第3話 英雄は色を好む
歓声が聞こえる。レヴァール王国と名付けられた大陸随一の大国家。その国中の人々が一斉に、正門から城まで一直線に伸びた大通りに集まっている。道には豪華な飾りが付けられ、大勢の王国兵士が警備に当たっているその大通りには、平民、商人、貴族、身分など関係なく押し合いになりながらも皆が皆、ある人間を迎え入れる為にこの道に集まっている。
そう、勇者を。
この100年、ずっと人々を苦しめていたあの魔王を討ち滅ぼし、人間世界に平和をもたらした勇者が今日ここで凱旋するのだ。王族直属の近衛兵による騎馬とそれに連なる御輿舞台が門をくぐり、地響きのような歓喜の声が凱旋車に乗る勇者とその一行にに浴びせられる。豪華な籠の上には魔王を討ち取った勇者、僧侶、魔法使い、騎士と見られるパーティーが眼下の人々に笑顔で手を振っている。
その中で僧侶の格好をした美しい女性が、勇者に突如抱きついた。
「勇者様!見てください、皆がこんなに喜んで!全て勇者様のお導きのおかげです!」
10代半ば、若くして既にこの国の大神官である彼女は、自慢の青い髪をたなびかせ、生地の厚い神官服の上からでもわかる豊満な胸を勇者の顔へと押し当てながら、喜びの声を上げる。
「わわ、ちょっと、エイシアさん!」
「ちょっとアンタ!大観衆の前で何しようとしてんのよ!この腹黒エロ神官!」
「あら、ミリアさんも同じようにすればよろしいではありませんか?私はただ、勇者様への愛をこうして身体中で表現しているだけですわ。まぁ、あなたの貧相な身体で表現できるものならば…ですが。」
「…………殺す!!」
大神官エイシアの胸の中、顔を真っ赤にさせた勇者の前で、ミリアと呼ばれた赤い三角帽子に身を纏ったダークエルフの魔法使いが、手に小さな炎を宿し二人を睨みつける。
「よせ、お前ら!こんなとこまで来てみっともないと思わないのか…!」
そんな一触即発の空気の中、金の髪をなびかせた白い甲冑に身を纏った女騎士が双方に歯止めをかける。
「大体、勇者も勇者だ。お前がいつもそういった甘い態度でいるから二人とも増長して行いを改めないんだろう?」
「それは……、俺のせいかぁ!?そんなこと言うんだったらお前だってこうなる前に止めてくれよリース!」
「……それはッ!……私だって、願わくばお前に触れて喜びを分かち合いたい…し…」
「…?今、なんか言ったか?」
「…な、なんでもない!!うるさい!!お前がそうやってすぐデレデレするのが悪い!!」
頬を染め、ため息と共に吐いた小さな独り言を飲み込むと女騎士も争いに加わり、車上を賑わさせる。
それを引く騎馬に乗る御者達も苦笑を浮かべつつ、また始まったぞ、とお互いの顔を見合わせる。
勇者の周りには、その勇者の人となりに惹かれて様々な者たちが集まってくる。勇者は決して身分や地位、種族や生まれで人を差別しない。いつも独特の価値観で物を語り、我々を驚かせる。故に集まるのだ。才能ある者が。美男美女の類が。
平民の生まれながら、その溢れん才能で大神官まで登り詰めた僧侶エイシア。
堕落と淫靡の象徴であるダークエルフながら稀代の魔術師として名を馳せた魔法使いミリア。
そして、この国一番の実力を持ちながら、女故に正式な騎士公を与えられなかった剣士リース。
皆が皆、その才覚を勇者に見初められ、勇者と共に魔王を討ち倒した英雄でありながら、勇者との出会いがなければこの世界で才能を埋もれさせてしまっていただろう者達だ。やはり、勇者は素晴らしい。御者の一人は自分が今その勇者を先導できる事を何よりも誇らしく思っていた。
ただ、一つやっかむならば、勇者を囲むその三人の英雄は皆若く美しい絶世の美女なのだ。彼の周りにはいつも美女ばかりだ。それにこの国の姫様ですら勇者に懸想なされているなどと噂が立っている。勇者はその中で誰を選ぶでもなく、今こうして背中で繰り広げられている痴話のような乳繰り合いがいつも行われているのだ。
男の夢だな。と英雄を前にしてただの馬引きの自分が抱える小さな嫉妬心に呆れる。
俺にも才能があれば。勇者のような才能が。
そんな、有りもしない夢想をするなんて失礼だと、そう考える。勇者だって人間だ。魔王を倒す為に自分などでは想像すらできない絶え間ない努力と経験を積んできたに違いない。そのはずだ。こうして妄想の中で弄ぶようなある日突然何の苦労もなく力が手に入るわけはないのだ。
そんな空想に耽っていた矢先、目の前に花売りの少女が飛び出して来た。何故か不思議と淡い光を身体に灯した少女であった。
「おい、待て!止まれ!子供といえど勇者様の馬車に近づいてはならん!」
「でも、私。約束したんです!勇者様が帰ってきたら真っ先にお花をお渡しするって!」
勿論、すかさず警備の者達に止められた女の子であったが、それでもなお手の持った花を掲げ訴える。御者台の上その女の子を視界の外に捉えた勇者は、あろうことか突然、警備とそれに取り押さえられていた少女の前に降りさった。警備の者に手をかざし大丈夫だという意を伝えると、少女は勇者のもとにかけより飛ぶように抱きついた。
「久しぶりだね、エレン!元気だったかい?」
「勇者様!はい!本当に…、本当に魔王を討ち倒し戻ってきて下さったんですね!」
感極まって目を潤ませる少女をあやすように、勇者は笑顔を見せる少女の頭をなでる。本来王城で開かれるセレモニーに向かう為のパレードである。勿論勇者の為に開かれるものではあるが、王族貴族が待つセレモニーのさなか、一平民の為に進行を止めるなどあってはならない事である。だが、この勇者はそれでも自らを慕う少女の為に平然とそれをやってのける。周りから驚きの声と羨望の声が聞こえ、御者台の上に残った3人の美女はやれやれ、またかといった風にお互い肩をすくめあった。先程、勇者を羨んでいた御者も、勇者の身分や価値観を気にしない振る舞いにまた苦笑いを浮かべるのであった。
「汚い路地裏で生活するしかない孤児であった私を救い下さって、お屋敷のメイドだなんて仕事まで下さり、世界をもお救い下さった……。勇者様、本当にありがとうございます!私、今日が人生で一番幸せです!」
「大げさだなぁ、エレンは。それに今日が一番だなんてそんな事はない。もっともっと幸せになるよ。エレンはもっと幸せになれる。きっとこれからもっと美人になってお嫁さんになって……」
「お…、お嫁さんっ!?……そ、それって私……、勇者様の………」
「ん?何か言った?」
「い、いえ!!なんでもありません!なんでも!!」
真っ赤になって全力で首を左右に振った後、それを見て笑い出した勇者に頬の熱が取れないエレンは同じ様に笑い返す。
「でも、本当に良かった、勇者様に会えて。本当、あの精霊使いさんのおまじないのおかげかも!」
「おまじない?そういえばさっきから柔らかい光に包まれてるけど……」
「はい!さっき会った女の人におまじないをしてもらったんです!勇者様にお会いしてこの花をお渡しできるようにって!これを……」
そういって、
少女は、
手に持った白い花を、
勇者の前に掲げ。
次の瞬間、少女の手に括り付けてあった白い花の茎が綻び、少女の手首から突如浮かんだ黒い紋様が身体を侵食するように這い上がっていく。突然の事で驚く勇者より先に、少女から発せられる膨大な魔力にいち早く気付いたのは御者台の上にいた神官エイシアと魔法使いミリア、騎士リース。神速ともいえる速度で咄嗟に勇者と少女の間に入り込み、少女の状態を見る。魔王を討ち取ったパーティーなのだ、どのような状況からでも一瞬で危険を察知し状況に適応する。例えどんな魔境の地でも、例え平和の訪れた国の中でも、それ故の勇者パーティー。決して隙はない。
だが──、彼女達は知らない。
「何これ……急速に身体中に広がっていく……!!、これは……、魔方陣!?」
少女の身体を埋め尽くそうとする黒い紋様に手を掲げ、自らの信奉する神への祈りをもって黒い魔方陣を解呪しようとする神官エイシア。しかしその聖なる御業は彼女の身体に届かない。彼女を覆う淡い光、精霊と生気が導く光輝が、少女に対するどのような呪文をも防ぎきる。聖なるもの。精霊たちが解呪の邪魔をする。
「これは……、絶対魔法耐性の精霊魔法!?解呪呪文や回復呪文、ありとあらゆる呪文が弾かれるッ!?この光が精霊魔法だとすると……、ミリア!この黒い魔方陣は一体……!!」
「……そんな、嘘。……そんなはずない、これは……、失われた魔法……、」
魔法使いであり、ダークエルフのミリアがその魔法陣を見て蒼ざめる。いつもひょうきんで、どんな時でも、魔王の前でだって軽口を忘れた事がないパーティーのムードメーカー。100年以上生き、その知識と経験でどのような時でも最適な解をもって挑むその彼女が愕然とした顔で立ち尽くす。
そう──、彼女達は知らない。
「──禁呪」
そう──、幼いダークエルフの彼女は知らないだろう。勇者には、あの魔王すら打ち倒してしまう勇者は、大抵無敵であり、最強であり、人智を越えた者だ。 倒す術は殆ど無い。彼らの力は決まって絶対的である。
ただひとつ。勇者には、いや、【転生者】には決まってと言うほど、ある同じ『習性』がある。つまり、それは。
「エレン!!」
黒い紋様に染まりきった少女の名を叫びながら、勇者は彼女に手を伸ばす。エレンと呼ばれた少女は未だ自分の身に何が起こっているのか理解せぬまま、困惑の表情で勇者の名を唇にのせる。何が起こっているのか少女には最後までわからなかった。突然腕が黒く染まり、魔法使いと大神官、ミリア様とエリシア様がとても焦った様子で何か仰って。でも、大丈夫。だって勇者様がさっき仰ったから。これからもともっと幸せになって、私は、……勇者様と、
発動してほんの数十秒、恐怖を感じる暇もなく彼女の身体に描かれた魔法陣は完成され発動する。黒い光が少女の紋様からあふれ出し、そして──。
王国の中心部、数万人が集まる大通りに面したパレードの中心。そこを高密度の魔力でできた黒い球体が呑み込んだ。