第一話 ゴマすりで死んだ前世、ゴマすりに生きる今世
お転婆な伯爵令嬢のセリーナは、木登りしていて足を滑らせて、地面に頭を打ちつけたショックで、自分の前世が日本人の誉田芹那であった事を思い出した。
そうだ……私は、
そう芹那ときたら、誰に教わったのかゴマすりに命をかける女であった。
満3歳を迎える前から、近所の奥様のお洋服や髪型を褒め、お友達のお母さんにはお友達が如何に良い子であったかを語り、おべっかを使い、もちろん愛する家族のことは一人につき10個は毎日何らかの形で誉めていた。
芹那に褒められた人は皆んな恥ずかしそうにしながらも笑顔になっていた。
たぶん芹那は他の人の笑顔が好きだったのだ。
それが原因で死ぬなんて……。
芹那は社会人になってからも、誰かれ構わず褒めまくった。褒めて褒めて、気がついたら同期の誰よりも出世していた。……営業成績がダントツトップだったのもあるが、上司へのゴマすりが神がかっていたのも自覚がある。
人はおべっかと頭で分かっていても、褒められれば嬉しくなるというもの。だから、基本的には敵はそんなに作らずに来ていたのだが、ついにやらかした。
社内に恋人のいる男性をいつもの要領で褒めまくり、トラブルになり、刺されたのだ。
彼女とも仲良かったのに……地味ブスの癖に生意気とか酷いこと言われながら死んでしまった。チーン。
享年二十◯歳。儚い生涯でありました。自業自得です。はい。
セリーナはそんな前世を思い出して目の焦点を合わせずボンヤリしていたから大変。
セリーナを溺愛する家族に心配をかけてしまった。心配顔を見たく無いセリーナは、前世の失敗はどこへやら。
太った父を恰幅が良く頼り甲斐があるとヨイショし、少し金遣いの荒い母を流行に敏感で衰えぬ美貌と褒めそやした。
使用人達の仕事の一つ一つに驚き賞賛してみせて、最初はワガママだった娘の変わりように、たじろいでいた家族達も、いつの間にか新たな娘を受け入れ、毎日褒め殺されていた。
父は仕事に励み、母は社交界で華やかに注目を集めた。
そんなセリーナは、交友関係が広く、前世の記憶があるのもあって平民とも分け隔てなくこっそり親しくしていた。
使用人達の子供と一緒に屋敷から程近い森を歩くことも良くあった。
そんなある日。
「セリーナ大変だ!トニーがいなくなった!」
木陰で本を読んでいると、友人の一人が慌てた様子でやって来た。
トニーはこの子、ベンの弟だ。
「迷子?大人達に言わないと」
セリーナは本を閉じて立ち上がりながら、ベンに言うと、
「それは……その、勝手に仕事サボって遊んでたから、その……」
要するに、サボりがバレたく無いから、子供達だけで見つけたいと言う事か。
「もう!少し探して見つからなかったら、ちゃんと大人に言うからね」
「わ、わかったよ」
ベンの方が年上だが、精神年齢ではセリーナの方が上なので、しっかりお小言は言わせてもらう。
まあ、この世界では大人が子供を怒る際は結構厳しめの体罰もあるようなので、大人にバレたく無い気持ちはよく分かる。
なら、ちゃんと言うこと聞けば良いとは思うが、それでも遊びを選んでしまうのが子供だということなのだろう。
セリーナは遊び場の森の中をベンと共に進む。
「いつもより少し奥の方まで行ってみたんだ。そしたら、恐ろしい顔の化け物がいて、ビックリしてトニーを置いて逃げちゃったんだ」
初めて聞く超重要情報にセリーナは仰天する。子供の手に負える話じゃなさそうな……。
「えっ!?化け物!?今からでも大人に言った方が良いんじゃない?化け物ってどんなの?襲ってきそう?」
「ううん……なんか普通の俺らと同じくらいの子供がいると思ったら、顔に変なアザ?模様みたいなのがあって、それで俺たちに聞いてきたんだ。
復讐の魔女ベアトリクスの森はここかって」
ベアトリクスはこの世界に伝わる御伽噺によく出てくる魔女だ。
森の奥深くに何百年も昔から住んでいて、復讐を手助けしてくれるとか、怒らせるとドラゴンになって街を破壊するとか。
ドラゴンは遠い昔にはもっと身近な存在だったらしいけど、今は前の世界程でなくても、今や伝説に近い存在だ。
そして、この森は普通の狩猟や野草の採集にピッタリな普通の森なので、残念ながら伝説の魔女にもドラゴンにも会うことは無い。
「つまり……化け物とかじゃなくて、顔にアザがあるだけの誰かに復讐したいだけの人間じゃないの?」
「うーん……そう言われるとそうかも」
ベンは単なる思い込みで暴走していただけのようだ。
「あ!あれトニーが持ってたオモチャだ!あっちの方に行ったんだ!」
ベンが木製のオモチャを拾い、そして勝手に駆け出す。
「ちょっと!単独行動禁止!」
セリーナはお嬢様の割には軽装だが、それでも使用人の息子には懸けっこでは敵わない。
もう!このままじゃ行方不明が増えちゃう!
セリーナがベンを追って間も無く、
「うう……」
人の声が聞こえた。
「ベン!?それともトニー?どこに居るの?」
声が聞こえた方に行くと、少し崖の様になっている場所があって、茂みや小枝が折れていたりするのを見ると、ここから落ちた様だった。
下の方に人影が倒れているのが見える。
暗くなる前になんとかしないと。一人の様なので、兄弟は合流していない様だ。
「待ってて!今行くから!」
そろりそろりと近くの枝を手に取りつつ、ゆっくり慎重に崖を降りていく。
なんとか降りれたが、ドレスの裾は土が付いて汚れてしまった。
母に知られない様に後でこっそり着替えないと。
そして、倒れている少年を見て、そこで気がついた。
ベンでもトニーでも無い!誰!?
というのは置いといて、少年を観察する。
意識が朦朧としている様だ。微かに呻いているが、目を瞑っている。
顔に刺青の様な黒い禍々しい模様が顔の左半分を覆っている。
しかし、それを除けば女の子と言っても通じる様な綺麗な顔をしている。
黒髪がサラサラとしている。意識が無いのを良いことに、少し触ると予想通りの指通り。
なるほど、この子がベン達が見たベアトリクスの森を探す少年か。
「ねえ、大丈夫?落ちちゃったの?平気?」
優しく揺すると、薄っすら目を開けた。
澄んだアイスブルーの瞳と目が合った。
「……誰?あなたがベアトリクス?」
少し掠れた声だが、弱っているというよりは、声変わりの最中なのかもしれなかった。
「ううん。残念ながら違うの。私の髪は魔女と同じ金色だけど、絵本の魔女より少しくすんだ色だし、目も青じゃなくて灰色だからね。
私、ちょっとだけなら回復魔法使えるから。待ってて」
なけなしの魔力を使って少年の擦り傷や疲れを癒してあげた。
その分だけセリーナは疲れた。今夜はぐっすり眠れそうだ。
「ベアトリクスを、復讐の魔女を探さないと……」
顔を隠しながら少年は立ち上がった。
「待って、ここの森には残念ながらいないの。
あなたはどうして魔女を探してるの?」
セリーナが止めると、少年は悔しそうに俯いて答えた。
「復讐したいんだ。魔女の力を借りたい。それに……この顔を……。この顔は見ない方が良い。魔女じゃ無いのなら放っておいてくれ!
少年は顔の模様を片手で覆いながら、唇を噛んだ。
「あなたに嫌なことをしてきた奴がいたの?
魔女がいれば力強いけど……もし見つからなさそうなら、私が一緒に嫌な奴やっつけるよ。
だから、今日はもう家に帰った方が良いよ。私じゃあんまり役に立たないかも知れないけど、一発くらいならきっとそいつ殴ってやるから!ね?」
多分よくわからない模様のせいで嫌な目に遭ってきたのだろう。なんでそんな模様があるのかは分からなかったが、この年齢なら自分で進んで刺青を入れたということも無いだろう。
セリーナは少年に元気になって欲しかった。
「あなたの目すっごい綺麗だし、髪もサラサラで絹みたいじゃ無い?それに、自分一人で魔女を探そうと思って実行できるのって凄いかっこいいと思うよ。やっぱり口だけじゃなくて、実行できる、行動できることが重要だと思うし、前向きに動ける男の人って素敵だなって思う。なんやかんやで女の子ってそう言う男の子に惹かれるところがあるっていうか、悔しさをバネにできる人って尊敬できるよ!」
セリーナは一気に捲し立てた。おべっか使いセリーナの本領発揮である。
しかしながら、少年の顔に笑顔を見ることはできなかった。
少年は顔を隠したまま俯いていた。
まずい、引かれたか?
「えっとぉ……とにかく、自信もって!本格的に復讐したくなったら、魔女より私、セリーナがオススメだから!ちゃんと殴り方とか研究しとくから。
覚えといてね」
「ん……わかった」
少しだけ少年の口元が緩んだ。
へへ……可愛いじゃん。おっと、精神年齢大人なんだから自重しなくては。
「ちゃんとした道まで送る」
少年が申し出てくれた。でも、どうやって戻ろうかな?
小さな崖の上をセリーナが見ると、ふわりと体が優しく抱きしめられた。
「え?」
少年がセリーナを抱いたまま、崖を一足飛びに上っていた。
そして、そのまま元いた道まで、お姫様抱っこで運ばれる。
セリーナは驚いてその間何も言えなかった。
「ここまで来れば大丈夫かな?じゃあね」
少年が立ち去る。
そこで、ハッと正気に戻って、セリーナは少年に声をかけた。
「復讐には、魔女ベアトリクスよりこの私!セリーナをよろしく!」
謎の選挙活動みたいなセリーナの呼びかけに、少年は少しだけ振り向いて、軽く手を上げて応え、そのまま去ってしまった。
トニーとベンはその後すぐに二人揃って戻って来たので、この事は他の誰にも、大人にも知らせなかった。
少年をその後森の中で見かける事は無かった。復讐は諦めたのかな。
復讐……すれば良いのに。
セリーナは、そんなちょっと不思議な子供の頃の思い出をやがて少しずつ忘れていった。
そして、セリーナもそろそろ結婚を考える年頃。
セリーナの両親が暗〜い顔をして告げる。
「セリーナ、お前の婚約者が決まった……。オーウェン・モルガー第一王子殿下だ」
セリーナはピシリと固まった。
オーウェン王子。仮面の冷徹王子。呪われた王子。
産まれたその日に母親である側妃殿下は亡くなられ、その顔を見たものは呪いを受けて不幸に見舞われるとかなんとか。
現在多くの貴族は正妻である王妃の産んだ第二王子が次期王になるだろうと考えているらしい。
オーウェン王子は軍に入り、隣国との戦線に駆り出され、獅子奮迅の活躍を見せたため、戦争の英雄として名高い。
しかし、呪いの話があるために次期王としては相応しく無いとの意見が根強いのだ。
そして、冷酷な性格で知られていて、敵国からは死神と呼ばれてるとかなんとか……。
「えっと……私で務まりますか?」
自身が無い。田舎ののんびり育った伯爵令嬢。セリーナ自身は社交会には最低限しか顔見せしてない。
「国王からの命令だ。……逆らう事はできない。既に王子から手紙で数日以内に迎えが来ると……」
「とにかく、早く準備しないといけないわ!」
母はやる気を見せている。覚悟を決めるしか無い。
「どうしても嫌になったら手紙を出しなさい。なんとかできるかは分からないが、とにかく、手紙を出すんだぞ」
頼りない父だが、愛情は伝わったので、ギュッとハグをする。ポヨンとお腹に弾かれそうになりつつも、背中に手を回す。
「大丈夫!どこでだって私は強く生きていけるから!」
そして、数日後には、王室の紋章の描かれた豪華な馬車が屋敷の前に何台も何台もやって来た。
馬車から仮面をつけた黒髪の長身の男が降りて来た。
この人が呪われた王子……セリーナの夫。
家族に見送られながら王子と同じ馬車に乗る。
こうして、セリーナは第一王子の婚約者となった。