バイト 1
私が夢見た異世界生活。
それは遠き彼方の空へと消えてしまった。
今はもう覚えていない。
異世界にどんな希望を抱いていたのか。異世界にどんな夢を見ていたのか。
私は今は、異世界で異世界異世界できていない。
巨大なモンスターと死闘を繰り広げたり、龍の背中に乗って大陸を横断したり、魔法を使えるようになって異世界を楽しんだり……
だが異世界で現実を知った。
才能があるのはごく一部、私に才能などなかったのだ。
そして今日も、サポーターとしての仕事に勤しむ。
女剣聖の酒場ラヴァーズ
ギルド街で人気のある酒場であり、店主は元冒険者であるらしく、剣の達人だったそうだ。
ダンジョンで得られるお金は少なく、十日前からここで働き始めている。
幸い、現実世界は一日が三十時間なのに対し、異世界の一日は六十時間である。そのため学校がある日でも異世界でバイトをする時間が十分にある。
「式凪さん、料理できたから四人組の冒険者がいる席に運んで」
「分かりました」
私が両手で運んでいる皿には、コボルトほどの大きさの肉が乗せられている。
脂が肉の表面に輝きを与え、手もとからこんがり焼かれた肉の旨味が漂ってくる。
バイトをクビになっても構わない覚悟があるのなら、今ここで食べてしまいたい気分だ。
「お待たせしました。太った狼の丸焼きです」
「ありがとさん」
冒険者四人は既に注文していたシュワシュワビールを飲みながら、私が運んだ丸焼きを歓迎していた。
「失礼します」とお辞儀をし、立ち去ろうと踵を返す。
「あ、ちょっと待ってよお嬢ちゃん」
「はい?」
「ちょっとだけ俺たちの話に付き合ってよ」
私はこの時、先輩から受けていた忠告を思い出した。
五十時以降、客の多くが冒険終わりの冒険者たちだ。彼らの多くが酒類を注文し、酔っぱらう。
彼らは店員を捕まえ、自慢話を語り始める。
今日のバイトが終わるまであと三十分。
こんな時に捕まるなんて……
「この太った狼は俺一人で倒したんだぜ」
この店では冒険者が倒したモンスターを料理にするサービスも存在する。
だからこそ起こりやすい討伐譚。
「おいおい、俺たちだって戦っただろ」
「いやいや、前衛の俺がいなきゃプランプウルフには逃げられてた」
前衛担当らしい男は誇らしげに言い放つ。
この傲慢さ、私たちのパーティーの金髪にそっくりだ。
前衛は皆傲慢なのか。
心の中でそう思い、うんざりし始めていた。
「なあお嬢ちゃん、あんたはどう思うよ」
「はい?」
「後衛、つまりサポーターが必要か否か」
男の言葉を聞き、自然と私は強く拳を握っていた。
もしかしたら怒りで全身から湯気が出て、天井が丸焦げになっているのかもしれない、そんなユーモアさは今はなかった。
「お嬢ちゃんはやっぱ前衛一筋だろ」
「私ゃサポーターなんだよ」
と叫びたくなる気持ちを抑え、咳払い一つして気持ちを整える。
「そ、そうですね。でも冒険は一人じゃできませんし、サポーターも必要なんじゃないですかね」
「おっ、よく言った」
残り三人が私の意見を拍手で称えた。
だが前衛の男は机を強く叩き、先ほどまで浮かべていた笑みをどこかへ忘れ、主張する。
「前衛が全てなんだよ」
男は立ち上がり、感情的になって叫んだ。
「酔いすぎだって」
これには新人の私では対処しきれるはずもない。
私の困惑顔を見たからか、ビスケット先輩が私が対応する冒険者のもとまで来てくれた。
マジ救世主。
ビスケット先輩が天使に見えた。
「お客様、これ以上騒ぐようでしたら酔い覚め薬を飲んでもらいますよ」
「悪かったな。うちのリーダーは酒には弱いんだ」
前衛の男を他のメンバーが座らせ、落ち着かせている。
何とか危機を切り抜け、私はビスケット先輩とともに厨房へ戻る。
「ビスケット先輩ぃ」
思わず、涙目になりながらビスケット先輩に抱きついていた。
もしビスケット先輩がいなかったら、と思うと恐かった。
「さ、まだ仕事は残ってるでしょ。涙は脱ぎ捨てて、仕事に戻るよ」
「はい、マイエンジェル」
私は再び仕事へ戻る。
ビスケット先輩の背中を追いかけて。