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私のすきなひと


 キーンコーンカーンコーンとチャイムがなると、つまらなそうに講義をしていた若いとはいえない男性講師は「では、ここまで」と言って、そそくさと教室からいなくなった。ガイダンスのとき、東大出身、東大大学院出身と自慢げにひけらかしていたその講師は、噂では東大の講師枠は勝ち取れなかったという。だからこうして、大してレベルの高くない女子大で教鞭を取るしかないのだろう。小難しい理論や専門用語を使って話を展開させたり、参考文献には無駄に英語文献やフランス語文献を使用したりする所為で、学生からの評判は最悪だ。百人は入ろうかと思う講義室には、二十数人の学生の姿しかなった。必修でもない授業だから、毎回きちんと出席している人は少ない。それどころかガイダンス以降、まったく出席していない人もいる。きっと来年以降、あの講師が授業を開講することはないだろう。大学三年生にもなると、大学の運営の仕方もわかってくる。教授とか准教授とか、役職のついた先生の講義は、どんなに人気がなくても毎年開講されるが、講師の場合は人気がなければ容赦なくきられる。きっと、経営上の問題なんだろう。

 大学の運営だって、商売だ。特に、有名でもない私大が経営が大変で、新入生の獲得に躍起になっているし、学生のご機嫌とりをこれでもかというほどしている。私が在籍している女子大は「有名でもない私大」に属している。私たちはその振る舞いひとつで、自分たちより遥かに頭の良い大学を出た先生の将来を決めることができる。そう思うと、東大や東大大学院のブランドも高が知れているように思えてきて、愉快だった。

 荷物をまとめて部屋から出ると、後ろから「ゆいー」と間延びした声で名前を呼ばれる。振り返れば、同じゼミに所属する佳奈がいた。

「どうしたの?」

「聞いてよ、聞いてよー!」ばっちりとメイクをした彼女が、泣きそうな声を出す。「彼氏に振られちゃったのー」

「え、なんで?」

「なんかね、お前よりもっと美人で、スタイルの良い女見つけたからって。ひどくない?」

「それは、ひどいね……」

「なんでよ、あたしの方がずっと龍弥のこと好きなのにー……。毎日、夕飯もつくりに行ってたし、この間の誕生日には、欲しいって言ってたコンバースの限定のスニーカーもあげたんだよ? 飲み会で遅くなって終電なくなっちゃったって言われたら、夜中でも迎えに行ったりもしたのにー……」

 えーんえーんと漫画のように泣き始める彼女の背中をさすりながら、馬鹿だなと内心で嘲る。佳奈は好きになった相手には、とことん尽くす。でもいつも、向こうから捨てられる。彼女はきっと、使いやすい駒のようにしか思われていないのだ。確か、今の佳奈の彼氏は、佳奈のことを馬鹿なところがかわいいと言っていたっけ。一度だけ会ったことがあるが、どうにも人を見下している感じが拭いきれない人間だった。

 好きになるなら、絶対に裏切らない人の方が良いに決まっている。

 そうしたら、私は好きなひとに裏切られないんだから。

 裏切られることほど、つらいことはないから。

 そんなことも解らないなんて、佳奈はただの馬鹿だ。大学の廊下で人目をはばからずに泣きわめく佳奈をなぐさめながら、私はぼそりと「馬鹿だなぁ」と呟いた。


 やけ酒に付き合ってと懇願する佳奈の手をどうにか振り払い、一人暮らしをするアパートに転がり込むように帰った。靴を脱ぐ間も惜しいから履いていたヒールのまま部屋にあがり、充電器に挿しっぱなしにしていたタブレット端末からコードを引き抜いて動画配信チャンネルに繋いだ。まだ配信は始まっていないようで、画面は「ナラちゃんねる」というロゴがでかでかと表示されているだけだった。まだ始まっていなかったことに、ほっと息を吐く。とりあえず玄関に戻って靴を脱ぎ、洗面所に行って手洗いうがいをした。

 大学進学を機に一人暮らしを始めたが、寂しいのも家事が面倒なのも最初だけだった。何をしても文句を言われないという環境は、天国にも近い気がする。

 そういうわけで、私は心置きなく、誰に遠慮することもなく、毎日、画面越しで好きな人と逢瀬を重ねられる。私の好きなひとは、動画配信者のナラくんだ。

 ナラくんはゲーム実況で主に活動している。週に二回から三回程度、配信を行い、それは基本的にアーカイブが残される。ナラくんが削除しない限り、アーカイブはいつでもどこでも見られるが、「好きなひとと同じ時間を共有している」という感覚のあるライブが、私はいちばん好きだ。だから、どんなことをしてでも、ナラくんの配信はリアタイしている。

 「あれ、これ、ちゃんと映ってる?」

 好きな人の声が聴こえると、ふくらはぎのあたりで滞留していた血が巡るような感覚があった。タブレット端末には、ぱっちりとした二重が特徴的な男の人が映っている。画面の右側には、「ナラくん今日も配信ありがとー」「映ってるよー」「バッチリ!」「見えてますよ!」「今日もビジュ良ッ!」「この配信が生きる糧」と、車が走るくらいのスピードで大量のコメントが流れていく。

「あ、よかったー! じゃあ、予定よりちょっと遅れちゃったけど、今日も生配信始めていきます! 奈良出身、ナラくんのナラちゃんねる、始めてくよー」

 うきうきとした表情で「今日はどうしよっかなぁ。新発売のゲームやろうと思ったんだけど、まだ配信NGなんだよね。……だから、今日は違うゲームにしないとなぁ」と言いながら、画面の中のナラくんはレトロゲームをあさっている。いくつかのタイトルが見えるが、どれも知らないものだった。スマホのカメラを起動させ、あとで調べようと、カシャカシャと画面に映るゲームタイトルを撮影する。ナラくんのことは、ひとつでも多く知っていたい。というよりも、ナラくんのことで知らないことは無いようにしたかった。

 動画配信サイトはそのシステムの仕様上、スクショができないようになっている。最近はモデルやアイドルも動画を配信している時代だ。彼らにはその容姿や存在自体に商品価値があるから、それを無料で垂れ流しにするのはだめなんだろう。でも、スクショがだめでも別の端末で撮影してしまえば、写真なんていくらでも撮れる。私のスマホの中には、そういう写真がたくさんあった。

「あ、これにしよう!」

 私に大量の写真を撮られているとも知らないまま、無邪気な笑顔を画面いっぱいに向けるナラくんは、ひとつの有名なゲームタイトルを告げる。

「これならみんな知ってるでしょ? 勇者が魔王を倒す元祖RPGね」

 がちゃがちゃとゲーム機を操作しながら、「俺、これめっちゃ得意なんだよね。だから縛りプレイでもしよっかな」と言うナラくんは少しいたずらっこのようで、かわいい。私はカメラのシャッターボタンを長押しした。カシャカシャカシャカシャカシャカシャとやかましいくらいの音が鳴る。写真フォルダを確認すると、八枚連写できていた。その中でもよく撮れていたものに、削除できないよう、ロックをかける。それを見て、うっとりと「ナラくん、今日もかっこいい……」画面に頬ずりした。

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