4 お人好しと人誑し
「この辺りは少し足元がぬかるんでいますから、気を付けてください」
街から出て程近い山の中を歩く事暫し、クロヴィス様の言う通り川に程近いこの辺りの土は湿り気が多く、進めば進む程足を取られそうになる。
慎重に進んでいるつもりなのだが、あっと思った時にはブーツがぬかるみに嵌り転び掛けてしまう。来るべき衝撃に備えてぎゅっと目を閉じ、身を固くするのだが、その前に掴まれた腕ごとクロヴィス様に引き寄せられていた。
「ありがとうございます、クロヴィス様……!」
「言った傍から転ぶだなんて、貴女は本当に目が離せませんね」
彼が一つ溜息を漏らしたかと思えば、次の瞬間には私の体はふわりと宙に浮いていた。
「クロヴィス様!?」
「このままだとメラニーさんはまた転びそうですからね。この先に休憩できそうな場所がありますから、そこまで我慢してください」
私を安心させる様に優しく微笑むクロヴィス様の顔は、抱き抱えられたせいでとても近い。妙な気恥ずかしさと、邪魔にならないようにすると言ったのに負担をかけてしまっている申し訳なさから、私はせめてこれ以上迷惑にならない様に俯き、自分を荷物の如くじっとする事に神経を集中させる。
そうしていれば、頭上からは可笑しそうなくすくすとした笑みが溢れてきた。
「そんなに身を固くしなくても大丈夫ですよ。これでも調査活動の為に鍛えていますから、貴女を落としたりしません」
「えっ!?まさかそんな、クロヴィス様の事を不安に思っていた訳ではありません!その……私、足手纏いになっていますよね……?」
クロヴィス様はお優しいから、私に合わせてここまでの行程もゆっくり歩いてくださっていた。きっと御一人なら既に目的地に辿り着いていたに違いない。
その上ここまでも山に自生している植物の解説をしながら歩かれていたのだ。私はとても勉強になったし楽しかったけれど、クロヴィス様にしたら私が居た所で何の得にもなっていない。
そんな事に今更気付いてしまい、私は余計に申し訳なくなってきていた。たぶん、初めての旅で自分で思うより浮かれていたのだ。今までやらなくてはいけない事に追われていてばかりで、久しぶりの自由な時間だったから。
(そもそもがいくら人の良さそうな方だからといって、知り合ったばかりの方に厚かましくもこんなお願いをするだなんて浮かれていた証拠だわ。最近はこんなに衝動的に動いたりしていなかったのに……!)
幼い頃は確かに考え無しの行き当たりばったりで、コンスタン達使用人も私に手を焼いていた。けれど、お母様が亡くなってからはもうそんな子供の様な振る舞いをしている場合ではなくなってしまったから。
(自由になった反動かしらね……本当に自分が情けないわ……)
何度目か解らない溜息を漏らした所で、体は静かに地面へと降ろされる。そこは座って休める程に平らで大きな岩があり、彼に促されるままに腰を下ろす。
申し訳なさから顔をあげられない私の髪を、彼は本当に優しく労る様に撫でてくださるのだからその優しさに思わず泣いてしまいそうになる。
「足手纏いだなんて思っていませんよ。メラニーさん、私は今日の調査に貴女が同行してくださってとても楽しいと感じています。自惚れでなければ、貴女も同じ気持ちだと思っていたのですが……」
「そ……れは、勿論楽しかったです!クロヴィス様の解説は興味深い事ばかりで……」
悲しそうな声音に慌てて顔をあげれば、彼には少しも悲しそうな様子はみられなくて、本当に心から嬉しそうな表情を浮かべていた。
「実は私のこの活動は、家族にはあまり良く思われていません。趣味の道楽は辞めて、もっと家業に専念しろといつも言われているのですよ」
「そんな……!少しお話を聞いただけでも、クロヴィス様がどれだけ植物がお好きかすぐに解るのに……」
アカデミーで講師をする程に知識がある学者様だというのに、そんな風に家族に思われているだなんて夢にも思わなかった。クロヴィス様の知識は趣味の域を超えているし、とても立派な仕事をされているというのに。
そういう思いが顔に出ていたのだろうか。彼は少しだけ擽ったそうな、はにかんだような笑みを溢した。
「だから今日はメラニーさんが私の話を真剣に聞いてくださり、時には質問もしてくださったでしょう?いつもは黙々と作業をしているだけですから、誰かと一緒の調査活動がこれ程楽しいとは思いもしませんでした。足手纏いだなんて思う筈がありませんよ。むしろ――」
彼は少しだけ視線を彷徨わせて逡巡した後、意を決した様子で私の瞳を真っ直ぐ見据える。
「これも何かの縁なのでしょう。メラニーさんは将来王都でお花屋さんを開きたいと言っていましたが、それまで私の助手をしてみませんか?無理にとは言いませんが私は……」
「是非やらせてください!」
クロヴィス様の話を遮って前のめりに返事をしてしまい、彼が驚いた様子で目を丸くしているのを見て、私はまたやってしまったと少しだけ項垂れる。もっと理性的にしようと反省した所だったというのに。
「うぅ……お話の途中で申し訳ありません。気持ちが急いてしまって……もっと考えて行動できるよう気をつけようとは思っているのですが……」
「ふっ……あぁ、成程。今朝方私がした忠告をようやく理解して頂けたのですね。それで先程から妙に大人しかったという事ですか」
彼は可笑しそうに噴き出したかと思えば、笑いを堪えているのを隠す様に口元を手で覆っているのだけれど、肩は小刻みに震えていて全く隠せていない。そこまで笑う事ないのにと、私は思わずじとりとした目を向けてしまう。
「そんなに笑う事ないではありませんか!考え無しだという事は私が一番解っています!」
「あぁ、貴女を貶めた訳ではありませんよ。気持ちを素直に表現できる事は良い事ですし、私はそんな貴女を可愛らしいと思っています」
機嫌を宥める様に優しく私の頭を撫でる彼は、そう言いながらも少しだけ困った表情を浮かべた。
「まぁ誰彼構わず今朝方の様に向かっていく前に、よく考えて行動すべきだとは思いますけどね。私がもし悪人であったら、今頃貴女は襲われたり、奴隷として売り飛ばされたりしていたのかもしれないのですよ?」
「クロヴィス様は初対面の私に決して安くはない珍しい花をぽんと贈ってしまえる様な奇特な方ですもの。そんな素晴らしく、お優しい方が悪い人の筈が無いではありませんか」
何を当然の事を言っているのかと真顔で返す私に、彼は心底驚いた様な虚をつかれた表情を浮かべると、ばっと顔を両手で覆ってしまう。どうしたのかと目を丸くしていれば、彼はそのまま俯き、口からは大きな溜息が漏れた。
「本当に貴女という人は……」
「クロヴィス様……?どうかされましたか?」
「こんな調子でどうやってこれまで生きてこられたのでしょう。私なら心配で一時も目が離せませんよ」
はぁぁと重苦しい溜息をつきながら、何やら小さく呟かれた声はよく聞こえなかったけれど、ようやく顔をあげたクロヴィス様は私をとても残念なものを見る様な目で見ていた。なんだかとても憐れまれている様な気がする。
「ところで、メラニーさんは一人旅ですよね?失礼ですがご家族は……」
「あぁ!成程、そういう事でしたか。えぇと……母は5年前に事故で亡くなりました。父はその……お恥ずかしい話なのですが、賭博で借金を作って家も何もかもを勝手に売り払ってしまったのです。それで王都を目指す事にしたのですが、あの人は今頃どこで何をしているのか……」
「えっ!?」
クロヴィス様が私の家族の事まで気にかけてくださり心配しているのだと得心し、やはり私の思った通りお優しい方だと思うのだが、改めて貴族であった事は言わずに事実を述べてみれば、本当にろくでもない父親だったのだなと乾いた笑みが漏れる。
私は既に仕方ない事だと諦めている事だけれど、クロヴィス様にとっては衝撃的だったのだろう。見るからに顔色が青褪めてしまった彼に、私は気にしていないという風に笑顔を向けた。
「大丈夫です、もう吹っ切れていますから!ですから私は自由に何でも出来る身なので、クロヴィス様の助手になる事も問題ありませんから安心してください!」
「そういう事を心配している訳ではないのですが……」
彼は複雑そうな表情を浮かべた後、少しだけ考え込む様に目を伏せる。そうして次に顔をあげた彼のタンザナイトの瞳は、決意を固めた様に煌めいて見えた。
「事情は解りました。それなら私が責任をもってメラニーさんの後見人となりましょう。このまま放置するのはあまりに気掛かりでなりません」
「えっ、そんな……助手として雇って頂けるだけでも十分ですのに、本当に宜しいのですか?」
「寧ろ貴女を野放しにしておく方が、誰かに騙されて痛い目に遭っているのではないかと気が気ではありませんよ」
そうして妙に疲れた様子の彼は、また一つ諦めにも似た溜息を漏らした。
「はぁ……本来私は他人とは深入りせず、広く浅く気軽な関係を築いてきました。だというのに何故か貴女の事は放っておいてはいけないとそんな気がしてならないのですよ。何なのでしょうね、この気持ちは……」
「それは……クロヴィス様がお人好しだからでは?」
初対面からお花をくださり、次の日には私の考え無しの行動に忠告までくださった。厚かましい私のお願いまで聞き入れてくださって、親切に植物の解説までしてくださるのだからそれこそ聖人の様な優しさだ。
本当にお優しくて人が好い方だというのに何を今更仰っているのだろうと、こてんと小首を傾げるのだが、彼は何とも言えない表情で私をじっと見ている。
「ですから、普段の私はここまで親切な人間では無いと言っているのです。誰に対しても当たり障りなく笑顔でやり過ごしてきたというのに、貴女相手ではどうにも調子が狂います」
また一つ溜息を漏らした彼は、そっと私の頬にかかる髪を優しく撫でて耳にかけてくださる。微笑んではいらっしゃるけれど、どこか困っている様にも見えた。
「これが庇護欲というやつなのでしょうか……いいですか、お人好しというのは私の様な者ではなく、貴女の様に人を疑う事を知らない方の事を言うのですよ」
「ふふ……前にもそう言ってくれた男の子がいました。なんだか懐かしいです」
クロヴィス様が触れる指のこそばゆさと、私をお人好しだとよく言っていたテオの少し怒った顔を思い出して自然と笑みが溢れる。私自身は自分をそこまでお人好しだとは思っていないのだけれど、人からはそう見えるのだろうか。
「……貴女にそんな表情をさせるだなんて、その少年にはなんだか少し妬けてしまいますね」
ぽつりと呟かれた言葉はとても小さくて、風の音に紛れて消えてしまう。何と言ったのだろうかと顔をあげるのだけれど、クロヴィス様はただ静かに微笑まれているだけだった。
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