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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

【閲覧注意】世界の終わりの、その先を――短編傑作選

【倫理注意】わらしべ長者の葬列:奪われた亡国の王冠 ――笑顔と引き換えの亡国 ※この物語は童話の思い出を修復不可能なまでに破壊する恐れがあります。純粋に原典を愛する方にはお勧めできません。

作者: 葛石
掲載日:2026/02/28

王宮の最奥、死臭と香料が混ざり合う寝室で、老王は喘いでいた。

王は、あらゆるものを交換で手に入れてきた。

民の忠誠も、広大な領土も、彼は正当な対価を払い、正当に世界を買い占めた。

だが、その天秤は今、最期の「寿命」という重りを前にして、ピクリとも動かなくなっている。


「……私は、この秘密だけは誰にも売らず、墓まで持っていくことを考えていた」

ベッドに横たわる王が、枯れ木のような指で男の袖を掴んだ。

その瞳には、老いた者の卑屈さと、何物も手放したくないという強欲が混濁している。

「だが、死ぬのは……それだけは、あまりに不当だ。私はまだ、何も失いたくない」


王は男の耳元に、希望を託すような声で「場所」を告げた。

それは王宮の地下、幾重もの鍵と嘘で塗り固められた隠し聖域。

王が独占した「偶像」が祀られた禁忌の場所だった。


「そこにある「偶像」の首を獲ってこい。あれは慈悲の塊だ。あれなら、死と交換ができる、かもしれない……」


男は無言で頷き、王の元を去った。

男に忠誠心は微塵もない。

あるのは、王がひた隠しにしてきた「天からの略奪」という行為への、震えるような興味だけだった。


地下の聖域は、静止した時間の中にあった。

中央に鎮座するのは、数多の時を経てなお瑞々しい慈愛を湛えた「偶像」。

異郷から引き摺られてきたそれは、錆びた鎖の束縛に縋って、辛うじて立っていた。

人々が知れば、血を流してでも拝もうとするであろう救いの象徴。


だが、男は拝まない。


抜き放たれた剣が一閃に鎖を断つと、支えを失った巨躯は轟音と共にひれ伏した。

男は迷わずその首筋へ鉄靴を叩きつける。

砕け落ちた「運命の生首」からは黒い血が滴るが、男は無造作に拾い上げて聖域を後にした。


男は、王の元へは戻らなかった。

主を待たせ、沈黙のまま向かったのは、生命の熱が溢れる城下町。


王宮の裏庭へ続く廊下に出た時のことだ。

そこには、迷い込んだのか、あるいは王に仕える下女の連れか、ひとりの幼い子供が調度品で遊んでいた。


王は「交換」を重んじたが、男の本質は「略奪」だった。

男は静かに近寄ると「滴る生首」を子供の顔に押し付けた。

石の冷たさが子供の体温を奪い、付着した黒い血は死臭を漂った。


刹那、不可視の力が作用する。

子供の顔から、柔らかい曲線が消えた。喜怒哀楽の「喜」を司る神経が、根こそぎ引き抜かれたかのように。


廊下に叫び声が響き渡る。


それは恐怖ではない。

「笑う」という機能を失った生物が、悲しみだけを唯一の表現手段として吐き出す、絶望の産声だった。


男の掌には、温かく、黄金色に輝く小さな光の塊が残った。

手にした『子供の笑顔』を、不思議そうに見つめた。

「運命の生首」という救済を押し付け、「子供の笑顔」を未来永劫、奪い取ったのだ。


彼はその輝きを懐にしまい、王宮を後にした。




懐に忍ばせた黄金の光――子供から奪った「笑顔」は、男の胸元を仄かに温めていた。

しかしその温もりは、焚き火のような慈しみではなく、獲物の血が冷める前の、生々しい熱量だった。


王宮の外、市街の喧騒は澱んでいた。

男が路地へ足を踏み入れた瞬間、そこにあるすべての「音」が死んだ。

泥に汚れ、絶望に慣れきったスラムの住人にとって、男の纏う上質な外套と鉄靴は、それだけで威光を放っていた。


路地裏では、痩せた女が、火が付いたように泣き喚く赤子をあやしていた。

女の服は汚れ、乳は枯れ、その瞳には疲弊と、それでも捨てきれない縋るような「執着」が混ざり合っていた。

男の姿を視界に捉えるなり、女は、弾かれたように泥の中へ這いつくばった。


「お、お貴人様……」


震える声で女が呟く。彼女は男を人間として見ているのではない。

いつ自分と赤子の首を撥ねるか分からぬ、圧倒的な「災厄」として畏怖しているのだ。


彼は無言で赤子の顔を覗き込んだ。

泣き喚く赤子は顔色が悪かった。


男は懐から、あの小さな光の塊を取り出した。

彼がそれを赤子の顔に押し当てると、光は粘膜のように子供の肌に吸い付いた。

すると赤子の泣き声が「断絶」した。


赤子は、笑った。


声もなく、ただ唇の端が釣り上がり、固定される。

それは安らかな微笑みではない。無理やり指で形作られたような、異様な「快楽の仮面」だった。


「あ……やっと、笑った……」

女が歓喜の声を上げる。しかし、その喜びは数秒と持たなかった。

笑い続ける我が子の瞳には、いまだに絶望的な恐怖の涙が溜まっている。

感情と表情が乖離した「人形」。それを見た瞬間、女の心の中で何かが音を立てて崩壊した。


「違う……これは、私の子じゃない」

女の腕から力が抜け、赤子を突き放そうとする。

その拒絶の瞬間、男の右手に、重く粘り気のある「何か」が絡みついた。


それは、女が先ほどまで抱いていた、我が子への無償の愛。

対象が変貌したことで行き場を失った、ドロドロに腐った愛情が、手に吸い込まれていく。

男は「母親の愛情」を掴み取った。


男は呆然と座り込む女を捨て置き、さらに街の深部へと歩を進めた。

次に彼が目をつけたのは、大通りにうずくまる、死を待つだけの物乞いだった。

男の体は病に侵され、四肢は腐り、呼吸をするたびに肺が悲鳴を上げている。


「……お、お恵みを……、……おめぐ、み……」


物乞いが差し出そうとした手に、男は奪ったばかりの「愛情」を、容赦なく注ぎ込んだ。

それは、物乞いが一生かけても得られなかった、過剰で、盲目的で、暴力的なまでの執着の塊だ。


冷え切った物乞いの体内に、他人の猛烈な愛情が流れ込む。

彼の瞳が大きく見開かれた。彼には見えたのだ。自分を慈しみ、抱きしめ、全存在を肯定してくれる「幻の母親」の姿が。

孤独に耐え続けてきた男の精神にとって、その愛は劇薬だった。

男はあまりの幸福感に、全身の筋肉を弛緩させた。もはや苦痛を感じる神経さえも、偽物の愛に麻痺させられていく。


「あ……、あ……。こんなに、……愛さ、れ……」


男は満足げな笑みを浮かべ、そのまま静かに息を引き取った。

安らかな、あまりに安らかな死。


その遺体から、男は最後の一滴を絞り取るようにして、拳を握りしめた。


――「物乞いの命」。


苦難から解放され、喜んで差し出された、純度の高い命。

男は、手に入れた「命」の拍動を感じながら、王宮へと引き返した。

略奪の天秤が、傾いた。




王宮の寝室は、もはや墓所と化していた。

死の影は老王の喉元まで這い上がり、彼がかつて「交換」で築き上げた栄華の記憶さえも塗り潰そうとしている。


「……持って、きた、か……?」


王の掠れた声に、男は無言で応えた。

彼の右拳の中には、物乞いから剥ぎ取った「命」が脈打っている。

それは卑屈で、飢えていて、しかし死の淵から救われた安堵に満ちた、泥臭い命だった。


男はベッドの傍らに立ち、拳を開いた。

中から溢れ出した淡い光が、王の痩せ細った胸元に吸い込まれていく。

刹那、王の全身が痙攣した。

枯れ木のような皮膚に瑞々しさが戻り、止まりかけていた心臓が、他人の鼓動を借りて力強く刻み始める。


「おお……おおおっ! 力が……命が満ちてくるぞ!」


王は歓喜に震えながら起き上がった。しかし、その若返った瞳に宿ったのは、王者の威厳ではなかった。

「物乞いの命」は、その持ち主が抱えていた飢えと卑屈さをそのまま引き継いでいた。

豪華な寝具を野良犬のように嗅ぎまわり、床のゴミを漁ることに必死で、自らの地位さえも忘れていた。


男は、もはや王ですらなくなった「それ」を、路傍の石でも退かすように無造作に蹴り飛ばした。

物乞いは豪華な敷物の上に崩れ落ちた。

その手には、いつの間にか一本の「藁」が握りしめられていた。

かつて王国を築いた奇跡の始まりを、彼は今、ただ不思議そうに見つめていた。


男は、恐怖に震え硬直している侍従に歩み寄ると、その手から「真金の王冠」を奪い取った。


その瞬間。

王宮の窓から見える街の灯が、一斉に凍りついたように静まり返った。


男はバルコニーへ歩み出た。

眼下には広大な王都が広がっている。

だが、この国にはもう、人の営みの音はなかった。




――子供に笑顔はなかった。


男が、それを対価として奪ったからだ。




――母親に愛情はなかった。


男が、それを救済として奪ったからだ。




――貧しい者は永遠に死ねなかった。


男が、その安らぎさえも燃料として奪ったからだ。




街に溢れる人々は、魂を抜かれた抜け殻のように、ただ立ち尽くしている。

笑うことも、愛し合うことも、死を悼むことさえも忘れた、呼吸するだけの偶像。


新王は、上質な外套を翻した。

右手に掴んだ亡国の王冠と共に、彼は静止した王宮を後にする。


一国を白く塗り潰した簒奪者は、一度も振り返らない。

彼は市街の静寂を抜け、まだ「奪われるべき熱」が満ちているであろう次の獲物を求め、地平線の彼方へと消えていった。


――男が踏みしめる乾いた砂の音だけが、死んだ国に虚しく響いていた。




交換すると壊れる、加速度的に壊れていく、その様子が知りたくて執筆しました。

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