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1、この世界の勇者

かつて、この国は決して安全と言える場所ではなく、一般市民が郊外に出ればそこに「死」という名の終わりが待っていた。

古よりすぐそばの森に城を構える魔王より遣わされる魔物によって。

魔王とこの国の建国には切っても切れない深い縁があった。

しかし、我々がその真実を知るのはまだまだ遠い未来のことである。


時は流れ、そこに今日、英雄と称賛される人物が現れる。その人は、死闘の末に魔王の討伐を成し遂げ、平和と呼ばれる時代が訪れたのであった。

しかし、

その人は勝ち取った平和の和の中では異物だった。

その強大な力は、人々にとっては脅威でしかなかった。いや、言い方を改めよう。これまで全て魔王のせいにされてきたこと、魔王に向けられていた矢の矛先は、全てその人に向けられた。

人という集団を成す弱き生き物には、共通の敵が必要だった。ただ、それだけだった。


ああ、讃えるよ。

魔王を討ち取ってくれてありがとう。

でもお前は、お前の力は強大すぎる。

怖いから、死んでくれ。



それだけだった。



理由なんてそれだけで十分すぎた。




その人がその後どうなったかは誰も知らない。しかし、「彼女」が処刑を免れ、ひっそりとでも余生を過ごすことができたことを私は、ただただ祈る。

そう、まさにその人を象徴する紅髪と瞳に茜色を宿した「彼女」が。

数世代前の混沌とした時代を生きた「彼女」が。

幸せを知ることができたことを、祈る。


彼女の右耳では大きな輪に小さな輪が二つ連なった耳飾りが。

左耳には二つの小さな輪に大きな一つの輪が連なった耳飾りが、絶えることなく揺れていたそうだ。



絶望の淵に立たされ、いい意味でも、悪い意味でも慣れ親しんだ街の帰路についたとき、

ふと、幼い頃に読んだこんな物語を思い出した。


ーーーー


「その林檎、ください。」

「あいよぉ。…ほれっ、よぉあんちゃん、何があったかんかはぁしらねぇがぁ、まぁ、しんきくせぇ顔してねぇでよぉ、ほらっ、その、なんだ、…元気出せよっ」

林檎、まけといてやるよ

「…、あぁ、ありがとうございます…っ…」


商店街であるにもかかわらず相変わらず過疎が著しい街に、鼻に詰まるような間延びの図太い声が今日も、よく響く。

果物屋のおじさんは、いつもそうだ。

あんな堀が深くていかにも不器用そうで、本当に不器用な彼なりにみんなを励まそうとしている。

あんな間延びで、励まされても彼の、彼なりの言葉はここで生きる力になる。


私に剣が扱えれば...


つらそうにしている人を見るとちくりと痛むものが私の中に、確かにある。

魔王が打ち倒されてもなお、彼によって形成されたダンジョン、魔物の宝庫は消滅することはなく、時折迷い出てきた魔物は今もなお人々を脅かし続けている。

最近は魔物の出没が著しく、中にはダンジョンの周辺で繁殖しているものも、いるとかいないとか。


魔物を討伐することで生計を立てている冒険者と呼ばれる者たちもいる。しかし当然ながら彼らの手の届く範囲もまた、限られている。

今代の勇者が、本物の勇者が無能な故に今もたくさんの人々が苦しめられている。


本来なら、私が...


しかし、何を嘆こうとも決して状況が改善されることは、ない。

鬱な気分のまま娘の手を引く。

「おじさん、私もりんご、ください」

せめてこの子をしっかりと育てて継承しなくては。

輪の連なった耳飾りを揺らしながら、薄汚い街には似合わない美しい女性は地面を踏み締めてひっそりと己の気持ちを確かめた。


ーーーー


本人、なのだろうか。


あまりにも、似すぎている。

僕の知る、彼女に。いや、僕が思い描いていた、彼女に。


紅髪と茜色の瞳、両耳で揺れる輪の連なった耳飾り。そして何より、彼女自身のこの薄汚い街に似合わない圧倒的な美貌、佇まい。

何もかもが異質であり、そしてその全てが今己の中に浮かぶ「もしかして」を否定させてくれなかった。


絶望の最中、彼女だけは、色彩の中にいた。


この街に戻ってきたとき、一ヶ月前に町を出た時に抱いた希望なんて、

もう、どこにも...


ない、


そう思った。


今日、

僕は心の中で、あるいはこの世界の中で生きるすべての人が心のの中で知らず知らずと願っていた。

「きっと、勇者様が助けてくれる」、と。

魔王を討ち、平和をもたらした彼女を突き放した僕らに、助けてほしいなんて言えるはずもないし、助けてくれるはずもない。


そもそも、もう勇者はいない。


物語の中にしか、

幼い子供たちの心に描く、英雄として。

どこか片隅では、なりたくはない存在として。


なのに、

「助けて、ほしい...」


無意識に己の口から、そんな言葉が紡がれるほどに、

人々はもう一度、勇者を欲していた。


彼女は、なぜか悲痛な表情でうつむいた。

その視線の先。


茜色の幼女の瞳に捉えられた己はあまりにも酷い顔をしていた。



「おにーさん、大丈夫?」


「....っ、!」



ただ、言葉にならない感情が、押し込めていた気持ちが、声にならない耳障りな嗚咽と共に、とけだしていった。


母が死んだ。

妹が死んだ。

ただ、せめてもう少しだけ幸せな暮らしを求めただけなのに。


彼女は、誰とも知れない意気地のない、中途半端で口だけ達者な割に結局何もできない男に、声をかけることはなく、

ただただ、母のような優しい手つきで撫でてくれた。

僕が泣き止むまで、ずっと。

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