キリーが見た夢
空が高い。こういうお空を秋晴れっていうんだって、遠野母さまが教えてくれた。何となくここ数日空気も澄んでいて、呼吸するのが楽しい。
息するのが楽しい、っていうと遠野母さまも友野先生も笑って、それから決まって頭をなでてくれる。父上もよくそうやってくれたのを思い出す。父上もママも、どうしているだろう…。
ズボンの裾をくいくい引っ張られる。あ、散歩の途中なのにボーッと立ち止まっちゃった。このコリー犬のセルジュくんは駆け足が大好きだから止まってたらつまらないよね。
「ごめんごめん、さあ、河原まで走ろうね!」
「ワン!」
セルジュくんは遠野家の三件隣にあるお宅の飼い犬。息子夫婦とおじいちゃんで住んでいたんだけど、ご夫婦のほうが今年の夏急に海外転勤になってしまい、犬はおいていかれることになった。まずいことにおじいちゃんは膝を壊していて、とても元気なコリー犬の散歩ができる状態じゃない。ご近所ネットワークで遠野母さまに相談が持ち込まれ、私が毎日散歩に連れ出すことになったのだ。
遠野母さまはよくそういう相談事を持ち込まれては解決しているみたい。病院で働いているのにご近所とのコミュニケーションにも手を抜かないから、みんな突然遠野家に居候することになった私にも優しくしてくれる。というか、外見は桐江さんのままだから、相当振る舞いが子どもっぽくなっているのを見守ってくれているような感じみたい。頑張って大人っぽく振る舞ってるつもりなんだけど…。
遠野家から駆け足5分ぐらいのところに河原がある。ここは日本に来て遠野のお家の次に好きになった場所だ。足元に生えている草をさーっと吹き抜けていく川からの風の中にいるのは本当に心地よい。元の体だったら1分もしないうちに倒れて、晩にはきっと死にかけていただろう。跳ね回っているセルジュくんを足元に座らせてブラッシングを開始する。これはどの犬にも好評で、どの犬も私がブラシを取り出すと足元にすりよってくるのだけど、これは友野先生に言わせると「キリ-ちゃんの神業!」なんだそうだ。
大げさな、って思ってたけど病院のお見舞いボランティアに行った時、周りの子に聞いてみたら、犬でもブラッシングが好きなコと嫌いなコは半々ぐらいらしい。それと体を洗われるのは、大部分の犬がイヤイヤするみたい。
今は散歩の代行とブラッシングしかしてないけど、洗うのもできたら、みんなの役に立ててキリーのスキルにもなるだろうか。遠野母さまにセルジュくんを洗いたいけどどうしたらいいでしょうか、って後で相談してみよう。
無心に黄色の細い毛にブラシをすべらせながら、昨日見た夢に思いを巡らす。夢というにはかなり鮮明で、遠野母さまといっしょに大きいテレビの画面で映画というものを見た時のようだった。
森の中で、キリーと若いメイド服を着た女の人が歩いていた。多分ママ付きのメイドの一人だと思うのだけど、名前が思い出せない。二人はちょっと開けたところで立ち止まると、何か話し合ってから少し距離をお互いに取った。映画と違って音が聞こえないから何を言っているのかはわからない。
キリーが手を地面につけて何か唱えているようだ、と思った途端、いきなり土が盛り上がった!びっくりして眺めていると、そのまま土が土を集め続け、やがて建物っぽい形になってきた。私、知ってる、あれ、きっとスカイツリーだ。テレビのニュースで流れたのを見たときに、「こちらにはこんな高い建物があるんですね!」と言ったら、驚いた表情が面白かったらしく、友野先生が非番のときに連れて行ってくれたのだ。
中に入ってみたときも驚いたけど、やはり印象に残っているのは離れたところから見た時の、空に突き刺さりそうな勇姿だ。どんなときも倒れなさそうな塔に私は自分でもどうしてか分からないほど魅了された。友野先生が買ってくれたスカイツリーのストラップは今も大事にポーチにつけている。眺めるたびにあの時の感動がよみがえるのが嬉しい。
夢の中のキリーはメイドと一緒に宙に浮かんで土のスカイツリーを眺めている。やがて土の動きが止まると、二人は下に降りて、キリーはまた手を土につけて何か唱え始めた。
ゆっくりと塔が崩れていく。それを眺めているキリ-はちょっと疲れているように見えるな…と思ったあたりでパッチリと目が覚めた。
朝の日差しがカーテン越しに差し込んでいる。そうだ、私がいるのは桐江さんの部屋でここはミルスラ公爵家じゃなく遠野家だ。ゆっくり体を起こしながら、私は今見た夢を忘れないようにしようと繰り返し頭の中で反芻した。もしかしたら夢じゃなく向こうの光景なのじゃないかという予感があったからだ。
ブラシを持つ手を無心に動かしながら考える。あの時、音は全然聞こえなかったし、私はかなり上から二人と土のスカイツリーを見ていた。ということは空に私はいたんだろうか、心だけで?そういう、心だけ抜け出して外に行くって絵本なら前に読んだことがある。確か悪い魔法使いに体が塔から出られない呪いをかけられちゃったお姫様の話だったっけ。でもあのお姫様は心だけで出会った王子様に見つけてもらって会話できて、そのお陰で塔から助け出されてたはず。音が聞こえなかったということは、あの絵本のストーリーとは違うのかな?
それより驚いたのは夢の中のキリーが魔法を使っていたことだ。音は聞こえなかったけど、土に手をつけて何か唱え、そのたびに土が盛り上がったり崩れたりしてた。ということは…桐江さん?!桐江さんが魔法を覚えてキリーの体で使ったということ?
でも場所がおかしい。多分あそこは屋敷から一番遠くにある森だと思うんだけど、あんな所まで私は歩けたことがない。まさか…桐江さんが私の体に入ったことで丈夫になったということ?でも入れ替わるだけで丈夫になるなんて、そんなことがあるのだろうか。
考え込んでいるとセルジュくんがワン!と足元でほえた。おっと、いけないもう帰らなきゃいけない時間だ。これ以上私だけで考えててもしかたない。私はリードをつかんで立ち上がると、遠野母さまと友野先生に相談してみようと決めた。




