7.もうひとつの組織
ここのところマルコムは忙しかった。昨夜はエイブリーに呼び出されたと思いきやある衝撃的な話を聞かされたのもきっかけのひとつである。
まさか彼女の力には闇めいたものがあるとは…。その時は一緒に解決策を考えようと申し込んだが、彼女の力を知れば“奴ら”は利用すると考えられる。マルコムにはまたもや守るものが増えたのだ。
そしてその日のマルコムの朝は早かった。
シェルターへ向かった偵察団が見つけたのは想像を超えたモノであったと報告があり、これは自分達では対処しきれない“事件”であると考えに至ったのだ。
ーもうひとつの組織ー
シェルターの隠し倉庫の中でまだ20代にも満たない青年が遺体となって発見された。
「被害者は未成年男性、死因は恐らく橈骨動脈の損傷による出血死かと。お久しぶりですエージェント・マルコム」
黒髪の小柄な女性は無愛想でありながらカルテを差し出した。
「やぁ久しぶり、エージェント・カエデ。相変わらず元気そうだ」
カエデと呼ばれた女性は黒いレザースーツを纏ったミステリアスな雰囲気を醸し出しており、その冷たい態度に恐れる者が多かった。
マルコムは不器用ながらも笑みを浮かべて見るが彼女の反応を伺いすぐカルテに目を通した。
「彼も能力者だったようだね」
コンクリートの壁にはべっとりと青年の血液が付き滴っており、そこには両方の手首が太い鋼鉄の杭に打ち付けられていた。
「えぇ、この殺し方は恐らくハンターであるクイーンの手口かと」
カエデが送った情報を元にタブレットに目を向け何件も同じ手口で殺された能力者達の姿が映し出され脅威的な現実が明らかとなる。
「間違いなさそうだ…」
胸を痛めつける光景にマルコムは目を逸らすがカエデはじっくりと検視を始めた。
「きっと死後10時間は経っています。しかし目立った外傷は見当たらない…」カエデは硬直が始まっている青年の顎を持ち上げ顔を見つめる。
整った髪型に綺麗なジーンズにスニーカー。何処にでもいる青年だが、何か見落としていると睨んだ。
「彼もまた長時間苦しんで死んだということか…、彼について詳しい情報はまだ掴んでいないのかね?」
同年代の生徒たちを抱えたマルコムには悲しい事件でもある。シェルターの子供には家族なんている方が稀だと分かっていたからこそ尚更辛いものだった。
「彼に兄弟がいたのか、それすら把握し切れていませんがこの綺麗な格好を見る限り、此処の者ではない可能性も上がって来ます」カエデの言う通りよく見ればブランド品を所々身につけていた。盗品でない限り彼はケルトルードの能力者である可能性もあった。
「調査を続けて来れ。いつものように“一般人”には見つからないように」
「了解」
ーー大学内でトウマは再び家族について知りたい衝動に駆られた。テアの母親に感化されたのも大きな動機だ。
自分にも母親が近くにいたら先ずどんな話をするのだろうか…。そんな未知な妄想にトウマは堪らなくため息を漏らす。
「あらまた私を見てため息を?」
少し嬉しそうなニナはトウマを見つめウインクして見せた。ドキッとしてしまうのを隠しきれず顔を赤らめるトウマにテアは呆れ果てていると、イリヤが笑って間に入る。
「またニナが苛めているのか」
純粋な青年を弄ぶニナにイリヤは面白そうにしていたがテアは唇を尖らせ拗ねていた。
「私だってもう少し胸があればトウマくらい落とせる」真っ平らな胸を寄せようとする少女にイリヤはため息を吐く。こういう話題になるとどう返せばいいのか理解に苦しむのだ。
そうしている間にトウマは魂が抜けてしまったように机に倒れ伏しニナはしてやったりの笑顔を浮かべた。
「あの子ったら本当に可愛い」
トウマを揶揄い過ぎる母親を見兼ねた娘はウンザリとしており「いつまで此処にいるつもりなのか」を口走ってしまった。
「勿論、レオンが目を覚ますまでよ。それは親としての役目だと思うもの」
その言葉にテアは口をあんぐりと開けその場を離れて行った。
「あの子ったら漸く思春期が来たのね…」態とらしく胸を寄せるニナの元に疲れた表情を浮かべたマルコムが訪れた。
「ニナ、あまり新入生の歓迎は控えてくれ」
苦笑するマルコムにニナは詰まらなそうに顔を俯かせた。そして彼は「これから仕事の話をしよう」と申し出るとニナの顔付きが変わる。
だがその日、マルコムはイリヤに目を向けた。
「君も来てくれ」
「私も…ですか?」
「あぁ、Level5以上の任務を遂行する」
マルコムの神妙な面持ちにイリヤも事の重大さを感じ取った。
それからヒデトを交え、マルコムは自室であの事件の話を始める。
「シェルター内で見つかった彼はまだ未成年者だった。そして調査の結果、彼はケルトルードの人間であったのがわかった」カエデが集めた資料を渡すマルコムは苦悶に満ちた表情で、彼と同年代の生徒たちを持っていることから色々な感情が溢れてしまう。
「この殺し方はハンターの仕業だ。ということは…」
ヒデトが何かを言いかけるがマルコムは目を閉ざし静かに首を横に振った。
「実は引っかかることが幾つかあるんだ。彼をシェルターの人間のように装ったのも何か理由があると思える」
「シェルターでの殺人は奇妙な事ではない、ハンターにとっては最高の場所であるな…」ヒデトの渋る様子にマルコムも同調していた。
「それも一理あるな…。だが能力者狩りは奴等にとっては誇りだ。隠す必要性がないはずだ…」何か裏があるとマルコムは疑わずには居られなかった。
「万が一あのシェルターでの騒ぎを聞きつけた者がいるのであれば、やはり能力を抑えるべきだった」と頭を抱えるマルコムにニナは鋭い目付きで睨んだ。
「もうそういう次元じゃないのかも知れないわよ」
「というと?」
「20年前に起きた惨劇と3年前の事件、そして今回の件…これって何かしらの関連性があると思うわ。となれば奴らはもう準備を整えているのかも」
「何を言っているのです…?」
マルコムとニナのやり取りにイリヤはただ一人付いて行けていなかった。20年前と3年前の事件全てにまるで自分達が関わっていたとような口ぶりに無知でいる恐怖が芽生えた。
しかしそんな中でもヒデトはハッと気づかされるものがあった。
もし思っていることが正しければこれから起きる惨劇は最も最悪とも捉えられる。
「君達はハンターがブッチと手を組んでいると言っているようなものだ」ヒデトの言葉にイリヤの顔が青ざめた。
何故この2軸にたどり着くのか見当もつかなかった。
だがもしヒデトの言う通りなら3年前、母親はラドロンに殺められたのも計算付けられていたこととなる。何故あの日、ラドロンがケルトルードに上がって来られたのか…。
そう考えると誰かが手を引いていたのも確かだ。
ブッチ・シュミット…。
あの名前は今や恐れられるものである。そしてこの件に繋がりが見えたのは初めてのことだった。
彼のリストバンドから聞こえる脈拍に大人達の視線が一気に集められる。
「イリヤ、落ち着いて…」
ヒデトが宥めようと彼の肩を掴んだが振り払い大人達を睨み付けた。
「貴方方は…一体何を隠しているのです…?」
「イリヤ…」マルコムの表情には明らかに秘密を抱えていることが表されている。知らず知らず彼等に付いて来たものの、本当に信用していい人間なのかイリヤには分からなくなっていた。
抱えている秘密が大き過ぎて信じていたものが全て崩れ去るようだった。
「彼にも話すべきよ」
ニナの一押しにマルコムは意を決した。これを知れば後戻りは出来ないだろう。そして彼にとって人生に於ける最大のターニングポイントに成りかねないのだ。
「今まで黙っていたが、我々はある組織の人間である。“AZATHOTH”と言ったものだ」
聞いたことのない組織にイリヤの疑いが高鳴る一方で3人の大人の考えていることなど最早どうでも良くなる。
「なら…何故テアにも秘密にしていた?」
母親であるニナを睨み付けるイリヤの瞳の色に変化が現れる。深みのあるグリーンから黄色に変色するとそれが変異をする証でもあった。
威嚇する犬のように唸り声が青年の喉から聞こえ、ニナは宥めるようにゆっくりと口を開く。
「子供達を守る為よ。貴方のお母さんも守り抜いたわ…」そして発せられた言葉にイリヤの瞳が元に戻っていく。
「母が…?」
読めない話にイリヤは血の気が引くようだった。自分の母親もまた見知らぬ組織の人間であったことが今知らされたのだ。
上がる脈拍に頭が眩んだのか床に腰を下ろし落ち着かせようと大きく息を吐いた。
「“我々(アザトース)”は平和を維持する為に立ち上がった国連秘密組織なんだ。そしてこの大学内の一部は組織の保護下に置かれている」
ヒデトはアザトースが若手の能力者を守っていると強めて話したがイリヤには睨む点があった。
「都合が良く聞こえる…。なら私は貴方の能力者を見つけるただの道具に過ぎなかった…」
「君の能力は確かに効果的だった、だが君を必要としていたのは力だけではない。君には人々を導く何かがあると感じたんだ」
マルコムの想いは強くなり涙ぐんでしまう様子にイリヤは彼の本音を漸く聞け心から安心した。
「実際、君は多くの者に慕われている。レオンに始まって、今やトウマ君にもね」微笑むヒデトは青年の肩に手を置き目を合わせた。
そして再び大人達を見つめると今度は違って見えたのだ。信用していい、そう判断できた。
すると頃合いを見計らっていたかのように扉が開かれた。鼻をヒクヒクとさせるイリヤには異常な人物と捉えられた。
「人間が此処に…!」
殺気立つ青年にマルコムは割って間に立つ。
「安心しろ、彼女もアザトースのエージェントだ」
「どうも、カエデ・クロサキです。検死結果と身元の確認が取れたので、本部へ向かいましょう」
サッパリとした口調が特徴の彼女は間違いなく組織の人間だと察せられる。しかしそれが妙に気になった。
「先に彼を連れて行ってくれ。我々は後で向かう」
「了解、では行きましょう」マルコムの言葉に従順な対応を見せる彼女はまるでサイボーグのように目を合わせた。
本部へ向かう車の中でカエデはタブレットを差し出し目を通すよう促した。
イリヤは素直に受け取ると思わず目を丸くさせる。そこに映されていたのは大学内にいる能力者だけでなくシェルターにも身を潜めている者のプロファイルだったのだ。
「我々の保護下にあるウェイザーは600人程度。でもエージェント・マルコムはその倍以上に存在すると考えているわ」
「ウェイザー?」
「あぁ、私達は貴方達のことをそう呼んでいるの。ハンターに対する暗号ってところね」念には念を入れるマルコムらしい対策だと思えた。
そしてタブレットをタップしていくと思わぬ人物の論文が掲載されており、イリヤは目を疑った。
「彼女の論文はとても参考になるのよ。その能力者遺伝子に関してだけど彼女の勘は当たってる」そう話すカエデは無表情ではいたか興奮が高まっているようだった。
「例えば貴方のお母様であるメリッサも動物に姿を変えられる変身譚であったし、兄弟で似た力を得たウェイザーが多いのも確か」
「だがニナは炎を操るパイロキネシスだがテアは…」
「ええ恐らく父親の能力に似た可能性がある。それも稀じゃないわ」
挟むように答えるカエデにイリヤは黙る事しか出来なかった。何故ならニナの夫は無能力者、つまりはただの人間であるからだ。
これは複雑な問題に突き当たったと不安要素が増えイリヤは唇を噛み締める。
急に黙り込む彼に気が付きカエデの眉がピクリと動いたがハンドルを切り「着いたわ」と合図を送った。
街外れの其処は自然が豊かであったが鉄格子に覆われたコンクリートの建物だった。3キロにも及ぶ広大な敷地に造られたコンクリートの塊は不気味な空気を漂わせる。
車を降りたカエデはさっさと中へと入っていく姿は何処か自分に似ていると感じイリヤは思わず笑ってしまった。後に続くイリヤに彼女は思い出したように振り返った。
「はい、これ」
そして手渡されるパスカードにはイリヤの写真がはめ込まれており、用意周到なカエデは優秀な人材であることが確認できる。
「ようこそアザトースへ」
何重にも及ぶ銃弾ガラス製の扉を潜り抜け厳重な警備に恐れを成す。
真っ黒なスーツを着た男達がカエデに向かって敬礼する様子を見て彼女の立場を理解する。
「つかぬ事を伺うが、彼等は?」スーツの男達を目線で差すイリヤにカエデは微笑んだ。
「彼等はLevel3以下の“人間”よ。だから彼等より貴方の方が立場は上ね」
まるで彼等を蔑む口調のカエデもまたイリヤと同じLevel5の人間であった。
「複雑でしょうけど上になればなるほと難易度は高いわ。何せ秘密が多い組織だから」
口をへの字に曲げる彼女は少し不満そうだった。
Level3以下の人間達はウェイザーの存在すら知らない一般人同様の扱いで、主に不可解な事件を追っている。
そしてマルコム達はウェイザーを纏める監督官であるLevel8で、それ以上も存在するがカエデはこの目で見たことはないと話した。
説明を受けながら長い廊下を歩くと漸く目的地へ辿り着く。
「安置所…?」
あからさまに嫌そうな表情を浮かべるイリヤにカエデはカルテを差し出す。
「恐らくエージェント・マルコムから話があったと思うけど未成年のウェイザーが遺体で発見された。今回“私達”がこの件を調べるのよ」
「私達?」耳を疑うイリヤにカエデは不思議そうに首を傾げていると遅れて到着したマルコムの渋った笑い声が聞こえてきた。
「この事件は我々では追えきれないと判断してな。君が手を貸してくれれば早い解決が望めると思えたんだ」
「全く耳にしなかったが…」
目を細めるイリヤは嫌味を込めていたが「此処では稀じゃない」と決まってカエデが答えた。
そして台に寝かされた遺体の顔を見て若すぎる死にイリヤは息を呑み、悲惨な現実を目の当たりにした。
「彼の名前はコール・マーティン、年は18歳。どうやら家出中だったと保護ファイルに記されていました」
「まさかマーティン夫妻のご子息だったとは…。我々の保護下だったというのに…」
行き届かなかった防御にマルコムは責任の重さから苦虫を噛み締めた表情だった。
「殺害容疑を掛けたクイーンを拘束しています。どうやらまだ口を割っていない様子ですが」
「と言うことは私の出番だな…」マルコムは頭を掻きながら部屋を出て行くと再び2人きりとなる。
その時一瞬だけカエデの曇った顔が見えた気がしたがイリヤは気には留めなかった。
ーーその頃、大学の図書館に篭っていたテアは昔ながらの紙で出来た本を読み耽っていた。
長時間ずっと視線を感じ諦めたように目を向けると笑みを浮かべたアランが前の席に座っているのが見える。
「何の用?」
「プロムナードのパートナーが何をしているのかが気になったんだ」
不機嫌なテアに対しアランの優しい口調により更に機嫌を損なわす彼女はムッとする。
「それは企業秘密…」
再び本に目を向ける彼女にアランは驚いた様子だった。
「へぇ、宇宙について調べているのかぁ」
擦り寄って来る彼に呆れるテアは思わず本を閉じるとふと目が合った。純粋そうな瞳を見るのは久しぶりな気がする。彼なら話してもきっと馬鹿にしないだろうと解釈した。
「少し気になることがあって、20年前に堕ちてきた隕石についてね」
「それって何万人もの死傷者を出した大震災のことだよね?」
やはり思った通りだ。彼なら真剣に聞いてくれると思ったテアの目は輝いていた。
「その隕石には致死量の放射能が放出されていたらしく、その数値から割り出される堕ちてきた速度から見た星が何処なのかを探そうと思って」
「そんな事が可能なのかい?」目をまん丸くさせるアランは彼女の意外性を知った。
そして手に持っていた本を見せつけるテアは満面の笑みを浮かべ「もう見つけた」と話した。
「此処から大凡3.2光年離れたスカンディナビア星かも知れない。そして其処の星には生命体の確認も僅かでありながら感知されたって書かれていたの」
「もしその星だったとしたら大きな発見だよ。宇宙人がいるだなんて…」口籠るアランにテアはそっと耳打ちする。
「10キロにも及ぶ強大な隕石が翌日には消えていたのは何故だと思う?やっぱりそれは国が隠したがったからだと思うんだ」
謎めいた言葉にアランの目も輝いていた。
人は誰もが無知である。
だからこそ貪欲な生き物となってしまった。
それがどんなに犠牲を払うものなのかそれすら知らないのだ。
その代償を払いどんなに知識を得たとしても決して叶わない、全能の神には。