表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

1-5



 耳を打つ哄笑、翻る白刃。時間と温度、空気。全てから隔絶されて、それらに捕らわれる。


 怖い。


 刃で刃を迎え、防ぐ。躊躇のない攻撃を撥ね返し、こちらからも攻める。打ち、受け止められ、受け止め、打つ。ただそれだけの繰り返しだ。

金属の音だけが鳴り響く。涼やかなその音は次第に感覚を狂わせた。荒くなる息と共に、胸の中を何かが満たす。


 怖い、嫌だ、怖い。怖い、でも、楽しい。


 ゆるりと上がった臺の頬を見て、祥司は一瞬、面食らったように目を瞬いた。しかしそれはすぐに笑みにと変わる。


 理性が抱きかかえた、死への恐怖。そしてやがて運ばれてくる、捕食者としての優越。この二つがせめぎ合って、結果いつも、臺の中で狂気が勝る。


「遅いっ!」


 灯った電灯、夜空の深み。それらを鱈腹食らい込んだ刃が狙う。高揚とした祥司の厳しい声が勝利を確信する。それが臺の胴を打つより先に、白刃が応じた。完璧な弧を描いた唇が、生意気なことを口ずさむ。


「誰が」


臺の刀が祥司のそれを跳ね飛ばす。二人は互いに一度距離を取って、息を吐いた。汗が滴り落ちる。祥司の動きはまさに邪道。型どおりキッチリと仕込まれた臺とは違い、予想しづらく、思った以上にいつも体力を奪われる。


 汗を拭った臺は、祥司の背後に目を凝らした。見知らぬ軽自動車がSRCNSの見張りなどもろともせず、こちらに向かってくる。俊哉が帰ってきたのだ。安心して空を見上げると、そこには夕焼けの欠片もなかった。気づかないうちに相当時間が経っている。


「終わり、か」


「お迎えが来ちゃったからね」


「くっそー、もうちょっとあったら決着がつきそうだったのに」


「すごい希望的観測」


笑いながら互いに刀を鞘に納める。車が停車し、俊哉が降りてきた。駆け寄ろうとして、二人を戸惑いがちに見る。祥司が周りの部下に目を配り、撤退を知らせた。臺も彼から俊哉たちの方にと歩き出す。


「おー、臺、ちょっと待てよ。飴玉やる」


祥司の言葉に臺は振り返った。背後から、俊哉が怪訝な顔で様子を見ているのがわかる。きっと、祥司はそれを狙っている。軍部出身でSRCNSとは決して分ち合えない俊哉に、臺と祥司の関係がどうであるかを見せようとしているのだ。苦笑して、それでも断る気にならず、彼の方に歩みを進めた。


「何味?」


「レモン」


「レモン嫌い、こめかみ痛くなる」


「贅沢言うなよ、全くお前って奴は。ほれ」


ポケットから無造作に祥司は飴を取り出し、臺の方にと投げて寄越した。それを片手で難なく受け取り、包みを見る。やはり、レモンなんかではない。臺の好みを熟知している彼は、いつもブドウの飴を持ち歩いている。


「味わって食えよ」


「はいはい。でも、これ食べれるの? なんか、ショウちゃんのことだから、ポケットに入れっぱなしで洗濯とかしてそう」


「するか! 俺は、そういうとこちゃんとしてんだよ」


先ほどまで真剣で命の取り合いをしていたとは思えないやり取りだ。臺は礼を言って踵を返した。迷いなく俊哉の方に歩いて行く彼の背に、祥司が声を投げかける。


「またな! あのこと、ちゃんと検討しておけよ!」


「僕はエデンからは出られないって」


「そんなこと、わかってる」


寂しげな言葉に手を振って返した。ポケットに手を入れて車に近づく。傍らで待っていた俊哉が、静かな目で臺を見下ろした。なにをこのやり取りに思っただろう。彼は敵と親密な臺を、軽蔑でもしているかもしれない。


「そちらは大丈夫だった?」


声音がわずかに変化する。祥司と交わすふざけたものではなく、しっとりと沈み込んだ物に。俊哉は黙ったまま頷いた。眉一つ変えない彼の、面の皮に隠された本音はなんだろう。臺はそれを想像しながら、車に乗り込む。


「密使は無事に空港についたようでよかった。道中何もなかった?」


「えぇ、問題ありませんでした」


事務的に俊哉が答えてくれた。臺は頷いて、運転手に目配せをする。悟った彼はすぐに車を発進させた。座席に頭を預けて、今更やってきた疲労感に瞳を閉ざす。


 気がかりなのは今後のSRCNSの動きだ。祥司は軍を討つ、と言っていた。あの言葉に偽りも何もないだろう。そしてそれに、エデンも加担しろ、と。


 でも、わからない。臺は唇を噛みしめた。祥司の言っていた、軍が彼らをゴミのように殺したという意味が。七年前、それはそう言われるほどの事故だっただろうか。いや、そもそも祥司は事故と見なしていないはずだ。あの時知らなくていいと拒絶したことが、臺の中で迷いに形を変える。


 何を知らない。何を知ったつもりでいる。問いかけるように、臺は腰の刀に手を伸ばした。二本目の、その鞘を指先で撫ぜる。巻き戻せ、と言われた。けれども、そもそも巻き戻すとは一体何を?


「何の話をしていたんですか」


低く凪いだ、俊哉の声が尋ねた。我に返った臺はその顔を見返る。彼はじっと前を向いたまま視線が合わない。曖昧に頬を緩めて、臺も視線を落とした。


「別に、大したことじゃないよ。下らない昔話とか、いろいろと」


そうして、言葉によって壁を作り上げる。拒絶だ。こんなひどいやり方をまさか自分が知っていたとは、臺は思いもしなかった。そうですか、と俊哉はただ呟いた。


「昔話、というと以前からの知り合いですか?」


「まぁ、そうだね。もう、三、四年になるのかな、ショウちゃんとは」


随分と経った。まだまだひよっこだった臺が、SRCNSの要人の殺害のため、中枢にもぐりこんだのが彼との最初である。そこから三か月間、祥司の部隊の中で過ごした。歳が近かったこともあり、彼とはすぐに打ち解けて、臺はそこで祥司の右腕とまで呼ばれるようになった。


けれども期限は来る。用を済ませて彼らを裏切った臺を見て、祥司は笑った。子どものようにおかしくてたまらないと声を上げ、腹を捩らせて。そして、あっさりと告げたのだ。そうだと思った、と。


 祥司との関係を聞いても、俊哉は動じなかった。そうですか、と彼は言って頷く。


「だからあれほど親密そうだったんですね」


「そうそう。初めて見ると、大体驚かれる。たまに、SRCNSと通じているんじゃないかって疑われたりもする」


冗談めかした臺の言葉に、俊哉はようやく頬を緩めた。そこに含まれる嘲りのような棘を感じて、臺は切なく思う。


 敵と慣れ合うなど、軍では考えられないだろう。どこまでも軍人である彼に、臺は許容できないに違いない。


 俊哉をなるべく、軍人のままにしておきたい。臺にはそう思っている節がある。しかし彼自身が最もそうだ。俊哉は絶対に、軍人以外の何者にもなろうとしない。


「SRCNSに入りたいと思ったことは?」


鎌でもかけているつもりなのか。俊哉のそんな戯言に、臺は笑う。そしてきっぱりと、切り捨てた。


「ないよ」


ここでしか生きられない。贄と代わりに得たものは大きい。それを捨てて生きる術がわからない。エデンの住人は、人間でもないのに人間のふりをすることなどできやしない。


 誰もがわかっている。そしてその権利を、誰もが誇りに思うのだ。


 だから俊哉は早く軍に帰るべきなのだ。なぜ彼がエデンに来たのかはわからない。けれども、このままではだめだ。エデンは人間のいられる場所ではない。


 服の上から左の鎖骨、心臓の上を押さえる。智恵の実を、彼らは矢で射抜くことによって放棄した。これがエデンの全てで最大の罪、そして誉。それを理解できない者は決して、エデンの住人にはなれない。


 視線を逸らす。ガラス越しにきらめく外の世界に思いを馳せた。ゆっくりと臺の瞼が下りて行き、次第に視界が暗くなっていく。唇がざわめいた。呟かれた言葉の意味を、車内にいる者はおろか、言った本人ですら知らない。



 エデン本部、十一階。


 春日と坊は広い廊下を歩いていた。手前から、誰かが歩いてくるのを見取って、二人は足を止める。坊の瞳が素早く廊下に設置された監視カメラを確認した。彼の体が二つのカメラの死角に移動する。


 春日が何事かを耳打ちした。それに頷いた坊がやってきた人物を視線で止める。主に、英数字部隊のためのフロアだ。そこに大字隊、それも精鋭と呼ばれる第肆部隊隊長と副隊長が肩を並べていれば、あちらは当然驚く。やや、気まずそうに彼は目礼をした。


「ご苦労。今日の仕事は全て終わったのか」


微笑みを浮かべて坊は彼を労ってやる。男は大きく肩を震わせて、驚愕に満ちた瞳で坊を見上げた。それが、見る見るうちに高揚にと染まって行く。


「はっ、はい! 本日の業務は無事、全て……」


「確か、臺の補佐に向かっていたらしいな。問題はなく? 特に、あの軍人が気がかりなんだが」


彼の言葉はうんと柔らかく甘やかだ。男の気がそれに緩んだのを感じ取って、坊は口の端を持ち上げる。扱いの容易い者は嫌いではない。ただ、使えないだけだ。


 彼らの隣で春日は腕時計を見下ろした。ここに立ってからすでに五分が経過している。長くても十五分以内でなければ都合が悪い。


「えぇ、あの軍人、自らの立場を弁えていないようだったので。よく、注意をするように告げておきました」


「と、言うと?」


「瀬良さんの隣に立つべきではないと」


「あぁ、そう。いい仕事をしたんじゃない。あの場所は七年前からずっと高瀬さんの物だ」


「えぇ、えぇ! そうですとも。だから、そのこともきちんと言ってやりました」


春日が視線で坊を呼び戻す。リミットが迫ったことを知った坊は、苛立ちを隠さずに一つ、舌を打った。それは春日に向けられたものではない。愚かな、お喋り癖の悪い男にである。


「うるさい口だな」


よりによってあの事を俊哉に言ってしまうとは。


 坊はそうっと優しく微笑んだ。お前、と男を呼ぶ。その笑みに見惚れた彼は反応がやや遅れる。招かれた手に、誘われるように足を動かした。その姿はまるで、虫を食らう花が甘い匂いで彼らを惑わすかのようで。


「え?」


凛、と刀が鳴った。男はそれを予知どころか、瞬間を知ることもできなかったに違いない。振るった坊の刀が、持ち主と同じだけ冷たく輝く。白い壁に、花弁の如く鮮血が飛んだ。廊下に朽ちた男の血を避けて、坊は再び歩き出した。動じぬ春日がその後ろに従う。


「どのように?」


「好きにすれば。いちいち死に名前を付ける趣味はないから」


「では、殉職ということに」


あぁ、と頷いて不意に坊は笑った。血塗れた刀を紙で拭う。鞘に収めつつ、そのおかしさを味わった。主人の上機嫌に春日が片眉を上げる。


「何か」


「いや。あの時、死んだ者もそういえば殉職扱いだったなと思って。あれと菅野(かんの)さんが同じ扱いでは、あの人が腹を立てるだろうな、と」


「ならば事故死、でどうでしょうか」


「さっきも言った。好きにすればいい」


死んだ者になど興味はない。人気のない十一階を歩きながら、坊は先ほど男が漏らしたことを思い出した。七年前のあの事件を俊哉に知らせたくなかった。興味をもたれるのは厄介でしかない。


「その件についてはどうしますか」


坊の思考を読んで、春日が尋ねる。彼は少し迷ってそれに首を振った。


「いい。調べたとしても、わかる話じゃない。それより、臺に会いに行く。生野が何か、余計なことを吹き込んでいると嫌だ」


「わかりました。では、自分は先ほどの処理を」


主人が頷くのを見て取って、春日は彼から離れた。坊はそのまま、エレベーターホールにと向かう。時計を確認する限り、まだ臺は残っているだろう。生野が妙なことを彼に言っていなければいいが。


 下るボタンを押して、一人待つ。そうしながら思うのは七年前のことだ。誰も、何も、時が来るまで必要以上に知らなくていい。それがたとえ、臺だとしても。


 軽快な音を立ててエレベーターが止まった。扉が開いて、七緒が中から出てくる。すれ違う瞬間、彼女はほんの少しだけ眉をしかめた。血の匂いに気づいたのかもしれない。振り返った七緒を無視して、坊は七階のボタンを押した。扉が閉まる瞬間、彼女と視線が合う。笑った坊を七緒は冷たく一瞥した。



 六時半を回ると、第漆部隊の部屋も人が減る。臺の第参部隊の執務室とは比べ物にならないほど広いそこで、千歳は黙々と仕事を熟していた。部下が一人、また一人と帰って行く。なおざりな別れの挨拶を交わす最中も、千歳の手は止まらない。


 絨毯の敷き詰められた床は意識しなくとも気配が消える。珍しいほどにがらんと寂しくなった部屋を眺めて、臺は中央の千歳の下へと近づいた。机の上は今日も甘味で溢れている。


 椅子に座り、床を蹴る。キャスターの付いたそれは彼ごと絨毯の上を滑り、千歳の右側にぶつかった。キーボードを打つ手が止まり、視線が臺に向く。


「なんだ、びっくりした」


「まだ仕事忙しいの?」


「いーや、あぁ、でも、誰かさんが派手にやってくれたおかげでその処理がなぁ」


千歳が意地悪く笑ってディスプレイを指し示す。彼の横からそちらを除けば、びっしりと文字が並んだ掲示板。マウスを操作した千歳が画面を切り替えると、今度は動画だ。こちらはわかりやすい。高速道路で対峙する臺と祥司の姿だ。


 一応は、SRCNSの面々が人払いをしていたものの、こういう目だけは避けられない。前回のテロの時も、幾つか動画が上がったらしい。それを処理するのも、第漆部隊系統の仕事だった。


「いつもご迷惑をかけております」


ふざけて敬礼すれば、逆だと笑われてしまった。軽く額を弾かれ、また千歳の視線はディスプレイに行く。臺にはわからない動作を手早く済ませると、インターネットに上げられた動画はすぐに消された。掲示板のスレッドも、そうして削除されていく。


 また一つ、消える。臺がこの世にいた時間も事実も、一つずつ。そうしていつか何も無くなった時、ここに残るのはなんだろう。


 手のひらが刀に触れた。決して消えることはない。ここで誰かと話し、笑ったことは。


「いつもさ、そういうのってどうやってるの?」


「これ? あー、普通はダメなんだけど、いちいちサイトに削除依頼なんて出していたら時間がかかるから、直接手を入れて消している。それで、動画とかをアップした人はバンしておいて、これだけじゃなくて他のも消すんだ。それで、全く違う奴が法律に引っかかったことにする」


「はぁ……、そう?」


難しくて全くわからない。臺の返事を聞いた千歳は笑って、更に噛み砕いた説明をしてくれた。


「例えば、こいつ、な。これ、今日の動画をアップした奴。問題の動画をまず、俺が消す。それからこの人が今までアップしてきた他の動画も、俺が消す。それからコイツが当分動画を上げられないように、規制って言うのをかけるんだ。そして極めつけにメールをする。ここのサイトを運営している奴になりすまして、っていうのはちょっと違うけど、そういう風にね。あなたこの前上げたなんとかって動画、ちょっとやばいっすよって言う警告メール」


「でも、そうそういるの? 法律に触れている動画をアップしてる人」


「いるいる、それがすげーたくさんいる。こいつもそうだけど、ほら、こういうバンドの曲とかアップしている奴ね。こういうのも権利とかいろいろ引っかかるんだよ。それ以外にも、こう言った日常風景を写した動画でもさ。ここに人がいるだろう?」


千歳は違う動画の画面を映した。そして、騒いでいる若者の奥を通り過ぎる男性を指差す。きびきびと歩く様からすると、会社勤めの人だろうか。季節はどう見ても夏なのに、暑苦しいスーツを着ていた。


「この人が勝手に動画を上げられたって文句を言えば、これも問題になる。いろいろあるだろう、権利って。あんまり人は意識しないし、意識されもしないから、普段は問題なく過ぎちゃうんだけど。でも、こういうときはそれが大いに役立つ」


「へぇー、権利、か」


なんだか少し賢くなったような気がして、臺は笑った。千歳の机にあったブドウの飴を口に放り込む。彼は何かキーボードを軽く操作すると、ひと段落ついたのか、息を吐いた。放置してあったフルーツオレに手を伸ばす。


「権利なんて、俺たちには一番縁遠い言葉だけどなぁ」


薄く笑った千歳がそう呟いた。ストローが濁った音を立てる。臺もゆるりと頷いて、背もたれに頭を付けた。静かな第漆部隊の部屋は自分の執務室よりずっと落ち着く。低い機械の音に肩が触れ合う距離にいても不快じゃない、幼馴染。


 ふと、重たくなった瞼を下せば、憂鬱が片手を握ってきた。握り返そうか、迷うその間に千歳の手が額を突いてくる。パチン、と音を立てて夢に近いそれは弾け飛んだ。


「生野祥司となんか話したのか?」


「ショウちゃん?」


「そ、この動画。幸い音はほとんど聞こえてないけど、見ればわかる。お前、困っていただろ」


へへっと笑ってごまかせば、千歳の真っ直ぐな瞳が臺を追い駆けた。こうなってはもうダメだ。両手を挙げて、降参の意を表明する。ショウちゃんか、小さく呟けば千歳は耳だけを預けて、視線を絨毯の敷かれた床に向ける。釣られて臺も俯くと、青々とした絨毯がまるで海のように波打っていた。


「通った道は違ったけど結局いつも通り。一緒に来いよって誘われた」


「お父さんになんの挨拶もなしに、あいついい度胸だな。俺に勝ってからそういうことはしろって伝えとけよ」


「千歳じゃ絶対勝てないよ。ショウちゃん強いし、千歳運動音痴じゃん?」


「そりゃお前、得意分野で勝負するに決まってるだろ」


例えば暗算とか。長い千歳の指が空気に円を描いて見せた。彼らしい馬鹿馬鹿しくって、笑う気にしかなれない雰囲気に呑まれ、臺も微笑む。それでさ、話を続けようと口を動かせば、千歳はまたピタリと黙り込んだ。


「お前の知らないことを教えてやるって、さ。七年前のこと。ショウちゃんはすごく怒ってた。ただの事故じゃない、許さないって。でも、わからないんだ。聞いた話はただの事故だしそれに、あのとき、その、……みんなは、確かに誇りを持ったまま死んだはずだったんだ、僕の中では」


低い千歳の声が肯定してくれる。だが、それは本当だろうか。大切な友人を疑ってまで、どうして臺はそれを知りたいのだろう。自分が信じられなくなりそうな一歩手前で、彼は膝を抱え込んだ。そこに頬をつけて、目を閉じる。


「僕は何を知らないんだろう。なにを知ったつもりなんだろう」


 無意味だ。


 針で割った風船をもう一度セロハンテープでつなぎ合わせて膨らませても、意味がない。膨らまないし、膨らんだとしてもそれは元の風船とは違う。形も大きさも何もかも。


 無意味な何かを一生懸命抱きしめている。それはいけないとわかる。けれど、風船が一体どう言うことなのか、臺には直感的にしかわからない。ただ、今持っているものが、どうしてか空虚な物事であるということには、確かに気付いてしまった。


 けれど。


「お前が、もしもそうしたいって言うなら何でもしてやるけれど。でも、お前がしたくないってことはしない」


囁きは胡乱だった。千歳の言いたいことはよくわかる。臺は目を閉じたまま返事をしない。近づこうと足を進めれば、大好きな声が腕を引く。首を振って、行くなと命じる。巻き戻せ。告げられたあの言葉が足かせとなって、臺をその場に引き止め続ける。


「怖いか?」


怖い。今日だってずっと怖かった。煌めく白刃は美しいが、触れれば血が噴き出す。怖い。死ぬのが怖い。それ以上に、誰かを殺めるのは怖い。臆病な臺には怖い物しか周りに落ちていない。


 千歳は優しく臺の背中を撫ぜてくれた。広いが薄い手のひらだ。その温かさが彼の震える気持ちを宥めてくれる。


「でも、怖いものが何もない方が怖い」


臺が呟いたことに、千歳はハッと息をつめた。寸刻、瞳を惑わせて、千歳はまた視線を俯かせる。臺の柔らかな髪に触れて、自分のために、彼の肩を引き寄せた。


「……そうだな」


肯定の返事に臺はゆるりと息を吐く。そうして今日も、近づいた世界を片手で押して遠ざけた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ