すぅちゃんの1日 そのろくじゅうろく(帝国でのひとコマ)
帝国でのとある街、寂れた酒場に一人場違いな女性が部屋の隅に座って一人で食事を取っている。
美しい黒髪は肩口で切りそろえており、顔が動くたびにサラリと流れその姿はまるで一つの完成された絵画の如く美しい。
整った顔で、そして精錬されたその仕草はどこか深遠の淑女を髣髴させる。この様な酒場には完全に場違い、おそらく後ろに立てかけられている特殊な弓らしきものを見るに冒険者の様だが、それにしても場違い。
駆け出しの冒険者だろうか? 彼女も若いのだが、それと同じくらい、あるいは少し上くらいの男連中が誰が声をかけるかで言い争っている。
暫く後、どうやら決まったようだ、決意を極めた顔で部屋の隅に座る黒髪の美女に男が一人声をかけに行った。
「あ、あのっ!」
上ずった声、緊張しているのが傍から見ても良く分かる程。そんな彼に、不思議そうな顔で見上げ、首をかしげて返事を返す相手の女性。
「何か?」
少しだけ寄った眉は警戒か? それも当然だろう、この様な場所で急に声をかけられてもナンパと見られてもおかしく無い。変に絡んでくる男が居てもおかしくない程なのだから。
「え、ええ、えと、僕ら、その、冒険者でして」
「はい」
緊張しているのが良く分かる、顔を真っ赤にして声をかける若い男。対する女性はどうやら目的を理解したようだ、くすりと笑って彼を見上げる。
「え、ええとですね、その、もしよければ……」
「お誘いはありがたいのですが、夫と組んでおりますので」
軽く頭を下げて断る黒髪の女性、話しかけた男は夫と聞いて後ろから見ていても分かるほど落ち込んでいる。まぁ、気持ちは分からなくも無い。
「そ、そうですか。あの、その、失礼しましたっ」
ガバリ、と頭を下げてその場を後にする男。逆に好印象なほどだ、そしてそこで引いた事で自分の仕事が増えなかったところに安堵する。何事も引き際が肝心だ、そう、肝心なのだ。
「おいおい、かわいいねぇちゃんが居るじゃねぇか、酌してくれや」
ダン、と先ほど若い男と話していた女性、黒髪の彼女の座っていたテーブルの上に乱暴に腰掛、彼女の前にワインをこれまた乱暴に置いた男。
どうやら数人の冒険者の様で、その厳つい男の後ろには4人ほどの男が立って、ニヤニヤと彼女を見下ろしている。先ほどの若い冒険者は、と見るとどうやらビビってしまっている様だ、いや、出ようとして仲間に抑えられている感じか、なんにせよ俺の仕事が出来そうな予感だ。
「申し訳ありませんが、夫以外に酌をするつもりはありませんので」
「おいおい、つれねぇじゃねぇか、なぁに心配することはねぇよアンタの夫が着たら俺がキチンと話つけてやるからよぉ」
きっぱりと断る彼女に対してゲラゲラと笑いながら顔を近づけて言う、いや、脅す。
酒臭かったのか、それとも口が臭いのか、顔を盛大に顰めて、男を睨んでいる。
「なんだ、その顔は。てめぇはさっさと酒ついでりゃいいんだよ! 聞いてんのか! あぁっ!?」
ガン、とテーブルを叩き付ける男。流石に周りの男連中が見かねたのか止めに入った。
「き、君達、ほどほど……」
「あぁ? なんだぁ兄ちゃん? 文句有るのか? おれ達は泣く子も黙る最強の傭兵集団クライムだぜ! やるってんなら相手になってやるぜ!」
「ク、クライム? いや、そんなつもりは、あははは」
ガン、と腰の引けた男を蹴り飛ばすクライム所属と名乗った厳つい男。テーブルをなぎ倒し、地面に蹴り飛ばされた男は痛そうに腰を抑えて蹲っている。
あぁ、これは本格的に仕事の予感だ。あの人もどうやってああいう連中を見つけてくるのか、いやはや……。
「さぁ、ねーちゃん、酒を注げ、ついでに裸で踊ってもらうかぁ? ギャハハハハ」
下種な笑いが酒場に響く、しかし言われた当の本人は何処吹く風。まるで汚物でも見るかのような目で見て言い放つ。
「耳が付いていないようですね、いえ、そもそも人語を理解できるような脳を持っていないようで。猿、いえ、猿に失礼でした。申し訳ありませんが存在自体もはや汚物です。爪の垢すら残さず消滅してくれませんでしょうか?」
「あ゛?」
空気が凍る、此処からでも分かるほどこめかみに血管が浮き出ているのが分かる。
「ぶっころされてぇみてぇだなぁ、ねぇちゃん」
ミシリ、とテーブルが悲鳴を上げた所で……、カランと酒場の扉が開かれる音が聞こえた。
「すまんスゥイ、少し遅れた」
「構いません、微生物にすら劣る下等生物。いえ、微生物でも世界の役に立っていますので、もはや比較する事が失礼な存在が居た程度ですので」
フード付きのマントを羽織った、彼女と同様の黒髪の男、おそらく彼が彼女の夫なのだろう。親しげに話す彼らはお互いに信頼しあっているような、そんな雰囲気が見られる。
「女、てめぇ、無事で帰れると思ってんのか? おい、お前等分かってんな?」
「へへ、クライムに喧嘩売った意味、思い知らせてやんぜ」
「最初は俺にくださいよボス、前は遊びすぎて使いものにならなかったんですからさぁ」
そんな話し合う彼らの周りを囲む男達、醜悪な顔を醜く歪ませ、笑っている。
「む? どうやら妻が迷惑をかけたようだ。とりあえずこのマントを差し上げる。こう見えても金貨数枚の高級品なんだ、納めてくれ」
囲む男達にほおり投げるマント、それを受け取り、そして笑う男達。
「ばかじゃねぇのか? お前らはこれから身包み剥がされて犯されるんだよ馬鹿が! 当然マントは貰う、それ以外にもな!」
唾を撒き散らして怒鳴り散らす、それをうっとおしそうに見てから、ク、と笑う男が告げる。
「ふぅむ、ま、頑張ってくれ。そろそろだから」
「あぁ゛?」
顎に手を当てて黒髪の男が正面に立つ厳つい男を見る、その目には嘲笑が浮んでいる。
不機嫌さを隠しもせずに睨みつける男は、その目を見てさらに頭に血を上らせ、腰に有る剣を抜こうとした瞬間。
「良かったよ、背格好が似てて。まぁ、だからこそ選んだんだけどな」
そしてその言葉と同時に、ドス、と矢がその目の前に立つ男の腕に突き刺さった。
「一斉に攻撃しろ! 標的は黒いマントを着た男だ! あの中心に立つ奴に間違いない。先ほど酒場のマスターから【Crime】だと自ら発言している事も確認済みだ! 奴等は発見次第殺害の命令を受けている! 油断するな、加護持ちが出てくる前に殲滅しろ!」
「な、あ゛?」
結果は押して図るべし。
「マスターいつも悪いね、謝礼だ受け取っておいてくれ」
「まったくあれだけ憲兵が殺気立ってるとは何したんだね、お陰で俺の酒場がめちゃめちゃだ」
「ちょいとこの街の頭を処理したらご両親がお怒りでね、酒場はいっその事新装したらどうだ? 身代わりも捧げたし、頭も変わるだろうから住みやすくなると思うが」
「ま、考えておこう。しかしそれにしても憲兵を集めすぎだったのでは、逃げれなかったらどうしたので?」
「此処の憲兵は面子を大事にするし、貴族のご両親からの圧力が酷いようで早急な解決を求めていたからね、それなりのモノを出せば収まる。世の中本音と建前が有るのは当然だろう? さて、これで時間は稼げた、もう少しこの街で動くとするか」
ニヤリと笑ったその顔は、そこらの極悪人よりよっぽど極悪だったろう。使えるものは使う、利用できるものは利用する。そして、始末も、処理も、計画的に。
「あぁいう輩は心が痛まなくて本当にありがたい、感謝しなくてはね」
先日、貴族の子息殺害犯として絞首刑にかけられた男達、最後まで無実を訴えていたが、溢れんばかりの余罪が匿名で送られてきた為、問答無用での執行となった。
だがしかし、その後直ぐに【Crime】では無いと言う証拠がなぜか民衆に配られ、さらに悪印象を与える憲兵のやり口だった、という噂まで立ったのは仕方が無いことかも知れない。