INTRO③
食堂に入るともうすでに何人か先客がいた。
焉堂君に仇智さん、釘宮さんに………もう一人、ボブカットの茶髪に丸メガネをかけた女性、よく見ると顔や服にカラフルな色がついていて……あぁ、なるほど、作業中だったのかな? おそらく絵の具だろうものがついている。大人しく座っているが口を開け、少し上を見上げ、ボーっとしている様子だった。
彼女の名前は多々羅 アヤ。都内にある芸術大学、藝殿大学に通う2年生。釘宮さんと同い年にあたる。
彼女は自称しているが『芸術バカ』である。
大学で絵画や彫刻を大学で学びつつ、小説の執筆、音楽の作曲、建築など幅広くできるまさにマルチな才能を持っている。多々羅さんの名前は既に知れ渡っていて依頼など引く手数多だ。
それにもかかわらず彼女は勉学に重きを置いてほとんど依頼を断っているという話も聞く。本当に余裕があるときくらいしか依頼を受理しないとか。
多々羅さんには十分に才能があるのにどうして学ぶのか、僕は前にそれとなく聞いたことがある。
これは彼女曰くだが、芸術面における才能は大学入学前から十分に発揮されていたらしい。その当時の作品は理論を度外視したものらしく、それとなくで完成させたが、結果的に上手く嚙み合って、その名が知れ渡るようになった。しかし多々羅さんはそれに納得が出来ず、一度しっかり理屈とかそういうものをしっかりと叩き込んでからそういうのを超越した作品を創りたいとのこと。
それに続けて言ったのが先述の『芸術バカ』だ。彼女はそう思うと、限界など無く、常に高みを目指すハングリー精神を持っているストイックな人柄であるのだとも思う。
だが一方この自称に合うようなデメリットもあり、それは日常生活を犠牲にして芸術にのめりこんでいるところだ。さっきも釘宮さんが言っていたが、多々羅さんは創作のために専用のアトリエをわざわざ離れに建てて、基本的にそこを活動拠点にして籠りっきりになる。そして熱中しすぎると食事睡眠入浴など全てを犠牲にして創作に没頭してしまう。それで体調不良だなんだと言われたらいたたまれなくなったと感じた釘宮さんは面倒を見るようになった。
動機はここに入寮したのが、僕とケイ姉のように、同時期で同い年だったこともあってのようだ。これは僕らがここに来る前からそうだったみたいで、今はそこまで手を焼いていないが一時期は中々地獄だったようだ。
「多々羅さんお疲れ様です。さっきまで制作に没頭していたみたいですね」
僕はそう言って自分の類を指し示す。
「おぉサイハテ、よくぞ聞いてくれたね〜。いやね今巷では、キミと同い年くらいの子が絵画で注目を浴びているんだ。今ね、ワタシの大学近くにある国立美術館で個展を開催しているんだが、この間足を運んだのよ。いやぁね、とてもいい刺激をもらった。それと同時に負けたくないとも思った!この情熱を絶やさな…………ふぐぐぅぅぅぅぅぅぅ!?」
多々羅さんは僕が出した信号の意図も理解せずあれやこれやと話し始めたがさんが乱暴に多々羅さんの顔を拭く。
「ありがとなぁ、天杖。ったく顔に絵の具つけても全く気にしないなんて、お前は本当に芸術以外は無頓着だな…………」
「ぷはっ、全く君というやつはもっとこうワタシを大事に扱うこととかできないのかね?」
「大事ってお前も俺も等しく人間だろ?丁重粗雑なんて差はよほどのことが無い限りそうそうないだろ?」
「ん~。そう言われたらそうね」
「はぁ…まぁ理解しただけでもようござんす………」
ため息交じりで釘宮さんは言葉を吐き、頬杖をつく。
しかし、何気なく多々羅さんの口から出た言葉も気になるなあ。僕と同い年くらいの子で個展を開いている? 絵とかそういうのには疎いけど、なんとなく凄いことをしているのが嫌でもわかる。
確か彼女の通う大学の傍の美術館と言えば、歴史の授業でも聞いたことのある画家や世界的に有名な美術館の特別展を開催するところで、内容や日程では人で多く溢れかえるイメージだ。
それを聞いて、ケイ姉はスッと手を挙げた。
「あの、多々羅さんの言った個展って、宗像 リヒトの個展ですか?」
「お?ケイナの言う通りだよ、よくわかったね」
「宗像 リヒト?」
全く心当たりのない人名だ。一応、確認してみようと名前をオウム返しする。
「ハテくんは鳥籠学園って知ってる?」
「あぁ、あの進学率が高いことで有名な私立高校でしょ?全国に何十校とある。それと、最近何かと嫌な噂や事件ばかり聞くことでもお馴染みか」
「最後は余計だけど、うん、そうだね。そこに通っている私たちと同学年の宗像 リヒトって子の絵が注目されているみたいらしいんだよね」
「へぇ~。しかしケイ姉はそんな情報をどこで仕入れてくるの?」
「ん? 演劇部の一人で、美術担当がいるんだけど、その子がこの前、宗像 リヒトの個展に行ったらしくてね、『良い刺激を貰った』と言っていたよ」
「ほう、ケイナのところの学生さんにも影響を与えるとは、なかなかやりますね。ちなみに彼の作品を求めてバイヤーも躍起になっているらしくてよ、これは噂だけど億レベルの話もチラついているみたいだ。まぁワタシの作品を買った人の名前も出たからだいぶ本当に近い話だよ」
「億ッ!?」
僕らと同世代でそんなハイレベルな話がわいてくるものかと思った。衝撃のあまり言葉を詰まらせる。
「でも当人は絵を描くこと主にして金には興味ないとか、カーッ、あんな才能を持っておきながらそこは謙虚なのも若さだよね。もっとグリーディーであってほしいけどね~」
「多々羅さんはお金欲しさに創作をしているのですか?」
彼女の何気ない発言に思わず尋ねる。
確かに多々羅さんは本当に芸術に関してはアグレッシブでストイックだが、その点へのこだわりとかはあまり聞いたことが無いなと思ったことから思わず口に出たのかもしれない。
「ん~、100それが目的ってわけじゃないさ。ただワタシの作品がどれだけの評価になるのかに関しての指標にはなるよね。でもやっぱり良い作品を手掛けるなら良い道具・良い環境って大事じゃない? 離れのアトリエだって、そりゃあ君崎さんに頼み込んでやっとのことで建てたけど全部自腹だよ?なんならあの離れの電気ガス水道も私が出しているわ。作品の売り上げでね」
「なるほど、指標ですか」
「えぇ。例えばワタシが特に惚れ込んだ作品は『死にゆく君』というタイトルの絵なんだが、ワタシの手元に湧き水のように金があるならそうね…………最低でも5000万、最高で1億出しても厭わない」
「そんなに………え、なんですかそのタイトルは?」
多々羅さんの口から出た言葉『死にゆく君』と随分と物騒なタイトルが出てきたな
「今回の彼の個展の目玉作品だよ。それは置いといて、しっかし宗像 リヒトは金にこだわらず質素な道具で、よくもあの色彩感を表現できたものよ」
腕を組みながら多々羅さんは感心の意を示している。さっき僕が紹介しただけでも十分な素質がある彼女だが、それに感化されてここまで情熱的になれるとは余程の高校生なのだと思った。
さて、話もひと段落してそろそろ席に着いた。
しばらくして
「おや、私が最後…ですか?」
1人の男声が入口方面から聞こえる。
「君崎さん、どうも。さっき歌書さんが帰ってきて、そろそろここに来るかと」
「ほう、今日はマッキーさんも帰ってきているのですか。嬉しいですね、こうして皆さんと食事を共にするのは」
彼の名前は君崎 リンクさん。このマンションの中だと最年長の一人、27歳である。また住人でありながら管理人を兼任している。
ビシッとスーツを着て、ネクタイもきっちり締めている装いからいかにも何かしらのお偉いさんのようにも思える。傲慢な様子を一切浮かべず常に温厚な物腰柔らかい雰囲気ではある。しかしその素性は不明でどこかの財閥の上層部だとか、どこかの極道でしのぎを削っているとか、尾ひれの付かない噂が永遠と飛び交う。
ただどういうわけか、彼はとんでもない大富豪で湯水のようにあるお金余らせていると聞く。一体彼の財源はどこから来ているのか、気になるところだ。
背丈は大体175センチくらいだろうか、僕より少し高い。だが27歳というと少し驚くほどの若々しさを感じるが、童顔とかというのではない。また髪も整っていて均整の取れた顔立ち、また清潔感のあるつややかな肌はまさに『上に立つできる大人』って印象だ。
それにしても彼の口から出る「マッキーさん」は敬称込みとは言え、なんかこう、じわじわとくる面白味があるようにも感じるなぁ。僕は直接そのやりとりを見たわけではないが、どうやらさっき僕と歌書さんの掛け合いの時みたいに君崎さんにも「マッキーって呼んで!」と言ったらしく、それに対して取ったのが今に至っているようだ。しかしまぁ………歌書さんもさん付けは妥協ラインなんだね。
「それにしても久しぶりに会う面々もいるように感じますね」
「おぉ~、君崎さん。ちっす」
脱力的に挙手する多々羅さんはフランクな挨拶をする。
「多々羅さん、お久しぶりです。作品の進捗もですが、ちゃんとご飯は食べていますか?」
「えぇえぇそれはもうね。コイツのおかげでなんとかね」
釘宮さんの肩を組みながら得意げな顔で言う。釘宮さんはというと呆れて返す言葉も全くない様子だった。
「あはは………あまり釘宮さんの手を煩わせないでくださいね……」
頬をポリポリとかきながら、苦笑を浮かべる君崎さんだった。
「まぁ、俺から手を挙げて彼女の面倒を見てんで、大丈夫ッスよ」
「ありがとうございます。私も管理人としてできればそういうお手伝いをしたいところですが、多忙を極める身、釘宮さんが最後の希望ですよ」
「ハハハッ、最後だなんて、大袈裟っすよ」
多々羅さんの肩を組んでいる腕を振り払って、釘宮さんは言う。
「はぁ~い、おまたせ~。コスケ兄さんの料理を持ってきたぞ〜」
厨房の奥から、声が聞こえ、両手に皿を持った赤髪長身の男性が現れる。
彼こそ、先ほどから名前も出ている、いやもう彼自身が名乗っているか、舌禍 コスケさんだ。
君崎さんと同じ27歳とここの中では3人いる最年長の一人だ。ちなみにもう一人は黒羽根先生と皆が呼ぶ住人であり医者だ。多忙ゆえ、顔を見る機会が非常に少ない。
舌禍さんの話に戻そう。彼は部内いくつものレストランを経営し、高級ホテルの料理長も務めるほどの名料理入、テレビに出演する機会も多く、大衆向けレストランの味をジャッジするものや料理番組で見かける機会も多い。
その物腰柔らかそうな表情で的確なコメントを出すことで一躍有名になっている。だが一方で、本職のシェフとしての彼はテレビで見るようなものとは打って変わって【鬼の舌禍】と呼ばれ、だいぶ厳しいらしい。ただしその飯しさは自身に傲慢さがあるというわけでもなく、食べてもらうお客様へのリスペクトの欠如への注意や、未来を担う可能性のある人を育てるためのものであり、周りからは決してマイナスなイメージを持たれることのない。
どの場面においても非の打ち所がない若き料理人だ。とまぁそんな話をどこかのドキュメンタリー番組で見かけたが、僕からしてみれば常に優しい舌禍さんの姿しか見たことが無いから想像もつかないし、もしかしたらテレビ用に作っているキャラクターなのではと疑いもする。
それに舌禍さんは今言ったように人気で引っ張りだこ、にも関わらず定期的にこの【マンション・ワルツ】に帰ってきては、僕たちに手料理を振舞ってくれる。しかもこれが絶品この上なく、仮にお店に出したら値段はどれくらいになるのか想像もつかない。そんなものを無料でいただけるのはありがたいし、定期的な楽しみでもある。
さてと、本日のメニューはバスタのようだ。
「今日は、お得意様から頂いた夏野菜をふんだんに使ったカルポナーラだ。結構野菜余らせてね、せっかくと思ったから思考巡らせて作ったぞ。で、一応人数分用意はしているが、ここにいる人以外はまだ外出中かな?いつもの面々って感じだけど」
「そうですね。天杖君日くですが、マッキーさんがこの後来るみたいです」
君崎さんが答える。
「へえ、今日は歌書もいるのか。そりゃあ良いことだ、あの子、俺の料理が大好きだってよく言ってくれるからな~。料理人冥利に尽きるよ」
そう言いながら順々に皿を置いていく。そして僕の座っている席にも、カルボナーラが一つ置かれた。
これはなんとまぁ、美味しそうなことか。普段の食事は学内にある食堂、マンションから無れたコンビニ、あとはさっき言った舌禍さんが残したレシピブックを基にした手料理が中心だが、どれをとってもこれに匹敞するものはないだろう。
出来立てと言うのもあるがここまでクリーミーな香りと爽やかな野菜の香りが鼻を突き刺してきて、空腹感が加速する。それに彼の口からは説明が無かったが、まれたベーコンの存在感もなかなかあり、焼き加減なども非常に良く、「美味しそう」という汎用的なコメントしか出てこないが、その一言に尽きる。
「さぁて、皿の置かれた人から食べちゃって。出来立てのアツアツだからな」
早速食べようと、フォークに手をかける。すると出入り口付近からドタドタと慌ただしい音が聞こえる。
「セーーーーーーーッフ!?」
両手を広げながら爆走する歌書さんが現れた。
「おう、歌書。お仕事お疲れさん、今用意してるから席に座って待ってな~。ちょうど出来立てだから」
「やったー!久しぶりのコス兄さんの料理が食べれるー!」
スキップをしながら歌書さんは席に座る。こうして全員が揃い、夕食を共にする。
普段はこうして一堂に会する機会はないが、舌禍さんが来る日は決まって人が集まる。
舌禍さんとしてはそれも一つの狙いらしく、多忙な彼にとって、こうして元気な僕らの顔を見れることが一つの楽しみになっているようだ。それで必ず決まった日にはこうして集まって夕食を食べる。
だがそれでも集まりきらないのがなかなか難しいところだ。
例えば先ほど名前が挙がった黒羽根先生は都内にある大きな病院で、君崎さんや舌禍さんと同じ 27歳という若さでありながら大の付くほど活躍する、名医に近しいものである。
それゆえ、慌ただしく滅多に顔を見せない。今日もきっと忙しいのだろう、黒羽根先生を見る機会はなかった。
他の人たちは正直よくわからない。1人は探偵で、1人はギャンブラーで、1人は鑑定士で、皆いついるのかが曖味だ。黒羽根先生に比べたら見かける頻度はまだ高い方だが、それでも会う機会が少ない。
ここまで出てきた人以上に合う機会が無いのがもう1人いて、その人は常に旅をしている様子で本当に見かける機会が少ない。僕より前にその人はここに住んでいるが、直接話したことや会ったことに関しては片手で足りるほどなのではないだろうか、と思うほど顔を見たことが無い。いや、全然僕は彼のことを、独楽澤さんのことを忘れているわけではないが、どうしても自由人過ぎて会う機会が全くもってない。
だからこうして共に夕食を過ごすメンバーと言うのはまばらとは言え、今いるメンバーがほぼほぼデフォルトという感じだ。強いて言うなら歌書さんがいるか・いないかがあるくらいだ。
全員の席に皿が並ぶと皆で食事と談笑に盛り上がる。
そうして僕らは、舌福さんの作る絶品パスタを食べて夕食が終わるのであった。
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「おや?」
食堂の入口から誰かが覗いていた。
「そうか、今日はコックさんが帰ってきた日なのね。ふぅ~ん。あとで顔でも出そうかしら」
そう言いながら派手なドレスを身にまとう長身の女性はヒールの音をカツカツ鳴らしながら食堂前を去って行った。
INTRO編はこれが最後です。
これが天杖君たちの何気ない平凡な日常です。幸せそうですね。
最後、彼らを見ていた女性は誰だったのでしょうね?
さて、実は前から布石はあったのですがここまで来るとさすがに察しますよね。
はい、この話は【42人の教室】の同じ世界が舞台になっています。
実は①の時点で軽く布石はありました。①、②に関しての見るポイントは「大学」です。
この話はもう露骨でしたね。鳥籠学園の名前も出たうえに、宗像君はもちろん【42人の教室】に出てくる彼と同一人物です。
時系列としては【42人の教室】の物語の1年前と思っていただければ大丈夫です。
最後になりましたが、今回初登場した三人のフルネームを紹介して締めます。
そろそろ名前の法則とかに気付いてくる頃ですかね?
多々羅 彩
君崎 臨久
舌禍 鼓介