4.過去に囚われる者
酷い頭痛で目を覚ましたテアはワイラーの腕で眠ってしまったことに震え始める。
「うそ、やだ、どうしよ…」
ガタガタと震えるテアにワイラーも頭を抑えながら目を覚ました。
「よう…早起きだな」
裸のワイラーを見てテアは顔を青ざめると直ぐに自分の体を見渡した。
「良かった…、私達“関係”は持っていないよね?」
「あぁ、安心しろ。持ってたら直ぐに帰してた」笑うワイラーをひと睨みしテアは早朝に自室へと帰っていった。
ー過去に囚われる者ー
こっそりと自室に戻ったテアだったが、姉の帰りを待っていたかのように立ちはだかるレオンに身を震わせた。
「脅かさないでよ」
肩を落とすテアは落ち着かせようとタバコを咥えた。そんな姉に手話で説教を始めるレオンは最後には必ず「イリヤに言いつける」と文句を打つける。
「言いたければ言えば?私だってもう17歳だし何かを言われる筋合いはない」
『だったら大人らしく振舞ったらどう?』と言われれば返す言葉がなかった。
昨日のイリヤとエイブリーの話がフラッシュバックするとテアは頭痛に悩まされる。
「朝になるまで寝かせて…」
そのままベッドに倒れ込む姉にレオンはため息を零した。何やら不吉な予感がしてならないと本能が語る。
ーー漸く時計の針が9時を指すとレオンはカフェテリアへと向かった。
朝食を摂りに行くのではなく彼に会うためだった。
そしてトレイに飲み物を乗せようとしていたイリヤの腕をレオンは必死に掴む。
「そんなに慌てて如何した?」仕方がなさそうにトレイをテーブルに置くイリヤにレオンは必死に手を動かす。その内容にイリヤの顔付きが変わっていった。
ドンドンと扉を叩かれる音に目を覚ましたテアの顔色は優れなかった。
二日酔いのように頭痛が突き刺さり、ジェットコースターに乗っているかのように目が回る。
ゆっくりと扉を開けるとレオンとイリヤの姿に説教をしに来たのだと悟った。
そのまま部屋へと入って行くイリヤに続くレオンを見てテアは「どうぞ中へ」と嫌味を込める。
「レオンから聞いた、今朝5時に帰って来たそうだな」
「友達と楽しんでただけ」
腕を組む仕草にイリヤは近寄り彼女の首周辺の匂いを嗅ぐ。
「嘘は匂いで分かる。ワイラーと薬の匂いが染み付いている」
「私がどこで何をしようが勝手でしょう。もう監視するのは止めてよ」
疲れ切るようにベッドに腰を下ろすテアの隣にイリヤも座る。
「薬は3年前に苦労して絶っただろう。何があった…?」心配そうに尋ねるイリヤに顔を背けながら頭を抑える。
「分からない…私がどうしたいのかも、如何して此処に居るのかも」
「何故、そう思った?」
「それも分からない。ただ考える事に疲れた。3年間ずっと研究室に篭って考えてきたけど今にも息が詰まりそうになる」
疲労感が溜まっている彼女に如何してあげればいいものか、イリヤには理解を超えていた。
悩ましい2人を見つめていたレオンですら気持ちが重くなるようだった。
それからレオンは同学年達と授業を受けるも集中出来ずにいた。早朝に見かけた姉の様子を見るのは3年前、あの事件が起きる前と同じだったからだ。
「レオン、全く手が進んでいないな…」
マルコムの声に我に返るレオンは慌ててタブレットを摩るもやる気が起きなかった。
「なら今日は特別に先輩達の研究室へ覗きに行くとしようか」
マルコムの言葉に生徒達は大はしゃぎをする。しかしレオンだけはただため息を零すだけだった。
其々に別れて行動する中、トボトボと歩くレオンの隣にマルコムが付いて歩いた。
『テア達の研究室へ行くか?』
テレパシーでそう話すマルコムにレオンはにっこりと笑う。
『レオンも来年で15歳かぁ』
向かう途中、マルコムは物思いに耽ると時の流れの速さに圧倒された。
『そうなれば試験対象年齢となるな』
『そうしたらボクも皆みたいに実践に参加できるよね』テレパシーから通じるレオンの声にマルコムは微笑んだ。
『その前に勉強しなければならない。もしかしたらイリヤを超えるかもしれんぞ?』
その言葉にレオンは寂しげに顔を伏せた。
『イリヤを超えるなんて有り得ないよ』そう答えるのはこの少年の尊敬が込められているのか、マルコムはその時はそう思った。
『ボクも能力が芽生えるかな…?』
そう望むレオンにマルコムは優しく頭を摩った。
『私は能力者を感じられる。君からは強大な力を感じるんだ』と扉を開けながら話すマルコムにレオンは自信を取り戻すようだった。
扉の向こうには熱心に研究を続けるトウマ達が一斉に此方に顔を向けた。
「あらレオンどうしたの?」
優しく尋ねるエイブリーの隣にレオンは微笑みながら腰を下ろす。
「授業の一環でね、低学年の子達に研究を見せて回っているんだ」
「随分と暇みたいですね」悪気のないトウマにマルコムは苦笑いを浮かべる。
「まぁ此れもレオンにとって良い刺激だと私は思うんだ」
マルコムの答えにエイブリーは「確かに」と頷いていた。
「それでトウマ君、君の研究は何処まで進んだかな?」
「僕の力は意思と関係があると分かったんです。こう一点に集中させるように、あのマグカップを掴む想像をすると…」
テーブルの端に置いてあったマグカップが宙に浮き手を伸ばすトウマの元へと向かっていく。
「原理は分かってはいないけれど、恐らく念じることに間違いはないかなと」
優雅にマグカップに口を付けるトウマにマルコムは拍手を送っていた。
「答えはすぐにでも見つかりそうだ。だがもう少し安定するように心構えだ方がいい」
親身にアドバイスするマルコムにトウマはすぐにメモを取る。その熱心さが懐かしい過去を思い出させる。
「レオンもうそろそろ行くとしようか。彼等を邪魔してはならない」
マルコムの合図にレオンはすぐに立ち上がるとそのまま去っていった。
「良い刺激を与えられたらいいけど」とエイブリーは笑っていたがテアは面白くなさそうに肩を竦める。
「さっきから浮かない様だけど、何かあった?」
トウマの問いにテアは何でもないと顔を背け研究室を出て行ってしまう。じっと扉を見つめるイリヤにエイブリーは微笑んだ。
「気になるんだったら追い掛けるべきよ」
「…面目ない」謝りをひと添え告げるとイリヤはテアを追って研究室を後にした。
「全く手伝うって皆言ってくれるけど、すぐ僕を置いて行っちゃうんだな」不貞腐れるトウマにエイブリーは吹き出し笑った。
「そんな事ないわよ。でも貴方って意外にも優秀だから1人でも研究を終わらせそうね」
「そう?」
嬉しそうなトウマは再びペンを進めようとするも何故か渋った。
「ねぇ、気になっていたんだけど。イリヤとテアってどういう関係なの?ただの幼馴染とは思えない」
「そうね…2人は複雑なのよ。切っても切れない腐れ縁なの」
エイブリーの顔は寂しげに見え美しい氷像のようだった。イリヤへの想いも込められているからだらうかトウマの胸を締め付ける。
「2人の過去は知らないけれど、そこにはどうしても踏み込めないわ。だから昨日フられちゃった」
「え、君が誰に?」
驚くトウマは目を丸くさせ聞き返すも、その相手がイリヤだと分かりため息を吐いた。
「全く君をフるなんて男じゃないな。こんなにも完璧な子なのに」
お世辞でもなんでもなかった。トウマは本心を伝えるがままに彼女を見つめるとエイブリーの顔が火照っていく。
久々に感じるこの感情に如何すればいいのか彼女には分からなかった。
ーー研究室を飛び出したテアだったがイリヤに腕を掴まれ拍子にひっくり返る。
「強引過ぎると思わない?」
イリヤの腕に寄り掛かる妙な体勢で尋ねるテアは笑顔を見せた。
「様子が変だ、もし今朝言っていたことが原因なら…」そう言いかけるイリヤからテアは離れ諦めたような笑みを浮かべた。
「今は話したくない。それに私自身も分かっていないし」
「なら解決策を練ろう。以前はそうしていた」
兄のように心配してくれるイリヤは昔を取り戻したかのようだったが、それはテアにとっては酷なことだった。
「止めてよ…、今薬の副作用で情緒不安定なの…」
声が潤むテアは泣きじゃくる子供のようで、それはイリヤにとって笑いのツボだったようだ。
笑い出すイリヤをテアは睨み付けるも釣られるように笑う。
漸く落ち着きを取り戻した2人はカフェテリアで休息を取りつつ腹を割って話すと約束を交わした。
「此処に来れば上手く行くと思ってた。レオンが口を利けなくなった理由と失った記憶が少しでもわかると思ったけどあっという間に3年も経っちゃった」
コーラを飲みながら溜まっていた愚痴を零すテアの話をイリヤは静かに耳を澄ます。
「もしレオンの心に入り込めることが出来たら何か分かるかも知れない。でもそれが出来るのはマルコムだけ、でも彼は試そうともしない」
どんどん出てくる愚痴にテア自身も呆れていたが薬のせいか止めることができなかった。
「確かに…。レオンは何かを見てしまい、そのショックによって失声症を引き起こした可能性はある。だが心に入り込むことは危険を伴うぞ」
「それは分かっている。…でも弟に何が起きたのか知りたい」必死なテアの頼みにイリヤは躊躇った。
レオンの負った傷が何かを知りたい気持ちもあるが、更に傷付けてしまうのではないか。何かをはじめる時は必ず代償を払わなければならない。
急に押し黙るイリヤの考えを感じるとテアは落胆したように椅子に凭れ掛かった。
「イリヤがどんなにレオンを大事に想ってくれているのか知っている。もっと感謝しなきゃね」
コーラを飲み干す華奢な少女にイリヤは微笑み応えるも何やら胸に突っかかる。
気に食わないがやはりラドロンがここに来てから何かが変わりつつある。その変化をどう扱うかは己によって変わっていくものだ。
ーー業務時間を終えたマルコムは同僚のヒデトの元へと久々に向かった。ビールの瓶を持って行くのは何年ぶりだろうか。
偶には教授といった役目から解放されたくなる。そういう時は欠かさずヒデトを頼った。
ヒデトの仕事場へと向かうと「来る頃だと思った」と友人の笑みが見える。
「君にはバレていたか…」
渋々部屋へ入るマルコムはヒデトに瓶を手渡した。
静かに大人たちはアルコールを頼り、締め付けられる日常から少しだけでも脱出したかったのだ。
「そう言えば今年ももうP.A.Lの試験が始まるのか」懐かしそうにヒデトは口を開く。こうしてマルコムと話す間柄となったのももう20年も昔の話だ。2人で立ち上げたこの大学も昔は3人しかいなかったが、今は50人ばかりと少しずつ増えていった。
「最近は此処に来るのは編入生のトウマ君だけだ。寂しいよ」
「学生達は分析されることを恐れる。皆そういう年頃なんだ」
ビールを少しずつ飲むマルコムの言葉は一理あるとヒデト笑うしかなかった。
すると2人の元にイリヤが現れる。その表情は意を決したものだった。
「何かあったのか?」
イリヤが何を求めているのか自然と伝わって来るもののマルコムは敢えて尋ねる。ゆっくりと歩み寄るイリヤにマルコムは目を閉ざした。
「駄目だ、どんなに危険な事か。君も理解していると思っていたぞ」頑なに首を振るマルコムにイリヤは必死だった。
2人の様子を見守っていたヒデトは何が起きたのか分からず口を挟む。
「一体如何したと言うんだ?」
「レオンの心に入り込んで欲しい。彼に何があったのか知りたい」
「テアに頼み込まれたか…。彼女には何度も伝えている…」そう言いかけるヒデトにイリヤは睨み付けた。
「これは貴方方が決めることではない!」
息を荒げるイリヤに2人の大人たちは顔を見合わせる。
「心に入り込めば心を傷付けてしまう恐れがある。今の状況から更に悪化するんだ」失敗を恐れるマルコムは責任を感じてか拒み続けた。
「でも確かに彼の言う通り僕達が決めることではない。決めるのはレオン自身ではないのかな?」
思わぬ助け舟にイリヤはヒデトを見つめる。不思議そうな彼にヒデトは笑って応えるとマルコムは仕方がなさそうに頷く。
「それもそうだな。では明朝にあの姉弟を此処に連れて来て貰おうか」話はそこからだとマルコムは念押しするとイリヤは引き下がった。
その様子にヒデトは驚きを隠せない様子でマルコムをジッと見つめる。
「あぁ、驚きだ。彼が私達に逆らうとは」マルコムですら頭を抱える事態であった。
ーー翌朝、イリヤはクリアキン姉弟を連れてヒデトの部屋へと向かう。
既に準備を整え待ち構える2人にテアに緊張が走り、それに共感したのかレオンは姉の手を握る。
「今から行うことは想像以上に危険な事だ。レオン、それでも過去を知りたいか?」
言葉を選びながら尋ねるマルコムにレオンは何度も頷いた。
手を動かし“3年も前から望んでいたこと”だと告げるとテアも少し心が救われるようだった。
「では始めるよ」
台の上にレオンを寝かす間マルコムは集中力を高めた。
先ほどまでは大丈夫だと思い込んでいたレオンも急に怖くなっていった様で手が震えイリヤを求める。するといつもの様に優しく手を握ってくれるイリヤは優しく微笑んでいた。
そんな2人を見てテアは爪を噛み緊張を抑える。
「ではレオン目を閉じて。何でもいい、3年前のことを想ってくれて。ヒト、モノ、空間、何でもいい…」そう言いながらレオンの瞳に手を置くマルコムは息を細く吐いていった。
レオンも意識を集中させる。
ー3年前…、ふと浮かんだのは嵐が吹き荒らした日のことだった。
地元であるミッドタウンは木々が倒れるなど酷く荒れる事件だった。
レオンの意識に集中するマルコムは更に入り込んでいく。色鮮やかな景色はレオンがまだ若いからだろう、鮮明な記憶だった。
この嵐の日がターニングポイントだろうと絞り込む。
この日は確かテアが5人ものラドロンに襲われた日でもあったが、恐らくレオンとは関係ないものだろう。
幼いレオンに成りきり、ミッドタウンを進んでいくと立派に建つ屋敷に目が留まる。
ここはブロンスキー家の屋敷…。
そう思うと吸い込まれるように中へ入って行く。
其処には楽しげに話すイリヤと…
「ハリー…」閉ざされたマルコムの瞳から涙が頰を伝う。マルコムの最愛の息子の名を聞き、その場に居た誰もが顔を見合わせる。
仲の良い2人を暫く見つめていると外が急に騒がしくなった。様子を伺おうと窓の外を伺ったハリーだったが激しい銃撃が子供たちを襲う。
ブロンスキー家が雇っていた執事が何とかハリーを逃すとマルコムは慌てて後を追おうとするも襲撃者達に囲まれイリヤとレオン逃げ遅れた。
紐で拘束される2人をラドロンはイヤらしく見つめていると奥の部屋から強引に連れて来られるイリヤの両親に目が留まった。
頭からは血を流した母親を見てイリヤの目つきが変わると獣のような唸り声が聞こえてくる。
そして家中を引っ掻き回すラドロン達は下品に笑い飛ばし2人の目の前で母親を犯し絞殺した。
涙を流すイリヤだったが隠し持っていた護身用のナイフをこっそりとレオンに手渡す。マルコムは必死になって紐を切り落とすと何とか其処から逃げ出すことが出来た。
そして嵐の中を走り回ると蹲るハリーの姿を見つけマルコムは駆け寄るが彼から異変を感じ取る。
真っ黒に染まった瞳に尖った牙、それはまるでヴァンパイアのようだった。怖気付くマルコムは後退りをするとハリーの背後には見覚えのある男が立っていた。
「ブッチ…!」
そう名前を呟いた瞬間に2人から強烈なエネルギーが生じ、イリヤ、テアそしてヒデトは投げ飛ばされるもマルコムが見ていた景色が脳裏に流れ込んだ。
部屋中の置物が重力を失ったように浮かび上がるなど不可解なことが起き始めた。
倒れ込む3人だったがテアは必死にレオンの体にしがみ付いた。
「レオン!!帰ってきて!!」
声を荒げるテアを抑えるイリヤだったが苦痛に顔を歪ませ胸を抑え倒れ込んでしまった。一体何が起きたのか、テアはしどろもどろとなるもイリヤの体を抱き寄せた。
すると眠っているレオンの体が宙を浮き始め恐怖を襲う。
そしてヒデトがマルコムの頰を勢いよく殴り付けると置物もレオンの体も地面に落ち、その場は落ち着きを取り戻す。
目を開け放心状態のマルコムは頭を抱え何も話せないようでヒデトが宥めていたが、床に横になるレオンだけは目を閉ざしたままだった。
ーー授業開始の鐘がなるもエイブリーとトウマしか研究室に現れないことを妙に思ったが、次の瞬間に何やら胸騒ぎがトウマを襲った。
「何だろう、凄く嫌な予感がする…」
震え始めるトウマを見たエイブリーは理解に苦しむ光景だった。だがトウマには氷のような冷たい物体が胸のあたりを流れ込む。
「行かなきゃ…」急に駆け出すトウマの後を不審に思いながらも追いかけた。
医務室へ向かうトウマの背中を見ていたエイブリーは悟ったように顔を青ざめる。
すると頭を冷えたタオルで抑えるマルコムと酸素ボンベを吸入するイリヤに付き添うテアの顔はげっそりとした様子だった。
「誰かに襲われた…?」尋ねるトウマにテアは答えられず顔を俯く。
「イリヤ…」
心配そうに駆け寄るエイブリーと入れ替わるようにテアは席を外すもトウマは彼女の後を追えずにいた。
未だに目を覚まさない弟を遠くから見ては、その場には居られないと地下へと向かったテアはラム酒を一杯飲み干した。
そして視線をズラすとそこには女達を両手に抱えソファに凭れ掛かるロキの姿があり、テアの機嫌を更に損なわせる。
「混ざりたいならそう言ったらどうだ?」
嫌味ったらしいロキを睨みテアはもう一杯アルコールを頼む。
「その顔を見れば何があったか見当がつく」
女達を退けながら笑みを浮かべ隣に立つロキにテアは目を細め首を傾げた。
「なら当ててみて」
グラスを掲げるテアの横顔をまじまじと見つめたロキは眉をピクリと動かす。
「そうだな…誰かを傷付けてしまった、後悔しきれない。そんな顔だ」まさに図星でテアは傷付いた顔を隠しきれなかった。
「どうだ?私は侮れないだろ?」
してやったりなロキの顔を今にも殴ってやりたかったが、悪いのは彼ではないと分かり更にテアの心の傷が開いていった。
「アンタは何をしたいの…?私をドン底に追いやった後は?」
睨み切るテアの瞳を見つめながらロキは彼女の顎をそっと持ち上げ顔を近付ける。
「さぁね…、でもまだ君はドン底に堕ちては居ないだろう?堕ちるのは君じゃない」それだけ告げるとロキは不敵に笑いながら去っていく。
彼が言っていた言葉の訳を理解出来ずにテアは混乱する。どうせまた戯言で自分を陥れるつもりなのだろうと納得させた。
「脈数も安定したわ…」
イリヤの胸に手を置きながらエイブリーはひと息吐く。
「あまり無理しないで欲しいわ…、教授もよ」エイブリーの叱りにマルコムは頭を掻いた。
「取り敢えず君達は授業に戻りなさい。ここは僕に任せて」笑ってトウマとエイブリーを追い出したヒデトだったが振り返ると神妙な面持ちだった。
「一瞬だけ、君達の記憶が頭の中へ流れ込んだ。これって普段もある事なのか?」
ヒデトの問いにマルコムは首を横に振る。
「今回が初めてだ。まるでレオンが共有するかのように働きかけたようだった」そう話すマルコム自身も何が何だか理解していなかった。
「君の息子も見えた、ブッチの近くに立っていた」
確かめるようなヒデトの問いにマルコムは目を閉じた。
「ブッチに変異させられたように見えた…」
「ならハリーはまだ生きているのか?」
「それは分からない…、息子の存在を探しても何も反応を示さないんだ」
大人達の会話を聞いていたイリヤだったが隣の部屋から物音が聞こえ異変だと感じた。
すると眠るレオンをじっと見守るテアの姿にイリヤは息を吐いた。またアルコールの匂いが染み付いている。何か起きればすぐにアルコールに頼ってしまう幼馴染を放っては置けるはずがなかった。
そっとテアの肩に手を置くと素直に身を任せる彼女にイリヤはそっと抱き寄せてやる。
「ずっと、身を呈してレオンを守ってくれてたんだ…。イリヤがどんなに傷付いていたのか、もっと知ってあげれば良かった。なのに私…」色んな想いが溢れいっぱいいっぱいとなる彼女は両手で顔を覆った。
「レオンは目を覚ます、きっと…」
そうイリヤは望んでいた。
ーーレオンはずっと夢を観ていた。
これは何時なのか、それはわからない。
だが夢とは言い切れない現実味を帯びていた。
楽しげに話す仲間達、それを見守るマルコム。
だけど次に観た映像は残酷なものだった。
『…ぁ……がはっ!』
大量に血の塊を吐くイリヤはそのまま地面に倒れ込み、微かに体が痙攣していた。
『は……っぁ…』
息を欲する彼の喘鳴に合わせるように何者かの足音が聞こえる。そしてそっと彼の首に手を置くとゆっくり時間を掛けながら絞め上げていった。
残った力を振り絞り抵抗するイリヤの瞳からは光りが消え、薄っすらと開かれた唇から細い息が漏れていく。
「……っ」
そこで意識が戻るようにレオンの瞼は開かれた。