02キンカとリコシェ
01
リコシェはため息をつき、またウィンドウを開いた。ほんの数分前にも同じことをしたのだが、このような森の奥深くでは周りに木々しかなく、他にやることもない。
眼前に浮かんだ半透明な乳白色のメニューウィンドウの中からフレンドという文字列を選択。するとウィンドウは名前のリストに変わり、そこから目的の人物、猫田キンカを探し出す。やはり先程と同じ、オフラインを示す濃いグレーの表示だ。
(あいつ、何してんだよ……。誰かに聞いてみるか)
オンラインであれば名前は白く表示される。リコシェはその中からさらにキンカと親しい人物を選別する。選んだ名前をタップし、現れたメニューからメッセージ送信を選択。
リコシェ:こんばんは。今日、キンカに会いました?
便利なことに、キーボードを叩く必要もなく、思ったことがそのまま文章となる。送信し、しばし返事を待つ。
オンラインだからといってすぐに返事ができる状況とは限らない。戦闘中であれば当然だし、強敵であればそれが十分以上続くということも、このゲームでは珍しいことではない。
たがタイミングが良かったのか、返事は思ったより早くきた。
山野コヨ:こんばんは~。キンカさんならさっきまでオンでしたよ~?
リコシェ:本当ですか? これからダンジョンに行く約束だったんですけど、まだ来ないんですよ。
山野コヨ:本当だ。今はオフですね~。そういえば、その時パーティーに誘ったんですけど、用事があるって言って断られたんですよ~。
リコシェ:それ多分、俺ですね。
(約束を忘れたわけじゃないってことか……)
リコシェはひとまず安堵した。だがそうなると、なんらかのトラブルによって接続できない、という可能性がでてくる。視界右下の時計に目をやると、すでに深夜一時をまわったところだった。
(まったく、明日は五時起きだってのに)
これから向かうダンジョンは二人パーティー向けに設計されたものだ。広さもほどほどで順調に行けば一時間もあればクリアできるはずだ。まだ焦るような時間ではないが、計画通りに事が進まないことを彼は厭う。
山野コヨ:キンカさん~、最近~時々~起きオチするんですよねぇ~。
リコシェ:え? そうなんですか?
山野コヨ:なんか~夜中にトイレに行きたくなる、とか言ってましたよ~。
リコシェ:おいおい。あいつ、何歳なんだよ……。
山野コヨ:あはは~。
オンラインゲームで相手の現実のことを聞くのは無粋である。
リコシェもキンカとの付き合いは三ヶ月ほどになるが、彼女の年齢や本当の性別、職業などは知らないし、特に知りたいとも思わなかった。キンカが本当は老婆である可能性だってありえなくはない。
ただ一つだけ、交わした会話の中で関西地方のどこかに住んでいる、ということを聞いたことはあった。
リコシェはゲーム中、トイレで起きオチ、などということを避けるため、寝る前は水分を摂らない、ログイン前には必ずトイレに行く、ということを徹底していた。だからキンカのいい加減さには少し呆れてしまう。
山野コヨ:あっ、キンカさん。オンになったっぽいですよ~。
リコシェ:え? あ、本当だ。
開きっぱなしのフレンドリストを再び見てみる。すると、リコの言うように、キンカの名前が白く表示されていた。
リコシェ:リコさん、ありがとうございます。さっそく連絡してみます。
山野コヨ:それ終わったら~、合流しませんか~?
リコシェ:キンカと相談してまた連絡します。それでは。
山野コヨはキンカとは仲が良いらしいのだが、リコシェはあまり好きではなかった。今のようにメッセージでも常に語尾に『~』をつけるところ。そして、ボイスチャットをしても甘ったるい声で喋るところが、なんとなく男ウケを狙いすぎているように感じられたからだ。
リコシェ:おい、時間過ぎてるぞ、何してる?
猫田キンカ:なゃはは! ごめんごめん。今そっち行く!
その点、キンカは女らしさの欠片も見せない。そこが彼女の良いところだと彼は思う。彼女といるときは、何一つ気を使う必要がなかった。気の置けない仲、というやつだ。
彼女から送られてきた【パーティーの招待】を受諾する。リコシェのそばの地面に青く光る魔法陣のようなものが現れたかと思うと、そこから二つの金色の猫耳がニョキッと生えてきた。これはパーティーを組んだ者の位置に瞬間移動できる【ポータル】というものだ。地面からキンカの全身が出てくるまで三秒ほどだった。
「待ったぞ」
「なゃは~! ごめんごめん! ちょっと起きちゃってさー」
彼女は獣人族のアバターを使用している。猫の獣人で、浅黒い肌に金髪ショートヘアが目立つ。腰からは尾っぽが伸び、グリーンの瞳の瞳孔は縦長である。ニカッと笑った前歯には二本の鋭い犬歯が光る。
「聞いたぞ。最近トイレで起きるって? お前、さてはBBAだろ?」
「なゃ! んなゃこと誰に聞いたんだよ!」
「コヨさんだよ」
「アイツー! 余計なこと喋りやがって! いや、アタシはまだ若いっての!」
キンカは苦虫を噛み潰したような表情を見せる。このような表情の表現は本当にリアルだとリコシェは改めて思った。
今、眠っている彼らは全身をすっぽりとメタベッドに包まれている。それがプレイヤーの脳波から感情を読み取り、アバターに表情として反映させているのだ。
「俺、明日五時起きなんだよ、早く行くぞ!」
「そんなゃに、焦るなゃよ。まだ四時間はあるじゃん。あ、コヨからこのあと合流して良いかってメッセージ来てるよ。どうする?」
「ああ……まぁキンカが良いなら良いけど」
「なゃんだよ、コヨちゃんかわいいのに。なゃんで苦手なのかなゃー」
「苦手なんだよ、ああいう子供ぶった奴」
メタベッドによる脳への悪影響を懸念する声は未だ根強い。そのような世論を考慮し、運営は折衷案として二十歳未満の者のアカウント作成を禁じた。――つまり、プレイヤーは全員、大人のはずなのだ。
「へ~?」
「な、なんだよ?」
キンカは訝しげな表情でリコシェの顔を覗き込む。
「そういうこと言うやつに限って、そういうのが好きだったりするんだよなゃ~」
「ちげーよ!」
リコシェは、そんな風にいたずらっぽく笑う彼女がかなりの軽装であることに気づいた。
日頃から素早さを重視した装備ではあるのだが、今日はいつになく露出が多い。ほとんどビキニの水着を着ているだけ、というような格好だ。彼女の浅黒い肌に、そのオレンジ色の水着はよくマッチしていたが、防御力という点では心もとない。
「んなことより、今日はその装備で行くのか?」
「ちょっとちょっと。イヤらしい目で見んなゃよ」
「そういう意味じゃねぇ! これからダンジョンなんだぞ?」
「分かってるって。ちゃんと新装備も持ってきてるから、ほら」
そう言うと彼女の肘から先が一瞬光りに包まれた。それが消えると、彼女の腕に新しい装備品が装着されていた。茶トラの毛並み、短い指からは黒い爪が覗いている。手のひらはピンクの肉球がご丁寧に付けられている。
それはまるで、猫の着ぐるみの腕部分だけを付けたような、とうてい戦闘に使えるとは思えないような代物だった。
「……なんだそれ?」リコシェはポカンと口を開けて見た。
「これが新兵器、【もふもふハンド】だ!」
キンカは両手を猫のように構え、猫パンチをシャッシャッっと二発ほど繰り出してみせる。
「お前の見た目にはあってるかもしれんが、それ、戦闘用か?」
「もっちろんよ。これで結構、攻撃力もあるんだよ。アタシは敵の懐に飛び込むからさ、リコシェはライフルで援護してくれよ」
一方でリコシェもミリタリー趣味を隠そうともしない装備をしていた。筋肉質な肉体を包むのはカーキ色の迷彩服。それと同じ柄の布で包まれたヘルメットを被り、顔には暗視ゴーグルを装着している。背中にはライフルを背負い、腰には近距離戦闘用のコンバットナイフとハンドガンがぶら下がっている。
メタドリームの世界は自由だ。資格を持ったクリエイターであれば、自作のアイテムを追加可能であるため、世界はファンタジーからサイバーパンクまで、あらゆるものがこちゃまぜになっているのだった。
サービス開始から膨大な量のアイテムが追加され続けており、ベータからやり込んだプレイヤーですら、すべてのアイテムを把握するのは不可能な状態であった。
「分かった。さ、目覚ましが鳴る前にとっとと行こうぜ」
「あいよ!」
二人は森の奥へと歩き出した。目的のダンジョンにはあと数分で着く予定だ。
「キンカは明日、何時起きだ?」
「アタシ? 別に起きる時間は決まってなゃいよ」
「お前……あんまりご両親に心配かけるなよ?」
「いや、なゃんか勘違いしてなゃい? アタシもちゃんと仕事してっから!」
「そうだな。自宅警備も立派な仕事だ」
「自宅警備員じゃねーよ!」
「おい、前見ろ。敵だぞ。はよ行ってこい」
「なゃに? あ、ホントだ。援護頼むなゃ」
「ロジャー」
暗視ゴーグルを付けたリコシェはいち早く敵を発見すると、背中のライフルを構えた。
スコープを覗くと複数の【ビッグバット】が洞窟の入り口付近の天井にぶら下がっているのが見える。深い森の奥の洞窟、ということを聞いて暗視ゴーグルを持ってきていたのが功を奏した。敵はまだこちらには気づいていない。足を狙い、引き金を引く。
見事命中すると【ビッグバット】はギャーギャーという鳴き声を上げ、地面へ落下した。そこへ飛び込んだのがキンカだ。一撃の元あっさり葬り去る。
物音で目を覚ました他の【ビッグバット】が一斉に飛び立つが、リコシェは冷静に、一匹づつ撃ち落としていく。それを次々に仕留めていくキンカ。
「なるほど、ちゃんと武器として使えるようだな」
どうやら見た目だけで選んだわけではないらしい。まさかとは思ったが、キンカならそんなこともやりかねないのだ。だが惚れ惚れするような無駄のない動きでモンスターを蹂躙する彼女を見て、リコシェはホッと胸をなでおろした。
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