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魔女に捧ぐ  作者: のろ
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「いいのかな?きっと後悔してしまうよ。」

 目の前の女がそういった。白装束のような、真っ白な髪を持った女だ。白磁のような肌は、まるで血の通っていない死者のようだ。艶やかな声は、人を惑わす悪魔のようだ。彼女はじわじわと迫る俺に警告する。

「ほら、落ち着いて。ゆっくり呼吸するといい。すっかり息が荒くなってしまっているよ。それにほら。そんな情熱的な目で見つめられると、さすがの私も怯えてしまうよ。」

 はぁはぁと息が荒くなってしまっている。口から、鼻から入る彼女の蜜のような甘ったるい芳香が、頭の中を充満する。彼女のフリージアのような紫の瞳から目を離すことができない。目を合わせていると体がカーっと熱くなる。

 彼女は言葉の上では俺をやんわりと拒絶する。だが彼女はわずかに微笑んでいた。荒ぶる俺に微笑みかけていた。娼婦のようだ。両手を広げて、俺を迎え入れようとしていた。これから過ちを犯そうというのに、そんな俺を受け入れようとしていた。聖母のようだ。

「あぁ、追いつかれてしまったね。もう逃げ場もない。君は私をどうするつもりなのかな?」

 彼女は迫る俺から、後退りして逃げていたが、今は壁を背にもう動けない。もとより狭い部屋だ。逃げたのは、俺の感情を煽るためだ。互いの息がかかるほど、切迫した。甘い芳香が一層強くなる。

「君の手はすごくゴツゴツしているんだね。すごく男らしい手だ。」

 彼女が俺の手を撫でる。ひんやりしていた。白磁の肌は本当に陶器のように冷たかった。細い指先が、手のひらをくすぐるように触れた。「ほら。」と言って、俺の手を腰に挿している剣に添えた。剣をゆっくりと引き抜いて、ゆっくりと彼女の腹の中に入れていった。彼女の血潮が俺の手を濡らした。中からこぼれたものは暖かかった。彼女の口から呼気が漏れる。甘い香りに鉄の香りが混じっていた。

「あぁ、やってしまったねぇ。」

 彼女は今に死んでしまうというのに、微笑みは崩さなかった。これから訪れる死を悲観していないように、いやむしろそれを待ち望んでいたかのようにみえた。剣を引き抜いた。生暖かい血がどぷどぷと彼女の腹から溢れた。陶器のように冷たい体の表面を温めていく。しかし確実に体の底にある、人を生かすための熱は損なわれていった。

「殺してしまった。魔女を殺めてしまった。魔女を殺すものには災いが降り注ぐ。ベタな御伽噺だけれどもね、よくあるって話ってことは、きっとそれは真実なのさ。私は君の呪いだ。呪いになったのさ。」

 魔女とそう名乗る彼女は、俺に何かを言っていた。しかし、そんなことどうでも良かった。今はこの体を支配する熱が、俺を惑わせるあの瞳が、俺を奮い立たせるあの声が、どうしようもなかった。

 彼女の首をかき切る。生暖かい返り血が顔に、手に、体に飛び散った。火傷しそうなほど熱い。魔女はもうすっかり喋れなくなっていた。喋ろうとしてもあの妖しい声が奏でられることはなく、喉の切り口から空気が漏れ出て、ごぽごぽと血が吹き出す粘り気のある水音だけが聞こえた。それでも彼女は口を動かすのを止めなかった。もはや何を伝えようとしているのか全く分からなかった。それでも彼女が事切れる前、『成功だ。』と独りごちていたのだけは理解することができた。

 魔女の瞳から光が失われると、声が聞こえなくなると、急にそれまで体を支配していた熱が消えていった。それまでの高揚とは一変、襲いかかってきたのは凄まじい吐き気と頭痛。そしてゾッとするような寒気だった。最悪の気分だった。頭も鈍く、働かない。残されたのは不快感と返り血だけ。魔女の死体はいつの間にか消えていた。あれは現実だったのだろうか。俺は本当に魔女を殺したのだろうか。本当に俺には呪いが降りかかるのだろうか。熱が失われ、肌に張り付き、固まりかけている血が気持ち悪かった。






 ガンガンガンと戸を勢いよく叩く音で目が覚めた。気持ち悪い。頭がぐらぐらと痛む。むかむかと吐き気がする。昨日は完全に飲みすぎた。目に入る光が鬱陶しい。

「最悪の朝だ。」

「もう昼ですぜ。ルタレの旦那。」

 独りごとにすぐ訂正が入る。戸を叩いた張本人だ。部屋の主に了承も得ずに、勝手に入室している。赤髪の痩男コルタリウスがニヤニヤと笑いながら小言を言う。

「旦那は大して飲めないのに、調子に乗るからそうなるんですよ。しかし、相変わらず汚い部屋ですね。家主のばあさんが旦那に文句言ってましたよ。」

「うるせぇな。何の用だ、コルト。小言を言いに来たのか。」

「へへへ。違いますよ。いやなに、昨日の酒盛りの様子を見ていたら、旦那の体調が悪くなるだろうと思いましてね。いざ見てみたら、予想通り二日酔いみたいだ。どうです?向かい酒でも。東では酒は百薬の長って言うらしいですぜ。酒場で療養しないと。」

 コルトはけらけらと笑いながら愉快そうだ。

「俺はもう素寒貧だぞ。ここ最近ずっと仕事にありつけてない。酒を飲むような金なんてない。」

 2年前にこの街に来た俺は、定職につかず、その日暮しで生きている。たまにコルトがどこからか仕事を持ってくるが、それもしばらく途切れている。昨日の酒盛りですっかり財布の中身は空になってしまっていた。

 コルトは少し目を丸くした後、すぐに口角を上げる。こいつも手持ちはないはずだ。俺にたかる気で誘いに来たのだろう。

「それでしたら、今日は壁内の方に繰り出しましょう。金は途中で拾って行きましょう。壁内にはたくさん金が落ちていますからね。」

 今いる場所は、都市カルタを囲う石造りの壁沿いに形成された貧民区。俺はそこに住む金貸しのばあさんの家に用心棒として間借りしている。貧民区はその名の通り、そこに住むのは貧乏人ばかり、あるいは脛に傷があるか。壁外は都市の一部としても認められていない。安全な壁内に住むことができない者が、寄り集まって形成された集落だ。俺もコルトも流れ者。正式な都市民でない俺達は貧民区で暮らすしかなかった。

「壁内か。久々だな。よし、分かった。」

 金はないが、壁内で調達すればいい。多少リスキーだが、妙案だった。

「支度するから少し待ってろ。」

 麻でできたゴザから起き上がると、壁に立てかけていた剣に手を伸ばす。

「旦那。剣を持っていっちゃだめですぜ。兵士に見つかると面倒ですからね。」

ズキズキと痛む頭を抱えながら、俺は手ぶらで立ち上がった。

 壁内に入る手段は2つある。一つは門から入る。しかし、貧民区の人間は基本的に壁内に入れない。市民として認められていない貧民が、市内に入ろうとしても門兵に止められる。貧民が堂々と入れるのは月に一度の聖堂集会の日だけ。神へ祈る集会の為ならば、特別に壁内に入ることを許される。最も、貧民区に神に祈るような信心深い殊勝な人物はいないが。門兵に賄賂を送るという方法もあるが、金のない今の俺達には到底不可能だろう。それにどうせ罪を犯すならもっといい方法がある。壁内へ通じる抜け道を通っていくことだ。今回はこの方法を使う。しかし、この抜け道を通るのにも、金が必要無いわけでもない。貧民区の自警団が、抜け道を管理しているからだ。

「おいおい、通行料を払わねえとここは通せないぞ。」

 抜け道の門番をしている男は素気なく言った。真面目そうな男だ。これを口説き落とすのは困難だろう。しかし、コルトは食い下がる。

「そんなこと言うなよ~!俺たちの仲だろ?頼むよダリー。今度酒奢るからさ。な?」

 門番はダリーというらしい。コルトは顔が広い。この男とも顔見知りのようだ。

「しかしだなぁ。決まりは決まりなんだ。こんなところだからこそ規律を守らなきゃいけない。そうだろ?コルト、お前は友人だとは思っているが、今回ばかりはすまないな。」

 この場所に似つかわしくない真面目な男だ。賄賂にも動じない。コルトは渋い顔をしている。

「しょうがない。今回は諦めようコルト。ババアの酒を」くすねよう。と言いかけたときだった。

「どうしたダリー!何かあったのか。」

 後方からの声が、俺の言葉を遮った。

「だ、団長!い、いえ!なんでもありません!」

 門番は背筋をぴんと伸ばして、大声で返事をした。先程とは打って変わって緊張しているように見えた。声の主は茶髪の大男。貧民区の自警団長であり、顔役、ジェイクだった。

「ダリー!なんでもないってこたぁねえだろうよ。おぉ!コルトじゃねぇか!そっちはルタレか!ははーん。さてはお前ら抜け道の通行料が払えないんだろ。」

 ジェイクはニヤニヤと笑いながら、今この場の状況を推察する。大当たりだ。コルトはジェイクが登場すると、すぐに逃げ出そうとしたが、首根っこをガッシリと掴まれ、借りてきた猫のように大人しくなっている。コルトは今ジェイクの経営する酒場にツケが溜まっている。今ここでジェイクに遭遇するのはまずいのだ。

「はい!ですからこの二人を通さないようにしていました!」

 ダリーがジェイクに状況を説明する。ジェイクは推察が当たったのが嬉しかったのかニンマリと笑顔を作った。

「別にいいぜ。通っても。」

 その言葉に一番驚いたのはダリーだった。

「いいんですか!?こいつら素寒貧ですよ!」

 少し癪に触るがダリーの言う事は正論だ。金もない俺たちを通す道理はないだろう。

「だが条件がある!土産をもってこい。通行料と…そうだな、このバカのツケを払えるだけのな。できるよな?バカ?」

 首根っこを掴まれているバカは首をコクコクと縦に首を振っている。ジェイクはコルトは地面に下ろすと、背中を叩き、

「ダリー!こいつらを通してやれ!」と言った。ダリーは少し困惑しているようだった。

 少し一悶着はあったが、俺たちは無事抜け道を通り、壁内に入ることができた。


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