03ギンロウ
大上ギンロウにとってこれは待望のゲームだった。
あらゆる無駄を嫌い、効率化することを無上の喜びとする彼にとって、人生の三分の一もの割合を占める睡眠というのは憎悪の対象だった。
体を休めるために必要なこととはいえ、その間は夢を見ることしかできないのだ。
膨大な時間、ただただ横になっているだけ、それは彼にとって恐怖ですらあった。ある動物は二十分程度の睡眠しかとらないと聞いたときは心底うらやましいと思ったものだ。
そこに登場したのがこのメタドリームだ。
最初こそ怪しげなものと疑っていたのだが、睡眠の質が向上し、仕事の能率も上がったという評判が耳に入るようになると、ただ惰眠をむさぼるよりはマシかと思い、手を出してみたのだった。
そして、その効果は期待を遥かに上回るものだった。これなら投資しただけの意味はあったとほくそ笑んだ。
ただ一つ不満があった。
ゲームでの記憶は、夢と同じように目覚めたあとおぼろげになってしまうのだ。必死に思い出そうとしても、まるで砂をつかむかのように指の隙間から記憶がこぼれ落ち、二度と戻らなくなってしまう。
スクリーンショットやムービーは撮ることができるし、見ることもできる。起きた自分に対しメッセージを残すことも可能だ。
だがそれは記録であり記憶ではない。
いくら見ても、その時の思いは残っていないのだ。なぜゲームの記憶を現実に引き継げないのか、そう問い合わせてみたが、答えは「仕様です」の一言であった。
不思議なことに、再びログインすれば前回の記憶が鮮明に戻ってくる。これがあるので彼はこの仕様を渋々ではあるが受け入れていた。
彼は仕事一筋というわけではない。仕事に打ち込む理由は、給料が入るから無駄ではない、それだけだ。
遊びなど時間の無駄だと思っていたから趣味らしい趣味はなかった。
せいぜい読書をするくらいだったのだが、それすらなにかしらのインプットをすることが仕事に役立つのではないか、という理由から始めたものだった。
(そんなオレが、まさかゲームに熱中することになるとは、な)
何が彼を惹きつけたのか、彼自身にもよく分からなかった。今まで娯楽らしい娯楽を嗜んでこなかったツケだろうか。信じられないことに、彼は今ではできるだけ定時で帰って早く寝たい、とすら思うようになっていたのだった。
「ギンロウさん。なんで助けてくれなかったんですか?」
薄暗い森に盛り土ほど小さな山があり、その中腹にはぽっかりと黒い穴が開いている。そこはダンジョンの入り口だ。
そこから出てきたギンロウにその金髪の女は言った。傍らに立つ男も冷たい視線をギンロウに向けて投げている。
「ああ。アイテムだろ? ホラ。約束どおり山分けだ」
ギンロウはトレードのウィンドウを開き、戦利品をそこに次々と表示させていった。
「いや、ギンロウさん。そういうことじゃないでしょう」巨躯で僧侶の服装をした男が言い放った。
「私もガレットさんも、【ポイズン】を受けてたんですよ? ギンロウさん、まだ【毒消し草】持ってるはずですよね? そのまま放っておかれたら、私達、死んじゃうじゃないですか!?」
最初に非難を浴びせた女が再び口を開いた。小さな身長に見合わない、大きな弓を背負っている。役割が逆だろうというのが、ギンロウが今日、初めて彼らに会ったときの感想だった。
「持ってるけど? 使う意味ある? もうボス敵は倒したんだから、あとはお宝回収するだけじゃん。パーティー保護があるんだから、死んだって出口に戻るだけだろ?」
ギンロウはそんなこと当然とばかりに言い放った。言われた二人はお互いに呆れた視線を交わす。
実際、彼らは死んだあとダンジョンの出口に飛ばされてしまったため、そこでギンロウを待っていたのだ。
「それはもちろん、そうですけどね。僕らだって奥の部屋がどうなっているのかだって見てみたいじゃないですか?」ガレットと呼ばた僧侶も非難する。
「はぁ? 見てどうすんの? 別に普通の部屋だったけど?」
「めったに行けない場所なんだから、行ってみたいって思うの、普通でしょ!」
女は思わず大声を上げた。
「大体さ、ここのボスって【ポイズンフロッグ】なんだから、【毒消し草】なんて持ってて当然じゃんか。アンタも僧侶なら【アンチポイズン】くらい覚えてくるべきじゃね?」
「そんなの知らないよ! 初見プレイなんだから!」女が横槍を入れる。
「すみません。僕も初見だったので……。ギンロウさんは以前来られたことが?」
「いや? オレも初だけど?」
「待ってよ! じゃあなんで知ってるのよ!」
ゲームの記憶は目覚めると消える。そのためメタドリームには攻略情報が少ない。流れてくる情報にも間違いが多く存在し、信憑性のあるものは極めて少なかった。
だがプレイヤー間には『分からないことこそが面白い』という文化があった。事前にすべて知った上でプレイしても、そんなものはただの作業にすぎないではないか――そういう意見が大多数を占めていたのだ。それはプレイヤーの年齢層の高さゆえだろう。
「行ったやつから聞いたに決まってる」
ギンロウはそんな空気など気にも留めていない。効率的にクリアするのに情報収集が重要なのは彼にとって当たり前だ。むしろ、やらないほうがおかしいのだ。
「そんなことして楽しいわけ!?」
「楽しいぞ?」
楽しいに決まっていた。無駄なく、素早く、効率的に終わらせる。そこに無常の喜びを感じるのがギンロウという男なのだ。
実のところ、彼もここまでイラつきを抑えながらプレイしていた。
彼らは毒に対する対策をしていないばかりか、出てくるモンスターも知らない。行き止まりと分かっているところも「念の為」と言って寄り道する。
ボスを一人で倒すのは効率的ではないからそこまでは我慢した。
案の定、ボスの毒で彼らが死んだときは胸のつかえが下りた。これでようやく足手まといがいなくなった、と。
「ギンロウさんは効率厨だったんですか?」
厨とは、もともとは中学生を意味するネットスラングである。そこから転じ、単語の最後に厨と付けることで、そのことに熱中しすぎる者、というような意味になる。そこには侮辱も含まれているので、面と向かって使うことは少ない。
「はぁ……そんなに奥の部屋に入りたかったのか? じゃあもう一回行く?」
ギンロウは悪びれずに言った。本当に悪いことだと思っていないのだから当然だった。
「あ、その前にさ、このアイテム、とっとと持っていってよ」
事前の取り決めはアイテムを山分けすること。それぞれの職業に適したレアアテムが出た場合は、適した者が優先的に取得できること、その二点だ。
ギンロウの目的はアイテムだけであり、それ以外のものは無価値だった。取り決めに関しては嘘偽りなく、取得したアイテムをすべて見せている。その点では彼は紳士的ですらあった。
「ギンロウさん、パーティーってそういうもんじゃないでしょう?」
怒りのあまり顔を真っ赤に染めた女と違い、ガレットの方は冷静にそう言った。
「だから、アイテムならこれが全部だって!」
どうやら彼らは、自分がレアアテムを占有したいがためにそうしたのではないかと疑っているようだ。ギンロウはそう考えていた。
でなければ、そんな意味のないことで、こんなに無駄に時間を使うわけがない。
「そこは別に疑ってませんよ」
「ねぇ! もういいよ! もう行こう! アンタとは二度とパーティー組まないから!」
そう声を荒げると、女は街の方へと歩き出してしまった。
「ちょ、ちょっと待って!」男も慌ててその後を追いかける。
「おーい、アイテム要らないのか?」
二人の背中に声をかける。女はそのまま行ってしまったが、ガレットの方は振り返って言った。
「ギンロウさん。アイテムはもういいです。それより、もっとゲームを楽しんだらどうです? それじゃ。もう会うことはないでしょう」
再び踵を返し、ガレットも行ってしまった。ギンロウはポカンとだらしなく口を開け、しばしその場に留まった。
(何、怒ってんだ? まぁ、アイテムが儲かったから良いけど)
彼はフレンドのウィンドウを開いてみた。案の定、すでにあの二人の名前はそこには無かった。いや、あの二人どころか、そこにはただの一つの名前も載っていなかった。
(しゃーない。またパーティー募集すっか)
今のようなことは一度や二度では無かった。それゆえ、彼には固定メンバーというものができなかった。
普通は一度いっしょに遊んだ仲であれば、その後フレンド登録しあい、またお互いの力が必要になったとき呼びかけ、再び冒険へ、という流れになるものだ。
だが、とくに効率厨が嫌われるメタドリームでは、彼のような存在は煙たがれた。だから、一度限りでその後二度と誘われないのだ。
だがそれは彼にとっても同じだった。また一緒に冒険へ、と思える相手に会ったことがない。
彼からすれば、あまりに非効率的な者たちばかりである。
だから、今回のような喧嘩別れがあってもいつものことであり、全く気にしていない。パーティーメンバーなら、また街のギルドで探せば良いことだ。
大抵は掲示板でメンバーを募集している。これといったものが無ければ、自分で募集をかければ良い。
(さて、街に行って、まずは換金か。それから酒場に行ってみるか)
特に目ぼしい物が手に入らなかったので、今回のアイテムは全部売り払ってしまう予定だ。
その後に酒場へ行くのは飲酒のためではない。
一応、飲食することはできるのだが、あくまで見せかけのもの。味は感じるものの腹が膨れるわけではない。彼はそんな無駄なことに興味はない。
欲しいのは情報だ。
酒場は歓談を目的とする者が集う場所であり、会話の中からレアアイテムやレアモンスターの存在などをひろうことができるのだ。
そのような行為を嫌うものも少なくない。
大抵のプレイヤーは何かを聞き出そうとしても固く口を閉ざしてしまう。酒を飲ませたところで前後不覚になるほど酔うことはない。
そこは彼の会話術の出番だ。あの手この手で有益な情報を引き出す。それを元に次に攻略するダンジョン、ミッション、クエストを決定する。それが彼のやり方だった。
(あーあ。パーティー解散するの早すぎだろ。街に帰ってからにしろよなぁ)
パーティーメンバーの元へは【ポータル】を使えば一瞬で行ける。
当然、再び彼らと顔を合わせて気まずいということになりかねないのだが、彼にはそれよりも時間の無駄を省くほうが大事なのだ。渋々街に向かって歩き出す。
(あ、そういやこの道って【メディクサ】生えてんだっけ。【ポーション】の材料になるし、採取しながら帰るか)
彼はしゃがんで道端の草を引き抜くと、再び歩き出した。
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