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本性がバレた悪役令嬢の私の手を、何故か婚約者様が離してくれない。

作者: にゃみ3


 かわいい、カワイイ、可愛い。

その言葉はきっと、私のために出来ている。



 私の名前は、レティシア・フォンディア。

アスタリア帝国、世界的に見ても大帝国と称される誇り高い国の伯爵家の一人娘として、私は生まれた。

 単刀直入に言うと、私はとても可愛らしく、美しい容姿をしている。


 黄金がふんだんに使われた豪華な鏡台の前に立ち、私は自分の姿を見つめた。

 鏡台には真新しい化粧品たちが並んでいた、使用済みの物でも一度しか使われていないような化粧品がいくつもあった。

 私は、そこから先日届いたコーラルピンクの口紅を手に取り、軽く唇に乗せる。

 それからそれに合った化粧品を素早く選んでいく。


 伯爵家の令嬢が自ら身支度を済ますなんて、と思うかもしれない。

 でも私はこの時間をとても楽しんでいた。


 美しい私を美しい化粧品で彩る。

 鏡に写った自分の姿を見て、私は満足げに微笑んだ。

 今日一日は、外出をする予定もお客様を迎える予定も無いから、シンプルなピンク色の素材のドレスは、私の美しく主張の激しい顔をより際立てた。

 それに合った、ふんわりとして長く伸びたクリーム色の髪に、真っ白な色白の肌、それに似合うブルートパーズのような美しい水色の瞳。


 どこからどう見ても完璧な美少女。

これは自意識過剰ではない、単なる事実。



「よし、今日も私はかわいい」



 自分なりのおまじないのような言葉を、鏡に写った自分の水色の瞳を見て呟く。


 もし、私の生きているこの世界が物語だったとすれば、私は”とっても『かわいい』令嬢”として紹介されるだろう。

 私はこの世界の誰よりもかわいらしく、美しいのだから。



「おはようございます、お父様お母様。」

「おはようレティシア、昨夜はよく眠れたか?」

「レティ、寝癖がついていますよ。身だしなみには気をつけなさいといつも言っているでしょう?」

「お母様ごめんなさい、私ったらうっかりしていましたわ」



 私のお父様は伯爵家の一人息子、お母様は地方の成金貴族の娘。


 身分の差がある二人がどうして結ばれたか?

そんなの簡単よ。私のお母様は、お顔がとても綺麗だったから。



「まぁまぁ、いいじゃないか。寝癖のついた娘も愛らしいものさ」

「もう、貴方ったらレティには本当に甘いんですから」

「君に似た僕の子供だぞ?愛おしいに決まっているじゃないか」

「もう、貴方ったら…」



 朝からお熱いこと。


 お母様は美しい容姿をしていたから、伯爵であるお父様と結婚できた。ただ、それだけ。

 でもね、ただそれだけのことで人生は上手くいくの。


 美しいお母様と同じ環境で育った、アンリエット叔母様は、中の下の顔をしていた。

 別に特別不細工というわけでもない、かといって飛び切りの美人でもない。本当に普通の顔。だから、叔母様は同じく地方貴族の男と普通の結婚をさせられた。


 姉妹ですら、美しいか美しくないか。

 その差で人生は大きく変わる。

 


「お母様、今日の昼間に出発予定でしたよね?もう身支度は済んでいるのですか?」

「えぇそうよ。レティシア、私が居ない間私の代わりをお願いね」

「もちろんです、お任せてくださいお母様」

「明日からは君がこの家に居ないなんてな…」

「私も、貴方と離れることが何よりも辛いですわ...。」



 まるで、永遠の別れのように話している二人だが、お母様はただ十日間ほど実家に帰るだけ。

 何やらアンリエット叔母様が右腕を骨折してしまったようで、妹想いのお母様はそれを聞き居ても立っても居られないといった様子で、すぐにここから遠く離れた実家へ戻ることを決めていた。



「しかし公爵の誕生パーティーに参加できないのは実に残念だな。公爵家の誕生パーティーはいつも盛大だから君も楽しめただろうに」

「えぇ、私も毎年楽しみにしていましたが、怪我を負った妹を放っておいては楽しめることも、楽しめませんものね」

「そうだな、君は妹想いの素敵な女性だ。それは私が一番わかっているとも」

「あらあら、昨夜は私が行ってしまうことを悲しんでいたではありませんか。ふふ、強がりな貴方も素敵ですよ」



 朝から勘弁してほしいものだ。両親の中が良いことは、娘の私からしても喜ばしいことなんだろうけど、流石に毎朝ともなると、いい加減うんざりだと思ってしまう。


 私のお父様は、美しいお母様と違い、ぶ男。

 そんなお父様がどうして美しいお母様と結婚できたか、理由はとても簡単。

 富と名声を持ち合わせていたから、伯爵家当主という明確な権力。


 私のお父様とお母様は愛し合っている。

 今も昔も変わらずに、フォンディア伯爵の妻と娘への寵愛の深さは周囲の事実だった。


 二人は、心からお互いを想い合っていて、お互いへの尊敬を持っている。

お互いに足りない部分を求めて結婚した二人はパズルのように欠けた部分を合わせて、結ばれた。


 で、私が生まれたってわけ。



「公爵様の誕生パーティーにお母様が来られないのは私もとても残念に思います。本当なら私もお母様の実家へ一緒に行ければよかったのに…どうぞアンリエット叔母様に、私がとても心配していたとお伝え下さい」

「レティシア、私に似て美しく彼に似て賢い貴方...。そんな貴方の優秀な婚約者の彼に私もお会いしたかったわ」

「…彼もお母様にお会いしたいと言っておりましたわ」



 私がそう言うと、お母様は満足気に微笑んだ。


 そりゃあもう気分が良いでしょう。

 自分の将来の息子が、あのティアルジ公爵の愛児、アナスタシス・ティアルジなのだから。



「そりゃあ公子は将来私の息子になる方ですもの、当然よ。...良い?レティシア。ちゃんとご無礼の無いように振る舞いなさいね」

「もちろんですわお母様、このフォンディア伯爵家の名に恥じないようにします」



 私のお母様は、本当に美しい人だ。だが、若さという武器を持った私には到底太刀打ちできない。それを、賢いお母様は理解していた。だからこそ、自分の生き写しのような私を、自分自身のように見ていたのだろう。

 物心が付く前から、「私のように美しく生きなさい。」とか、「賢く自分の武器を使って愛される女になれ」とか、とにかく私に教育を施してきた。

 自分の知恵と美貌で勝ち上がってきた自分の術を、私に与えようとしたのだろう。


 

 私は、お母様がとってもだいすき。

 でも、ごめんなさい。私はお母様にその言葉をかけられた時、笑顔で「分かりました」と返事をする裏で、本当はうんざりしていたの。そして、私は、お母様のようにはならない。そう、心に決めていたわ。


 もちろん、お母様は地方の成金貴族から伯爵夫人まで成り上がった。そこは心から尊敬していますわ。


 …でもね、私はそれだけじゃあ満足しないのよ。


 伯爵令嬢の私はもっと上を狙う。

 私は、お母様に似て美しく強欲で、お父様に似て知的な戦略家なので。






・・・






「ごきげんようアナスタシス様」

「やぁ、よく来たねレティシア」



 アナスタシス・ティアルジ公爵令息。

 彼は私の婚約者であり、アスタリア帝国の次期公爵だ。

 聡明で何事においても優秀で、完璧という言葉が凄く良く似合う人間。


 上だって言う割に、皇子じゃなくて公爵か。だって?

 私だって初めは皇子を狙おうと考えた、でも仕方ないでしょ、皇子にはすでに心に決めた人が居たんだから。

 人のものを取る趣味は無いの、だってそんなことをする人は最低でしょ?完璧な私は、そんな品性下劣なことしない。

 …それに人の物って価値を感じないもの。誰もが手に入れることのできない一級品を自分のものにした時、私はかつてないほどの幸せを感じられるの。



「そうだレティシア、十日後の父上の誕生日パーティーのことなんだが…」



 カチャ、と食器の重なる音が響いた。

 アナスタシスはさっきまで口元に充てていた紅茶の入ったティーカップを置くと、私の目を見て話し始めた。



「はい、私はもちろんのこと、お父様もとても楽しみにしておりますわ」

「嬉しいよ、父上もレティシアが来てくれると知って喜んでいたさ」

「まぁ!本当ですか?公爵様に嫌われていないのでしたら安心いたしましたわ」

「まさか、そんなはずないだろう?」



 まぁね、言ってみただけよ。本当は分かっている。

 公爵様は私のことを気に入っている。アナスタシスとの婚約を結ぶ時も、後押しをしてくれたのは公爵だった。

 お父様が公爵家に行く度に私も同行して、公爵に対してかわいくて純粋で知的ですよアピール攻撃をした甲斐があった。

 あんなにもかわいい私を見せつけてやったんですもの、娘にしたいと思うのは至極当然のこと。


 アナスタシスと私は、今から五年前。私が十二歳の時に婚約を結んだ。

 次期公爵のアナスタシスにとって、伯爵家の娘の私は結婚相手としても都合がいい。婚約を結ぶことは難しくなかった。



「ふふ、そうだったらいいのですが…それで、その誕生パーティーがどうされたのですか?」

「近頃、令嬢の間でパートナー同士で服装のテーマカラーを揃えるのが流行りだろ?」

「そういえば、最近よく見かけますね」



 服装だけでなく、アクセサリーや小物までも揃いのものを着用する。表向きにはお洒落の一環だとされているが。

 本当の目的は、パートナー同士の仲の良さをアピールすることが一番の目的として。

テーマカラーを揃えるにあたって、令嬢たちは新しいドレスを新調することになる。その際に男性が女性へオーダーしたドレスを送り、そのドレスの素晴らしさが送った男性の富の象徴を表していると言われていて、令嬢たちがお互いへ自分のパートナーを自慢するのよね。


つまり、爽やかな笑顔の裏で「私のドレスはこんなにも素敵なのよ、金持ちのダーリンが買ってくれたの♡アンタのドレスは安そうね、アンタの男貧乏ねー」と、令嬢たちは言い合っているわけ。



「実はそれを知った父上が来月の誕生パーティーをペア同士テーマを揃えた服装を参加条件に加えてしまってね」

「あら...そうだったんですね。」



 ピュアな公爵様のことだ、きっと若い者たちが面白そうなことをしている!と、企画したんだろう。


…ははは、私は公爵様のそういうところが嫌いじゃないですよ。

公爵様って、気難しそうな見かけによらず、案外ロマンティックなところがあるのよね。



「まぁ!なんて素敵なんでしょう、私たちは何色にしましょうか!」



 手を揃えて、顎もとに寄せる。

 こてっ、と首を傾げたら、とってもかわいい私がもっとかわいくなる。



「僕も暫く考えたんだが、やっぱりピンクはどうだ?」

「ピンクですか?」



 意外だった。

 自分の公爵家を何よりも誇りに思っているアナスタシスのことだから、ティアルジ家の家門のシンボルであるサファイアを中心的とした、ブルーの色を選ぶと思っていた。

私の、フォンディア伯爵家のシンボルはエメラルド、色味としても似たようなものを選ぶのかと思えばまさかのピンク色。

アナスタシスの好きな色とも思えないし、どうしてピンクなんて。



「君が一番好きな色だろう?」



 …なんだ、そういうことでしたか。

 確かに、優しい貴方には“婚約者の好みを一番に考える“方が貴方のキャラに合っている。



「…アナスタシス様は私のことをよくお知りですね。はい、私はピンク色が一番好きです。」



 嘘、ホントは甘いピンク色よりも鮮やかな水色の方が好き。

 でも私の甘い容姿にはピンク色が一番似合うでしょ。だからピンクもまぁまぁ好きですよ。



 嘘を付く私も、それなりにかわいいでしょう。


 演じて、騙して、こんな汚い私を貴方が知ったらきっと捨てられちゃうわね。


 だから絶対に教えてあげない、貴方だけにはずっと綺麗なだけの私を見ていて欲しいから…。







・・・




「レティシア、今日は父上の誕生パーティーへ来てくれてありがとう」

「そんな、私の方こそお礼申し上げますわ。今日という素敵な日を貴方と共に…将来父になる公爵様のお誕生日を祝えて、こんな幸せがあるでしょうか」



 …そう、私はとっても幸せ。



「さぁ、行こうレティシア」



 アナスタシスは「お手をどうぞ」と言い、私に手を差し出した。

 この瞬間、貴方が一番素敵に見える。


 周囲の令嬢から熱い視線を感じる、婚約済みだと言ってもアナスタシスを狙っている令嬢は少なくない。みんな、私の婚約者が欲しいと狙っている。

 その事実だけで私は満足できた。

 みんなが羨ましそうにこっちを見ている。

あぁ最高、この瞬間が1番好き。優越感ってやつかしら。


 かっこいいアナスタシスとかわいい私は、手を取り合って、大勢の人が見守る中パーティー会場へ現れるの。

 ピンク色の刺繡がされたお揃いの服装。

 彼が私に贈ってくれたピンクダイヤモンドがふんだんに散りばめられたドレスはこの会場に居る令嬢の誰よりも見事なものだった。



「今日のレティシアは一段と美しいね」

「ありがとうございます、公子もとても素敵ですよ」



 私はこのまま、彼と結婚して公爵夫人になって、最高に幸せに暮らすのよ。

 この帝国の誰よりも、私は幸せになるの。


 私は公爵令息であるアナスタシス公子のことを心から尊敬している。ただ、それだけでいい。


 この結婚に愛はいらない。

 私の人生に、私情は必要無い。







・・・






 ティアルジ公爵の誕生パーティが始まってから、数時間が経過していた。

 快晴の空は、あっという間に日が沈み星の見える夜空へと変わっていた。

 誕生パーティーは午前の部と午後の部で分けられており、午前の部が終われば一度用意された部屋に戻り、夜の部への準備をした。


 昼の部とはまた違い、夜になると豪華な雰囲気がずっと増した。

 流石公爵家の誕生パーティ、お金のかかり方がその辺の貴族とはわけが違う。


 賑やかな舞踏会の中で、レティシアは手に持つシャンパンをグイッと飲み越し、熱心に見つめていた一人の男の元へ駆け寄った。



「アナスタシス様!やはりティアルジ公爵家のお屋敷はとても素敵ですね、何度来てもこの素晴らしさに圧巻されてしまいますわ。」

「やぁレティシア、先程ぶりだね。君に気に入ってもらえたなら嬉しいよ、よければ後で一緒に庭園に行かないか?風に当たりながら散歩でもしよう」

「まぁ!嬉しいです、公子様がよろしいのでしたら是非♡」



 愛想良く、相手に気に入られるように。

 笑顔を振りまいていれば、相手は自分に好意を向けてくれる。



「僕は皇子と話があるから少し待っていてくれるかい?」

「もちろんです、それではあちらのあたりにいるので、終わり次第来てくださいね」

「分かったよ、すぐに君の元へ行くと約束するさ。何せ、僕は心配なんだ」

「心配?どうしてですか」

「アスタリア帝国の天使様はとても男性を虜にするのが得意なようなので…」



 アナスタシスは話しながら、視線を横へずらした。

 私もそのまま、同じ方向を見るとそこに居たのは数名の令息たちの姿が。


 あぁ、そう言えば何度か言い寄られたことがありましたっけ。

 鬱陶しいのよね。まぁ、美しい私に惚れるなという方が無茶か。



「あら、それは私だって同じ思いですわよ公子」



 でも今回ばかりは貴方たちモブ男たちに感謝してあげるわ。

 だって、彼の関心を引けたのだから。

 アナスタシスから向けられる好意は何とも心地が良い。

令嬢たちがアナスタシスに向ける好意が、そのまま私にも来ている感覚になるから。

価値のある存在が私を愛している。それってちょーさいこう!!


 アナスタシスは権力だけじゃなくて、容姿にだって優れている。

 花公子、なんて呼び名がつくほど美しい容姿の持ち主。

 黄金の髪に、青い瞳を持つとってもかっこいい人。私と並んでも何ら引け目を取らない。


 美しい令嬢と、かっこいい公子。どう?みんな私が羨ましいでしょ?

 もっともっと羨んでちょうだい、その嫉妬が私を満たしてくれる。



 私は、この世に生まれたその時から百戦錬磨。

美しい容姿に、絶対的権力。私の人生、イージーモード。


 それを証明してくれる、薬指にはめられた光り輝く婚約指輪。


 容姿が整っていないと、スタートラインにも立てない。そんな人生、ありえないよね。私なら首を吊って死んでやる。

 

 愛されない人生なんて、絶対に嫌よ。





・・・






「さいってい!!」



 そんな完璧な私が、どうして私が目の前にいるこの小生意気な男爵の娘にシャンパンをぶっかけられなきゃいけないわけ?



「私のオリバー様を返してちょうだい!!」



 目に涙を浮かべて必死にそう叫ぶ声はキーンと耳に残ってうざったるい。


 オリバー?オリバーって誰だっけ?

 この生意気な令嬢は確か、リアナ・アンジール。…オリバーに、リアナ嬢。


 あぁ思い出した、リアナ・アンジールの婚約者、オリバー・フランクのことか。

 確か、子爵家の次男坊。そういえば何度か言い寄られたことがあったような。あの草食動物みたいな男、しつこいのよねー。


 で、その男が何?



「どうか落ち着いてくださいリアナ嬢。突然、どうされたのですか?みなさん驚いていらっしゃるじゃないですか」

「しらばっくれたって無駄よ!!」

「そう言われましても…」



 落ち着いてくださいと、諭せば諭すほどリアナ嬢は激昂した。


 うるさいなぁこの子。

 キンキンと叫び散らかすものだから、驚いた会場の人々がこちらに視線が向いている。

 ちらりと周りを見て、公爵様やお父様、アナスタシスの姿は無いことを確認でき、少し安心した。

 年に一度の大切な日に、騒ぎを起こしてしまったとなれば、公爵様に合わせる顔がなくなってしまう。

 それに、アナスタシスにはシャンパンで濡れた、不細工な私は見せたくない。


 せっかくのドレスがかけられたシャンパンでびしょびしょになってしまった。

 でもアナスタシスが贈ってくれたドレスじゃなくて本当に良かった。

…だってあれ、私の持っているドレスのどれよりも高価なものだから。そう、理由はそれだけ。


 だからといって、今着ているドレスが汚れても良いということにはならない。

今日は公爵様の誕生パーティー、普通の舞踏会とはわけが違う。

 上等なドレスには変わりないし、それに合わせたアクセサリーだって豪邸がいくつも立つほどの値がするものだ。


 あぁ、ほんっとうに最悪よ。



「アンタのせいでオリバー様が私と婚約を解消すると言ってきたのよ!!」



 ...はい?それが私になんの関係があるのよ。



「あら、それはまた大変なことになりましたね」



“レティシア嬢がオリバー子爵を?”

“まさか!レティシア様にはアナスタシス様がいるじゃないか”

“いえ、でもわたくし聞いたことがありますわ。”


“レティシア様は、悪女のようなお方だって!!” 



 周りにいる貴族たちからの陰口が聞こえてくる。

悪女、確かに一部の令嬢たちからはそう呼ばれていると聞いたことがあるわ。

 こそこそと憎たらしい、不満があるなら直接言いなさいよ。



「なに他人事言ってんのよ!アンタがオリバー様をたぶらかしたせいでしょ?!」

「はて、何のことを言っているのか私には全く…」



 顎に手を添えて、こてん。と、首をかしげてみると。

 ひそひそと噂をしていた人々の中の男性たちは“なんてかわいらしいんだ…”と、情けない声を漏らした。

 

 そうです、私かわいいんです。

だから、さっさとみんな私の前から消えて。いつもの都合の良い人間に戻ってちょうだい。



「っ...!アンタの笑顔はいつも作り物!男に媚びてばっかり!その角度も自分がかわいいと思ってやってるんでしょう?!」

「…そんなことはけして、」



 まぁ正解だけど。

うーん、残念だけど百点はあげれないわね。

半分正解、半分不正解。リアナ嬢、あんたは五十点くらいよ。

 笑顔が作り物なのはホント、でもそれ以外は違う。



”男爵の娘のくせに生意気なのよ、誰が好き好んで子爵の男なんか相手にするわけ?!このブ―――ス!!!”



 …そう言ってやりたいけど。


(無理ね、私のキャラじゃないし)



「ですが、リアナ嬢を不快にさせてしまったのなら謝罪いたしますわ。本当に申し訳ございません。…っ、ごめんなさい、私ったら、皆様の前で涙を流してしまうなんて」



“レティシア嬢が泣いているぞ!”

“やっぱりリアナ嬢の言っていることは嘘だったんだ”

“なんて可哀想なお方だ”



 …同情を誘うのは簡単。

 少し涙を見せて、反省したふりを見せれば良い。

 真実を覗けば、どちらが悪いかなんて一目瞭然。

でも、今は真実かどうかなんて関係ない。後々正されたって一度人の記憶に残ったものは中々書き換えることはできない。

大切なのは、第一印象なのだから。

小綺麗な容姿をした人間が、初対面で好印象を持たれることと同じ。大切なのは第一印象、そのあとはどうにでもできてしまう。


 その点は私は問題ない。

昔から、私が泣いて怯まなかった人は居ない。


 全部計算、計算、計算。

私はいつだってかわいいを演じて見せる。自分の持っている武器を使って、戦うの。


 この社交界では、自分の持つ才能をうまく使いこなせる人が勝つのよ。


 貴方はそれを理解できていなかった。

 自分の理性を切って、感情のままに行動してしまった。

その時点でリアナ嬢、貴方は負けているの。



「うぅっ、失礼いたしますわっ!」

「ちょっ!待ちなさいよ!!」



 はい、謝ってあげたんだからもうこれでいいでしょ。

 涙を流してこの場を去る、これが私ができる一番の対処。


 男性たちからは同情が買えるし、よっぽど馬鹿じゃない令嬢たちからは少しくらい同情してもらえるでしょ。



 おしまいおしまい!さっさと家に帰ろう、美味しいご飯食べて甘いお菓子食べてゆっくり寝る!

そうしたらこのイライラも、少しは落ち着くはずよ。



(とは言ったものの…)



「…お父様まだかしら」



 今日のティアルジ家のパーティーにはお父様と来ている。恐らく別室で友人たちと政治の話でもしているのだろう。

 馬車は一つしかないから帰ることはできない。かと言って飛び出してきた手前、会場に戻ることもできない。


 そんな中、私が流れ着いたのはパーティー会場の裏側にある庭園。そこにある大きな噴水のそばに置かれたベンチに腰を掛けて、父を待っていた。



「レティシア・フォンディア!!やっと見つけたわよ!!」



 すると聞こえてきたのはさっきの甲高い声。

 …また来たの、懲りないわねほんと。


 もう春だとは言っても、まだまだ外はまだ肌寒い。シャンパンに濡れた体は濡れた衣類で冷え切っている。

 寒空の中、数分濡れた状態で居たから、芯から冷え切ってしまっている。

 パーティー会場で恥をかかされて、罵倒されて、寒さにも苦しめられて。



 …どいつもこいつも、私が何をしたっていうのよ!!



「なにかまだ私にご用があるのですか?」

「なっ!なによその言い方!」

「…はあ、貴方は本当にうるさいですね」



 私はかわいい女の子。

物心がついた時から、誰からにも愛されるような女の子を演じてきた。

 伯爵家の令嬢として相応しいように、この綺麗な顔に似合うように。清楚で淑女らしく、優雅に振舞うの。

私はそれをしてきた。だから胸を張って私の人生は、私自身は美しいと言えるわ。誰にも汚い部分なんて見せない。


 ...でも、今日はとても腹が立っていたので。



「しょうがないでしょう?私は何もしていません。それが事実です。ただ向こうが勝手に言い寄ってきた、それだけですわ」



ついつい、本音が漏れてしまった。



「アンタっ!ついに本性出したわね…!」

「いやですわリアナ嬢、出したなんて人聞き悪い。隠せない貴方の方が馬鹿ですよ?生憎、私には他人の物なんていりませんもの。それに、子爵の男なんて私には釣り合わないでしょ?」



分かったら、さっさと私の目の前から消えなさいよ…。


 この場にはリアナ嬢と私しかいない。公爵家の裏側の庭園は、滅多に人の立ち寄らない穴場だ。

だからと言って、絶対に人が立ち寄らないかと言われれば、そうでもない。

 だから、こんな言葉遣いをするのはとてもリスキー。それは私も分かっている。


 …それでも私は伯爵家の娘として、誇りとプライドを持っている。このまま言われるだけではいられないわ。



「アンタねえ!!」

「本当に自分の立場を分かられていないようですね」



 普段、自分でもどこから出ているのか分からないくらい甘ったるい声を出している私から、思っていた以上に鋭い声が出た。



「…どういう意味よ、?」

「だから、許してあげるって言ってるの」



 何を勘違いしているのか分からないけれど、このアホな小娘はさっきから正気なのか。

 誰が誰に、ものを言っているのかって話。


 リアナ嬢が因縁を吹っかけてきた時、私は貴方をあの場で責めることも言い返すこともなく去った。

 でもそれは、周囲の目を気にしたからだ。

 私はリアナ嬢に対して、謝罪の感情など一ミリも持っていない。全ては自分のため。


そもそもの話、私が周囲の目を気にする必要など、初めから無い。


 私は伯爵家の娘であり、公爵令息の婚約者。

 公爵や伯爵のお父様、アナスタシス公爵令息が居ないあの場でなら、身分の一番高いものは私になる。

 身分が全てのこの世界で、上の者が下の者を気遣う必要なんてない。


 だから貴方を見逃してあげたのは、私の気まぐれであり、自分自身を美しく見せようと思っただけの話。

 けして貴方に恐れたわけでも、自分に非があるとも思っていない。



「っ、なんで、アンタがっ!…上からなのよ」



 リアナ嬢の方へ足を進めると、威勢よく鳴いていた声は段々と大人しくなった。


 まるで子犬ね。

 小さくて、プルプルと震えて、うるさい。

小さい自分を守るために大声でキャンキャンと鳴くの。

こういうのをなんて言うんだっけ?

 あぁそうだったそうだった、負け犬の遠吠えだ。


 まぁ、犬はかわいいけどこの子はブスね。



「貴方なにか勘違いしてない?私は上よ、貴方の何倍もね。貴方は雑魚男爵の娘で私は伯爵家の娘、レベルが違うのよ。…振られた可哀想な貴方を不憫に思って今回は許してやるって言ってんの。分かる?」



 リアナ嬢との距離はわずか三十センチほど

 百六十センチの私に比べてリアナ嬢の身長は百五十くらいか、その身長差から目の前に立つと見下ろす体制になる。



「私は、やろうと思えばあんたの家なんて簡単に潰せちゃうのよ?」

「っ!それは…ごめん、なさ」

「聞こえないんだけど。散々人を巻き込んでおいて、ごめんなさい?」

「聞こえてるじゃないっ!!」

「リアナ・アンジール。…アンジール男爵家ね、そういえばお父様から聞いたわよ?最近上手くいっていないんですってね。爵位も微妙でおまけに貧乏なんて、大変お辛いでしょうに」

「…それは、」

「ねえ、オリバー・フランクは本当に私だけが理由なのかしら?…ただ、貴方に愛想がつきただけじゃなくて?」



 私がそういうと、本当にどこか心当たりがあったのか、みるみると顔が青ざめていった。


 少し、リアナ嬢が可哀想だと思った。

 でも、可哀想って感情はね。あくまで自分の立場が相手よりも上だと理解していて出る感情。


なんて惨めで、可哀想なんだろう。あぁ、私はこんな子じゃなくてよかった!


 皆、表向きには善人ぶったって心の奥底ではそんなもんよ。



「さぁ自分の立場が分かったのなら貴方の頼りないお父様に謝ってくることね、私がお父様に言う前にね」

「そ、そんな、も、申し訳ございませんでしたレティシア様!!」

「気安く名前を呼ばないでくれるかしら。...はあ、もういいわ。疲れたからさっさと目の前から消えてちょうだい」

「っ、!!…はい、」



 さっきまでの圧はどこへ行ったのやら。

ぷるぷると震えて会場内へと戻っていったリアナ嬢。あの顔、見ものだったわね。


 んー!すっきりした。

 異性のトラブルで令嬢たちから嫌味を言われることは少なくない。

でも、いつもは言い返さずに我慢してばかりだったからこうして、思ったことをいえてスッキリしたわ。



 これで、明日からはいつもの私に戻るのよ。

かわいくて、賢くて、淑女な私として演じるの!


そして、私の人生は輝かしいものになる。

いいえ、するのよ。


私が私を幸せにする。自分を幸せにできるのは、自分だけ。

 まるで、童話に出てくるようなお姫様みたいに。キラキラしてて、輝かしい未来を目指して。

 だって、物語の最後に笑うのは。『かわいい』顔をした女の子だから。


 私は、幸せになるの。幸せに…



「…レティシア?」



 ・・・あぁ、今日は本当についていないみたいね。



「...あら、アナスタシス公子」



 今まで作り上げてきた、私のキャラ。

 伯爵家の一人娘、純粋無垢なお嬢様。誰に対しても親切で優しい、かわいらしい令嬢。


 アナスタシスの、公爵令息の婚約者として。恥の無いように頑張ってきたわ。

 他の令嬢から悪女だなんだと言われようが、私は徹底して自分のキャラを崩さなかった。

 

 公爵家の息子の婚約者でいるために。私が幸せになるために。

 私が、私でいるために。


 …でも、もういいかしら。うん、疲れたもの。

 アナスタシスは賢い人だから、今更言い訳したって無駄。



「どうしてこちらに?」

「…言ったでしょう、あとで庭園を案内すると」

「あぁそうでしたねーごめんなさい、忘れていました。」

「っ、レティシア君は...!」

「リアナ嬢の言っていたことは何一つ間違っていませんよ」



 アナスタシスの声を遮るようにして、話し始める。

 問いただされるくらいならば、いっそのこと自分から自白してしまおうじゃないか。

 


「公子様、私悪女なんで。自分のかわいさを使って自分の価値を証明したい惨めな女なんですよ。貴方と婚約をしたのも自分のため、貴方のことなんて全く愛していません、ごめんなさい♡ …では、そういうわけなのでさようなら」



 はい、これでおしまい


 バイバイ、私の理想の王子様。

貴方は優しくて優秀だからきっと私みたいな性格の悪い女よりもずっと良い人が見つかるわよ。


 恩は感じている、愛は無くても尊敬はあった。

 貴方のために、全て捧げられる忠誠心だって。


 …でも、結局私は貴方の権力を利用してきた。

ごめんね、貴方はずっと私を想ってくれたのに。


 だから、もうおしまいなのよ。



「待て、レティシア!!」

「…婚約破棄の件ならきちんとお受けいたしますのでご心配なく、公子様」

「婚約破棄だと?一体何を言っているんだ、落ち着いてゆっくり話を...」



 何を言っているのか、それはこっちのセリフよ。

私が全て悪いのよアナスタシス。貴方を騙していた、私の責任。

だから私の方から貴方を解放してあげる。



「どうかその手を離してください、迷惑です。」



 さようなら、アナスタシス。


 貴方の持ってる才能(権力)が、大好きでしたよ。






・・・







「おはようございます。本日付でお嬢様の専属メイドに選ばれました、これからどうぞよろしくお願いいたします。」

「こちらこそよろしくね!えへへっ、新しいメイドさんなんて少し緊張しちゃうわね」

「お嬢様が緊張されることはありません、私はただの使用人ですので」



 「よろしくね」と、飛び切りの笑顔と、ぱちーん、と愛らしいウィンクを決めてみるものの、メイドの表情は変わらない。


 うーんこの子はちょっとドライな子かなぁ?

前のメイドみたく嫌われる前に媚でも売ろうかと思ったけど、私の全力の笑顔を振りまいてもその反応は...流石に落ち込むわよ?



 リアナ嬢の事件から一週間の月日が経とうとしていた。

アナスタシスに腕を掴まれた後、無理やりアナスタシスの手を振り払ってお父様の元へ走った。

 お父様は私の姿を一目見た瞬間、ただ事ではないと気づきすぐに馬車を呼びつけてくれ、二人で伯爵家まで帰った。


 リアナ嬢にはかなりひどい言い方をしてしまったから、別にお父様に言いつけるほどでもないと思っていたけど、昨日の出来事はかなり噂になってしまっていたようですぐにお父様の耳にも入っていたようだった。



“レティシア!一体何があったの?!そんなに濡れてしまって…”

“あの男爵の娘にやられたのだ!これは許されんことだ!”

“なんてこと!あぁ、私のかわいいレティシア、こちらにおいで”



 お父様とお母様はシャンパンを男爵令嬢によって故意にかけられたという話を聞いて、今までに見たことが無いくらい激怒していた。


 どうして近くに使用人が居なかったのか。どうして誰も令嬢一人を守れなかったのか。そう強く怒っていた。

それは、私に長年仕えてきたメイドたちを一式変えてしまうほどだった。


 その話を聞いて、長年連れ添ったメイドが居なくなって悲しい...なんて感情は生まれなかった。

 両親が私のために動いてくれた、怒ってくれた。そのことについての喜びと、忙しい中私なんかのために手間をかけさせてしまった申し訳ないという気持ちくらい。


 そもそもの話、私はメイドたちを気に入っていなかった。

メイドたちもまた、私のことを嫌っていただろう。

 話しかけても無視をされたり、お父様とお母様が居ない前では頻繁に雑な仕事をしていた。

 恐らく、一般的にいう虐めというものを私は受けていた。


 それでも私は気にならなかった。

私はかわいいから、容姿が全てなんだと言い聞かされて育ったから。



 そうそう、肝心のリアナ嬢についてだが。

 次の日の早朝、アンジール男爵とリアナ嬢が伯爵家まで謝罪に来た。

「うちのバカ娘が本当に申し訳ないことをした…!!」

 そう言って、土下座をする男爵の姿。その横で怯えたように震えるリアナ嬢はなんとも哀れで惨めだった。


 庭園で私と話をした後、本当に自ら男爵の元へ全て自白してしまったそう。

 私よりも先に言えば、許してもらえると本気で考えたのか、それとも自分の父にまだ力があると本気で信じていたのか…。

 

 まぁ、別にどっちでもいいんだけどさ。

 あまりにも惨めすぎる結果。無知とは罪だね。


 それとも、何も知らないふりをしているのかな。

それならちょっと私はリアナ嬢に同情できちゃうかも、なーんて。


 別に、リアナ嬢を許したわけじゃない。そもそも、恨んでも居ない。私の恨みは、庭園で返したつもりだったから。  

 だからといって、お父様に話して助けてあげるほど情を持っているわけでもないが人生を無茶苦茶にしてやる、なんて感情はサラサラない。


 私はいつもの完璧な笑顔で、「お気になさらないでください。」と言い残し自室に戻った。

 これはどちらでもない返事、貴方たちの謝罪なんて受け入れてあげない。

 

 お父様も、同じ対応をしたそうだ。

お父様自身の恨みはあるかもしれないが、私のお父様は優秀な人。

 仕事に私情を持ち込む人ではない、アンジール男爵家はあのしつこいリアナ嬢を生み出した家。きっとまだまだしぶとく生き残るのだろう。


 結局、リアナ嬢は自宅謹慎を一か月言い渡されたそう。男爵や男爵夫人からはかなり叱られたそうだが、そのくらいで済んで有難いと思ってほしいくらいだ。



 だが、元はといえばオリバー・フランクがふざけた理由で婚約を破棄したのが始まりだ。

 リアナ嬢も、一応は被害者である。


 リアナ嬢が我を忘れてまで私に歯向かったのは、愛する婚約者に一方的に別れを告げられたことがきっかけ。

 リアナ嬢は、心からオリバー・フランクを愛していたんだろう。その感情は、人間一人の理性を壊してしまうほどのものだったと。

 恋心とは恐ろしいものだ。自分第一主義の私には心底理解ができない。


 オリバー・フランクはアンジール男爵家とフォンディア伯爵家。両家から恨みを買ってしまった。

 次期に、フランク子爵家は終わるでしょうね。


 

 私が何よりも気にしていた、アナスタシス公子の件だったが、お母様は私に怒らなかった。

“公子と結婚できないかもしれない”そう素直に伝えれば、「貴方の方が大切に決まっているでしょう」そう、言い切ってくれた。

 あの、容姿と権力が全てだと考えているお母様が私の方が大切だと言ってくれた。純粋にその気持ちが、私は嬉しかった。


 もしかすると私の容姿に魅入られていたのは、他の誰でもなく私自身だったのかもしれない。

 そしてお母様も、お父様を愛することで考えが変わったのかもしれない。


 本当は。この世で一番大切なものは、容姿や権力ではなく愛なのかもしれない。

 


 …なんて、ありえないけどね。

 もしそうだったとしても、私はその気づきに蓋をする。


 今更気づいてしまったって、もうすべて遅い。

 十六年間私は、この生き方をしてきた。今になって生き方を変えるほど私は器用ではないし、そんな度胸もない。




・・・




「お嬢様、失礼いたします」

「どうぞ」



 新しいメイドは律儀に働くいい子だ。サバサバした性格の子だけど真面目で仕事も丁寧で、私にも親切に接してくれる。

 お父様直々にメイドの面接をしたという。

 お父様、伯爵として仕事が忙しいだろうに私なんかのために…。



「お嬢様宛にお手紙が届いております」

「手紙?パーティーへの誘いか何か?」

「…いえ…それが、」



 私から目線を逸らすと、どこか部が悪そうな顔をしたメイド。



「もしかして、相手はリアナ嬢かしら」

「えっ、どうしてそれを…」

「はあ、やっぱりそうなのね?みんな、私にリアナ嬢の話をする時は同じ顔をするから嫌でもわかるわよ。気を使ってくれてありがとうね、大丈夫だから渡してちょうだい」



 メイドは、「申し訳ございません」と一言言うと、私に手紙を差し出した。受け取ると、それは真っ白のシンプルなデザインだった。

 封を開けて、中を読んでみるとその手紙の内容は先日の件についての謝罪文。



「これ、リアナ嬢が書いたものじゃないわね」

「どうして分かるのですか?」

「あの子、こんなに難しい言葉知らないもの」

「なるほど…」



 馬鹿だもの、あの子。

この手紙の内容は謝罪の手紙として、違和感があるほど完璧すぎる。ただの令嬢が書けるような内容じゃない、恐らく専門の者を雇ったのね。

 全く、リアナ嬢がこんな謝罪文を書けるわけないでしょ?あの子の場合はプライドが邪魔して、謝罪なんてできないだろうから。

 あの子のプライドの高さだけは尊敬しちゃうわね。



「あっ!そうでした、お嬢様に嬉しい知らせがありますよ」

「嬉しい知らせ?」



 この子なりに私を励まそうとしてくれているのだろう。嬉しい知らせって何かしら、今は気分が落ち込んでいるから元気になれるような話があれば嬉しいわね。


 そうね...お父様が新しい宝石を買ってくれたとか?それとも、お母様が私に新しい季節物のドレスをオーダーしてくれたとか?



「アナスタシス公爵令息様がいらしております、お嬢様にお会いしにですよ!

噂には聞いていましたがそのお姿はまさに花公子と呼ばれるだけあって本当に素敵でした。素敵なお嬢様のお相手にぴったりのお方ですね!

 …あら、お嬢様?どうされたのですか、顔が真っ青ですよ」



 そうね、貴方は悪くないわ。悪いのは私とあの生意気な男爵の娘。

前までの私なら飛び跳ねるほど喜んでいたでしょうから。


 でもね、新人メイドさん。

 そいつは私の今、会いたくない人間ランキング一位に君臨する人よ…。



「やぁレティシア、会いたかったよ」



 …私は会いたくなかったですよ。


 アナスタシスは、いつもと変わらない完璧の笑顔を私に向けた。まるで先日のことなんて無かったかのような雰囲気が異質で、少し気味が悪い。昔から、その笑顔の裏で何を考えているか全く分からなかった。



「突然訪ねてくるなんて、いくら公子様でも失礼ではありませんか?」

「…レティシアはチェスがお好きですか?」



 なに、今私を無視したの?


 明らか様に無視して、自分の話を通したアナスタシス。

その澄ました顔がいつもは素敵に見えていたのに、今は憎たらしく感じてしまう。



「公子様は耳が遠いのでしょうか?とても心配ですわ、すぐに帰って医師の元へ行くべきです」

「僕を心配してくださるなんて本当にお優しいですね」



 それならばこちらも、と明らかに失礼な言葉をぶつけてみたが、彼の表情は変わる様子は無い。



「…それほどでもありませんわ」



 なんなの?私の本性を知ってるくせに、どうして私に構うのよ。



「はあ…それで?今日は何をしにきたんですか」

「今日は君とチェスをしようと思ってね」

「チェス?本当に意味が分からないです。… それは命令ですか?」

「そういえば、君は僕の願いを聞いてくれるか?」

「えぇ、公子様からの命令でしたらただの伯爵令嬢の私は従う他ありませんもの」

「ならばそういうことにしよう」



 窓際に置かれた小さな机と対面向きに置かれた二つの椅子。机の上にはチェス盤と駒。



「はあ…分かりましたよ。言っておきますけど、私結構強いので」



 深くため息を一つついて、椅子に座りチェスの駒を持った。


 だらだらと先日のリアナ嬢との話をされるくらいなら、さっさとチェスを終わらせて帰ってもらおう。



「レティシア嬢のチェスをする姿は何度も社交界の場で目にしたことがありますよ」

「あれは表向きに弱いふりをして相手を喜ばせてるだけです」



 私がそういっても、アナスタシスの笑顔は崩れない。


 普通ここはやばい女だとか、悪女だとか、思うところでしょう。

 もしかして、公爵家では感情を殺すような教育でもされているの?相手にここまで言われて、笑顔を崩さないなんて。ここまで徹底されていた笑顔は少し気味が悪い。


 …まぁ、私が言えたことではないけれど。



「おほん、ところで公子。どうして私とチェスを?」

「美しいゲームは美しい人とするに限るからね」

「…はぁそうですか」

「謙遜したりしないのか?」

「まぁ、事実ですし」

「やっぱり、面白いねレティシアは」



 はい?

 面白いってなによ、私が美しいことが面白いってこと?それともただ私を馬鹿にしているの?



「レティシア、君に質問をしてもいいかな?」



 コツ、コツ、と静まり切った部屋に駒を置く音が鳴り響いた。



「…どうぞ。」



 無言でゲームを進める中。

 ゲームの中盤、突然アナスタシスは私に話しかけた。



「正直君はこのチェスの試合に勝敗にこだわっていないだろう?」

「えぇ、だってただのゲームですもの」

「あぁそうだね。それじゃあこれがただのゲームじゃなくて、どうしても君が勝ちたい勝負だったとしよう。このゲームに勝たなければ死に関わる、ゲームに勝てば喉から手が出るほど欲しいものが手に入る。状況は何だっていい、君ならどう勝つ?」



 私がどうしても、勝ちたい勝負…。


 どうして彼がそんな質問をするのかは、私には分からない。どうしてだと問うほどまでには気になってもいない。


 だから私は、その質問にただ答えるだけ。



「…そうですね、私なら」



 駒を一つ持ち、私は少し乱暴に駒を盤へ叩きつけた。

 その勢いで、盤は振動し、端にあった駒はいくつか散乱してしまっている。



「……レティシア?ポーンはキングの位置まで、飛び置きすることはできないよ?」

「もちろん存じ上げておりますわ。ですが、私なら勝つためならルールだってなんだって破ります。たとえ、それが非人道的なことだとしても自分の目的のためになら私は簡単に破り捨てて見せます。」



 どう?ここまで言えば、なんて傲慢な女だって。流石の貴方も引いていくでしょう。

 これで貴方のその作られた笑みは消え去るはず。


 …だが、私の予想とは反してアナスタシスは、先程よりもずっと笑顔が増していた。



「自分の目的のためなら、なんだってするか。ふふ、やっぱり君は最高だ。その振り切った性格は少し羨ましいよレティシア」

「…羨ましい?...羨んでいるのですか。貴方が、私を?」



 何がそこまでツボにハマっているのか。アナスタシスは、くすくすと笑っている。

 綺麗な右手を口元に添えて笑う癖は昔から変わらない。

 その綺麗な手が私は結構好きだった。色白で羨ましいなんて思ったこともある、だって綺麗だったから。

 ...私は綺麗なものが好きなので。


 羨ましいですか。そうですね、貴方の仰る通り私は羨ましがられる人生を送ってきました。

 貴方という素敵な婚約者、大きな後ろ盾の伯爵家、かわいらしい恵まれた容姿。

 今まで何度も、私は私に生まれてよかったと思いましたよ。



 …アナスタシスの言葉を聞いて、何故か。

 昔仲が良かった友人との記憶を思い出した。



 その能天気で腹の立つ笑い方が、似ていたからだろうか。





・・・





「レティは今日もかわいいね!」

「ありがとう、貴方も今日もかわいらしいわよ」

「もう!やめてよね!私がかわいいわけないでしょ!あははっ」



 よく笑う子だった。愛想がよくて、明るい子。



「私ね、レティみたいな愛される女の子になりたいんだ!…なんて、言葉にするとちょっと恥ずかしいね。へへっ」



 貴方は愛されているじゃない。

私なんかよりも、ずうっと。何倍も愛をもらっている。



「あーあ!もぅ、レティが羨ましい!」



 私みたいに、計算して人の顔色を伺う必要なんてない。

 羨ましい、それはこっちのセリフよ。

意識せずとも愛される才能を持った貴方が、私は羨ましい。



 その子とは、少しずつ関わりは減っていった。特に大きな喧嘩をしたわけでもない、嫌っている訳でもない。

 だが、今では名前すら思い出せない。

…いや、私が思い出さないようにしているだけか。


 昔から、人からの妬みや嫉妬が好きだった。自分を肯定してくれる素敵な言葉。


 でも、その子だけは違った。

私にとって、その子からの「羨ましい」という言葉は地雷だった。





・・・






「それではアナスタシス様、私からも質問をしてもよろしいですか」

「もちろん、君からの質問はなんだって答えよう」



 チェスのゲーム中、アナスタシス側から話しかけてくることはあっても、私からは一度も話しかけることはなかった。

 それだからか、私が声をかけるとアナスタシスは、それはなんとも嬉しそうな顔をした。



「…どうして、私の本性を知っててしつこく付きまわってくるんですか?」

「ふふっ、酷い言い方をしますね」



 酷い?普通の感性をしていれば、誰だってそう思うはずですよ。


 公爵令息の貴方にここまで酷い言葉使いをして、無礼な真似を働いている。今までの私は全て嘘だった。アナスタシスは、その事にもう気づいている。


 それなのに一体何故、まだ私に会いに来たのか。



「あぁそうだ、君に手土産を持ってきたんだ」



 ...また、話を逸らした。



「...そういうところだけは礼儀正しいんですね、人の話はろくに聞かないくせに。」

「それほどでもないよ」



 これは嫌味なんだけど。分かっていてわざとこの対応なの?それとも、本当に気づいていないド天然なの?

 一度もぼろを出さないし、何を考えているか分からないし...。

 本性を隠さずに話せるから楽だけど、...いや、むしろ疲れているのか。


 

 そういえば、こうして本音で話すのなんて。いつぶりだろう。

 自分のことにいつも必死で、他人の考えなんて。好意があるかないか、しか考えてこなかった。

 いつしか私は、家族の前でも理想の自分を演じていたかもしれない。



「どうぞ召し上がってください」

「…マカロンですか?」



 彼が差し出したのは、美しい箱に丁寧に敷き詰められたマカロン。



「いりません。」

「遠慮せずにどうぞ」

「してません、いりません、どうぞお下げください」

「レティシア、朝食をとっていらっしゃらないでしょう?顔色を見ていたら分かります」



 顔色?確かに、最近きちんとした食事を取っていないから顔色が悪いのは確か。だが、上から化粧をして顔色を隠しているから分からないはず。


 断っても何度もしつこく食べろと要求してくる彼に嫌気がさす。

 一体どうしてそこまで私に構うのか、善意なのか。それとも嫌がらせのつもりなのか。



「…はあ、いいですかアナスタシス様。ご飯は食べたら太るんですよ」

「そりゃあ知っているとも」

「太った姿は醜い、私はそんな姿になりたくないです。」

「それじゃあ体に良くないよ」



 私を心配してるっていうの…?

 なによ、いい人ぶらないでよ。


 アンタだって本当は他のやつと同じなんでしょ。

 私の容姿が好きで、美しい私が気に入っている、ただそれだけ。



「だからなんですか?貴方だって、私の見た目が好きで話しかけてくるんでしょう?それとも、そんなことは無いと言い切るんですか?」

「はい、その通りです」

「っ、意味が分からない!…なんなのよ貴方、!」



 まっすぐな目で、即答されるとこっちが引けてしまう。


 なんで、どうして?

 子供みたいに泣きつくみたいで、悲しくなる。

 これじゃあ、私は惨めで仕方ないじゃないか。



「…もういいでしょう、アナスタシス公子。」

「何がですか?」

「全てです。もう終わらせましょう、このふざけた演劇を。私をからかって遊びたいんですか?それとも、今まで騙していたことをお怒りで?それならば貴方の気が済むまで謝罪します。慰謝料だって払います。なのでもういいでしょう」



 私にだって、プライドはある。

これ以上貴方のペースに巻き込まれたくない、貴方と話をすると、

 お願い、アナスタシス。もう、終わらせてちょうだい。



「君と婚約解消は絶対にしないよ」

「お断りします。私は、幸せになりたいので」

「僕が幸せにして見せるさ」

「私は、私の本性を知らない相手と結婚したいんです」

「ははっ、それは果たして幸せなのか?」



 返す言葉が無い。貴方の言うことは正しい。

でもね、私の人生に正しさなんて必要ないのよ。



「もう帰ってください、お願いします。婚約解消の話はまた後日お手紙をお送りしますので」

「また会いに来るよ」

「…聞いていました?もう貴方とはお会いしたくありません。だから貴方もさっさと新しい相手を見つけてください」

「また来るよ、君がわかってくれるまで毎日。それじゃあごきげんよう、レティシア・フォンディア」

「…完全に無視ね。 はあ、」



 レティシアは、体の思うままに机に伏せた。


 どうしてアナスタシスは婚約破棄に同意してくれないのか。どうして、私にチェスなんて申し込んできたのか、どうして、私を離してくれないのか。


 疑問はいくつも浮かぶが、今私が一番に考えなければいけないことは、これから先どうすればいいのかということ。


 今日の私は完璧とは到底言えなかった。

 普段ならもっと、冷静沈着に頭を使って試行錯誤できたはずなのに。子供みたいに、なんで、どうして、嫌だ、繰り返しそう言葉を並べてしまった。


 やっぱり、私はアナスタシスの前だとどうも調子が狂ってしまう。

 どうしたものかと、手に持っているチェスの駒を強く握りしめて深くため息をついた。



「失礼いたします。お嬢様…大丈夫でしょうか?公子様は帰られたようですが、」



 軽くノックの音が聞こえ、どうぞ。と言うとアナスタシスと入れ違いの形で、新人メイドが部屋に入った。



「ええ、少しチェスをしただけよ。アナスタシス様ったら急用を思い出したそうなの」

「あら、そうだったのですね」

「そうよ、公子様はお忙しい人ですから」



 あのね本当はね、アナスタシス。


 私、本当は...



「あと、今後アナスタシス様が来ても。絶対に通さないでちょうだい」



 ずっと、貴方のそばに居たかったのよ。

 貴方と結婚して、幸せになりたかった。



 ...私の、めんどくさくて汚くて、酷い性格は。

 貴方にはバレてしまったけど。この感情だけは、貴方には暴かせない。


 だから。さようなら、私の王子様。

貴方だけが私を本物のお姫様にしてくれると思ったけど。

 私みたいな人間は、貴方のような素敵な人間には釣り合わない。私に貴方は、あまりにも眩しすぎたから。



 全部おしまい。めでたしめでたし!


 元気でね、バイバイ。




・・・





「お嬢様、本日も公子様が来られているのですが、」

「…またなのね。悪いけど、いつものようにしてちょうだい」



 昼過ぎごろ、お茶を飲んでいると申し訳なさそうな顔をしたメイドが話しかけてきた。

 

 もう、お願いだからそんな顔をしないでよ。私の方が悪いと思っているんだから気にしなくていいのに、そんな顔をされてしまったら私の方が申し訳なくなってしまう。

 まだこの家に来て数週間しか経っていないのに、何度もあの笑顔で何考えてるか分からない公子の相手させてしまって本当に申し訳ないと思っている。



「かしこまりました、お嬢様の命令通りにさせていただきます。」

「お願いね」



 アナスタシスは、言っていた通りに毎日私に会いに来た。

 公子のくせに暇なの?なんて悪態をつく元気は、今の私にはもうない。


 彼にはもう会いたくない。

 お互いの立場上、社交界の場で顔を合わせることはあっても、二人きりで会うことは今後二度とない。


 だから何度アナスタシスが家へ来ようとも、メイドに指示してアナスタシスを謁見室に通してそのまま帰らすようにした。

 

 この数日間は、アナスタシスの後ろ姿を毎日見ている。

 アナスタシスが来たと同時に、すぐに帰ってもらうようにメイドに指示をする。それから少しすると、自室の窓から彼の後ろ姿が見えていた。



 今日もそろそろ後ろ姿が見えてくる頃のはず。



 …見えるはず。


 …見えて、


 ………あれ?



「今日はちょっと遅いわね」



 何かあったのかしら、もしかしてメイドに無理にでも私を呼ぶように言ってたりしないわよね。

 彼は誰に対しても、使用人に対してだってとても親切な人だからそんなことはけしてないはずだけど…。



”きゃあぁっ!!大丈夫ですかアナスタシス公子!!”



 窓から外を眺めていると、一階から聞こえてきた女性の悲鳴。



「…うそ、なに?」



 な、なに?何があったの。


 一体、誰の声?悲鳴…もしかして、侵入者?この警備が厳重な伯爵家に?



 …彼は、彼は無事なの。

 アナスタシス様は、無事なの…!



 考えるよりも先に、体が動いた。

 計算をしてばかりの人生だった私の人生で、考える前に体が動くなんて出来事は初めてだった。


急いで一回階の謁見室へ向かい、勢いよく扉を開けるとそこにいたのは地面に座り込んでいるメイドと。背中を向けて立っているアナスタシスの姿。



「アナスタシス!!さ、…ま?」



 そこで一体、何をしていらっしゃるの。



「やぁレティシア!やっぱり、君は来てくれると信じていたよ」

「…どういうことですか、」



 まさか、メイドが私を騙したのか。

 そう思い目線をメイドに逸らしたが、そこにあったのは顔面蒼白で何が何だか分からないといった様子のメイドの姿。



 それなら、今の悲鳴は一体?



「少し、怪我をしてしまったんだ」



 そういうと、アナスタシスは私に自身の右手を見せた。



「…刺したのですか、自分で?」



 震える声でそう聞くと、彼はいつものように笑顔を浮かべた。

 明るく、穏やかに笑う彼の顔は、まるで物語に出てくるヒーローのように爽やかだった。

 彼の見せた右手の甲は、その笑顔に全く似合わない、真っ赤に染まった血。


 こんな時、純粋で、優しくて、性格の良い、本物のヒロインならどう声をかけただろうか。

 側だけが美しく、中身が醜い私はただ、彼の血塗られた手に触れることも駆け寄ることもできず、呆然と見つめることしかできないでいた。



「少し、手が滑ってしまったんだ」



 手が滑った?そんなのありえない、どう手が滑ったらナイフで自分の手のひらを刺すことになるのよ。


 傷口は深く、床にぽたぽたと血が滴り押している。

周囲を見渡すと、そばにはナイフが無造作に置かれていた。


 …これで彼は刺したんだ、このナイフで自分自身の手を。


 ………メイドを叫ばして、私を呼ぶために?



「…貴方もう下がっていいわよ」

「ですがお嬢様、」

「いいから!!」

「っ、かしこまりました」



 いつもの能天気なお嬢様とは全く様子の違う主人を見て驚き、部屋を飛び出した。



「僕を心配してくれたのか?優しいなぁレティシアは」

「…なんで。」

「うん?」

「なんで!どうしてこんなことをしたんですか!…傷跡が残ったら、どうするんですか、」

「レティシアは僕の手を良く褒めてくれていたからね。大丈夫こんな傷、すぐに治るさ」



 私が怒っていることにも関わらず、アナスタシスは笑顔で答えた。


 どうして、どうしていつも笑顔なのよ。

 治るとか、そういう問題じゃない。貴方が今、怪我をしていることが問題なのよ。



「そうじゃなくて!!私を呼び出したかったのなら、なんだって使えばいいじゃないですか。貴方は侯爵令息で私はただの伯爵令嬢。呼び出す方法なら沢山あるのに、!!」

「うん、そうだね。…強いて言うなら、君の愛を確かめたかったから?とか。なんてね」



 …なんなのよ。馬鹿じゃないの。



「愛って、なんですかそれ」



 その言い方なんて、それじゃあまるで…

 

 まるで…!!



「…そんな言い方、まるで、貴方が私を好きみたいじゃないですかっ、」



 もう、勘違いするようなことは辞めていただきたい。


 リアナ嬢の件で、この私の本性が貴方にバレた時、これでよかったとも思った。

 ずっと、貴方を騙していることに対して、心のどこかで罪悪感を感じていたから。


 だから、貴方がいっそのこと、騙しやがったなこのクソ女!くらい、言い切ってくれれば。

 最低だ。って、みんなのように私を悪女と呼んでくれれば…。



「僕は君を愛しているよ」



 …私は、貴方を諦めることができたのに。



「…私は嫌いです、大嫌い、貴方のことなんて嫌いです、」

「本当に?」



 貴方に心を読まれないように、唇を必死に噛みしめて表情を隠してみても。

 きっと、賢い貴方のことだから、私の考えていることなんて手に取るように分かるのでしょう。


 私の顔を覗く彼の顔は、いつもと変わらない完璧な笑顔。

 作られたような笑顔、私はその笑顔が嫌いだった。


 …私と似ていたから。

 私と彼の共通点はそのくらいだったかもしれない。

作られた、完璧な笑顔。相手の機嫌を伺った嘘の笑顔。


 いつだって、その笑顔を崩さない。私も、彼も。

 …でも、先に崩してしまったのは私だ。だから、私から別れを切り出しているのに。



 どうして貴方は、私の手を離してくれないのよ…!



「ほんと…」

「君は本当に、可哀想な人だ」



 “本当です”そう、答えようとしたとき。彼は私の言葉を遮った。


 …可哀想?私が?



「……どういう意味ですか?」



 話し出したかと思えば、私が可哀想って言ったの?


 …そんなのありえないでしょ。

 私は美しい容姿を持っていて、素晴らしい権力を持っていて、それで、親はお金持ちで!…あと、それから、


 …さっきから、全部親が私に与えた物じゃない。

 ねぇ、それなら、私の価値って一体なんなのかしら。



「そのままの意味さ、レティシア。…いつまでも満たされない、可哀想な人間。」



 そういうと、彼はずっと上がりっぱなしだった口角を下げた。

 

 初めて見る顔だった。

 その顔は、何を考えている時の顔なの。どうして、そんな顔をするの?

 私が嫌いなの?好きだって言ってくれた言葉はやっぱり、私をからかっていたの?



「なに、やっぱり、怒ってるんでしょう?」

「怒っていないさ、愛する人と話していて、怒る人間がどこにいる?僕はただ、君に愛を伝えているんだよ」

「…愛?」



 さっきから彼は何度も愛だと繰り返している。

 愛、これのどこが愛だっていうの…?


 愛、恋愛、恋、ロマンス。

 どれも素敵な言葉。


 昔からお姫様と王子様が結ばれる物語が好きだった。

 とってもかっこいい王子様と、とってもかわいいお姫様が結ばれる物語。

 主人公の女の子が幸せになる、単純なハッピーエンドの『愛』の物語。


 私たちのこんな歪んだ関係は『愛』なんかじゃない。


 …いや、そもそも私は、純粋無垢な女の子ではない。

 その時点で、私の理想の人生計画は破綻していた。

そのことは遥か昔から気づけていたはずのこと。それを今の今まで、自分の奥に隠しこんで。必死に、純粋無垢なお姫様を演じてきた。


 でももう、隠しきれない。

 私は物語のお姫様になれない。



「そう、これは僕たちの愛さ。僕たちは初めてお互いをさらけ出して話せたんだ、こんなにも嬉しいことはあるか?…はるか昔から分かっていたさ、君がひねくれた性格をしているってことは」

「…私の美しい容姿の裏には黒くて汚い本性が隠れていたのよ。それを知った上で、私を愛していると言っているの?」



 分かっていたなんて、どういうことなの。

 それはつまり、庭園でのリアナ嬢の件の出来事よりもずっと前から、知っていたということ?


 …そんなのありえないわ。

 だって、それなら、どうして私を突き放さなかったのよ…!!



「あぁ、そうさ。僕の顔色をいつも伺って、その甘い声で甘い言葉を囁く君は本当にかわいらしかったよ」



 アナスタシスは、そう言いながら。一歩一歩、こちらへと足を進めていく。

 どんどん近づく彼に、反射的に体が後ろへ下がるが。後ろは扉、逃げ場はもうない。


 彼との距離はわずか数十センチ。



「だがやはり、素の君の方が素敵だ。愛されたくて、自分のそばからみんなが離れていくのが怖くて。誰かに好かれていないと意味がない、自分の自尊心が満たされない。そうだろ?」



 …言葉にならない、図星だった。

 いや、それよりもずっと嫌な感情。ずっと隠していたものが、曝け出されてしまった。これは羞恥心でも、不快感でもない。初めて感じた感情。


 逆ギレだ、そう思われてもいい。

 今、彼に言い返さなければ自分が自分で無くなってしまう。


 全てを知ってしまう。いや、気づいてしまう。

 それはダメよ。私はまだ純粋無垢なお姫様を演じて居たいの…!!


 ”うるさいのよ!!”


 …そう、言ってアナスタシス公子の顔でも一発殴ってやろうかと腕を振り上げた瞬間。

 その手は、簡単に彼に掴まれてしまった。



「っ、いや!離してください!!」



 真昼、今は日差しが一番強い時間だ。

 窓にかけられたカーテンの隙間から差す光が逆光になっていて、上手く彼の顔が見えない。



「アナスタシス様…?」



 今、貴方はいつものように笑っているの?

それとも、さっきのように初めて見る表情をしているの?


 

「惨めで、可哀想な君を」



彼は少し黙った後、口を開いた。



「えっ…」



 ”今、なんて”そう、言おうとした私の言葉は。

 

 彼の唇によって塞がれた。



「…愛しているよ、レティシア」



 気が付いた時には、腰には腕を回されており、頬には右手が置かれていた。

 男性の強い力で掴まれると、上手く身動きが取れない。

まるで、離さないとでも言うようにして、がっしりと体が固定されてしまっている。


 頬に置かれた右手は、傷を負った血塗られた手。

 彼の手を伝って私の頬にも血がべっとりと付いてしまっており、湿った感覚が気持ち悪い。


 血の鉄臭い匂いと、彼が好んで使っていた馴染みのある香油の香りが混ざって頭がくらくらとした。



 …私は、その時気づいてしまったのだ。



 ずっと自分が握っていると思っていた主導権は、遥か昔から彼によって握られていたことを。

 私に、逃げれる隙などどこにも無かったことを。



 でも。それも、悪くないかもしれないと思った。

 だって、今更自分は彼を好きではない、なんてことは言えないから。


 仕方ないわよね?だって、彼が私を好きなんだもの。

 だから私は、答えてあげるの。いつものように、上から、自分はあくまで求められ受け入れてあげる側だと。


 

 アナスタシスと唇が触れ合った時、自分の中でぷつん、と。何かが切れ落ちる音がした。

 いいや、もっと分かりやすく言うならば。

長年張られていた、『純粋無垢なお姫様』を演じる役が降板になった音。と言った方が正しいか。

 


 愛に飢えたレティシアにとって、アナスタシスからの大きすぎる歪んだ愛は大好物。


 イかれてるレティシアと、そんなレティシアを愛してやまないアナスタシスは”お似合い”というやつなのかもしれない。



 二人の関係は、婚約者。

これから先この関係が変わるとすれば、夫婦という選択しか残されていない。



 レティシアは、この世の誰よりも『美しさ』『かわいらしさ』を求めていた。

 彼女はこの世界の誰よりも愛らしく、美しく、かわいい人だった。

そして、彼女はこの世界の誰よりも自分の醜さに怯えていた。


 これから先の長い人生の中で、レティシアはいつまでも自分が愛されているかどうか。

 自分の美しさに価値はあるのか。自分は、今でも『かわいい』かどうか、不安でいっぱいな人生を送るだろう。

 生まれ育った環境や与えられた言葉によって、彼女はこじらせてしまっている。

 その病的な感情は、直すことなどできない。



 だが、彼女のそばにはこれから先ずっと。

 レティシアを愛してやまないアナスタシスが居る。


 レティシアが憧れてやまなかった、美しい純愛ラブストーリーとは真逆の歪んだ関係の二人は、とても醜い愛だ。


 皮肉だが、美しい容姿を持ち、醜い内面を持つレティシアにはお似合いなのかもしれない。




 …でも、この物語は美しい。



 何故なら、主人公のレティシアは。

 とっても『かわいい』悪役令嬢だから。



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