ロウソク
第1回なろう文芸部@競作祭 『キーワード:夏』投稿作品
「おう、あんちゃん。今日が何の日か知ってるか?」
馴染の居酒屋で、席に着くなりおじさんに声を掛けられた。軽く一瞥したが、見たことのない人だった。
「何の日って……」
八月七日、何かの記念日だろうか。語呂合わせなら「花の日」とか「鼻の日」が浮かぶ。しかし、そんなに芸のない話題をわざわざ初対面の人間に吹っかけてくる道理がわからなかった。
「おとうさんの誕生日ですか?」
必死に搾り出した答えに、おじさんは顔を真っ赤にして笑った。アルコール臭い息がオレを襲う。
「七夕だよ」
「七夕?」
何をとぼけているのだろうと思った。七夕といえば、七月七日に決まっている。それを一カ月も間違えるなんてどういうことだ。
突っ込みたくとも突っ込めないもどかしさに耐えていると、おじさんは更に大きく笑った。
「お前さん、ここらの人じゃないんだな」
「そうですけど」
おじさんの言う通り、オレはこの春にこっちへ越してきたばかりだ。……ということは、この地域では一カ月遅れで七夕をやるのか。
「歌は聞いたかい?」
「いいえ」
「そうか……。もう無くなっちまったのかなぁ」
哀愁漂うぼやきに、居心地が悪くなって視線を逸らした。今日が七夕だと気付かなかったのは、街でそれらしい歌を聞かなかったからかもしれない。
「ローソクだーせ、だーせぇよー……ってな」
「なんですか、それ」
「ロウソク出せも知らんのか」
呆れたようなぞんざいな態度に、腹が立ってきた。初対面にもかかわらず話に付き合っているのに、どうして馬鹿にされなければいけないのか。
「七夕といえばロウソク出せだろ」
「知りませんよ、そんなもの」
オレが答えると、おじさんは寂しそうにうつむいた。
「この辺ってそういう風習があるんですね」
とっさにフォローをすると、おじさんは首をかしげながらウイスキーグラスに手を伸ばした。中身を半分ほど流し込み、息が掛かりそうな距離に顔を寄せてくる。
「他所じゃやらんのかい」
「少なくとも、オレが生まれ育った地域では聞いたことがないですよ」
「そうかそうか。てっきり廃れちまったんだと思ったよ。心配して損したな」
豪快に笑うと、オレに飲みかけのウイスキーを勧めてくる。機嫌を損ねないように辞退して、それがどんな行事なのかをそれとなく尋ねてみた。
昔話に花が咲く、とはこういう状況なのだろうか。おじさんは水を得た魚のように生き生きと語り始めた。
長い話を要約すると、七夕の夕方に子供たちがお菓子をねだって家々を回る行事らしい。ロウソクを出せ、出さないと引っ掻いて噛みつくぞ、という物騒な歌を歌うと駄菓子がもらえるのだそうだ。
「ハロウィンみたいですね」
オレが笑うと、おじさんは神妙な顔になった。
どっちが先に生まれたかは知らないが、ハロウィンが日本に定着する前から続いているそうだ。
「たまーに当たりの家があってな、小遣いをくれるんだ」
少年のように語る姿を見ていると、自然に「来年からはオレもお菓子を用意します」という言葉が口をついていた。
おじさんは、うんうんと笑いながら頷いてくれる。その時、おじさんの姿が揺らいだ気がした。
瞬きをして目をこする間に、おじさんは消えていた。食器もグラスもなく、椅子もしっかり仕舞われている。まるで、初めからそこにいなかったかのようだ。
「……すまんね、相手をしてもらって」
おじさんの消えた空間をポカンと見つめていた所に、マスターが声を掛けてきた。
「おやっさんには毎年言ってるんだけどなぁ。お盆はまだ先だぞって」
「ああ……」
呆れ顔で零したマスターに、何となく合点がいった。
サービスで枝豆とキンキンに冷えたビールが出してくれたので、隣の空間に「乾杯」と声を掛けてみた。
すると、何か軽いものが床に落ちる音がした。
身を乗り出して足元を確認してみると、仏壇に供えるような小さなロウソクが一本落ちていた。