が、もう枯れた泉の中にポタポタ、ポタポタ、
なんだか不吉な音をたてて流れ落ち―― どんどんどんどん、流れ落ちて――
「詳細は不明ですが―― おそらく戦闘システムの不具合なのでしょう。あらゆる意味で、このゲームの全体構造はもう限界が来ています。」
ヨルドは弱った羽根をはためかせ、もう動かなくなったヘスキアのところにふわりと飛んで降りていく。
「しかし安心してください。たしかにさっきのカナナの重力魔法で、サクルタスの存在は確かに完全にこのゲーム世界から消去されました。いまここにはもう、いかなる微少なイーグス反応も――」
「いいえ。まだ終わっていませんよ?」
声。
誰かがヨルドの行く手をさえぎった。
その男――
旅の終わりの最後になっても、汚れひとつついていない旅人服を身にまとい――
「いけませんねヨルドさん。最後があまりに軽率です。悪魔にしては詰めが甘いです。ほんとにこれで終わりだとでも?」
「ち、ちょっとそれルルコルル、いきなりそれ、何の話してるの? 言ってる意味、わかんないよ――」
あたしはなんだか、すごくすごく嫌な予感がして――
「意味ですか? それは今すぐわかりますよ。」
ルルコルルが微笑した。そしてこんどはヘスキアの方を見おろし――
ヘスキア―― というか、もともとは歌姫ヘスキアだったバケモノの死体の方を――
「もう演技しなくて大丈夫ですよ?」
気軽な感じでそう言って――
ルルコルルが身をかがめ、血の海の中につっぷした元・歌姫の無残な亡骸に手をかけた。
ザザッ!!
死体が動いた! 勢いよくとびおきてルルコルルの首に喰いつき――
いや――
喰いつこうとした―― けど――
「く… 貴様―― 気づいていた――の――」
その姿勢のままで、固まった。
ルルコルルの腕が――
瞬時にがっちりそいつの首を強固につかみ――
そのまま片手で吊し上げた。
「はい。すいません。最初から気づいていました。」
ルルコルルが言って、ニコッと笑って首を左にかたむけた。
片手で軽々、そいつの首を締め上げながら。
「あなたたしか、お名前はヘスキアさん―― でしたっけ?」
「――くだら――ない―― この体、所詮はかりそめの道具――」
「まあ、じゃ、とりあえずわかりやすいようにヘスキアさんと呼ばせて頂きますね」ルルコルルが、いつものさわやか丁寧口調で話しかけた。「でもねヘスキアさん、僕は正直、さっきのあなたの姿勢にはあまり感心しませんでした。誇りある立派な天使として、あの姿勢は果たしてどうなのでしょう?」
「――姿勢?」
「ほら、さきほどそこの悪魔さんが、あなたに何か言おうとしていたでしょう。何か、考え方が違うとか―― どうしてあのとき意見を聞いてあげなかったのです? 悪魔は悪魔なりに、なにか実直で前向きな提言なども用意していたのかもしれませんよ?」
「…バカな。おまえ、本気でバカなの?」ルルコルルの腕に吊るされたまま、ヘスキアが小さく不敵に笑った。「まったく笑わせる―― 悪魔の意見を聞くなどと――」
「ではもうひとつ、僕からヘスキアさんに質問したいのですが、」
あくまで穏やかにルルコルルが続ける。
「あなた方サクルタスは、いかなる価値基準に基づいていまここの世界を壊そうとしているんでしょう? あるいはいかなる権限で?」
「ふ、無意味な質問ね。権限? そんなものは神から出ているに決っている。」
「ほう。神から――」
「そうよ。これは神が下された決定。この世界は堕落している。罪人ばかりがはびこる。救いがたい。許しがたい。よって神は審判を下されたの。この世界は裁かれる。今が裁きのとき。われらサクルタスは、その大いなる神の使命を帯びてはるばるこの辺境時空まで――」
「神。いまたしかにあなた、神とおっしゃいましたね?」
ルルコルルが笑った。少しどこか、楽しむように。
「ふむ―― ではまたひとつ訊きますが、あなたはご存じないのですか? 神がかつてこの世界をつくりしとき、このような言葉を残したのを。『そこにひとりでも義の人を認めたならば、わたしはその町を滅ぼさない。』」
「――神を冒涜するな、愚かな人間、」
ヘスキアが言った。言葉は怒りに燃えている。
「当然そのような言葉は知っている。では逆におまえに問いましょう。この世界のどこに義の人が? 罪人でないと言える正しいニンゲンが、いったいどこにひとりでもいるの?」
「たとえば、そうですね、そこにいる女の子――」
ルルコルルが指さす。いきなりこっちを指さした。
え? なに? それってあたしのこと言ってるの??
なんでいきなりあたしの話??
「たいへん申し訳ないんですが―― 僕にはどうも、いまそこにいるカナナさんのどこにも、罪とかそういうものを、見ることはできないんですね。むしろ良い子だと思いましたが。十分に救われる資質がある。仲間を思い、肉親を愛し、仲間の死を見て涙さえする。非常に正しい、普通の女の子ではないでしょうか。この方を罰する、どのような罪状をあなたは用意したのです?」
「黙れ! ニンゲンごときが――」
ズタボロに傷ついたヘスキアの体が、それでも機敏にいきなり動いた。
長く鋭い爪が、ルルコルルの胸を思いきり――
いや、
ビイインンッツ…
折れたのは、爪のほうだ。
まっすぐ折れて、先の方から砕けて粉々に散り消えて――
「な?? まさか、そ、そんなはずは――」
「やれやれ、短気はいけませんね、ヘスキアさん。僕らはいま話し合いをしているのですよ?」
ルルコルルがふう、とひとつ息を吐く。
「――でもまあいいです。ではひとつ、あなたのおっしゃる神を代弁して、僕のほうからささやかな意見を言いましょう。」
ルルコルルが微笑した。とても人なつっこい、イノセントな顔で。
「僕は今回、わずかの時間ですが今そこの傷ついた少女とその友人たちに同行し、終わりゆく小さな世界の最後の一端をつぶさに見させて頂きました。とても興味深い体験でした。結論から言うと―― 彼らニンゲンすべてが義の人とは呼べないにしても―― 逆に、いろいろな無理解や不摂生や素行の思わしくないところはたしかにあるにせよ―― だからといって彼らを、すなわち罪人として断罪し、世界とともにすべて滅ぼして良いなどとは―― 僕はこれっぽっちも、少しも思わなかった、ということです。」
「……?? なにをお前は言っている――」
「ですから理解しがたいのです。あなた方サクルタスが、いったい何の意見を代弁してこの世界を滅ぼそうとしているのか―― 天使とは、本来もう少し寛大に公平に神の愛の体言者として、堕落しそうな弱い世界を善の方向に引き戻す―― そういう、建設的な支援者だろうと僕は考えてきました。事実もともとは、そうだったはずですよね?」
「………」
「どこから何が変わったのですか? いま現在、あなた方の厳しい立場を基礎づけているその規範が何なのか―― 僕はいささか理解をしかねる。ですから僕は―― 今回ここで、笑ってあなた方の味方をすることはできない。それを僕は、いまここで判断しました。」
声はあいかわらず丁寧。表情もやわらかい。けど――
その目はもう、少なくとも笑ってはいない。
「どこまでも神を愚弄する下等種族め! 今すぐ消えて宇宙の塵となれ!!」
ドンッ!!
ヘスキアの体から青色の炎が噴き出した。白熱したエネルギーがそのままルルコルルに伝染。いきなり一気に燃え上がる――
「はは。なんだ、そんなものですか。効きませんね。それでは僕は消せませんよ?」
ルルコルルが涼しく笑った。猛り狂った炎の中で。
ドンッ!!
炎が還った。まるでフィルムの巻き戻しのように、
忠実そのままにもとの出所の、ヘスキアの体のほうへ――
「あああああああ!!!!」
燃える。ヘスキアの体が炎に包まれる。
青の炎が焼く。焼く。焼きつくす。
「バカなぁぁぁ!! わた、わた、わたしが、ニンゲンごときに… ニンゲンごときにぃぃぃぃぃ……!!!!!!」
「それね、ごときとか、そういう言葉も、僕はあまり好きではありません。」ルルコルルが涼しく笑う。「すべてのイキモノ、すべての種族が深く愛されて作られたんです。もう少しそこに、小さな世界の隅々にまで、敬意のようなものを持って頂きたいものですね。かりにもあなたが、働く上で神の名をかたるのであれば――」
ザッ、
ルルコルルが右手を放す。
つかんでいたヘスキアの首を、いきなり急にそのまま放した。
その刹那、ヘスキアをとりまく炎は消えた。
そして同時に―― けれども同時に、
いまそこにいたヘスキアそのものも――
かき消すように、手品みたいにいきなり消えた。あとには服だけが―― ヘスキアの着ていた絹のドレス―― その布だけが、バサッと小さな音をたてて床の上に落ちた。それだけが残った。古い水際の石の上に。
「ね、ヘスキアさん。やっぱりもう少しヒトの話は聞いた方がいいですよ。この宇宙、なんといっても話し合いがすべての基本―― あ、もう聞こえないか。すっかり消えてしまいましたものね。」
泉のほとりに静かにたたずみ、ルルコルルがひとりで小さくつぶやいた。




