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『アッフルガルド』  作者: ikaru_sakae
17/21

part 17

17/21


 あとからあとから、涙があふれてきた。

 涙の粒はあごを伝って、足もとの奈落にサラサラ落ちていく。

「まだ泣いているのですか?」

 横を歩くルルコルルが言った。ぜんぜん空気読まない声で。

「なによ。泣いたら悪い?」

 あたしは言って、乱暴に腕で涙を払う。

 ココロもカラダもボロボロになって、ようやく辿り着いたダンジョン地下の第二階層。

 でも、そこはもう――

 もはやそれは、迷宮とかダンジョンとか、そういう名前で呼べる場所じゃなかった。

 そこにあったのは、見わたすかぎりに広がる――

 宇宙。そう。宇宙だこれ、誰がどう見ても。

 数えきれない星々と、気が遠くなる数のうずまき銀河――

 まったく何の支えもない虚無そのものの広がり。そしてその中を―― 

 まっすぐ一本、線路が走っている。ゆるやかにカーブしながら、どこまでもどこまでも。これが唯一、最後に残ったゲーム的な構造物。あとはもう全部、どこかに消えてしまった。

 その最後の一本の道の上、流星みたいに金に光る小さなヨルドに先導されて―― だいぶもうくたびれ果てたカトルレナ。そのうしろ、さらにもっとボロボロのあたし。そしてその隣を歩く―― 見たところノーダメージのルルコルル。

「けど、あんたはずっとその調子よね。」

 まだ止まらない涙にむせながら、あたしはちょっぴり嫌味を言った。

「その調子とは?」

「ヒトが死んでも何があっても、ひたすらあなた無関心。ちょっとは悲しいとか怖いとか不安だとか、そういうの、何か感じないの?」

「よくわからないですね―― 悲しみとか、恐怖とか。そういう感情のようなものを、僕はまだ自分のものとして感じたことがないので。」

「感じたことがない? なにそれ? 冗談?」

「いえ。冗談ではありません。」

 変わらない速度で淡々と線路の枕木を踏みながらルルコルルが答える。

 枕木の下には、もうほんとに何もない。

 奈落。そのずっとずっと下で、名前も知らない星たちがたくさん白く輝いてる。

 ほんとにほんとにこのゲーム―― 世界はほんとに、どうなっちゃったんだろう。ここで一緒に遊んでいたはずの、何百何千というプレーヤーたちは―― みんなどこに行ったんだろう。

「カナカナさんが泣いているのは、さきほどアルウルさんがゲーム世界から消えてしまったから、ですよね?」

 かわらぬ真顔でルルコルルがきいた。

「そうよ!! そうに決ってるじゃない!!」あたしは泣きながら、怒りながら叫んだ。「あいつが、あのバカが―― さいごのさいご、あんなまじめに、あんだけマジに戦って―― あんなに必死であたしを逃がして―― あとは、あと、あの、ダグっていう女の子。あの子もいなくなっちゃった―― 短いつきあいだったし、なんだか性格悪かったし、いっつも嫌味で冷たかったし、ほんとにはあの子のこと、あたし全然よく知らないけど――」

 声がふるえた。鼻がつまって、なんだかうまく声にならない。

「でもさいご、すごく一杯血を吐いて、それでもまだ戦うのをやめなかった。あたしの世界のために、あのヒト、すごく戦って―― さいごのさいごまで、一歩も退かなかった。命を張ってあたしら全部をまもってた。あれ見て悲しくならない方がおかしいよ!!」

「ふむ、」

「あとあとそれと!! トウキョウのこと―― あたしの街が、もう今はないこと。もう全部無くなってしまったこと!! 一緒に住んでた姉貴が、たぶんもうそこにいないこと―― いなくなってしまったこと―― それの全部と、あともう、なんだかわかんないけど―― 世界がもう全部完全にムチャクチャになってどこがこれから誰がいったいどうなるのか、ぜんぜん何もよくわかんない―― そういうの全部ひっくるめて―― ひっくるめて――」

 なんだか悲しくてしょうがないのよ!! そう言おうとしたのだけど―― 

 ゲホッ、ゲホッ!! 

 最後はのどがつまってぜんぜん声にならなかった。

「ひとつ訊いておきたいのですが、」

 ルルコルルが、しばらく待ってまた口をひらいた。

「なによ? 三つでも四つでもいいわよ!!」

「いえ。ひとつで結構です。」

 いつもの口調でそのヒトは言う。ぜんぜん特に、さっきのあたしの言葉には、何の影響も、何の感慨も何一つない。そういう感じ。あんまり温度の感じられない、ひらべったい声で――

「つまりその、誰かにもう会えなくなるのは、悲しいことなのですか?」

「は?? なに言ってんの?? あたりまえじゃない!!」

 あたしはマジメに腹を立てていた。あまりにも空気読まなさすぎるそのガチガチの鉄板みたいな質問に。

「ふむ、あたりまえ――」

「そうよ!! 悲しいわよ!! 悲しにきまってる!! だって、もう二度と会えないのよ?? どれだけどれだけ遠くに走っていっても。どれだけ遠くに探しに行っても。もうぜったい、どこでももうそのヒトと会えない。もうぜったい声を聴くこともできない。それが悲しくなくて、いったい何を悲しめばいいって言うわけ??」

 最後はなんか腹が立って腹が立ってやつあたりみたいに言った。

 ルルコルルは一瞬ちょっと困った表情になり、

 そのあとまたいつものちょっぴり微笑のデフォルトの顔に戻り、

――なるほど。そういうものなのですね。

 と、さいごにひとこと、ぽつりと言った。

 そのあとふたりは黙った。あたしもいいかげん怒り疲れて――

 それ以上はもう、何かを叫ぶ元気もなかった。


 … … …  


 カッ、カツン。カッ、カツン――


 あたしとその横のルルコルル、

 四本の足、、四つのブーツが、交互に線路を踏んで行く。

 その乾いた単調な音だけが、いまこの世界の終わりにある音だ。

 線路はどこまでも果てしなくのび、そして――


 最後、

 そのたよりない一本道のいちばん先に、

 古い古い木の扉があった。

 それはほんとに唐突に、何の支えもなく虚無の中に浮かんでいた。

 扉は、半分外にひらいている。

 古い線路は、その扉の前でぷつりと終わっていた。

 終着駅。世界の果て。この世のおわり。

 あとほかに、どんな言葉がふさわしいだろう?


「さあ、あと少しです。」


 ヨルドが小さな声で言った。声には疲れがにじんでいる。背中の透明の羽根はひどくくたびれて、体をつつむ金色の輝きも最初ほどには明るく見えない。

 カトルレナが最初に扉をくぐった。そのあとあたし。そしてさいごにルルコルル。

 それで全部。

 そう。

 今はこれがもう、今はあたしたちの全部だ。

 そのほかのひとたちは、もうみんな――

 消えてしまった。この世界のむこうの、どこか遠い遠い場所へ。


 … … …  


 ぐるぐる、ぐるぐる、うずまきみたいに同じところを回りなら、下へ下へ。

 おっそろしく長いそのぐるぐる階段を、ひたすらひたすら、四人は降りた。

 なんだかもう足がガクガクして、一歩一歩がしんどかった。そこにある冷気が、しんしんと足先から骨までしみてきた。降りても降りても、その古い石の階段はつづいてつづいて――


 それでも。

 とうとう、一番下についた。


 ザアア……


 最初に水音が聞こえた。どこか遠くで水が流れてる。

 そこはとても暗い通路で、たぶんどこか大きな建物の地下みたいなところだと思う――

 階段の足もとから、まっすぐ一本、石の床の暗い通路がどこか先まで伸びている。廊下は長くて暗く、その天井はおそろしく高い。なにかの石像―― たぶんこれはこの神殿ステージの入り口で見た邪神像と同じデザインのヤツだと思う―― 見上げるくらいの大きな石像が、いくつもいくつも、それじたいが柱みたいに廊下の両側に列になってならんでいた。砂っぽい埃っぽい、昔の空気がここにあった。その古さは何十年とかじゃなく―― きっとたぶん何百年とか、ひょっとしたら千年とか―― 


 ザアア……


 そして水音は、その古い通路のずっとずっと奥の方から――


「あそこが―― パレムの泉―― なの?」


 カトルレナがつぶやいた。

 とくに誰にむかって訊いたとかじゃなく、なんとなく言わずにはいられなかったのだと思う。

 そして誰も、その問いには直接答えなかったけど――

 けど、

 そこにいる誰もが、たぶんもう、その答えを知っていた。


 … … …  


 やがて暗い通路の終わりに光がさして―― 光はぐんぐん大きくなって――


 さいごに四人は、広くて明るい場所に出た。

 天井はずっとずっと上の方。四角く開いたいくつもの天窓から斜めに光が降りこんでる。

 そこは四角い地下の広間で―― 

 

 奥の壁から際限なく水が湧き出し、四角い部屋の中央に四角いプールをつくっていた。天窓から降る光のひとすじが、ちらちら、ちらちら、水底の古いタイルの上でしずかに踊ってる。コポコポいう涼しげな水音。そこを流れる、おどろくほど透明な水。そしてなんだかおどろくほど―― それはとっても悲しい水だなと思った。悲しい水とか、自分でも言ってることよくわからない。けど、水にはたしかに、古い遠い故郷の陽だまりみたいな、うっすらした哀しみが―― ずっと静かに、とても静かに――


「あ、待ってカナカナ!!」


 しゃがんで水面にさわろうとしたところを、カトルレナに止められた。

「気をつけた方がいい。まだステージが終わったわけじゃない。」

 いつもの冷静なリーダーの口調でカトルレナが言った。

「攻略サイトによれば―― まだそんなものが、この壊れた世界の最果てで通用すればの話だけど―― ここには泉の精霊、ウンディーネ・レアルが棲んでるっていう設定になってる。それがいちおう、ここのステージのボス。けっこう強い上級モンスターのはずだ。」

「でも今からここで、このメンバーでボス戦とか、ちょっと厳しすぎるね――」

 あたしはちょっぴり気が遠くなって、水際の石の上にへたりこむ。そこにしゃがんだまま、まあでも、最後のひとつの回復ポーションで申し訳程度にHPを上げた。マジックポーションでマナも最大値近くまで戻した。世界の最後のいちばん底でも、けなげにアイテムウィンドウは機能してる。ポーションもちゃんと効果を発揮した。誰がつくったゲームだか知らないけど―― でもこれ基礎設計、死ぬほどしっかりしてる―― なんだかちょっぴり笑えてきた。

「まあでも、やるしかないよね。泣いても笑ってもこれが最後だ。」そっちはそっちでひととおりの回復作業をすませたあと、ゆっくりカトルレナが立ちあがる。「なんとかすっきり終わって、あっちに戻ってぐっすり寝たい。けっきょくあのあとまだトイレも行けてないし。いい加減お腹もいたくなってきた。」

「あ、それあたしも。お腹もいたいし、寒いし。トイレしたい。なにげにお腹もすいてきた。」

「ふふ。世界を護りにきた勇者様一行の最後の最後のコメントが、トイレ行きたい。とにかく寝たい。お腹へった。とかね――」

 カトルレナが気弱に笑った。あたしもつられてちょっぴり笑う。ルルコルルはいつも通りわりと無表情だけど、たぶんそれでもちょっとだけ、唇の端っこでなんとなく笑ったっぽい。

「よし。じゃ、行きますかボス戦。」

 あたしは何とか、小さくしぼんでとっくになくなりかけてたなけなしの気力を最後にもう一回だけ総動員。マジックワンドをしっかりかまえて戦闘態勢に――


「あれ? 見て!! なんか水、さっきより減ってる!!」


 カトルレナが指さした。奥の壁のあたり。何ヵ所かある吹き出し口から、ザザッと勢いよく水が落ちてきてる―― いや、さっきまでは確かに、落ちてきてた。でもそれが今は、少ない。滝みたいな勢いはぜんぜんない。ちょろちょろ、ちょろちょろ、たよりなく――

 そしてその水の色も、ついさっきまでのどこまでも澄んだクリアな水では、なぜだかもう、なくなって―― みるみる、色が―― 赤茶色の、錆みたいな色に――

 そしてついには――

 止まった。水の流れが、完全に止んだ。


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