part 18
18/21
「ね、なんだか知らないけどヤバそう、だよね?」あたしはマジックワンドを握りなおして、いつ何が起きてもいいように身構える。「ね、これってボスが出てくる合図? 来るのかな、ウンディーネ?」
「…かもしれない。とりあえず、いつ来てもいいように心の準備を――」
… … …
「――何も起こらないな。」
カトルレナが息を吐き、水際の石の床に座りこむ。
パレムの泉。世界でいちばん澄んだ水をたたえているという――
けど、今ここはもうなんだか、完全に水が止まって、ほとんどの水がもう、どこかに流れ出てしまった。にごった茶色の水が、申し訳ていどに、四角い石造りのプールの底になんだか汚くちょっろっと残ってる。今はもうそれだけ。
「バグってことよね、たぶんこれも。ボス、出てこないとか――」あたしは疲れた声で言って、カトルレナの隣にどさっと座った。「でも、これってやっぱりボス戦なしにはステージクリアにならないんでしょ? 『命の水』って、戦闘後じゃないとドロップしないっぽいし――」
「いまあらためて、残存データを読んでいますが――」
そっちでヨルドが、なにかちょっと自信なさそうに言った。泉の上、二メートルくらいの高さのところ。そこに静止して、何か魔法エフェクトっぽいオレンジの光を発光させてる。
「あまりにもフィールドのデータの損壊が甚だしく、うまくつなげられません。つながれば、いまここに残された残存リソースで『命の水』を再構築することも不可能ではないかと、そのように考えてはいるのですが――」
「けど、もしそれ、つながらなかったら? これで世界は終わりってこと? ほんとにこんなショボい終わり方?」
「ですからいま、つなげています――」ヨルドがちょっぴりイラッとした声を出した。オレンジの光が、パリパリ音をたてて火花みたいに散った。「なによりも集中が大事ですので。できれば集中を乱す余計なコメントは控えて頂きたいものです。」
「はいはい~ じゃ、もう、黙ります黙ります。ふわぁ。もうなんか本気で眠くなってきちゃった。おしっこ行きたい。世界の終わりとか、ぶっちゃけもうどうでも――」
「…来ますね。みなさん、注意してください。」
ルルコルルが言った。
とても唐突に、冷静に。
「注意? 注意って何――」
そして、
そいつがそこに立っていた。
ズタズタに破れた絹のドレス、あらわになったお腹と太もも――
あちこち焦げてもつれた長髪、血にまみれた手脚。
だけど目だけが――
青白く発光する二つの瞳、
そこにはありあまる殺意が今もまだグツグツと煮えたぎり――
「サクルタス!!!」「まだ死んでなかったの???」
カトルレナとあたしが同時に叫んだ。
最初に動いたのはカトルレナ。
細身のレイピアをひきぬいて、素早い動きでそいつめがけて――
ギィイイイン!!
折れたッ!!
いっぱつで折れた!! カトルレナのレイピア――
ズシャッ!!
バケモノの爪が払う。血が飛んだ。噴き出す大量の鮮血。
崩れた。倒れた。カトルレナ――
HP、グングン下降。危険水域の赤ゾーンを通りこし――
「うわあああ!! カトルレナァァァッッ!!」
かけよる。かけよる。抱き起こす。血、すごい。とめどなく噴き出す血。カトルレナの顔、あたしの腕、その血が全部を濡らして――
「ははっ。最後、ちょっとだけ油断したね――」
カトルレナが、さびしく笑ってささやいた。
「あとちょっと――だったのにね。だめだね、世界は護れなかった――」
「ダメだよ!! カトルレナ!! アイテム!! 回復アイテム何か!!」
「――ムリだ… もう腕が動かない―― ごめんねカナナ、さいごはなんか、中途半端で――」
「いいからアイテム!! あきらめちゃダメ!!」
「だけどなんだか、ちょっぴり疲れた。ごめんカナカナ。わたしはこれで、ひとあし先に――」
ひとすじの涙が―― ツーッと頬をつたって流れた。その涙はほっぺたの上で血とまじり、ポタリと一滴、床にこぼれた。
ピィィィンンッッ!!!
何かが壊れる効果音。
いまさっきま腕にあった重みが、とつぜんなくなる。
緑と白のキラキラを周囲すべてにふりまいて――
カトルレナの存在が消えた。消えた。消えてしまった――
「くうおおおおおぉぉぉ!!!!」
言葉にならない叫びをあげて、あたしはそいつに組みついた。
マジックワンドで殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る!!
そして今度は魔法発動、全力最大出力全力投球、
あたしのもてる魔力全部でいまいるそいつの全存在にもうこれ本気でぶつけまくって――
「あ?」
爪が――
なんか、引き裂いて、そいつの爪――
あれ? なんだろ、手――
いや、腕、かな?
なんか、落ちた。
腕。
あたしの腕。
銀のマジックワンドを握りしめた腕。
いまさっきまで、本気で魔法発動しようと力んでたあたしの腕――
「あああああああああ!!!!」
絶叫。
腕をおさえ、ころげまわった。
腕を、じゃなく、
もうそこに腕はないから、
あったはずの腕――
そこに腕があったはずの場所、その切り口――
おさえて、もだえて、泣き叫び――
「ふふ、まったくの愚か者ね」ヘスキアが、血のまじった唾をひとつ床に吐いた。「本気で勝てると思ったの? われわれ神の使徒に――」
ザンッ!!
金の光が鋭く瞬く。
それは光の矢となって、まっすぐヘスキアの胸の中央を――
いや―― しかし、それが貫く一瞬間際で――
「――そしてこちらも、それに劣らぬ愚か者。なんの芸もない単純な動き。読めないと思った?」
ヘスキアが唇の端で笑った。そして左腕を前にさしだす。握りしめたその拳。その拳の中に、今にも押しつぶされそうな金の輝き――
「くっ! まだそんな余力があったのですね―― よくあの閉鎖世界から――」
ヨルドが悔しそうに叫んだ。体をしめつける、赤黒い血にまみれたヘスキアの細い指。その圧迫に最大限の抵抗を示しながら、金色の小妖精が――
「まったく。空間閉鎖などとバカげたマネをしてくれたわね。あそこを出るのにずいぶん余分なリソースを消費した。しかも一名、失った。この底辺レベルのくだらない辺境世界で同志を失うなど、まったく考えてもいなかったけれど――」
「あなたがたの思う通りには―― させない――」
「おまえたち闇の種族にはまったくいつも驚かされる。いささか理解しがたいわ」ヘスキアが両目を閉じて首を横にふる。「なぜそうまでして、このような堕落した辺境世界に肩入れする? 何が得られると言うの? もうとっくに神も見放した悪徳の場所で?」
「…あなた方とは―― 考え方が――」
「考え方?」ヘスキアが嘲笑う。唇が斜めにゆがむ。「あはっ。可笑しい。なんの冗談それは? 考え方? そんなものがおまえにあるの? 悪魔のおまえに? それは本当に初耳―― まあでも、そろそろ綺麗に消えてなくなる時ね。おまえの大好きな、堕落しきったこの世界とともに――」
「ああ!! ああああああ!!!!」
ヨルドが叫んだ。絶叫した。
その声には少し、たしかに絶望が含まれている――
うすれるヨルドの意識の中で、
さいごの理性が言葉をつむぐ。
それは謝罪の言葉だった。
ごめん――なさい
あなたたちの―― 大切な――
わたくしたちは―― またここで失敗――
またひとつ、大切な世界を―― 失って――
ごめんなさい―― ほんとうにごめんなさ――
ドンッッ!!
衝撃。轟音。
肉の破片が周囲に飛び散る。
「バカ…な??」
ヘスキアが、ぽっかり空いた胸の穴を右手でさぐった。そこにあったはずの胸の肉が、骨が―― 中のモノが、まるごとすべて無くなっている。
それから崩れた。
石の床に膝をついて、パクパク口をあけて血の泡を吐き、
その唇は、言葉にならない言葉を――
そのあとバタリと前に倒れた。
身体から流れ出る赤い血が、みるみる大きな血だまりをつくって――




