宴が終わって
夕食も終わり、落ち着いた頃。僕は部屋に戻り、今日のカルボナーラは美味しかったなぁとか、明日の忘れ物が無いかの確認をしないとなぁとか、色々と思考を巡らせながら動いていた。
「よし、とりあえず明日の準備はこれで大丈夫かな」
ひと段落したところで、さてこれからどうしたものかと。特別やることもなく、かと言ってこのまま寝るには少し早すぎるなぁと時計に目をやると20時過ぎた頃だった。場繋ぎで僕は室内にあるテレビの電源を付けた。
たまたまついたチャンネルでは音楽番組が放映されていて、【ファムファタール】が歌っていた。恐らく収録であろうことはわかっていたが、相も変わらず歌書さんのキレのあるパフォーマンスと透き通った歌声が印象に残る。
「本当に…………すごいな」
彼女のパフォーマンスを見ると、凄いという感嘆と同時に、あることも引っかかりはするが、それは一旦目を瞑ることにした。
ファムファタールのパフォーマンスが終わった頃にチャンネルを変えてニュースでも見ようと思った。ドラマとかバラエティ番組でもいいとは思っていたが僕にはそういったものへの関心が浅い分、ニュースで今日は何があったかを知る方が十分に足ると考えていた。
今日のニュースは………都内の私立高校で教師10人が殺された。容疑者と思われる人物はその学校に通う女子高生で、校舎から飛び降り自殺をした。
随分と物騒な世の中だな。それに女子高生が人を殺して自殺ね。それじゃあ、司法の真っ当な制裁を受けることなくだから、なんだか後味の悪い話だ。嫌だ嫌だ。少しばかり暗い気持ちになってしまった。
そう思いながらニュースを見続けると、室内にピンポーンと呼び鈴が鳴る。
こんな時間に? という程でもないが、誰だろうと思いドアに近づき、ドアスコープを見ると、ケイ姉が立っていた。
「ケイ姉? どうしたんだろう?」
彼女がこの部屋に来ることについては、珍しいということでもない。ただ強いて言うなら、いつもは事前に何時頃に来ることを教えてくれるし、実際にその時間を守って来る。そうであるはずが、今回の場合はアポなしだ。緊急、ということか? 疑問などはあるが、少なからず悪意をもってというものではないはずだと思い、扉を開けた。
「あっ、ハテくん。良かった~、まだ起きていたんだね」
「さすがに寝るにはまだ早いかなとは思うよ」
「そっかそっか。ねぇ急で悪いんだけど………少し話があってね、お邪魔していいかな?」
やはりアポなしでここに来たんだな。
単純に彼女が伝達し忘れた、もしくは僕が彼女の話を聞いていなかったかのどちらでもないということだ。
ケイ姉の視線が左右に揺らいでいるのがわかる。心なしかケイ姉の表情があまり明るくもないと思った。とりあえず話を聞いてみよう。
「うん、大丈夫だよ。入って」
「ありがとう、お邪魔するね」
ケイ姉が入ったところでドアを閉める。
「それで話って?」
「話というか………悩みというか……」
随分と歯切れが悪い。いつものケイ姉ならハッキリと伝えたいことをすぐに言うが、どうも話すことに躊躇をしている様子だ。
「悩みってなると僕が最適な解決を出せるか自信はないけど、とりあえず話は聞くことはできるよ、僕で良ければね」
「アハハッ、ありがとう、ハテくん。じゃあ話すけどね、最近の私がおかしいと感じるようになったんだ」
「おかしいこと? 僕から見たらいつも通りに感じるけれど………」
「う~ん、いや、いつも君の前だとそういう気持ちにはならないからね、大丈夫なんだ。演劇での話なんだ」
「演劇でのこと? ………もしかして妬み嫉みによるいじめとかそういう話題?」
「とんでもない、そんなことはないわ。演劇部も休日に顔を出す劇団も本当にいい人たちばかりだわ。そうじゃなくてね、最近練習をしている時、『私が私じゃない』とそう思うようになってきたんだ」
「私が私じゃない、ね…………どういうときにそう感じるようになったの?」
事の不穏さを感じてきたが、ことによればこれは耳にしておくべき話なのかもしれないと思い話を聞くことにした。
「うん…………今ね、文化祭に向けて練習をしている演目があるんだけど、普通に練習をしていったらね、どんどんと見る世界が教室じゃなくて、まるで………まるでその劇中の世界に入ったような、まるで私の演じている役そのものになったような、そんな気がするの」
「そうなんだ。でも傍から聞いている分には、『その役になりきれている』とボジティブな話にも思えるけど」
「………そうだよねえ、そう聞こえても仕方ないよね。だけど問題があって、さっき言った演目で私が演じる役はね、最後の場面で槍に貫かれて死んじゃうって結末なんだよね。もちろん客席からは刺されたように見える演出をするのは言うまでもないんだけどね………それでこの間、例のシーンを練習したらさ、急にお腹が痛くなったんだよね」
ケイ姉は自分のお腹を優しくさすりながらそう言った。
「腹痛ってこと?それは………急にトイレに行きたくなるとかそういう?」
「うぅん、そんなんじゃないんだ………まるで、本当に何かに貫かれたような痛みだったんだよね」
「何かに貫かれた?それじゃあまるでさっきケイ姉の言った役の結末みたいだね」
「うん、ハテくんの言う通りだよ」
でも待てよ。ここ数日のケイ姉はそんな様子を一切示さなかった。いつからだ? 少し気になったのでそれについて触れることにした。
「それって具体的にいつ?」
「それが……実は昨日で」
「きのっ!?」
少し貯めてから言った2文字は衝撃の事実であった。その驚愕にたった3文字の言葉も2文字しか出なかった。
「うん。あの日、帰りが遅かったと思うけど、ほとんど保健室で寝ていたんだよね。しばらくしたら痛みが引いて、特に病院にも行かずに帰ったんだけど……そしたらね、実は………」
ケイ姉は徐に部屋着をまくり腹部を見せる。一瞬僕は目を逸らしたが、再び目をやると幸い腹部しか見えなかった。そしてその腹部には赤い大きな円形の痣が4つあった。
「お風呂に入ったときに気づいたんだ。でも触っても全然痛くなくて………それは今も変わらず。これでも昨日よりは小さくなっている方なんだよ。ただちょっと怖くてね、今日本当は練習があったけど休んだんだよね」
今日一緒に帰ったとき、「練習が無いから一緒に帰ろう」とケイ姉からの提案はあったが、そもそも僕がケイ姉の部活事情なんていちいち気に留めてもいない。
一緒に帰れたらラッキー、そのくらいの気持ちであった。だから今日の帰宅している時、まさか部活を休んでいたなんてこと想像もできなかった。
それはそうと件のだが、箇所はまばらなようで、ほとんど中心に寄っている。本当にさっき僕が思ったことのようだ。
「これ、触っていい?」
「う、うん」
僕はそっと彼女の痣に触れる。少しケイ姉の吐息が漏れるのが聞こえるが少しソフトに触り過ぎただろうか。それにしてもその痣は極端に腫れているわけでもない、例えばカサブタのような突起したものでもない。まるで肌に赤いペンキで塗られたようなものだった。
「ちょっと強く押すね」
僕はケイ姉の痣を少し押す。柔肌の弾性を感じているが、ケイ姉の顔を伺っても苦悶の表情は見えない。
「痛くない?」
「うん……全く」
「そっか、ありがとう」
僕はそっと腹部から手を引き、考え事をする。
そしてある可能性に気付いてしまう。
「………ねぇケイ姉」
「………何かな?」
ケイ姉も僕はこれから話そうとしていることを察しているのかもしれない。そんな間合いを感じた。
「さっきの役についての結末なんだけど……」
「えぇ……」
「練習の時………いや、本番でもそうなるだろうね。役の人が刺される槍の本数はいくつ?」
「やっぱり気付いた? ………4本」
「そっか…………まるで本当にその役になってしまったかのようだということだね」
「やっぱり、そう思う?」
「ケイ姉の発言を繋ぎ合わせたら、ね。正直こういうのって、ほらここに専門家がいるじゃん」
「黒羽根先生のことだね」
「うん、だからその人の見地でどうこう考えないといけないけれど………このことは?」
「まだ話していなくて、それこそハテくんが一番最初だよ。どこかのタイミングで先生に診てもらうべきかなとは思っているけれど、先生忙しいじゃん。いつできるのやらで………。さっきも言ったけど、この痣は昨日より小さくなっているから、いざ先生に診てもらうタイミングが合ったとしても、もしかしたら消えている可能性だってありえるのかなって。だからそれを先生は素直に診てもらえるか心配なんだよね」
徐々に痣が小さくなっているという事象がどれほどのペースなのかわからない以上なんとも言えず、何となくでしか彼女の躊躇う、迷う気持ちを汲み取れないと思った
「なるほどね……それで一旦は僕をワンクッション挟んでこの話をしたってことかな?」
「うん、そんなところ。それでハテくんがどう答えるかで、判断しようかなと思っているんだ」
「そうだったんだね。うん、わかった。これは考えるまでもないよ。先生に診てもらおう」
「やっぱり、それが正しいよね」
少しケイ姉の顔が和らいだようにも見えた。求めていた答えだったのかもしれない。だなんてそんな気がした。
「今のケイ姉の話だとどういうわけか謎のはあるが徐々に小さくなっていて痛みもない。そうではあるんだけどさ、じゃあ体内の方がどうなのかは疑問なんだよね」
「確かにね……ちゃんと検査してみてもいいのかもしれないね」
「ちなみに腹痛を感じたと言ったけど、以降はどうなの?」
「それが全くなくて。食欲に関しても何ら問題なく、今日のカルボナーラはとても美味しかったわ」
「それは良かった。けど一方で、気持ち悪い話だね」
「本当にね………でも話して色々と気持ちに整理はついたかな。うん、ありがとうハテくん。何とかなりそうだよ」
ケイ姉は膝をポンと叩いて立ち上がり、僕の部屋を後にした。
ドアスコープを覗いて彼女がいないことを確認した後、僕はスマホを起動させ、操作する。
そしてある人物に電話を掛ける。
「あ、もしもし。君崎さん?」
僕は君崎さんに話をかけた。同じマンション内にいるうえ部屋もわかっているが、今日の夕食時に直接会うことが久しぶりに感じるほど、直接面と向かってという機会が少ない。
だが一方でここの管理人であるからこそ耳に入れておくべきことがある緊急事態時はこうして連絡をしてアボを取るようにしている。
これは僕と君崎さんとの間での話として成立している。
『天杖君、どうしたのですか?君から連絡を掛けるということは………何かお困りごとですか?』
「はい、ケイ姉のことで少し耳に入れておいた方が良さそうなことがあったので」
『憧明寺さんのことで、ですが…………なるほど、わかりました。そしたら1階の相談室、わかりますよね?そこでお待ちしています。私もすぐに向かいます』
「ありがとうございます。では後ほど」
僕は通話を切り、すぐさま部屋を出て1階の相談室に向かった。
相談室は1階に着いて、少し歩いたところを左に曲がる先にある個室だ。内からのみ施錠ができ、多少の声が聞こえるにしても、ドアに耳を当てないと会話がしっかりと聞こえないような程度の防音加工がなされている。
また使用状況についても、裏表に『使用中』と『未使用』と書かれた札が立て掛けられている。僕が着いた頃には『使用中』の面を向いていたから君崎さんがもうすでに着いているのだろう。
僕は3回ノックをすると奥から「どうぞ」と聞こえる。君崎さんの声だ。やはり先に着いていたかと思いドアを開ける。
中に入ると、君崎さんがタブレット端末片手に座っていた。
「君崎さん、すみません急に」
「大丈夫ですよ、何せ明寺さんのことですよね。ということは………」
「はい…………呪鎖について……です」
僕は重たい口を開いて、君崎さんに事の顛末を伝える。
そう、この【呪鎖】は僕が、僕らがこのマンションにいる所以となっているものでもあるのだ。
ということでINTROを経て少しずつ物語が始まりました。
【呪鎖】とは何か、次回ではそれについてのこととどうして天杖君がこのマンションに入居することになったのかについて過去話を踏まえ触れていこうと思います。
少なくともキーになる存在ではあります。
ちなみに天杖君がニュースで見た例の殺人事件は、もちろんアレのことです。