無知が罪ならば
曇天の空を格子ごしにみる。
この檻の中に閉じ込められてどれくらい経っただろう。地下牢よりマシな扱い。けれど、私はたしかに罪人だった。
蝶よ花よと育てられたお姫様はいつの間にか国を脅かす毒虫となり、そして第2王子が正義の名の元に私の処刑を決断した。私は何も知らなかった。毒虫になっていたことも、この国のことも、人々の思いも思惑も。
「ニコラ、時間だ」
「はい、ハロルドお兄様」
わざわざ出迎えてくれた第2王子ハロルド。彼とは仲がいいと思っていた。実際は仲がいいふりだったのだろう。私はこんな時でも聞き分けがいいから、お情けで最後くらいと気づかったのか、それともその手ですべてを終わらせたかったのか。真意はわからないし聞く必要も感じない。
しかし、このあと待つのは私の処刑だ。まるで現実味がなくて、夢のようにも思う。処刑は公開されず、苦しむものではないと事前に聞いていた。慈悲深いお兄様ね、と思った。でも私がなぜ死ななければならないのか、私にはわからなかった。
無知は罪なのだという。
ならば、どうすればよかったの?
◇◇◇
第3側妃のひとり娘。この国の第2王女。
なんの力も持たない、無知で無垢なお姫様。
それが、私だった。
私はたくさんある選択肢から無知であることを、自ら鳥かごの中に留まることを選んだ。それは生き残るために必要な選択だった。
王の子供には王位継承権が平等に与えられるこの国で、戦うか、無害を示すか、ただ死にゆくか。それを選ばなければならなかった。
私も私の母もただ私が生き残ることだけを望んだ。そして私は何も知らない純粋なお姫様になった。疑問を持たず、欲を持たず、知恵を欲さず、まわりのいうとおり心地よく過ごしていればいい。
国王である父が病を患い、王位を巡った争いは激化した。とくに第1王子と第2王子の争いは激しいものだと噂で聞いた。そんなときでも私は、毒味された紅茶とお菓子をいただいて、のんびりと過ごしていた。
王子たちの勝負は、第2王子が勝った。というより、第1王子が死んだ。殺されたのかどうかは知らない。気になっても気にならない素振りで、私は何も知らないままでいることを望んだ。
勢力的にこのまま第2王子が王位につくだろう。そして、私はどこか国にとって得になるところへ嫁に出されるのだ。そこでもまた、同じように無知で無垢で無欲に過ごせばいい。そうすれば死ぬことはない。不幸にもならないはずだ。第2王子のハロルドお兄様とは、お茶をしたり遊びに付き合ってもらったりと交流があったので、そんな悪いようにはならない。かわいい妹として仲良くしてくれているのだから。私はそう過信していた。
しかし、王の病気が進行し、第2王子がほぼすべての実権を握ったあと、私の生活は一変した。
まずは第1側妃、第2側妃が処刑された。生き残っていた第4王女、第5王子も処刑。私の周りから母の側近がいなくなった。次は私の番だと母が怯えるようになった。なら私も死ぬのかなと、漠然と思った。
ついにその時はやってきて、多くの兵士を引き連れた第2王子が母を拘束した。母は泣きながら私の命乞いをしてくれていた。
「お願い!この子は何も知らないの!」
泣きすがる母に第2王子は冷たく言った。
「無知は罪だ」
私は無知が罪になるなんて知らなかったの。
生き残るために、そうするしかないって、そう思って生きてきたの。
だけど私は無知で無垢なお姫様だから。
「お母様、罪ならば償わなければ。『悪いことをしたら謝ってきちんと償いをするのよ』って、お母様が言ってたじゃない」
ニコニコと笑って母にそう告げる。
母は私を見て泣きくずれた。謝ってもいた。
母の罪は何だったのだろうか。
「ハロルドお兄様、ごめんなさい。私、悪いことをしたのよね。きちんと償うわ」
何か言いたそうな顔をしていたけれど、第2王子は私を檻に閉じ込めた。そして私の処刑を決めた。
◇◇◇
教会で私の処刑が始まった。
眠るように死ねる毒が入った毒杯をあおるのだそうだ。処刑なのに教会なんだなと不思議に思う。けれどそれを誰かに聞くことはなかった。知らないことは知らないままで。今までの生き方をそう簡単に変えられそうになかった。
私の罪状が読み上げられる。
母の罪状も含まれていたし、難しいことはわからない。でも、民が苦しむ中、贅の限りをつくし、王族としての責務を果たさなかったことがいけないことだったらしい。甘い甘いあのケーキ1つ1つが、美しいドレス1枚1枚が、民を苦しめていたのだ。
でも私はケーキを食べることが、ドレスをまとうことが、民を苦しめることになるなんて知らなかったのだ。
「最後に言い残すことはあるか」
「はい、知らなかったこととはいえ、皆さまを苦しめてしまったこと、深くお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした」
そう言って目の前の第2王子に頭を下げる。
その顔は無表情で何も読み取れなかった。
他の立会人は、厳しい表情で睨む者、悲しげな顔で同情する者、興味なさそうな者と様々だった。
「あと、」
つい、口を開く。
少し、言いよどんで、でももう死ぬのだから言いたいことはすべて言ってしまおう。
「無知が罪ならば教えてくれてもよかったではありませんか」
第2王子は不満そうな私の顔に驚いたような顔をする。そういえば不満を言ったのも初めてかもしれない。
「無知であることを選んだのは生き残るためです。どうせ死ぬならもっと、もっともっともっと!知りたいことを知り、欲しいものは欲しいと言い、嫌なことは嫌って言いながら生きればよかった。無知で無垢な生まれながらのお姫様であれば、王位継承権にも巻き込まれず適当に嫁がされて終わりだと思ったのに、これでは無知損です……なーんて」
唖然とする周囲の反応がおかしくて笑ってしまう。
私は初めて心の底から笑顔になれた気がした。
「でも、いいです。慈悲深いお兄様が用意してくれた処刑は辛いものではなさそうだし、こんな生き地獄より天国のほうがきっと楽しいわ」
この先を生きて行かねばならない第2王子たちに同情しつつ、毒杯を持つ。
「それではみなさま、ごきげんよう。天国からこの地獄を見守っていますわ。どうかみなさまに女神のご加護がありますように」
無知で無垢なお姫様らしい笑顔を残し、一気に毒杯をあおぐ。そして私は、死んだ。