6 制約の魔法
「ずっと……?シエルちゃんと私は初対面……よね?」
私の胸に顔を埋めてぎゅうぎゅうと抱き締める彼女を見下ろしてみるものの、こんなに綺麗な妖精さんを見るのは初めてだし、記憶を探ってみても他の妖精さんにだって出会った覚えはない。
人違いではないのだろうかと首を傾げるのだけれど、彼女はそれを否定する様にふるふると首を横に振った。
「確かに今のあなたとは初対面よ。でもあなたは――」
言葉の途中で、彼女の口はまるで縫い付けられてしまったみたいに不自然に閉じられて歪む。彼女は驚き、もがもがと見えない力に抵抗していた様なのだけれど、暫くして諦めた様子で項垂れてしまった。
「そっか……詳しく話せない様に魔法がかけられているのね。しかもこれはとっても強力なやつだわ……」
小さく呟かれた声はよく聞こえず、かといってシエルちゃんは私から離れる気配はない。これはどうしたらいいのだろうかと思っていれば、今まで呆然としていたクロヴィス様が弾かれた様にこちらへと来ると、シエルちゃんを引き剥がそうと手を伸ばした。
「シエル!貴女は一体どうしたというのです。メラニーさんが困っていますよ」
「んもぅ!何するのよ!」
「少し離れなさい。メラニーさん、突然の事で驚かせてしまいましたね。普段はこんな事はしない子なのですが……」
「いえ、私は大丈夫ですから」
申し訳なさそうなクロヴィス様に首根っこを掴まれ、シエルちゃんはばたばたともがいている。ぷっくりと頬を膨らませた姿はやはり可愛らしかった。
「それにしても、いきなり飛び掛かるだなんて……それ程にメラニーさんの事が気に入ったのですか?」
「当たり前でしょ。妖精ならみんな好きになるわ。だってあたし達の大事なお姫様だもの」
そう言うと彼女は私に向けて満面の笑顔を向ける。見た目は凜として大人びた雰囲気の彼女が笑うと、少女らしい可愛さの方が勝る様だ。私もついつられて笑顔になってしまう。
「ふふ、私の事をお姫様と呼んでくれるだなんて光栄だわ。でも私から見たらシエルちゃんの方がお姫様みたいに綺麗よ。笑顔はお花みたいに可愛らしくて、ずっと見ていたくなるもの」
にこにこと微笑めば、シエルちゃんは少しだけ跳ねると恥ずかしそうに顔を覆ってしまう。人よりも少し長い耳が、ほんのりと赤く染まっていた。
「うっ……これは反則だわ……クロヴィスに足りないのはこういう素直で可愛い所よ……」
「メラニーさんが素直で可愛い所には同意しますが、というか貴女の言い方ではまるでメラニーさんが……」
そこまで言ってハッとした様子のクロヴィス様は、私とシエルちゃんを交互に見やる。
「まさか、そういう事ですか?」
「だからクロヴィスは鈍感だっていうのよ!まぁ、それなのにメラニーを見つけるなんて逆に凄いのかもしれないけど」
「……?どういう事ですか?」
明らかに顔色が変わるクロヴィス様と、どこか得意げに訳知り顔をしているシエルちゃん。私だけが話の流れがよく解らず、こてんと小首を傾げるばかりだ。
彼は少しだけ逡巡した後、ふーっと大きく息を吐き出す。
「メラニーさんは妖精に愛されし者、妖精の加護を受けた者だという事ですよ」
「私が……ですか?」
真剣な表情でこくりと頷かれているクロヴィス様には悪いのだけれど、私には身に覚えが全くない事で首を捻るしかなかった。
シエルちゃんに会うまで妖精さんを見た事もないし、妖精の加護を受けているというなら何かしら不思議な事が起こっていそうなものだけれど、これまでそんな事があった覚えもない。
シエルちゃんが私に好意的なのも、たまたま波長が合うからとかそういう事ではないのだろうか。
「信じられないのも当然かもね。メラニー、あなたには強い制約の魔法がかけられてるのよ」
「制約の魔法……?私に……?」
私に魔法がかけられているだなんてそれこそ信じられない事で、私はパチパチと瞬きを繰り返す。自分の手を見下ろし、握ったり閉じたりをしてみるのだけれど、特に違和感もなく普段通りだ。
それともずっと魔法がかけられている事にも気付かず、これが常だと思っているから何も感じないのだろうか。
そう思うとだんだん不安になってきて、自然と眉尻が下がってしまう。そんな私の様子に気付いたシエルちゃんが慌ててばたばたと手を動かした。
「あっ!だ、大丈夫よ!怖い魔法じゃないし、あなたに害があるものじゃないから!むしろこれはあなたを守る為にかけられたものね」
「私を守る為にだなんて、一体誰がそんな事を……」
「それはね、あなたの――んむっ!?」
何かを伝えようとしたシエルちゃんの口は、またしても不自然に閉じられてしまい、暫く抵抗していた彼女が諦めた様に項垂れると同時にぷはっと苦しそうな息が漏れた。
「シエルちゃん、大丈夫なの!?」
「うん……やっぱり魔法の力で詳しい事は言えないみたい」
「上級妖精の貴女にも抗えない魔法だなんて、そんな事が出来るのは――」
眉を顰めるクロヴィス様の表情はどこか思い詰めた様にも見える。彼の真剣な眼差しを受けて、シエルちゃんは小さく頷いた。
「クロヴィスの考えてる事は多分合ってるけど、声に出したらあたしと同じ目に遭うから言わない事ね。あたしだからこの程度だけど、人間のあんたには相当きついと思うから」
「成程、解りました。ですがそれなら本当にメラニーさんに害は無いのですか?」
「それは大丈夫よ。というかこんな制約をかけるだなんて、相当愛されてるというか、重いというか……」
語尾を濁すシエルちゃんは、そのまま大きな溜息を漏らす。なんだかどっと疲れた表情だ。
「制約としては、あなたに知られたくない情報を言えない事と、殆どの妖精からあなたの存在を曖昧にする事。他にもあるけど、主なものはこの2つね」
「あの……私の存在を妖精さんから曖昧にする事に一体何の意味があるのかしら?もしかしてそれで私は妖精さんを今まで見た事がなかったというの?」
「あー……うん、そうね。多分これもあなたに知られたくない事でしょうからあたしからは言えないわ」
何とも言えない表情の彼女に、私は疑問符を浮かべるばかりなのだけれど、クロヴィス様は察しがついた様子で溜息が漏れた。
「何なのですかそれは。心が狭すぎるのでは?」
「あたしはクロヴィスにそんな事しないから安心していいわよ」
「それは心配していませんよ。……それにしても、あの素直さがそういう厄介なものを引き寄せるのでしょうか」
「まぁ解らなくもないわね」
じっと私を見るクロヴィス様のタンザナイトの瞳は、慈愛とも憐憫とも見える感情に揺れていた。よく見ればシエルちゃんも同じ様な瞳で私の事を見ているものだから、なんだか私だけ仲間外れみたいだ。
「お二人だけでずるいです。私にも解る様に説明して頂けませんか?」
「説明してあげたいんだけど、言えない事が多くて……困ったわね」
「そういえば、他の妖精にはメラニーさんの存在が曖昧になるのなら何故貴女は認識できているのですか?」
そう言われると確かにそうだ。殆どの妖精から私の存在が認識され難いと言っていたけれど、シエルちゃんは私と会話して触れる事も出来ているのだから。
「私も最初は気付かなかったのよ。たまたま視線を逸らした先のあなたのその瞳を見た瞬間に霧が晴れた様な感覚になったと言ったら解るかしら」
「それじゃあ最初は本当にクロヴィス様しかいないと思っていたのね」
「あぁ、それであんなにも驚いていたのですか」
確かに私を初めて見た時のシエルちゃんの驚き方は尋常ではなかった。彼女にしてみれば何もいなかった所にいきなり私が現れた様なものだからそれは驚くだろう。
「恐らくだけど、あたし達妖精はあなたの瞳を正面から見ないと認識出来なくなってるのよ。しかもあたしは既にクロヴィスと契約してるから、あなたと契約する心配はないし、そこも関係してるのかもね」
「妖精さんは一人としか契約は出来ないものなの?」
「そうよ。一度契約したら、クロヴィスが生きてる限りは有効な終身契約なの。もちろん契約破棄は出来ないわ」
「へぇ……そういうものなのね」
妖精の契約については知らない事が多いけれど、生涯続く関係だというなら妖精さんが気に入った人としか契約しないのも納得だ。気の合わない相手と生涯付き合いたくはないだろうから。
「あら、でも『妖精の加護』を受けた人は契約していなくても妖精さんが助けてくれるのよね?私は加護があっても妖精さんに認識されていないから、普通の人と変わりないという事なのかしら」
実際に加護を受けた人に直接会った事はないものの、一般的にはそう認識されている。だから私は自分が加護を受けているだなんて思いもしなかったし、それでも特に不便だとは思った事がないから、妖精さんに遭遇しないのは残念に思うけれどこれからも今までと変わらないのではないだろうか。
そう思ったのだけれど、シエルちゃんもクロヴィス様もなんだか微妙な表情だ。
「普通の人、ねぇ……無自覚なのが一番怖いわね」
「それは難しいと思いますよ、メラニーさん」
「えぇ?どうしてでしょう?今までだって私は平凡に生きてきましたよ?」
加護を受けたフィエルテ公爵夫人の様に凄い効果のある香水を作った事もないし、私が作ったものといえばクッキーみたいなお菓子の類だけれど、あれだって普通のクッキーだった。
だからこれからも私はただのメラニーとして地道に生きていき、クロヴィス様の助手をしてお金をある程度稼いだら王都で国一番のお花屋さんを開いて、素敵な花で皆を笑顔にするのが目標なのだから。
そんな夢を思い、心の中ではぐっと拳を握りしめていたのだけれど、クロヴィス様はといえば何を思ったのか鞄の中から先程採取したチューベローズの花の入ったガラス瓶を取り出し、私の方へと差し出した。
その意図が解らず、私はこてんと小首を傾げる。
「これは最初に採取した香りの強いチューベローズですよね?これがどうかしたのですか?」
「貴女が妖精の加護を受けていると解って確信しました。この花は貴女が触れたからこそ、香りが強くなったに違いありません」
「えっ……そんなまさか……」
触れただけで香りが強められるだなんて、本当に私が原因なのだろうか。それなら邸の庭にあったお母様の薔薇だって変化がありそうなものだけれど、あの薔薇はもともと香りがとても良かったから香りが強くなっていてもあまり気にならなかったかもしれない。
半信半疑の私に対して、シエルちゃんは嬉しそうにガラス瓶をつついていた。
「そう、これよこれ!あたしの空間にいきなりこんな『祝福』された花が放り込まれてきたから驚いちゃったのよ。これ以外は普通の花だったから、なんであたしを早く呼ばないのかってムカムカしちゃって」
「それでシエルちゃんはクロヴィス様にあんなに怒っていたのね」
「そうそう、鈍感なクロヴィスじゃ気付かないでしょうから、あたしが見分けてあげようと思ったんだけど、まさかあなたの影響だったなんて――」
「ちょっと待ってください……!」
話を遮って急に声をあげたクロヴィス様に、私とシエルちゃんはきょとんとした表情を向けるのだけれど、彼の表情は真剣そのものだ。
「シエル、『祝福』と言いましたがそれは一体何ですか?私は初耳なのですが……」
「へ?あれ?これは人間には浸透してない事だったかしら?」
そんな時だった。
私達の声以外は静かだった神殿の扉が、ぎぃと鈍い音を立てて開かれる。反射的にそちらを見るのだけれど、そこには一人の人影があるものの、その表情は逆光でよく見えず、真っ白な聖衣に身を包んでいる事しか解らない。
長身である事から恐らく男性なのだろう。緩やかに纏められた長い金の髪は、月明かりを受けて銀糸の様に輝いていた。
「こんな時間にオレの神域に不法侵入とはいい度胸だと思えば……またお前か、クロヴィス」
その声は呆れとも諦めともいえる色に彩られていた。
読んでくださってありがとうございます!
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次回はクロヴィス視点の話になります。