婚約者がいるなんて聞いてないよ!
婚約者がいるなんて聞いてないよ!
公爵家滞在も5カ月目となり、だいぶこの身体の調子も整ってきた。やっぱり朝のストレッチ、タンパク質たっぷりで喉にも良い三度の食事、ベッドの上での軽い筋トレやボールをつかった運動を日々のルーチンにしたのが徐々に功を奏してきたようだ。キリーちゃんほっそいもんなぁ。でも毎日小児科病棟でもやしやエノキみたいな男の子と女の子をいっぱい見てきたからわかるのよ、キリーちゃんの身体は体力をつけて敏感な喉への刺激をなるべく避ける生活をしていれば、成長とともに治るタイプの小児ぜんそくだ。私の医師免許を賭けてもいい!
「お嬢様、今日もご気分よろしいようですね、何よりです」とポットを使った簡易加湿器の周りにたまる露をふき取りながらリエルが話しかけてきた。
「そうね、ここ最近咳も出ないし。夜もよく眠れるわ、リエルのおかげね、ありがとう」
にっこり笑ってお礼を言う。ホントに彼女はよく気が利くメイドだ、私付きにしてくれたウリエラママには感謝しかない。
「リエルが作ってくれたこの服だって、本当は公爵令嬢にはふさわしくない服なんでしょう?でも本当に息がしやすくて助かるわ」
そう、この国で特に魔法を使える人々は一般に首が詰まった、いわゆる牧師や軍の正装みたいなハイカラーの服を着ている。私が読んだ魔法の初級知識教本がその理由を教えてくれた。一般に魔法を使うとき、発動には両手を使うが、その際持っている魔力は手のみじゃなくて心臓から首にかけての部分からも発散される。なので首のあたりを覆っておけば、その人の魔力はほぼ100%手から出力されるというわけだ。
だから5カ月前の召喚時、首や胸のあたりがキツキツの服を着せられてたのかと納得した。ホントあの時は息詰まるかと思ったよ。ということでリエルにお願いして、首の周りをスカッと切り抜いた丸首シャツみたいな部屋着を作ってもらった。ホントはロングTシャツみたいなシンプルな服の方が気楽だが、朝昼晩と様子を見に来るウリエラママが、一目見て泣きそうになってたので、愛娘に着せたい服じゃなかったらしい。
仕方なくリエルにお願いして、可愛らしいフリルやレースの飾りを胸や袖あたりにつけてもらっているが、お笑い芸人のステージ衣装をパジャマにしている感じがしてしょうがない。病院の看護師さんたちには死んでも見せたくない姿だ。
「いえ、正直私どもも、キリエラお嬢様は奥様に似て大変お可愛らしく、何を召されても似合ってらっしゃいましたので、服装について特段考えたことはございませんでした。桐江様に言われて初めて、病人用の衣服としては相応しくないと気づいた次第です、お仕えする者としてまだまだ精進が足りませんでした」
キリーちゃんも多分優しいいい子だから、ちょっと苦しくても我慢して言わなかったんだろうな。きれいなお母さんと似たような恰好しているならなおさら言えないだろうし。
「仕方ないよ、ここでは魔法でだいたいすぐ治ってしまうから、長期にわたって寝付くような状態なんてめったにないんだろうし。私の国では珍しくないんだけどね」と苦笑して見せる。聞いたところ、この国で入院治療や長期療養が必要なのは、魔法で治しても治してもまた悪化してしまうような特殊な状況に限るそう。例えば猛毒を持ったキノコが体内に生えてしまって、解毒魔法をかけてもまた毒がまわっちゃう、みたいな。何それコワイ!
「大分調子が整ってきたみたいだから、そろそろ散歩とかもしてみようと思うの」今は季節としては春にあたるらしい。窓からの日差しも暖かく、庭に花も咲いているようだ。
「はい、公爵家には庭園が大小複数ございまして、ご気分に合わせて散策できるようになっております。いつでもお供しますのでお申し付けください」
さすが金持ち、庭もたくさんあるのね。アル父上用、ウリエラママ用、来賓用とかだろうか。
「きれいな花を眺めながら歩けば、結構長い距離でも割とくたびれないものよ」
こっち来たのが正月過ぎてすぐだったから、日本だと今頃桜が咲いてる、いやもう散ってるあたりかなぁ…。元に戻るまで花見しながら一献傾けるってのは無理っぽいね、残念。せめてお花見だけでもできないかな?桜みたいな並木がこちらの世界にないか、後で聞いてみよう。
「桐江様もお花がお好きでしたら、あとで婚約者のハリル殿下から贈られたお花をもう少しお部屋に持ってきましょうか?」
ん?今、何か気になることをリエルが言ったような…。
「婚約者って?キリーさん今6才よね。あ、ここでは婚約者の意味が違うの?」ぎょっとした私が喰い付くように聞くと、リエルがちょっと困ったような顔をして答えてくれた。
「ご存じなかったのですか、てっきり奥様から話されているものかと。婚約者の意味は桐江様が思っているのと多分同じでございます。将来公爵様と奥様のように夫婦になられる予定ということでして、ハリル殿下はキリエラお嬢様の婚約者で、この国の第四王子にあらせられます」
な、なんですとー!
「ちょっとこれは…、相談が必要かもしれない。今夜公爵様と奥様にお時間をもらえるか頼んでもらえないかな、リエル。もちろん貴女も参加してね」
「かしこまりました」
また家族会議の開催かー。婚約者って…、やっぱり入れ替わりのことバレたらまずいんだよね。27才の私に彼氏もいないのに、6才のキリーちゃんには婚約者かぁ。ちょっと負けた気分になるのはなんでだろうか。
夜、早速集合した公爵家メンバーに再度リエルから聞いた婚約者の件を確かめる。
「すまなかった、言い忘れていて。キリーはアスラ王家の第四王子、ハリル殿下と婚約しているんだ」
とアル父上が横目でウリエラママをチラチラ見ながら、申し訳なさそうに告げる。
「あの、もし予定通り奥様とキリエラさんが身体を交換されてたら、その、ハリル殿下にはどう告げるはずだったのですか?」
そう、本当ならこのキリーちゃんの身体にはウリエラママが入っていたはずなのだ。でも術を使ったのは対外的には内緒ということになっている。じゃ交換できない3年間、婚約者殿下のことはどうするつもりだったのか?
「婚約解消するつもりだったわ」あっけらかんと言うウリエラママ。え、そうなの?王族との婚約解消って、ドラマや小説だと結構大変そうなんだが、この国では違うのか。
「ウリエラ…、あの時も言ったがこちらからの婚約解消はかなりの難題なんだ。あの時は君が何を言っても考えを曲げないので、藁にもすがるつもりで王族との婚約を持ちかけたが」と額の汗をぬぐうアル父上。やっぱりそうじゃん!大変じゃん!
「そんなことはございません、私も貴方と結婚するまで二度ほど、婚約を整えた後取りやめにするというのを経験しましたし」と口をとがらせて反論するウリエラママ。
「それは君が王族側だったからだよ。すまない、桐江さん、ウリエラは北の国サイハの王女だったんだ」
へー、そうだったんだ。何で王女が別の国の公爵に嫁いでいるのかとか、二度も婚約破棄した理由とか、正直すごく興味があるが、今話すべきことはそれじゃない。
「婚約破棄が簡単にできないとなると、あの、私はどうすればよいでしょう。3年間まったく婚約者に会わない、手紙も書かないというのは公爵令嬢としてアリなのでしょうか?」
目の前で顔を見合わせる二人。
「難しいな…。ウリエラとキリーの身体を交換して上手くキリーの身体を治せるかは、賭けのようなものだった。だから私たちは合の月の魔法に頼る前に打てる手をすべて打ったんだ。王子殿下との婚約もその一つだよ。正直、交換した後のことは頭になかったが、かといって正直に打ち明ける訳にもいかないし」と困り果てたように呟くアル父上。そりゃそうだ。ちなみに、正直に打ち明けたらどうなるのでしょう?という私の問いには、サラッとえぐい答えを返してくれた。
「どこの者とも知れない人間を王子に近づけたということで、我が家は失権するかな。多分君の身柄は珍しい異世界の研究材料として魔法省預かりとなる可能性が高いね」
まさかのモルモット化か!医学部時代、さんざんあの齧歯類にはお世話になった身だが、自分で体験するのは御免被りたい。しかし何だって合の儀式の前に後処理が面倒くさそうな王子なんかと婚約したんだろう…。キリエラちゃんなら、もっと後腐れなさそうな婚約者が選び放題だというのに。幼女に言うセリフじゃないけどな。
「あの、あのね、私が懇意にしている占い師が王家の者と縁を結べば、キリーの身体が良くなるって言ってくれたのよ。だからアルは嫌がっていたけど、お願いして4人もいる王子の誰かに婚約者になってもらうようにしたの」なぜかちょっと自慢げに言うウリエラママ。
まさかの占い師ご宣託による婚約!ええ〜!とちょっと引いている私に気づいたのか、アル父上が慌ててフォローし始めた。
「この占い師は私たちの出会いと結婚を当てたり、キリーを妊娠した時のウリエラの災難を事前に告げてくれたりしたので、ウリエラはすごく信頼しててね…。相談に行ったときにそう告げられて、言っただろう、私たちは藁にもすがる思いだったんだ。キリーはほぼ毎日、危篤状態になるような塩梅だったから」
心なしかしょんぼりとしたアル父上の姿に、病棟で毎日見ていた親御さんたちの姿が重なる。そうだよ、子どもを治すためならかなり無茶をする親もいるんだ。ごく少数だけど極端な民間療法に頼っちゃったり、度を越した信仰に担当医も看護師も巻き込もうとヒステリックになったり。でもそうなっちゃうのも分かるほど、苦しむ我が子に何もできず、ただ見ているだけというのは親にとってキツイことなのだ。
「そうなると、とりあえず3年後に無事本物のキリエラさんと私が交換できるまで、婚約は続行、その王子殿下にはナイショということですね。ちなみに、その王子様がキリーさんをお見舞いに来たことはありますか?」
「いや、咳が止まらず話もできない状態なので、とお断りしているよ。それならと律儀に花や見舞いのカードを贈ってこられる。だがキリーの身体が丈夫になってきたことを知れば、きっと会いに来ようとするだろう、それが婚約者に対する礼儀でもあるからね」
「ちなみに今、その王子様は何歳なんでしょう?」
「11才になられたばかりだ」
5歳差か…。どうだろう、ごまかそうと思えばごまかせそうな気がするが、子どもって意外と鋭いからね…。
「リエル、今から公爵令嬢のマナーとか習って、キリーさんの話し方とか真似できるようになったとして、私、11歳の男の子と自然に会話できるものかな?」
珍しくリエルが渋面を浮かべている。え、そんなにヤバい、私?
「あまりおすすめできません。仮にお嬢様が微笑んで、はい、いいえ、しか言わないとしても、まったく子どもらしくない佇まいに、却って不審を抱かれそうな気がいたします」
正直に不気味って言っていいんだよ、リエル。そうかー、でも5~6歳の子なら、よく病院で診てたから、少しの間なら真似できそうだけどなぁ。
「ちょっとやってみるね。エー、こほん。『殿下、お見舞いに来てくださってキリエラはうれしゅうございます』。どう?」締めににっこり笑ってみせる。あ、公爵夫妻の顔がひきつってるよ、やっぱ無理か。
「何というか、その、セリフは間違っていないんだけど役柄が間違っているというか…」
「私も今の貴女が殿下と子どもらしく会話する風景が思い描けませんわね…」
夫妻そろってのダメ出しだよ。やっぱり無理か。
まあ、自分の6歳頃のことを思い浮かべても、違うなって感じするもんね。
このキリエラちゃんの顔はウリエラママによく似ていて、何ていうのか、明るく快活、って感じなんだよね。今は病気のせいで肌も血の気が少ない感じだけどさ。初めて鏡でこの顔見た時、わー美少女、将来はステージで歓声を集めるアイドルっぽい容姿になりそうだね、楽しみ!って思ったぐらいのレベル。そういう、会った男の子に可愛い!って思われる顔の娘に似つかわしい話し方をするのは、ちと私にはハードルが高い。
こちとら、小学校の頃から、評価は女らしさが足りなすぎってことで満場一致だからね。病院では床でプッシュアップしてるの見られて以来、筋トレとか子どもたちに呼ばれちゃってたしね…。思い出してちょっとヘコんだがそんな場合じゃないと頭を切り替える。
「ちなみに、王子殿下から婚約破棄していただく、という可能性はありますか」
あればいいな、と期待をちょっと込めてアル父上を見つめる。
「いや、それも難しい。ハリル王子殿下は、何というか、母君が亡くなっているため王族としての立場が弱く、強い力を持つ後見もいない。公爵家の娘の婚約者という立場は、殿下の支えとなり得るのでね。自ら手放すとは考えにくいな」
そうですか。でもそんなこと言ったら公爵家のバックアップって、誰しも欲しがるものじゃないのだろうか。確か王子が4人もいるってウリエラママは言ってたよね?
「王家には王子のうち、どなたか我が娘の婚約者に、と依頼したのだ。ただキリーは死にかけているというのが一般的な見方だったので、打診したとき第四王子以外の感触は芳しくなかった。ハリル王子殿下のセルス家だけが、ぜひとも!と回答してきたんだ」
私の疑問を読み取ったのか、アル父上が説明してくれた。さすが王宮でお勤めしているだけあって、この人は他人の顔色を読むのが上手い。感情コントロールにも長けているようだ。一方、ウリエラママの方は気持ちを隠すのが得意じゃないみたい。今もプンと可愛くふくれっ面をしている。
「娘が生まれたときは、第一王子も第二王子もぜひとも我が妻に!って言ってきたのによ。ひどいと思わない、桐江さん!アルが愛娘の将来はまだ決めさせませんと蹴散らしてくれたけど、それでも一時はしつこかったのよ。でもキリーがベッドから離れられなくなったら、とたんに手のひら返して、タリ侯爵家とかエリール伯爵家とかに申し込みに行っちゃって」怒りが抑えられないように言い募るウリエラママをまあまあとなだめるアル父上。気持ちは分かります、自分の子どもを粗末に扱われるってくやしいよね。
「整理しますね。こちらから婚約破棄するのも先方から断られるのも現状では難しい。かといって会えば、入れ替わりがバレる可能性がある。となるとこのまま健康になるように努めつつ、対外的には病弱のままということにして、王子殿下のお見舞い等はシャットアウト、という治療方針でよいでしょうか?」
「キリーの口から治療方針、とか聞くとやっぱり驚くな。何か教師みたいで」
苦笑しながら言うアル父上。
サーセン、ビジネスライクで。医者の口調ってなかなか抜けないのよ。
「でも、桐江さんはそれでよいの?どこで殿下に会うかわからないから、自由に外出もできなくなるわ」
と心配そうにいうウリエラママ。やっぱりこの人優しい人だな。うなずきながら目を見て答えてあげた。
「はい、医者として患者の治療はすべてに優先します。まあ正直、せっかく違う世界に来たので、観光してみたいな、という気分があることは否定しませんが、この身体に負担をかけたり、キリーさんの将来に障るようなことをしたくはありません、医者としても、大人としても」
そして、つとアル父上の方を見て続ける。これは念押ししておかないとね。
「なので、3年後私たちが入れ替わった後、婚約者に関してはキリーさんに説明して、なんとか口裏会わせてくださいね。あとこの身体が健康になってきているということを隠す情報操作もよろしくお願いします!」
「はは、分かったよ、任せてほしい」
やっと眉間の皺がとれたアル父上が快活に笑う。こうして第二回家族会議は思ったより荒れず和やかに終わったのだった。