5.見えない影
もう2日が経っていたがレオンはまだ目を覚まさない。
偶に指先や瞼が少し動きを見せるが、ヒデトは体の反射神経が働いている証拠だと言っていた。
そんな中でマルコムには恐ることがあった。レオンを通じてあの男の顔が見えたのだ。あの男が齎す強大な闇が子供達に危害を加えるのではないか、そう思うと警戒が強まる。
もしかしたら奴の脅威が其処まで迫っているのかもしれない。
ー見えない影ー
レオンに付き添うテアはずっと爪を噛み続け彼女の爪は深爪していた。
弟を危険に晒したのは自分だと言われなくとも理解している。
ただあの時は誰かに操られたようだった。あれ程情緒不安定で向こう見ずな行動に出てしまった自分を信じたくなかった。
その頃トウマは研究室に篭りひと月が経とうとしていたが、何の進歩がないと嘆いた。少しは自分のルーツを知ることが出来ると期待したが全く得られない。
「エイブリーはここに来て2年って言っていたけど、何か変わった?」
トウマはノートを弄びながら尋ねるも何処か浮かない様子だった。
そう尋ねられれば「変わらない」とは言い辛い。
ただエイブリーはこの青年に希望を持たせたいと思ったことから嘘を吐く。
「此処に来る前よりかは大分生まれ変わったわ」
その答えを羨む青年を見てエイブリーはホッとすると思いきや嘘を吐いた罪悪感に蝕まれていくようだった。
そんな2人の元に疲れ切った表情でイリヤがやって来る。
「顔面蒼白よ?」いつものように心配するエイブリーにイリヤは目を閉ざしひと息吐く。
「テアと交替でレオンの世話をしていた」
椅子に腰を下ろす彼の体力は限界に近いだろう。エイブリーは温かいコーヒーを淹れてやる。
「マルコムさんはレオンの記憶を取り戻そうと心を覗いたのか?」トウマの問いにイリヤは驚いたと同時に苛立ちを覚え答える気にはなれなかった。テアは知らぬうちにこんな男にレオンのことを話したのか?そう疑心が湧く。
そしてトウマを睨みつけていると母親を犯し殺したラドロンの顔とそっくりだと気がしてならない。
忘れ去ろうとしていた記憶が良からぬ状況で鮮明に蘇ってしまったからだ。
再びこの青年達の間には深い溝が生じてしまったとエイブリーには感じていた。それは自分が関与しても上手く埋まらないことも理解する。
「人生って上手くいかないわね…」
つい本音がポロっと出てしまうも3人にとっては図星であった。
ーーその日も何の成果が出ないまま眠りに就こうと思ったトウマだったが、ここ数日…否、詳しくはレオンが昏睡状態となった日からある夢を見始めていることに気がついた。
そして今日もまた夢を見る。
まるで他人の意識下で歩いているような感覚。
見覚えのある顔が2つあり、恐らく幼いテアと…イリヤだ。何故かこの2人といるとやたら安心感がある。
テア達が仲が良い訳がわかった。まるで兄妹のようでテアの面倒を見るイリヤの様子は今と何も変わらない関係性なのだ。
しかし空を見上げると雲行きが怪しくなっていく。
空は黒く染まっていき街中に酷い強風が吹き注いだ。
イリヤに手を引かれながら向かった先は大きな屋敷で、高級なアンティークが揃った品のある家だった。
窓から外の様子を伺ったが木々は薙ぎ倒される程、荒れ散れていた。
すると屋敷の中が騒がしくなり、急に見知らぬ男達に拘束されると奥の部屋から強引に連れて来られる男女に目が留まった。
何故か彼等がイリヤの両親だとわかる。
何かを必死に告げている様子だったが、彼等の声が耳に入らない。
家中を引っ掻き回す男達の笑い声が脳裏に響き渡る中で1人の男が弱っている女性に跨り犯し始める。暫く楽しむと用が済んだように首を絞めて殺した。
そして毎回この夢に出てくる男。
人を何人も殺めて来たかのようなどんよりとした瞳に残酷な兎口。シルバーに染まった髪をかき上げたこの男に睨まれると心臓を鷲掴みにされるようだった。
「…ッ!」
引き攣る息に目を覚ましたトウマは過呼吸でも起こしたのでないかと疑ったが発作は一瞬にして収まった。
夢であってもこんな残酷な光景を目の当たりにしたのは初めてでトウマに吐き気が襲う。
妙にリアルで自分の中に記憶が生きているようだった。
起き上がりながらも時計の針を見るとまだ夜明けの3時。汗を拭いながら立ち上がろうとするも立ち眩みに体がよろける。
一体、今のは何だったんだ…。
そう思うとある名前が思い浮かぶ。
「レオン…?」
まさかそんなはずはない。なら今のは何だ?
混乱するトウマは何故か呼ばれているように感じ、医務室へと向かった。
「…何の用だ」
不機嫌なイリヤの声にトウマは唇を尖らせる。
「何か、呼ばれた気がして」歯に物が詰まるような言い方をするトウマをイリヤは呆れたように見つめる。
目の前で残酷にも母を殺したあの憎きラドロンが目の前にいるのだ。しかし強まる憎しみを抑え込み冷静になることを選んだ。
「今…君にこの話をするのは危険かもしれない。でも…今話したい」
するとトウマは震える声を発しながら目の前の青年をじっと見つめた。
「夢を見るんだ、この夢はレオンが僕に見せているのかもしれない…」
「戯言は止せ。これ以上私の機嫌を損なわせる気か?」
聞く耳を持たないイリヤはラドロンの声を遠ざけようとする。しかしトウマは構わず口を開く。
「嵐の晩、君は襲われたんだろう?その…ラドロンに」
何故トウマが知っているのか、イリヤは疑いを掛ける。そして何故このタイミングでこの話を持ち出すのか…。それはこの男が関与しているのではないか?そう思わざるを得なかった。
しかし
「この2日間、不思議と同じ夢を見続ける…。もしこの夢が本当なら、僕は此処に来て初めてラドロンとして生まれたことを恥じるよ…」
静かに涙を流すトウマに苛立ったものの自分が本当に憎んでいるのはこの男ではないのだとハッキリとした。
「今も理解に苦しむ、何故マルコムは貴様のような男を選んだのか」その言葉にトウマは目を閉ざし受け入れようとした。
「だが其れには訳があるのだろうか…」
「どういう事…?」
「此処に居る誰もが変化を求めている。其処へ貴様が忽然と現れたのは只なる偶然なのか私には分かるまい。…だが貴様は私の知っているラドロンとは何かが違うと、其れは分かるんだ」
悲壮感漂うイリヤの顔からは今までの人生観を覆されたと表れていた。
ただ生まれついた先がシェルターであったということだけで、彼がラドロンの性質を受け継いでいるかどうかは自分が決め付けることではないのだ。まだまだ知らないものが余りにも多いのだと気づかされた。
ーー翌朝、研究室に向かったトウマはイリヤの前に腰を下ろしてみた。
何故かいつもと違って見えるのはお互いに心を開いたからなのか…。
端正なイリヤの顔を見つめているトウマにテアは食いるように見入った。
「…2人とももしかしてゲイとか?」わざとらしい彼女の声にイリヤはムッとする。
「そんなことないわよね!それよりレオンの容態はどうなの?」
慌てて間に入るエイブリーの心境を考えるとトウマは笑みを隠すように俯いた。するとエイブリーに睨まれ咄嗟に咳払いをしてテアの顔に目を向ける。
「医院長に追い出されちゃった。でも順調みたいで1週間以内に目を覚ますって断言されたんだ」
「じゃあレオンが目覚める前にお土産買いに行かないとね」喜ぶエイブリーにテアは嬉しそうだった。
「え、外に出られるの?」目を輝かすトウマは再びケルトルードの風景を拝めると思い胸を高鳴らせる。しかし彼の思惑に気が付いてしまうとエイブリーは気まずそうに咳払いする。
「実はLevel3以上の学生でないと外出許可は得られないの」
残念そうに話すエイブリーにテアは付け加える。
「責任者としてLevel3以上の学生が付き添えばトウマも外に出られるよ」その言葉にトウマは顔を明るくさせた。
此処の生活はシェルターで暮らしていた時よりも充実し何不十分なしで生きていけるが、其処にはやはり自由という文字がなかった。
悪く言えば刑務所と何ら変わりないものである。
「そうね、偶にはトウマ君も外に出て気分転換するのもいいんじゃないかしら」楽しそうなエイブリーに対しテアは肩を竦ませる。
「だけど私はパス、出来るだけレオンの側に居たいし」
テアの気持ちを汲み取るとやはり仕方がないことだとトウマは思ったが、どこか寂しく思えた。どうせなら皆で外へ遊びに行きたいと考えたが意外なことにイリヤが口を開く。
「行ってやったらどうだ?レオンは私が診てやる。何かあればマルコムに報告する」
「でも…」
バツの悪そうな少女は鉄素材の腕を撫で回していた。
「それにケルトルードと言えど治安は悪化してきている。お前が付いていれば私も安心できる」
彼の言葉は偽りはなかった。それが何より心が和らぐようでテアも微笑んでいた。
「わかった…」
ーそれか3人はマルコムから許可を取り学外へと向かうエレベーターの中でトウマの気持ちが高鳴り始める。
そんな中でエイブリーは釘を刺すように何度も何度も同じ台詞を言い続けた。
「外へ出る時は能力使ってはダメよ」彼女の口煩さにトウマの気持ちが萎えていく。
「でも不思議だよね、今回は私達の力を封じなかった」テアは肌を隠すように長袖のジャケットを羽織りながらそう問いかける。
以前までは外出時にマルコムによって能力が封じられていたらしいが、今となっては身を守る為にと封じなかった。
恐らく何かが起きていることは分かってはいるが、それが一体何なのかは誰も知らなかった。
すると扉が開き日の光が差し込んだ。ケルトルードに到着し3人は顔を見合わせてはしゃぎ出す。大学の正門を潜ると其処は別次元のようだった。
新鮮な空気を再び肌に感じた青年は此処での暮らしに満足を覚えていた。
少し歩いた所に公園が見え、木々に囲まれたそこはお伽の国のようだった。人工芝の上に腰を下ろしたトウマの目の前には大きく聳え立つ山が見え、昔シェルターで見たモノクロ映画の背景そのものに思え感動が溢れ出す。
「おっかない…」
生まれて初めて自然に触れ、自然の中に溶け込んだようで感動と恐怖は紙一重なのかもしれないと思えてくるようだった。
「偶にはこういう所でランチでもしてみたいものね…」ボソリと呟くエイブリーの髪を風が弄び、それは日に当たり金色に輝いた。
「でも意外だったわ…、イリヤが貴方を信用したんだもの」
「どういう事?」
「だって彼があんなにも心を開くとは想像付かなかったから…」
そう話すエイブリーは少しだけトウマを羨ましく思えた。どれだけイリヤと同じ空間で過ごそうとも決して彼の信頼を得ることは不可能であると感じていた彼女にとってはそれが途轍もなく不公平にも思えた。
暫く芝生に寝っ転がっていた3人は物思いに耽る。そんな中でふとトウマはある思いが浮かんだ。
「今回の試験でLevel3になれれば僕も1人で此処に来れるってことだよね?」
青年の言葉に2人の少女達は顔を見合わせた。その顔はどこか罪悪感というものを感じ取れる。
「Level3になるには大体1年は掛かるものなの。手始めに貴方が行う試験はレポートでしょう?それに合格すればLevel1の称号が与えられることになるのよ」
丁寧に話すエイブリーにトウマは思わず起き上がる。
聞いていた話と若干のズレが生じているようにも感じられた。
「待ってよ…、ってことは僕は第1試験しか受ける資格がないってこと?」
その問いに2人は頷いていた。
そうなればLevel3を目指すとなると相当な時間を過ごさなければならないのだと悟る。トウマにはある想いが募り始めた頃、大学内ではひと悶着が起きていた。
今後について学内の調査を高めようと話すマルコムにヒデトは断固反対だった。
「学生達を調査する為には莫大な費用がかかる。それは貴方の資産じゃ足りないほどの額だ」
常に冷静なヒデトではあったが彼の額には脂汗が滲み出ていた。
「それは分かってはいるが、この間のこともあり防衛策を講じた方が学生達の為にもなる」
マルコムには多額な資産が遺されていた。表上WR大学の学長でもある彼は裏で行っている無償の奉仕に資産が底をつきそうだとヒデトは心配する。
だがマルコムにとっては資産よりも子供達がどれ程大事なものなのか、それを理解する彼には残酷な話であった。
「それもそうだ…。だがブッチはこの世にはもう居ないはずだ、何を恐れて…」そう話すヒデトにマルコムは遮った。
「いいやあの男は生きている。あの時…感じたんだ」
あの日、レオンを通してブッチの存在を感じマルコムの恐怖は蘇ったようだった。
「しかし…3年前、確かに彼は君によって」
マルコムによってブッチは倒されたと思われた。
昔は同じ意志を持った同士であったが、少しの思想のズレにより行き先が変わってしまった。
能力者の存在を知った人間、つまり能力者狩りの出現は最近のことではない。彼らとの戦いは20年前から起きていた。
勿論、マルコムやヒデトも彼らに命を脅かされたことは何度もある。そしてブッチと3人で手を合わせ数少ない能力者達を守る為に立ち上がった。
はじめは身を守る為に立ち上がった3人の絆は硬いものだった。しかし不幸は突然起きるものだ。
能力者狩りの出現によって事態は悪化していく。多くの能力者達が犠牲となり、またブッチの婚約者であったナタリーも命を落とす羽目になった。
能力者狩りへの恨みが募ったブッチの暴走をマルコム達は止めることだけに執着した結果、更に最悪な事態を招いてしまった。
「もしブッチが生きているとなれば…、その狙いは?」
珍しくもヒデトの声は恐怖から震えていた。これから何が起きるかは想像が付かないが、恐らく何かが起きようとしている。
ーー大学へ戻ろうとした3人だったが、トウマの足取りは重いものだった。
「如何したの?」隣に立つエイブリーの心配そうな顔を見て如何しても本音を話したくなる。
「今此処で帰ったら、次はいつ外に出られるか…」
肩を落とす友人を励ましたいと思うエイブリーにテアは反対だった。
「ダメだよ、嫌な予感がする」
「でもトウマ君の言う通り、中々外に出られないもの。トウマ君の行きたい所へ行くってとてもいい事だと思う」
目を輝かせるエイブリーに合わせ頷くトウマは願望を友人に託すしかなかった。
だがテアは腕を組み交互に友人達の顔を見つめうんともすんとも答えようとしない。そんな彼女に痺れを切らすトウマは何が何でも想いを伝えようと足掻いた。
「僕はケルトルードに来る時、先の事なんか考えていなかった。友人は僕がどこで何をしているかなんてきっと知らないだろうし、そんなのって…」
熱い想いから思わず涙ぐむトウマにテアの心も揺らいだようだった。
わかった、と肩を竦める彼女は再び2人を見つめる。
「確かにトウマの言う通り、友達も安否を知る権利があるもんね」そう答えるテアにトウマは嬉しそうだった。
何度も頭を下げお礼を告げる青年の誠実さにエイブリーは少しずつ心が惹かれているのだと感じていた。
アンダー・シェルターへと向かうエレベーターにたどり着くがトウマは冷や汗を掻く。一文無しの彼にとってこのエレベーターは高額過ぎるのだ。
「僕はこの階段から行くよ」
「行くって、どうやって…?」目を丸くさせるエイブリーはトウマの言動に信じられないと言った表情だった。
「大丈夫、魔法のカードって物を持ってるから」
トウマの心情を悟ってかテアはクレジットカードをチラつかせる。実を言うと彼女の親は途轍もなく裕福であることをトウマは此処で知った。
彼女曰く両親は西海岸を治めるクリアキン・ファミリーの統治者であるらしい。
気まずいと思いながらもトウマはエレベーターに乗り込んだ。大きな鉄の塊に乗り込むとテアは慣れた手つきでカードを切る。
「3人で12万ルートなんて激安」嫌味を込めているつもりはないんだろうがテアの一言一言に疑いが浮かび上がる。
そして一瞬にしてシェルターに到着するエレベーターにトウマは貧乏人の苦労というものが計り知れないと知った。
「僕が上がるのに掛かった3時間はなんだったんだ?」
「時は金なり、ほら早くお友達を探そう」
1分たりとも無駄にしたくないテアは急かし始める。しかし初めて見るシェルターに少女達は息を呑んだ。
コンクリートに囲まれたシェルターはまるで独房のように虚しく冷たい場所である。
「貴方、此処で生まれ育ったの…?」明らかに動揺を見せるエイブリーにトウマは自信満々に微笑んでいた。
「あぁ、19年間を此処で過ごしたんだ」
そして真っ直ぐ進んでいくトウマの後を2人の少女らは顔を見合わせながら続いて歩いていく。
どんどんと歩いていくとトウマは大きな扉を賺さず開ければ、シェルターの世界感をすぐに理解できる。
ネズミ達が巣食う酒場に大人達が命を懸けて殴り合いをしていた。
「あれは有り金全部賭けたボクシングだ。勝てば相手の全財産を相続出来るってわけ」騒がしい音に懐かしがるトウマに対しテアの恐怖に包まれる。
あのラドロンが此処に集結していると思うとその力は強まる一方であった。
何方が勝つかを賭けた観客達が言い争いを始めたかと思えば殴り合いへと変わり騒がしさが増す。
そんな中でトウマはある少女に気が付き顔を赤らめた。
「ジゼル!」
青年の声に赤髪の少女は此方に顔を向け明る気な表情を見せる。ソバカスが可愛らしいジゼルは子鹿のようにスキップをし駆け寄った。
「トウマ!あなた一体どこにいたの?」
一瞬にして2人がどの様な関係だったのかエイブリーはすぐに察した。馴れ合うこの男女には見えない何かで結ばれているのだ。
「あなたが姿を消してからみんなが噂したわ。きっと誘拐されたか、死んだかのどっちかだって。でもね、私は信じてたわ」
「実を言うと僕はケルトルードの大学で暮らしているんだ」
しかしトウマの言葉にジゼルの表情が凍りつくのが分かる。彼が何を言っているのかが理解できない異国民のようだった。
「何を言ってるの?だってケルトルードへ行くには大金が必要だもの」
「エレベーターではなく階段で行ったんだよ」
「階段なんて、あれは自殺行為よ。実際に登った人は誰一人生きて帰れなかったんだから」
ジゼルの性格か若しくは話し方が気に食わないのかエイブリーは顔を渋らせていた。
埒があかないと困惑するトウマは全てを話そうとするがテアが慌てて止めに入る。能力者のことに関しては他言無用であるからだ。
しかし彼女の想いを知りながらトウマは口を開いた。
「彼女達は僕と同じだ。力がある」
「もうアンタ達に付き合ってられない」
身勝手なトウマにテアはエイブリーを引き連れ帰ろうとするも彼女達の前に1人の呑んだくれが立ち阻み、手にはビールのジョッキを持った悲しげな眼差しが印象的な男の姿があった。
「私達はもう帰るの、退いて貰えない?」
酔っ払いの相手は面倒だと男を押し退けようとするテアの腕を男は掴み上げる。すると肌が触れ合った瞬間に2人の顔付きが変わった。
「彼女を離しなさい!」
エイブリーが間に立とうとした瞬間、男から強大な力が放たれたかのようにテアの体が吹き飛ばされていく。
周りのラドロン達は喧嘩が始まったと視線を注ぎ騒ぎ立てた。
「同じ匂いがすると…思っていた。いや、感じたんだ」男の悲しげな眼差しにエイブリーは引き込まれそうになるが、実際に引き寄せられたのはテアの方だった。
まるで掃除機に吸い込まれる埃のように男の体に密着するテアは眉を八の字にした困り顔を見せる。
「さっきの坊やが言っていたが、俺の力は磁石そのものだ。鉄を操れる」
耳元で囁かれるとテアは顔面蒼白となりトウマに目を向けた。するとトウマは手のひらを見せ力を込める。
「それなら僕はモノを引き寄せる力だ。どっちが強いか、勝負を決めよう」
青年の台詞にその場は一瞬にしてギャンブルと化す。
しかし明らかに男の力が上回っていることをテアは感じており身を守る為に左腕をナイフのように尖らせそれを振り回すと怯んだ男の力が弱まった。
その瞬間にトウマはテアの腕を掴み、エイブリーも連れてその場を逃れた。
間一髪でエレベーターに乗り込んだ3人はただ見つめ合い安堵のため息を漏らしていた。
:
「君達は一体何を考えていたんだ!」
マルコムの叱責にエイブリーは今にも泣き出しそうだった。いつもは優しいマルコムの怒りは倍に怖いと感じるものでもある。
「しかし3人共、無事で良かった」助け舟を出そうとするヒデトだったがマルコムの怒りは塗れる一方で、誰にも止めることは不可能だった。
そしてイリヤでさえ呆れていた。
「テアを信用した私の失態でもあります」イリヤの言葉にテアは頰を膨らませ拗ね始める。
「だって私はまだ17歳だし、先輩達の行動に責任なんか取れる年じゃない」肩を竦め責任放棄するテアにマルコムはため息を零した。
「確かにそうだ、だが此れだけは知っておいてくれ。この世の中は僕たちのような能力者に決して優しくはないってことを。そして君達はその能力者達にとって危険を招きかねない行動を取ったことを」
「でもトウマ君にとっては残酷な話です!」
するとエイブリーは泣きながらも声を荒げた。引き攣る息を殺しながらも必死に話そうとする彼女の横顔を見てトウマは居た堪れない気持ちになる。
「彼が、此処に居るのは止むを…ッ得ない状況だと、分かっています!でも…、安否を友人に伝えようとする気持ちは純粋な想いからだって、分かって欲しいんです!」
泣きじゃくるエイブリーをテアは抱きしめ、慈悲を求めるようにマルコムを見つめた。
「それに、シェルターには能力者が居たのも確かだった。そして彼の力は想像以上に強かったよ」テアの言葉にマルコムの顔色は悪くなっていく。
「という事はシェルターで力を使ったんだな…」
すると3人が見た光景がマルコムの脳裏に流れ込み頭を抱えた。
シェルターで磁石のような力を発する男の顔が見えるとマルコムの顔が引き攣る。
「恐れていた事が、起きてしまった…」
「シェルターにはまだ多くの能力者がいる、それは事実だ」と告げるトウマにマルコムは睨み付けた。
「君の考えは分かる。だが、この事に関しては僕達が決めることだ。3人共自室へ戻りなさい」
「でも…」
「君達には2ヶ月間外出禁止令を出す。いいかね、これは仕方がないことだ」
マルコムの罰に3人は肩を落とした。特にエイブリーはショックを受けた様子でずっと涙を流しており、テアはお手上げだと言わんばかりに首を横に振っていた。
「それにしてもあんなにも怒ったマルコムを見たのは初めてだった」
「あれは確かに怖かった…」と笑うトウマに釣られテアもプッと吹き出しており、そんな2人にエイブリーは呆れ果てていた。
「如何してそんなに冷静で居られるの?私達は見放されてもおかしくない状況って事に気が付いている?」
まるで処刑台にでも立つような表情を浮かべるエイブリーは罰を受ける事態を招いてしまった自分を呪いたくなった。昔から優等生とレッテルを貼られたエイブリーにとって世界の終わりと言っても過言ではないほどの屈辱でもある。そんな彼女にテアは大袈裟すぎると呆れていた。
「マルコムが私達を見放す訳がない」強気なテアだったが鬼の血相をしてやって来るイリヤの顔を見て直ぐにエイブリーと同じ表情を見せた。
「此奴を借りるぞ」
イリヤの低い声は怒りを表していた。そしてテアを連れてその場を去る彼の背中をトウマはただ見届ける事しか出来なかった。
「痛い…離してよ!」
掴まれる腕を見つめながらテアにイリヤは振り返った。そして足を止めると彼の怒りが爆発してしまいそうな事に気がつきテアは目を逸らすことしか出来ないのだと悟る。
「何故だ…?」
しかしイリヤの問いかけにテアは思わず目を向けた。彼の悲しげな表情に罪悪感に押しつぶされそうになる。
「何故、シェルターへ行ったんだ…。如何して私の気持ちを踏み躙るんだ…」震えるイリヤの声を聞き、それは妹の身を案じる兄の切実な思いであると感じテアの胸も震え始めた。
「ごめん…。ごめんね…」
イリヤの手を取り謝るテアの瞳からは涙が込み上げ目頭が熱くなるのがわかる。
知らず知らずに彼を苦しめている自分がどんなに悪者かを思い知るのは残酷だった。
「でもね、トウマの気持ちにも目を向けて欲しい。だってもし私が同じ立場だったら、イリヤだけじゃなくレオンにも別れを告げることができないんだよ…。それって不公平だと思ったんだ」
「お前の気持ちは分かった、だが…もしシェルターで何か起きていたのならレオンに二度と会えなくなっていた可能性がある。それだけは何時も考えてくれ」
ーーアルコールの代わりにコーヒーを飲み干すマルコムの隣でヒデトは顔を俯かせていた。
「シェルターには恐らく僕達の想像を超える数の能力者が存在するはずだ。トウマ君が言うようにね」
「分かってはいるさ。だが僕の力はシェルターまで届かない」
「それが如何したって言うんだい?君は一体何を恐れているんだ」目を細めるヒデトは目の前の男が分からなくなっていた。情熱だけを胸に突っ走っていた男は変わり果ててしまったのだ。
「僕が何を恐れているか、君なら分かるだろう?息子のように犠牲者を出したくはない」
「あぁ、僕は理解しているさ。でも恐れていても何の解決にもならないことも知っている」
前へ進むことの重要さをヒデトは説いた。
この変わりゆく世界の中で生き残れる者は何に対しても順応な者だけなのだ。
「確かに、君の言う通りだ。変わらなくてはいけないのは私なのかもしれない」そして漸く説得に応じたマルコムの顔つきはスッキリとした表情へ変わっていたことにヒデトは気が付いた。
「それにエイブリーの記憶から彼奴の顔が見えたんだ…」
「彼奴って一体…?」
「以前と比べて頰は痩けていたが、あれは紛れも無い、マイケルだ…」
その名を聞いたヒデトの顔付きが一瞬だけ凍り付いた。
懐かしい名を聞いたせいかも知れないが、彼には胸騒ぎがしてならない人物でもある。
そんな事に御構い無しでマルコムは続けた。
「明日、調査チームをシェルターへ送りこもう」
意を決した男が前を向く覚悟が付いた頃、トウマはイリヤの姿を探していた。
それは何処か落ち着かない様子でソワソワしている。誰も居ないカフェテリアの椅子に座ったり立ったりと繰り返していると、そこにイリヤが顔を見せた。
「イリヤ!」
声を掛けるトウマは咄嗟に駆け寄るが目を合わせようとしないのは恐怖からか罪悪からか分からなかった。
「その、テアを叱ってやらないで。僕が強引に連れ込んだんだ…。僕の友達を見てもらえたら、ラドロンは悪い奴ばかりじゃないと証明できると思ったんだ…」
自分勝手だったと謝罪するトウマの口振りにイリヤは溜息を漏らす。
「遅かったな、先程こってりと絞ってやった」そう答えるとトウマの顔が青ざめていった。そんな彼の顔を見てイリヤは吹き出し笑う。
「冗談だ…、彼奴もお前を庇っていた」
彼の冗談に驚くトウマだったが、その意外性に思わず笑みが溢れた。だが何故か切なそうに見えるイリヤの眼差しに気が付き黙っては居られなくなる。
「やっぱり僕が憎い…?」
不安そうな青年は高鳴る鼓動に息苦しくなるようだった。人に嫌われることに対し傷付く感情はシェルターでは味わったことがなかった。だがこうして友人達に囲まれた生活に慣れ始めていることにトウマは恐怖をも芽生える。そんな青年にイリヤは溜息交じりに笑って見せた。
「もう憎んでは居ない。ただ彼奴の子守りをする事が癖なんだ。…だがもう必要とされていないと気付かされると寂しいものだ」
初めて聞かされるイリヤのテアに対する想いにトウマはホッとする。
2人は確かに血は繋がってはいないものの純粋な兄妹の関係性は築かれているのだ。
「テアは何時だって君を必要としている…、いやテアだけじゃない。エイブリー、マルコムさんだってみんなが君を必要としているんだ」
出会い方は最悪だったがお互いを知れば知るほど最高の友人であることに気がつく。
そして信頼に足る人間であることに気が付けば最高のパートナーになり得るものである。
トウマの言葉にイリヤは気恥ずかしさから顔を俯かせるもやはり心ここに在らずの様だった。
「此処では強い者が必要不可欠だ、私は今やただの人間に過ぎない…」そして少しの信頼から生まれた安らぎからイリヤは口を開く。
今まで抱えていた悩みに押し潰され窒息してしまいそうだったからだ。
「私が此処に置いて貰えているのは、マルコムの同情があるからだ…」
胸に爆弾を抱えた青年は何も希望を望まないと言わんばかりに息を漏らす。
能力を使えば心臓は破裂してしまう、その現実が彼を苦しめ苛立たせていた。
「人それぞれに役割がある。エイブリーは大学のマドンナ的存在だし、テアは我儘な妹キャラ。僕なんか右も左もわからない新参者だよ。此処に来て強く感じたのは此処の誰もが君を信頼している。それは能力者だからとかじゃないと思うんだ」
イリヤが築き上げた信頼というものがどれだけ希少で価値のあるものなのか、シェルターで育ったからこそトウマには理解が出来るのかも知れない。
「不思議だ、お前にこんな事を話す日が来るとは思ってもみなかった…」
残念そうな口振りではあるものの先程と打って変わりイリヤは肩の荷が下りたようだった。
「相手が僕だから言えたんじゃない?」
決して弱味を見せるような男ではないと気が付いていた。弱い自分を晒け出せる相手とは意外な人物の時もある。