娘の中の人は公爵令嬢らしいです
娘の中の人は公爵令嬢らしいです
白いベッドの上で男の子がギャンギャン首を振りながら泣きわめいている、絵本で読んだ泣き虫オーガのよう。腕を女の人たちに抑えられながらも負けまいと暴れてる。側にいる白衣の男の人も片手に針が刺さった筒を持って困り顔だ。枕元では悲しそうな女の人が男の子に向かって何か言っているみたい。
「何で泣いているの?」と男の子に話しかけたら、全員が一斉に入口に立っている私を見たので、ちょっとおびえる。でも背中をポンと押されたので、大丈夫かなと思ってもう一歩男の子のいるあたりに近づく。
「遠山先生、治られた…のですか?」
「いや、今日はリハビリがてら病棟めぐっているだけなんだ。気にしないでほしい」
私をここに連れてきてくれた友野先生がピンクの上下を着た女の人に答えているのを聞きながら、もう一度言ってみた。
「何で泣いているの?」
「泣いてない!」と怒鳴る男の子。え、でも、目に涙があるし、どう見ても泣いてるよね。
「悲しいの?」
「悲しくなんかない!」また怒鳴る。一回だけママと行ったことのある園遊会に来てた男の子たちは、騒いだり怒鳴ったりしてうるさく遊んでた。大きな声を出されると怖くて、キリーはちょっと男の子が苦手…だけど。
「そうなの?私は悲しかったから泣いてたの。ママが泣いているのが悲しくて」
「ママ?」と横に立っている心配顔の女の人を見上げる男の子。あ、この人が男の子のママなのね。私のママと違って黒い髪に茶色い目だけど優しそうな雰囲気は似てるかも。
「ううん、私のママ。私も病気で苦しくて息ができなくて。夜中に息ができなくて起きてゲホゲホしていると、ママがきて泣きながら背中さすってくれるの。そのたびに思ってた、ママを泣かせるのイヤって」
男の子は涙をためたままの目で私をじっと見ている。
「私が泣くとママも泣くの。たぶんアナタが泣くとママも泣くよ。それはツライよ」
何度も気を失って咳こんで息苦しさに目覚める私。涙を流しながら見つめる緑の優しいママの目。うっかり思い出してしまった私は泣きべそをかいてしまった。
「ママ、ママ、会いたい。キリー、ママにあいたい…」ふぇえっと嗚咽が漏れたらもう我慢できなかった。くすんくすんと泣き出してしまう。
「泣くなよ…、泣くな」慌てたように男の子が声をかけてくれた。あれ、泣き止んでる。
「う、うん。キリー、泣かない。ありがとう」男の子の泡を食ったような様子がおかしくてちょっと笑う。
「オマエもビョーキなの?」
「うん、キリーもビョーキだったの。だから頑張ったの」治そうとしてくれたママたちに応えようとしたんだけど…。
「キリーちゃんは頑張って治したんだよ。キミも治るぞ、だから今だけちょっと踏ん張れ!キリー、手を握ってあげて」
側に来た友野先生が、ちょっとブルーになった私の頭をポンポンとたたきながら言う。私は素直に男の子の左手をとった。
「私がいるよ。ママいつもこうしてくれたよ」と手の甲をさすったら、男の子の顔が真っ赤になった。なんで?
「よし、沢村、今のうちだ」
「は、はい、センパイ!」針のついた筒を持っていた男の人が気を取り直したように男の子の細い腕を持ったと思ったら、その針を腕に刺した!ヤ、イタそう!
「イタイ?イタイ?」弱虫な私はまた泣きそうになって男の子の顔を覗き込む。
「イタくなんかないよ!」私の手をぎゅっとしながら男の子が口をとがらせる。すごいな、痛くないんだって…。
「男の子ってやっぱり強いんだね、すごいね」とにっこり笑うと、男の子の顔がまた赤くなった。なんで?
「結論から言いますね、遠山さんがおっしゃってた通り、中身は別人ですね。単なる幼児返りじゃないです。今日病棟連れまわしてみて、やっと俺も完璧に信じることができました、絶対桐江じゃないって」
「でっしょー。ホント、あの子、どこ行っちゃったのかしら」
家出からなかなか戻らない困った娘、ってな感じでうなずいている。ホントに昔からこの人は肝が据わっているなぁ。
俺、友野の後輩で同じ市民病院に勤めている小児科医の遠山桐江がおかしくなった、という話はナースステーションを通じて音速で広まった。何でも正月明けの夜勤時、カルテ入力している途中に机に突っ伏して眠ってると思ったら、いきなり起き上がって悲鳴を上げた、らしい。
ずっと、「ママ、どこ、ママ!」と泣きながら叫んでいた、らしい。一緒に働いていた看護師たちが近寄っても身を固くしてママ!しか言わないので、仕方なく母親の遠山看護師長を呼んだそうだ。
何とか自宅に連れ帰った後、高熱を出して急遽自宅療養となった。その後、復帰は難しいと遠山看護師長が病院に相談し、しばらく休職となった模様。
ここまでの流れで、ほとんどの医療関係者が思い浮かべたのは、遠山先生ストレスによる幼児返り説だったが俺は違った。何たってオーベンだったし、ストレスは筋トレとタンパク質摂取で跳ね返す!という桐江の強靭な性格を知っていたからだ。ストレスなんかより、病気の子に肩入れして悩みすぎたせいじゃないか、と思っていたほど。アイツはぜんそくや白血病の子どものことになると、調べ物の鬼になってたからなぁ。
まあでも長年看護師やっている母親の遠山さんに任せておけば何とかなるだろうと高をくくっていた。その遠山さんから相談したいと連絡が来たのが一週間前のこと。あの時の驚きは今も思い出せる。電話しながら顎が外れると思ったのは初めてだぜ。
「友野先生、桐江、公爵令嬢になっちゃったみたいなのよ」
「え、もう一度」
「だからね、桐江は公爵令嬢なんだって」
「遠山さん、俺が精神科医って知ってておっしゃってるんですよね。まさか桐江がそういう妄想を抱」
「ちがうちがう、本当に公爵令嬢なの。中身が違うの」
電話ではらちがあかなかったので、夜ご自宅にうかがうことにするまでは、桐江の妄想が遠山さんにも移ってしまったのかと半ば疑っていた。残念ながら我々の業界で親子や親しい関係にある者同士が妄想を共有するのは割とある症例なのだ。
目の前のソファに腰かけた桐江は俺を見てひどくおびえていた。部屋の中はそれほど寒いわけでもないのにスェットの上下を着てひざ掛けで足を覆っている。が、遠山さんのことは信頼しているようで、今も彼女の手をぎゅっと握りしめている。
「友野先生、こちらはキリエラ・ディエル・ミルスラ嬢ね。年齢は6歳。公爵令嬢だけどキリーさんって呼んでいいそうよ。キリーさん、こちらは友野先生、貴女の身体の持ち主のお姉さんがお世話になっている先生。先生といっても魔法は使えないの」
「遠山さん、な、何言ってらっしゃるんですか…」ああ、大分取り込まれてるな、これは難儀だ。
「友野先生、言いたいこと分かるけど、ちょっと黙って話をきいてくれる?」
途中でお茶を取り換えながら話してくれたのは、ちょっと信じられない物語だった。咳が止まらず死にかけている我が子のため、両親が魔法で身体を取り換えようとしてくれたという、それも母親の身体と。その魔法が失敗?し、自分の母親の身体に入っているはずのキリーさんが何故か遠山桐江の身体で目覚めてびっくり仰天、どうしていいか分からない、で現在に至るという訳だ。聞かされたこちらも何て答えていいか分からず頭が痛くなる。
「私がキリーさんの話を信じたのは二つ根拠があるのよ」
お茶をすすって遠山さんが話し始める。
「まず、桐江なら何かから逃げたい、やりたくない、ストレス!って思ったら、こんなよくできた物語作り上げたりせずとっとと逃げるはず。友野さんも知ってるでしょ、桐江の口癖」
「タンパク質があればどこでも生きていける!ですよね」アイツはたくましいもんな、雑草並みの根性持ってるし。救急担当明けでファミレスに飛び込んで、レアステーキ注文できる女医を俺は他に知らない。
「もう一つは、もし幼児返りだとしても桐江なら絶対に6才は選ばないってこと」
「それは何ででしょう…」と言いかけて気が付いた。そうだ6才といえば、桐江の父親が事故で亡くなったあたりだ。
俺の顔色を読んだのか、遠山さんが真顔でうなずく。
「戻りたい、って願うなら6才以前になりそうなもんでしょ。でもキリーちゃんは頑なに6才だっていう。それに彼女には両親がいるけど、母親、父親も全然年齢や風貌が重ならないの。幼児返りなら私のことを母親だって認識しないのはおかしなことよね?」
「一般的にはそうですが…」
精神科医やってると妙なケース、具体的に言うとちょっとオカルト入っているような症状に出くわすこともある。公には絶対しないけどね。それか?と考え込んでいると遠山さんが妙なことを言った。
「キリーちゃんが言うには、交換には期限があるんですって」
「え、何ですか?もう一度お願いします」
「だから、この身体の交換には期限があるらしいの。3年ですって。ご相談したいのは、その期限までの3年の間、どうしたらいいかな、って思って」
3年経ったらまた身体を取り換える?SFの世界かよ。思考が追いつかず固まっていると、遠山さんはふわっと笑いながら言った。
「中身年齢が6才だからって、さすがに幼稚園や保育園に入れるわけにはいかないでしょ。でも家に閉じ込めておくのはキリーちゃんが可哀想だし。だってこの娘、夜ぐっすり眠れる、朝も咳をせずに起きられる、歩き回っても苦しくならない、って毎日うちの狭い庭に出ては嬉しそうな顔しているのよ。だから、キレ者と評判のの友野センセイなら、どうすればいいかお知恵を拝借できるかなって」
何だその無茶振り!と思いつつ、ああ、同じ病院で働いてた時もこの人はこんな感じだったよな~とぼんやり思い出す。俺はこの人におだてられると弱いんだよ、桐江がこの人の娘だから面倒なオーベンも引き受けたんだよね、そういえば。
「桐江は…、3年たてば戻ってくる。それまで桐江の身体を心身ともに健全に保つってことですか、つまりは」
「そうそう、さすが友野先生、理解がお早い!」ニヤリとする遠山さん。
とここで、今まで不安げに黙っていた桐江の顔をしたキリーさんが話し始めた。
「あの、私のせいでごめんなさい。桐江さんにもごめんなさい。私が魔法使えるなら今すぐ交換できるかもしれないけど、私、魔法使えない子だったから」と悲しそうな顔で言いだす。顔は27歳なんだが何故か6歳児に見えてくるから不思議だ。
「でも私、大丈夫です。待てます。桐江さんのママに悲しい顔させたくないです」
「あらー、いい子、でも大丈夫よ、私が好きでしているだけだから。ね、気にしないで」
顔を覗き込みながら握った手をぶんぶん振る遠山さんを見てたら何故か笑えてきた。
「そうだよ、キリーちゃん。僕も桐江さんのママも君を大切にしたいんだ、桐江のためにもね。だから教えてくれないか、君が本当にしたいこと」
「私がしたいこと…」とキリーさんが考え込む。こういう真面目な顔は本物の桐江っぽいんだよね。ギャップにまだ慣れない。
「そう、君は病気だったんだろ、ベッドから離れることができないような。咳も出て、息苦しかった。でも今の身体は息苦しくないでしょ」
「はい、平気です」
「桐江は毎朝ジョギングしてたし、診察室にダンベル置いておくほど筋トレ好きだったしね。動かしやすい身体だと思うわよ」と、自分の身体でもないのに得意げな遠山さん。
「じゃ、3年間、別の国に旅行してると考えて、キリーさんのしたかったことをしようか。多分桐江も君の国で同じように過ごしていると思うから」
だといいな、とちょっと思いながらキリーさんに軽く笑いかける。ま、あいつはどこでもたくましくやってるだろう、例え6歳児の身体に押し込められたとしてもな。
俺たちの緩んだ空気が彼女を和ませたのか、キリーさんもにっこりした。意志の強そうな桐江の顔がその時は無邪気そうに見えて、柄にもなく俺はドキっとしてしまった。