気球に乗って
それは、ある秋の日の出来事だった。仙台に遊びに出かけた帰り道。古川インターチェンジで高速を降り、四十七号線を西に向かう。超大型ショッピングモールでの買い物と食事で充分に癒されたはずなのに、家が近づくにつれて、いつの間にか、明日からの仕事のことを考えてしまう。得意先への気遣い、上司との軋轢、そして昇進の問題等々。そのとき、遙か前方に熱気球が浮かんでいるのを見つけた。雲一つない青空にオレンジ色の気球がぽっかりと浮かんでいる。
「あっ。気球だ」
と、ぼそりとつぶやく。助手席でうとうとしていた妻が、
「危ないよ。よそ見しないで……」
と、たしなめる。運転しながら景色を楽しむのが私の悪い癖ということになっている。
「じゃあ、ママ、代わりに見てくれよ」
私たち夫婦は、ドライブの度に、何時もこんなやり取りをしている。すると妻は、
「うわあ、凄い。あなた、あそこにも、あっ、あそこにも……。結構な数みたいよ」
「へええ、そう」
と、私は、ちらっと空に目を向けた。最初に見つけた気球の向こうに、幾つもの気球が浮かんでいるのが分かった。それは、今までに見たことのない景色だった。大空という途方もなく広い空間に、それぞれが違った高さと間隔を保ち、前後左右上下に広がっている。
近くのコンビニに入ってみると、「第二十三回岩井川バルーンフェスティバル」と書いたポスターが貼ってあった。場所は「岩井川河川公園」。店員さんに道順を教えて貰ってその会場を目指した。
「会場にお集まりの皆様にご案内いたします。午後二時より係留気球体験試乗を行います。ご希望の方には、整理券をお渡しいたしますので、本部までお出でください」
アナウンスが繰り返される中、近くにいた子供連れの夫婦が移動を開始した。と、妻が、
「ねえ、私たちも行ってみない」
と私の袖を引っ張った。
バーナーが燃え、気球はスーッと真っ直ぐ上に上がる。ゴンドラの中の親子が下にいる私たちに手を振った。
「ああ、気球って、ロープで繋がれているんだね」
と妻。確かに、ロープが四本、四方に伸びている。
私たちの番だ。足元の不安定な感触が三次元への旅立ちを予感させる。パイロットが手元にあるレバーを引くと、頭上でゴーッと音がして、気球はゆっくりと上昇していった。
そのとき、いきなり私たちのゴンドラに強い衝撃が加わった。私と妻は思わずゴンドラの中にうずくまった。方々から悲鳴が聞こえ、会場がどよめいた。ゴンドラは、ひっくり返ってしまうのではないかと思うほど激しく揺れ、私と妻は、ゴンドラの底で黙って手を握り合い、揺れが収まるのを待った。会場のどよめきや悲鳴が少しずつ遠退いていく。ゴンドラは、振り子時計のような静かな揺れに変わり、やがて揺れるのを止めた。私は、恐る恐る立ち上がって、ゴンドラの縁から外の様子を見た。頬に柔らかな風が当たる。
「あれ、気球のロープがはずれてる」
「ええー、それってどういうこと」
妻はゴンドラの底にうずくまったままだ。
「たぶん、突風が吹いたんだろうな」
「ママ、びっくりするなよ……。一緒に乗っていたパイロットがいないんだ……」
妻は、やっと体を起こし、無言のまま私の方に顔を向けた。
「突風でゴンドラが揺れたとき、振り落とされたんだろう、きっと」
気球は、山の上を飛んでいた。下を覗くと、辺り一面が紅葉で、まるで赤や黄色の色紙を敷き詰めたかのようだ。しかし、気球は、その美しさにかまうことなく少ししずつ降下していった。このままでは、樹木の中に突っ込んでしまう。そのとき、妻が、
「あなた、そのレバーよ」
と叫んだ。パイロットは、常にゴンドラの端に立ち片方の手を上に上げていた。そうだ。このレバーだ。私は、バーナーの下にあるレバーを握った。すると、ゴーッと音を立てて、気球は、また少しずつ上昇を始めるのだった。
太陽が西の空に傾き掛け、遠くに見える稜線が金色に光り出した。そこには、昨日の自分も明日の自分もない。ただ、一瞬の光が織りなす光景があるばかりだった。そして、秋の夕暮れは、あっという間に夕闇へと変わっていった。気球は、どうにか一定の高度を保っているようだったが、私たちは、闇の中で、いつ山にぶつかるかもしれないという、言い知れぬ恐怖に戦いていた。と、そのとき、行く手に、ぽっと明るい空間が見えてきた。それは、ナイトゲームをしている野球場のようにも、夜の遊園地の灯りのようにも見えた。そして、その空間にほど近いところに、樹木の生えていない平らな場所があることが分かった。私は、先ほどまで何度か燃やしたり止めたりしていたバーナーのレバーから手を離して、気球がその場所に近づくのをじっと待った。運を天に任すしかない。気球は少しずつ高度を下げて、暗い地面に近づいていった。そして、着陸と同時にゴンドラは横になり、私たちはゴンドラの外に放り出された。鼻先に草の匂いが漂った。平らだと思っていた場所は、緩やかな斜面だった。私たちは、幸運にも、かすり傷一つ負うことなく、思いがけない気球の旅から生還することができたのである。空には、上弦の月が上っていた。
私たちは、月明かりを頼りに、柔らかい草の斜面を下りて行った。久々の地面の感触に体が戸惑う。私は、ジーパンのポケットから携帯を取り出した。係留中の気球が突風でどこかに飛んで行ってしまったなんて、前代未聞のことである。今頃、会場では大騒ぎしているに違いない。私たちの身元も分かり、家族にも連絡がいって、大掛かりな捜索が始まっていることだろう。先ず、警察に一一〇番だ。ところが、携帯の画面には「圏外」の文字。妻の携帯も同じである。今時、携帯も繋がらないなんて、いったいここは何処なんだ。
「あの灯りの方に行ってみよう」
と、妻が眼下にある街の灯りを指差した。黄色や白の灯りが、一つの所に集まっている。念のためにもう一度携帯を開いてみるが、画面は圏外である。山を下りて公衆電話を探すしかない。私たちは、非常階段のような坂道を下って、谷底にある灯りにたどり着くことが出来た。
街の入り口に、案内板があった。「丸ノ屋」「美晴屋」「角屋」等と書かれた表示を上から吊した裸電球が照らし、ペンキで描かれた矢印が行き先を示していた。そして、その案内板の一番上には「歓迎、肘折温泉」と書かれてあった。
「あなた、肘折温泉だって。よかったわね。前から一度行ってみたいって話してたわよね」
と妻が疲れた顔を緩ませて話した。
「そうか。俺たち、風に乗って、肘折温泉まで来たって訳か……」
まるで夢の中で夢を見ているような感じだ。と、妻が、案内板から少し離れたところにある電話ボックスを見付けた。それは、近頃では全く見かけることがなくなったクリーム色のボックスで、その中には青電話が置かれていた。温泉組合か何かがレトロな雰囲気を演出しているんだろう。その電話で早速一一〇番通報をした。
「はい。こちらはY県警です。どうしましたか」
「はい。宮城県大崎市で係留気球体験をしていたのですが、突風に煽られて肘折温泉まで飛ばされてきたようです」
「あなたの住所とお名前を教えてください」
「はい。秋田県横手市曙町、小林修一です」
「小林さん。宮城県に大崎市なんていう所はないし、気球体験て何ですか。宮城県から肘折まで風で飛ばされて来たなんて、夢でも見てるんじゃないですか」
「失礼な。私は……」
「ともかく、地元の駐在所に連絡しますから、そこで待っていてください。温泉の入り口ですね」
数分後、遠くに揺れ動く灯りが見え、やがて白い自転車に乗った警察官が到着した。これも温泉組合の演出なのか、グレーのだぶだぶの制服がレトロである。
「大丈夫ですか。今、県警から連絡があったんですが、気球に乗って流されて来たそうで……。詳しいこと、聞かせてもらえませんか。駐在所がすぐそこにありますから」
私たちは、改めて、ここに来るに至った経緯を説明した。が、警察官は、幾つかの点について簡単に確認しただけで、事故として処理するようなことはしなかった。どうやら、私たちを風変わりな旅行者と捉えられているようだ。私は、
「それで、事故の情報は入っているんですか」
と率直に聞いてみた。
「否、今のところ、そういう情報は全く入っていません」
「テレビのニュースでも報道していないんですか」
「テレビ。ここには、テレビなんてありませんよ。ラジオならあるけど」
と警官は、棚の上に目をやった。そこには、木製の箱でできたラジオが置かれていた。小さい頃、家にあった真空管ラジオだ。
「お巡りさん。ここは、携帯エリア外なんでしょうかね」
と、私が訪ねると、警察官は、
「ケイタイ。何ですかそれ」
と、首を傾げた。その瞬間、私と妻は顔を見合わせ、ゆっくりと立ち上がった。私たちは確信したのだ。案内板や電話ボックス等に見られたレトロな雰囲気は演出などではない。ここにある物は、全てが本物で、リアリティをもってここに存在している。そのリアリティたる由縁が先程の警察官の言葉だ。携帯という言葉に対する彼のリアクションが、信じがたいこの事実を私たちに認めさせたのだ。
小さな橋を渡って道を左に曲がると、目の前に温泉街が現れた。車がやっとすれ違うことができるくらいの狭い通りの両側に旅館が連なっている。私たちは、「松井旅館」という旅館に入った。よくぞここまで守り続けたと賞賛したいほどの昔ながらの玄関先である。靴を脱ぎ、一段高い所にあるスリッパをひっ掛けた。仲居さんの案内で急な階段を上った。使い込んだ手すりが裸電球の灯りを受けてテカテカと光っている。宿泊を決めるときに、「相部屋になるんですが、よろしいでしょうか」と訊ねられて困惑した。しかし、それがタイムスリップした現実なのだと妻と二人目配せしてその現実を受け入れた。
明くる朝。徐に寝床から抜け出し窓の外を見た。旅館の南側には畑があり、青々とした葉を茂らせていた。その奥には川が流れていて、河原の土手を散歩する泊まり客の浴衣が見えた。カランカランと下駄の音が聞こえてくる。
私たちは、温泉につかってから朝食を摂り、散歩に出かけた。朝の温泉街は活気に満ちていた。路上では朝市が開かれており、野菜やら漬け物・干し魚などが並べられ、それを浴衣姿の湯治客が買い求めている。
と、通りかかった旅館の玄関先で、子ども用の靴を持ってしゃがんでいる女性を見かけた。ベージュのスラックスに白いブラウス。女性は、手に持った小さな靴を地面に置いて、すっと立ち上がり、少し間を置いてから歩き出した。右腕を斜め横に伸ばし、その腕を前後に軽く振りながら、左足を少し引きずるようにして歩いていた。
「直美」
私は、妻の名前を呼んだ。
「どうしたの、急に」
「ほら、前を歩く女の人を見てごらん」
「えっ、どの人」
「ほら、ちょっと足を引きずってるだろ。あの人」
「うん」
「あれ、俺の母さんだよ」
「ええっ、ホントに……」
「ホントだよ。よく見てごらん、後ろ姿が母さんそっくりだから」
「うーん、そうね……」
妻は、私と結婚してから母が亡くなるまでの十年間を一緒に暮らしていたのだから、見間違うはずがない。
「でも、あなた……。お姑さん、小さな男の子を連れて歩いているじゃない。似ているけど人違いじゃないの」
「えっ、男の子だって」
「そう、手を繋いで歩いているでしょ」
「なんだって、何言ってるんだお前」
「うそ、あなたには見えないの。ほら、今、男の子がお姑さんの方を見て笑った」
私は、立ち止まって妻の顔を見た。自分に見えないものが妻には見える。そんなことってあるのか。
「ねえねえ、今度は、お姑さんが男の子の方を向いて何か言ってるわよ」
そのとき、私には、立ち止まっている母の横顔が見えていた。
「やっぱり、お姑さんね。私が知っているお姑さんよりずっと若いけど、間違いないわ」
と、妻が言った。
「そうだろう。行ってみよう」
と、私が駆け出そうとしたとき、妻が、「ちょっと待って」と私を止めた。
「あなたにはあの男の子が見えないのね。ということは……、つまり、あの男の子は、あなた自身ということなんじゃないかしら。」
「何だって」
「だって、同じ時空に同一人物が二人存在するってあり得ないじゃない。あなたにあの男の子が見えないのはそのせいじゃないのかしら」
「なるほど……」
妻の言うことには一理あった。確かに、今この場所に自分が二人いるというのは、おかしなことだ。
「それで、その男の子って、どんな格好している」
「そうねえ、浴衣を着ているわ。白地に青の模様がある。履き物は、ズック靴みたいよ。」
「そうか。ズック靴か……」
私は、腕を組んで宙を睨んだ。
「ズック靴がどうかしたの……」
「いや、なんでもない。ちょっと思い出したことがあったものだから……」
と、俯いて自分の足下を見たとき、妻が「あっ」と声を上げた。母の姿が見あたらない。私たちは急いで母を捜した。男の子を連れているのだから、そう遠くには行かないだろう。幾つかの路地や旅館の玄関先を探してみたが、母の姿はどこにもなかった。と、温泉街の一番奥に達したあたりに、「上ノ湯」という共同浴場があり、そのすぐ横に「湯座神社」と記された鳥居があった。こんな所に神社があったのか、と思ってしまうほど間口が狭い。鳥居の向こうには、急な石段が続いている。
「お姑さん、足をひきずっていたわね」
「ああ、そうだったね」
「あの足じゃあ、この石段を登るのは無理ね」
石段の上からは力のこもった歓声が聞こえてくる。私は、母がそこに居ないとしても、この石段の上まで行ってみなければならないと思った。私は、長い石段を登りながら妻に話した。
「実はね、母さん骨折したんだよ。俺が小学校に入る前だった。春先のことだったと思う。家には飼い犬がいてね。ピックという名前だった。そのピックが、母さんの足に絡まったんだ。正確に言うと、ピックの首輪に繋がっていた鎖がね。母さんは、近所の店に豆腐を買いに行くところだった。片手に豆腐を入れる鍋を持って、玄関で長靴を履いて、もう片方で傘をさして戸口を出た。外は雨だったんだね。その時、どうしたことか、玄関先に繋がれていたピックが母さんにじゃれついてきたんだ。鎖に繋がれたまま、くるくると母さんの足下を回ったんで、鎖が足に巻き付けられ、母さんは、バランスを崩して倒れ、戸口の敷居に脛をぶつけてしまったという訳さ」
「そうだったの。それで、お姑さん、あなたを連れてここに来たのね」
急な石段に二人は息を切らしていた。
境内には大勢の人々が集まり、中央にある土俵を囲んで声援を送っている。秋祭りの奉納相撲が行われているらしい。あまり肉付きのよくないあばら骨が見えるような小学生たちが白い回しを着けて相撲を取っている。豆力士たちが次から次と出てきては土俵の上に転がる。たまには力相撲もあり、観衆がどよめく。そのどよめきの中に母の姿を探す。と、妻が、
「お姑さん、やっぱり居ないみたいね……。でも、ほら、あそこにあなたがいるわ」
と言って、社の方に向かって歩いて行った。
妻は拝殿に上がる階段に座っている私には見ることの出来ない男の子の横に立って、何かを話しているようだ。やさしい笑顔で大きく頷きながら、繰り返して何度も話しかけているように見えた。そうかと思うと、今度は土俵の方に顔を向け、手をたたいて応援している。時折、私には見えない男の子の方を覗き込みながら。やがて、妻が戻ってきて私に男の子のことを報告した。
「あの子、間違いなくあなたね。やっぱりあなたと同じで少し恥ずかしがり屋よ。名前は。歳は。誰と来たのって訊いてもなかなか答えてくれないんだもの」
「ふうん」
私はまるで他人事のように相づちを打った。
「でも、ちゃんと答えたのよ。コバヤシシュウイチって。お母さんと来たって。お母さんと一緒に神社の鳥居の所まで来たら、石段の上の方から賑やかな声が聞こえてきたので、お母さんに行ってみたいって言ったんだけど、お母さんは足が悪いから一人で行って来てって言われたんだって」
「で、母さんは」
「お姑さんは、神社の下にある食堂で待っているんですって。あなた、行ってみたら。私は、あの男の子のことを見ているから」
妻は、亡くなってから十数年になる母に私を会わせたいらしい。もちろん私だって会って母の声を聞いてみたい。間近で母の温もりを感じてみたいと思う。しかし、そうしたことが叶うものなのか。時間の法則に逆らうようにして自分よりも十歳以上も若い母に会っていいものだろうか。すると、躊躇している私を見かねて妻が背中を押した。
「あなた。私、思うんだけど、今回のタイムスリップとお姑さんとの再会って偶然とは思えないわ。これからどうなるか分からないけど、行ってみた方がいいんじゃない……」
と、妻は私の目をじっと見た。
「そうだね。もう二度と会えないかもしれないからね」
私は、ためらいがちな自分に言い聞かせるように応えた。
母が居るはずの食堂は、神社の階段を下りたところのすぐ向かいにあった。すすけた藍色に白抜きされた暖簾の文字は「常磐食堂」と読み取れた。曇りガラスが入った引き戸をそっと開けてみると、それは予想以上に大きな音を立てて客の来訪を告げた。だが、店内には、その音とは対照的な静寂があった。私は取りあえず、一番手前の四人がけのテーブルに席を取ってみた。と、間もなく奥から割烹着を着た中年女性が現れ、お茶を差し出した。私は、壁に貼られたお品書きの中から心太を一つ頼んだ。私のテーブルの先に更に四人がけのテーブルが二つあり、その反対側の一部が温泉土産のコーナーになっていた。そして、その奥にもう一つテーブルがあった。母は、その席に後ろ向きになって座っているのだった。
さっき、旅館の玄関先で母を見かけてから、幼かった頃の記憶が沸々と蘇ってきていた。妻が見た幼い私は、浴衣にズック靴を履いていたという。それは、爪先の丸い水色のズック靴だったはずだ。靴底は飴色のゴムでできており、上面に小さな舌革が付いていた。その靴は私の足によくなじんでおり、お気に入りの一足だった。それなのに、私はあのとき、母に無理な我が儘を言ってしまったのだ。母に連れられて入った旅館は今回と同じように相部屋だった。先客の婦人は、湯治を始めて暫くの間、松葉杖を使っていた母を気遣って、二人の姉弟と一緒に私のことをよく外に連れ立ってくれた。ある日、婦人は近くの神社の祭典に私を誘った。その頃になると母の足も大分回復していて、松葉杖なしで歩けるようになっていた。私はその誘いに乗り気ではなかった。
「母さんも一緒に行こうよ」
「母さんはまだ足が治っていないから、健ちゃんたちと行っておいで」
「いやだよ。母さんと行きたい」
「無理なこと言わないの……」
母はほとほと困った顔をしたが、くちばしを尖らせ、ふくれっ面の私に家から持参した浴衣を着せ玄関まで送り出した。健ちゃんも同じように浴衣を着せられて玄関に立っていた。二人の側には同じように二人の母親が寄り添っていた。健ちゃんのお母さんは、小さな青い鼻緒の下駄を手にしていた。健ちゃんはしゃがみ込んだ母の肩に捕まって下駄を履かせてもらった。私は、健ちゃんの下駄を横目にし、自分に用意されたお気に入りの水色のズック靴を履こうとしなかった。
「修一、どうしたの……」
母は、私の足下にズック靴を差し出した。私は、声を発しなかった。下駄を履きたかったのか、それとも、母と一緒に祭典に行きたかったのか。もしかすると、その両方を欲していたのかもしれない。母は、まだ完治していない足を引きずりながら、私の手を引いて神社に向かったのだ。
私は、間もなく運ばれてきた心太を食べようと割り箸を割った。母の後ろ姿は静かにお茶を啜っている。つるっとした食感がのど元を過ぎる。私は、立ち上がり母のテーブルまでゆっくりと足を進めた。
「あのう、大変失礼なんですけど、小林修一君のお母さんですよね」
母は、突然声を掛けられ少し驚いたようだったが、「はい、そうですが」と落ち着いて応えた。
「私、先ほど神社の境内で修一君と会いました。修一君、お母さんに『我が儘言ってごめんなさい』て言ってましたよ」
母は、私の顔を見てキョトンとしていた。唐突に自分の子どもの話をされて戸惑っているようである。が、母は、私の顔をじっと見つめるとすぐに頬を緩ませ、にっこりと微笑んだ。事の全てを察知したかのような優しい眼差しだった。私には、もうそれ以上何も言うことはなかった。母と対面している時間が止まっているように感じた。
「それはそれはお手数をお掛けいたしました。人様にまでご迷惑をお掛けしてしまって。あの子ったら……。それにしても、よく私がここに居ることが分かりましたね」
「ええ、境内で相撲を見ていたら、隣に男の子が一人で居たんで、声を掛けてみたんです。そしたら……」
と、私は実際は妻だけが出会うことができた男の子のことを母に伝えた。母は、
「そうですか。あの子人様とそんな風に話をすることができたんですか」
と、少し驚いたような表情を見せた。私は、それに対してどう返答したらいいのか分からなかった。母は、テーブルの横に立ったままの私に椅子を勧めてから話を続けた。
「あの子、春から幼稚園に入って、バスで通園していたんですど、乱暴な子が居ると言って急に行かなくなったんです。一回先生が家まで迎えに来てくれたこともあったんですが、あの子ったら、私の背中に隠れて、決して顔を見せようとしないんです。元々引っ込み思案で人見知りをする子なんですけど、それがこの頃一層ひどくなったような気がしていたんです。だから、見ず知らずの方と応対できたなんて、本当かしらと思って……」
私は、自分が母に褒められているようで嬉しかった。幼稚園に行かなくなったことは私の記憶の中にしっかりと刻み込まれている。確かに幼稚園の同じクラスの中に乱暴な男の子がいて、その子のことが苦手だったのは間違いない。お昼寝の時間のことだった。各々が持ち寄った寝具が押入の中にあった。その押入の中に乱暴な男の子が入り、手当たり次第に布団や枕を昼寝をするホールの方に放り投げた。引っ張り出すときに破けた寝具から綿やら籾殻やらが飛び散り空中を舞った。ホールにいた子供たちは、始めは呆気にとられていたが、一人の子供がふわふわと舞う綿埃を飛び跳ねて捕まえようとすると、他の子供たちもそれを真似して飛び跳ね、ホールの中は騒然となり、やがて枕投げにまで発展し、収拾のつかない事態となってしまったのである。私は、母の話を聞いて、幼稚園という生まれて初めての集団に順応できなかった幼い自分を顧みた。
「ところで、貴方は、どちら様で」
母は、少し頭を傾げた。
「いえ、女房と一緒にちょっと湯治をと思いまして……」
「まあ、奥様といらしたんですか」
母は、嬉しそうに微笑んだ。
「あっ、女房が神社で待ってるんで……」
と、私は自分を名乗ることなく、急いで立ち上がり、勘定を済ませた。
「そうだ。修一君にお母さんが、ここで待っていること、伝えておきますね」
母は、ゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げた。
私は、食堂を後にして神社に向かった。鳥居をくぐりゆっくりと石段を上る。一段一段、先ほどまでの母とのやり取りを確かめるように上る。母は優しい人だった。母に叩かれたような記憶は一つもない。幼稚園に行かなくなったときも、決して強く叱るようなことはなかった。小学校に入ってからも続いた夜尿も叱りはしなかった。何かと口うるさい姑に仕えながら父の仕事を支え、三人の子供たちの成長を励みに前向きに生きていた母だった。妻に伝えよう、母と話したことを。幼い自分にに伝えよう、下の食堂で母が待っていることを。
石段の中程まで来たとき、頭上で鳥の囀りが聞こえた。見ると赤い実を付けたナナカマドの枝にベニマシコが留まっている。足を止めたとき、辺りの静寂に気付いた。石段の上から聞こえてくるはずの奉納相撲の音が聞こえてこない。人々の歓声もどよめきも聞こえてこない。どうしたことだ。思わず石段を一気に駆け上がった。そこで私の目に入ってきたのは、人っ子一人いない神社の境内だった。拝殿は板戸で閉じられており、神社全体が灰色を帯び、その周りを雑草が覆っていた。直美はどうした。奉納相撲の賑わいと一緒に直美まで消えてしまったのか。
「直美……なおみー……なおみー」
呟きが声になり、やがて私は臆面もなく妻の名を呼んでいた。そのとき、どこからか携帯の着信音が聞こえてきた。「亡き王女のためのパヴァーヌ」。妻の携帯である。境内の方。雑草に覆われていて一カ所だけ土の見える所。土の盛り上がりこそないが、丸く円を成しており、明らかに土俵の形状を残している。妻はそこにうつ伏せになって倒れていた。
「直美、大丈夫か」
妻は、「大丈夫……」と安心したように笑顔を見せた。と、そのとき、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。同時にパトカーの音も聞こえる。それらは、交互に音を響かせながら近付いてきたかと思うと、やがて石段の下あたりに静かに止まった。
気が付くと、私は病院のベットに横たわっていた。岩井川河川公園で、係留中の気球が突風に飛ばされ行方不明になった事故は、テレビで全国に報道されていた。ゴンドラの中に居た私たち夫婦のことが報道され、地元の横手市でも大変な騒ぎになっていたらしい。夜になったために一端中断した捜索も日の出と共に再開され、湯の台スキー場で気球が発見されてからは一気に捜索範囲が狭められ、私たちの発見に至った。隣のベットでは妻が小さな寝息をたてて眠っている。
私は、夢を見ていたのだろうか。それにしても随分長い夢だった。ついさっきまで食堂で若い頃の母と話をしていたというのに、時計の針が一秒二秒と進むごとに、その事実が現実から遠退いて行ってしまう。いっそ黙って目を閉じたままでいようか。亡くなって十数年になる母との再会が現実のものだったのか。そして、このタイムスリップが現実のものだったのか。それらは全てを私と一緒に体験した妻の一言で明らかになるだろう。「これは凄いことになるぞ……」などと考えているうちに、私は再び眠りに落ちていくのだった。