小児科医の腕の見せ所
小児科医の腕の見せ所
私の中身が幼女の身体と入れ替わってから1カ月が経った。いやー、小さい子が簡単に熱出すのは医師として知っているけど、まさか自分が知恵熱出した挙句に5日も危篤状態になるとは思わなかったよ。思ったより私の想定外事態対応用キャパって、ちっちゃかったんだね…。
第一回家族会議の次の日いきなり高熱を出した私を見て、公爵夫妻は真っ青になったそうだ。リエルだけが前日に交わした会話のおかげか動揺をみせず、魔法に頼らないやり方で看病してくれた。ちゃんと首やわきの下を小まめに冷やし、でも加湿はおこたらないという看護師顔負けのパーフェクト看病をしてくれた彼女には感謝しかない。この身体、心臓はそう弱くないんだけど、いかんせん呼吸器系が脆弱なんだよね。
リエルがどこからかクムルの花蜜をとりよせてくれて、食事の際に飲ませてくれたのもありがたかった。うっすらとした甘さで、ハチミツほどの効果はないっぽいけど荒れた鼻と喉が癒されるよ。
何とか体調が落ち着いたあたりで、私はこの身体を強くするための第一段階に移ることにした。通常、入院している人が食欲不振や睡眠障害を起こすのは、要するに身体を動かせないからだ。運動できない→食欲わかない→眠りが浅い→治療遅延または悪化となるのは入院患者のバッドエンドルートと研修医の時に過ごした大学病院では呼ばれてたのを思い出す。これを何とかハッピーエンドルートに持っていくのが医療関係者の腕の見せ所だ。
例えば病院の栄養士は、食べやすくて患者の食欲が自然と呼び覚まされるようなメニューを何とか出そうとするし、作業療法士はベッドの上でも動きやすいようなストレッチとかエクササイズを一緒にやってくれる。私もまず手を付けやすい食事と運動から試していこうと思っている。
朝食後、私はリエルとまず食事について話し合うことにした。
「リエル、キリーさんってどんな食べ物好きだったの?やっぱりこの年齢だとお菓子?」
「奥様からうかがっております範囲では、特にお好きなものというのはなかったようです。強いて言えば、喉ごしのよいツルンとしたゼリー等をお好みだったようですね」
あー、だから必ずゼリーかプリンぽいものがデザートとしてついてくるのね。飲み込むのに苦痛を感じるのは分かる。が、嚙まないと歯も歯茎も丈夫にならないし、消化にも腸の発達にも悪影響なんだよ。
「量はどうかな?」
「かなり食が細くて奥様も厨房の者も心配しておりました。今朝のようなお食事を桐江様はほぼ完食されますが、キリエラ様は半分食べるのが精いっぱいだった模様です」
少なすぎ!この年齢でダイエットは必要ないよ!とはいえ、熱があったり咳き込んだりしてるのが多かったのなら、飲み込みにくい料理に手が伸びないのはしょうがない。
「明日から毎食、卵を多めにつけてもらえるかな?それと温めた牛乳も。あと少量でいいから噛み応えのある料理を朝食につけてほしい」
卵は完全栄養食品だし牛乳は手軽にカルシウムとタンパク質がとれる。病院食でもこの二つは病人の救世主サマと呼ばれてたよ。ちなみにこの世界で流通している食べ物は、ほとんど日本にあるものと同じで、一部ちょっと違うって感じ。しかも食い意地のはった我ら日本人の管理してるものより、何だか質が良さそうなんだよね…。どうなってるんだろう?まあ、栄養も味も同じ食べ物がふんだんにあって、本当に助かった!
「噛み応えのある料理とは、例えば魚や肉のステーキなどですか?」
「朝からステーキは胃がもたれちゃうからやめてね、硬めに調理した根菜の料理とかナッツとかつけてほしいの、そうすれば食事の時に噛む回数が自然に増えるし。イケる?」
「かしこまりました」と納得した顔をするリエル。
「あとワイテのパウダーとクムルの花蜜もいつも部屋に用意しておいてほしいな、私がいつでもお湯に溶かして飲めるように」
「かしこまりました。ですが飲み物が欲しいときは私にお申し付けください、いつでも私が控えておりますので」
そうきたか。うーん、そろそろ公爵令嬢マナーについてもリエルと話し合っておくべきだろう。
「リエル、私は自分のことは自分で何でもやるところで育ってきたの。お茶淹れたりするのも誰か呼んで頼むんじゃなくて、自分でやってきたのね」
病院を競歩状態で働き回る看護師さんたちを捕まえて、お茶頂戴なんて頼んだ日には、その医師の院内生命は絶たれたも同然になる。そんなおっかないこと、ペーペー医師の私には怖くてできるはずない。どっちかというと、研修医時代に当直になった夜なんてナースステーションに赴いてみんなにコーヒー注いであげたりしてた小心者なんだから。
「部屋の外ではリエルなり、ほかのメイドさんにちゃんと頼むから、この部屋の中だけは自分でやらせてくれないかな。じゃないとストレスが溜まってかえって身体に悪いと思うの。もちろん呼吸が辛くてベッドから離れられないときはリエルにお願いするしかないけど」
幼女だけができる上目遣いでお願いして見せると、リエルはしょうがないですね、という風に微笑んでくれた。
「ではお声が出ないときや部屋の外で御用があるときは、こちらのベルをお使いください。鳴らしていただければ私がすぐに参りますし、そばに私がいない場合は誰かしらがお側に参りまして御用を承ります」
と、ベッドサイドにあった銀色の小さなベルを示して見せる。こんな小さなベルの音でも聞きつけるように訓練されてるのか、さすが公爵家のメイドだよ。
「分かったわ。あと用意してもらいたいものがあるのだけど、このぐらいの小さいボールってある?」と手のひらを上下に重ねて隙間でボールの大きさを示してみせる。
「はい、ございますが。何に使うのですか?」
「筋トレよ!」
「キントレ…でございますか?」と首をひねるリエル。ありゃ、筋トレって言葉ないのかこの世界。魔法が発達していると体力に重きをおかないのかもね。
「キリーさんのこの身体は体力がない。だから熱出したり咳の発作がおこると、すぐ生命に危険が及ぶの。筋トレは筋力トレーニングといって、要するに身体を強くする訓練のこと。ボールがあればベッドの中でも色々できるんだ」とリエルに教えつつ、あとついでに、全身運動できるアレがあると嬉しいんだけどな~と考える私。
「ねえ、トランポリンって聞いたことある?」
「ございませんが、どのようなものでしょうか?」
「いまこのふかふかベッドはこう、弾むよね。この弾力をもっと強くして、上にのって跳ねて運動する遊具がトランポリンよ」とお尻だけでバウンドしてみせつつ、手でビョンビョン跳ねる様子を表現してみせるけど、あ、ダメだリエルが首を振ってる。しゃーない、トランポリンは全身有酸素運動が可能な上に室内でできるから、あればいいなと思ってたけどあきらめよう。
「魔法で効果を付与した魔道具でなら、同じようなものを作れるかもしれませんが、キリー様は魔力制御ができておりませんので…」と申し訳なさそうに言うリエル。うん、それも話し合い必要事項だったよ!忘れがちだけどここは何するにも魔法が要る世界だ。
「ねえ、それなんだけど、キリーさんの体内魔力制御するためにも魔法の知識が必要だと思うんだよね。でも中身が入れ替わっているのがばれるとマズイから、教えてくれる先生を雇うのは、きっとできないでしょ?どうしてか分からないけど、私はここの文字も読めるようだから、本があれば学べると思うんだ。魔法について書かれた初歩的な本があったら、貸してもらえないかな」
「承知しました。後ほど奥様と相談して初級の本を何冊かお持ちいたしますね」
今でも自分の身体の中に魔力があるなんて感じとれないけど、本とかで学べばもしかしたら魔法のない国からきた私でも魔法が使えるようになるかもしれないし、体内の魔力反発を抑えていけるかもしれない。どうせ3年は日本に帰れないのだから、この時間は海外の病院に研修に行ったとでも考えて貪欲に知識を仕入れていくことにしよう、そうしよう。それに魔法スキルを身につければ、ひょっとして、日本に帰ってからも使えるようになるかもしれないじゃないか。そしたら病院に来るナマイキな子たちに披露してやるんだ、きっと大受けして尊敬の眼差しで見てくれるに違いない!
ニマニマする私を不思議そうにリエルが見ていたが、魔法が使える小児科医としてテレビに出る自分を妄想していた私は、その視線にしばらく気づけなかった。頑張るのよ桐江…。