第0話 殺戮者
悲鳴が上がっている。
悲鳴が上がっている。
どこもかしこも阿鼻叫喚。
村中、炎に包まれて。
火を掛けられた家屋の中からは女子供の悲鳴が鳴りやまず。
抵抗をしようとした男共は皆、剣によって薙ぎ捨てられ、
森の中へと走る逃亡者達の背には次々と弓が射られた。
戦禍に巻き込まれたわけではない。
盗賊に襲われたわけではない。
世界中を跋扈するおぞましき魔物の牙に掛かったわけでもない。
国境沿い山なりにある貧しい農村。痩せた土地に年中冷え切った気候、その日生きる糧を少しずつ蓄え細々と生きてきた。政治も戦争も関係ない、ただ一生懸命皆で皆、支えあって生きている。この世界ではごまんとよくある、そんな村だった。
違うのは少しだけ。ただ少しだけ。
ただ少しだけ、突然栄え始めただけ。
ただ少し、突然何の前触れもなく豊かになっただけ。
痩せた土地でも育ち栄養価の高い作物を、効率よく作り出しただけ。
食が豊かになり、余裕が出来始めると本来荒地であった土地を開墾し村を少しずつ大きくしていっただけ。
本来金にならないような、その土地ならではの鉱石、薬草、民芸品や珍しい作物を、近くの街や大きな都市へと出向き流通、経済をよくしていっただけ。
それはその村に生まれ出でた才能あるある若者によってもたらされた。
彼は年若く、どんな賢者に師事した訳でもない。しかし彼は不可思議な事に、生まれながらに様々な事柄を知っていた。村の人間が知りもしない事を知っており、御伽話に出てくる高明な魔術師の如く振る舞い、皆を導いていた。
それはただ、村の為を思って。日々の生活がより良くなるように。村のみんなが笑って過ごせるように。
新しい人生をよりよく過ごせるように。
ただ、それだけーーーー。
「………それなのに、何だ」
「………お前らは何だ。なんでこんな事、……酷い事を。俺たちが何をしたっていうんだよ!!何をしたっていうんだよ畜生ッ!!畜生ッ!!」
真っ赤に染まった村の中心、青年が叫ぶ。叫ぶ。
青年の脇には、同年代と思われる村の少女が既に事切れた様子で横たわっている。その娘を抱き締めながら青年は慟哭する。非難する。この惨状を引き起こした者に。
目の前にいる女に。
黒いローブに黒い革鎧を纏ったその女。
真新しい血のついた鞭のようにしなる剣の束、蛇腹剣と呼ばれる武器を持った女が青年の前に佇んでいた。
この凄惨な景色を前に、青年の嘆きの前に、その表情は何も映し出さない。
後頭部、耳裏から顔を覆う硬質の面頬をかけた口元は何も見えず、ただ淡々と作業をこなしている、そんな無感動な瞳だけが女の顔に浮かんでいた。
「ただ、この娘が笑ってくれれば良かったのに!それだけなのに!なんでだよ!?なんでこんな事をするんだ!なんで皆を殺した!?何がしたくてこんな事をしたんだよ!?」
青年は叫ぶ。
親が友人が恋人が全て殺された。村で生き残っているのは青年だけ。井戸に毒を盛られた。村に火をかけられた。まず、年若い男達から順に殺され、残った女子供老人は村の教会に詰め込まれ、またさらに火をかけられた。逃げ延びたものはいない。
「金か?食料か?土地か!?戦争の為の犠牲か!?お前らの下らない名誉の為のか!!」
「それとも、これだけの殺戮だ…、お前らが信じてる宗教か何かの儀式か!?そんなものの為に、そんな下らないものの為に!人の命をなんだと思っているんだ!?お前ら野蛮人はーーーーがぁッ!!!」
しかし、その叫びは突如掻き消される。
青年の下顎が、女の振るった蛇腹剣、その刃先によって削り取られていた。
「ーーーーッ!!?がぁぁーーーーッッッ!!???」
軽々と、虫でも払うように振るった剣の静けさとは対照的に、その時この殺戮が行われてきて初めて女の顔に、表情に変化が現れた。
眉間に刻まれた皺、この村を燃やす焔より更に燃える瞳。
女は怒っていた。
静かに、重く、芯の熱は何をも熔かすが如く。
顔の下半分を砕かれ、悶える青年の前で、女はゆっくりと面頬を外していく。
激痛と、口半分がなくなった違和感に滂沱の涙を流しながら青年はその顔を見る。そこには歪な形をした傷の付いた耳が。
まるで、かつては違う形であった耳を、無理矢理人間の耳としての形に削ったような耳が。
そして、露わになった唇が震えるように言葉を発した。
「お前達には、決して理解できない」
ーー青年は、意識が遠のきそうな痛みと涙で歪んだ視界の中で、ふと可笑しくなってきてしまった。
「お金も食べ物も、大地も、与えられた誇りも、私達が
信じるもの全て。お前達は」
ーーさっきまでの身を焦がすような怒りは、痛みと死の恐怖によりとうに霧散していた。今はただ、ただただ家に帰りたかった。
「《お前達の世界》の価値観で、何もかもぐちゃぐちゃに踏みつけていく貴様らには、ーーーー決してッ!!」
ーー暖かいベッドに、明るい部屋。観たいTV番組にパソコン、ゲーム。電車で街に繰り出すのもいいし、車で遠くまで出掛けるのもいい。気の合う仲間に電話し、それから……。
「ーー決してわかるものか!!ーー【転生者】ッッ!!」
ーー青年は意識をどこか遠くにやりながら、自身が寸断される瞬間を目にした。ぼんやりした微睡みの中、やはりどこか可笑しくてしょうがなかった。笑いだしたかった。
剣をこちらに振り下ろすその女の顔。
その顔に浮かぶ表情は怒り。どうしようもない不条理への苛立ちと、一切合切必ずぶち殺してやるという憎しみ。
でもそれ以上にどこか悲しそうで。
それはまるで、数分前の青年の姿と同じようで。
何もかもを奪われて、どうしようもなくなった。
そんな顔を俺はしていたのか。と、そう思いながら彼の思考は真っ二つに断たれていた。