37 失われた過去
「っ……ここは……?」
目が覚めると、そこは不思議な光を放つ見た事もない花が一面に広がる花畑の中だった。
釣鐘状の色とりどりの花は、形はホタルブクロに似ているけれど、花弁の中には実際に灯りが灯った様な柔らかな光が宿っていてとても幻想的ではある。
空には数えきれないくらいの無数の星が輝いていて、夜だというのに花の灯りで暗さはあまり感じない。少し歩いてみたけれど、どこまでも同じ景色が続く全てが現実離れした美しい光景だ。
そもそも私は王城の大広間に居た筈だというのにこんな所にいるだなんて、夢でなければここは死後の世界なのだろうか。
「結局、私は何も出来なかったのね……」
ぽつりと漏らした声に、応える人は誰もいない。
歩みは自然と止まり、私は大きく息を吐き出すとその場にしゃがみ込んだ。その動きに合わせて、花の灯りはゆらゆらと揺れる。
「何も出来なかったどころか、私がした事ってクロヴィス様も、テオも……傷付けてばかりだわ……」
私を引き止めようとしてくださった時のクロヴィス様の辛そうな顔が脳裏に焼き付いて離れない。
ご家族からの愛情を感じた事がないというクロヴィス様を、ずっと傍で私が幸せにしてさしあげたかった。いつだって笑顔でいてほしかったというのに、私の勝手な行動であんな顔をさせて、酷く傷付けてしまったのだ。
クロヴィス様はお優しいから、きっと私がいなくなったら悲しまれるだろう。悲しませるつもりも、苦しませるつもりもなかったというのに。
テオの事だってそうだ。
あの時ははっきりと私の気持ちを伝える事が必要だと思ったけれど、テオにしてみれば私の事をずっと想い続けてくれていたというのにいきなり拒絶されたのだ。
もっと上手い言い方があったかもしれないのに、私は一方的にテオを傷付けてしまったのだから、自分が自分で嫌になる。
それでもテオについては、今でも解らない事だらけだ。
「テオは……一体何者だったのかしら……」
最初に出会った時は裕福な商家の子息に見えた。美しい容姿は天使みたいで、可愛い弟みたいな子。
でも本当は貴族の子息で、あの大広間でジェロームや多くの人々を傷付けたのも彼だ。妖精さんが入れない王城で、あんな魔法みたいな力を使えただなんて未だに現実とは思えない。
ジェロームの時がどうだったのかは解らないけれど、私が見た限りではあの力はテオの感情が影響していたように見えた。だとすれば、もっとテオの気持ちに寄り添えていれば、あんな事にはならなかったのだろうか。
それでもきっと私は自分の気持ちに嘘はつけないし、クロヴィス様を想っているのにテオの気持ちに応える事は出来なかっただろう。心を偽って結婚する事なんて、私には無理だろうから。
今となっては、もうどうする事もできないけれど。
私はまた一つ溜息を漏らすと、その場で項垂れてしまう。酷く疲れていて、もうここから一歩も動けない様な気がしていた。
そうしてどれくらいの時が経っただろう。それは一瞬の様でもあったし、とても長い時が経った様にも思える。景色はずっと変わらないから、時間の経過が酷く曖昧なのだ。
「……こんな所に居たのですね。探しましたよ」
頭上から聞こえたのは、優しく包み込む様な女性の声だ。それは初めて聞くというのに、とても懐かしい声にも感じられて私は重い頭をゆっくりとあげる。
「あ……なたは……」
私を慈しむ様な表情で見下ろすその女性の姿に、私は目をぱちぱちと瞬かせる。神々しくも慈愛に満ちたその御姿を、私は神殿で何度もお目にかかっていたのだから。
「アベラ様……?」
それは紛れもなく、生命の女神アベラ様そのものだった。
私の問いかけを肯定するかの様に口元を綻ばせる女神様に、私はハッとして姿勢を正すとその場で深々と頭を下げた。
「生命の女神、アベラ様にお目にかかれて光栄です!」
「そんな風に畏まらなくても良いのですよ、愛しい子。そなたはわたくしそのものであり、地上を見る目であり、愛しい娘なのですから」
「…………え?」
アベラ様のお言葉の意味が解らず、ぽかんとしてしまう私の前に彼女は膝を折られると、そっと私の額へとその指を伸ばされる。
彼女が触れられた所から温かな光が私を包み込み、心がふわりと軽くなるのを感じる。失われたものが補われる様な感覚に、ホッと息を吐き出した。
「随分と無茶をしましたね。あの哀れな魂を救う為に、またそなたの魂を分け与えるだなんて思いもしませんでしたよ」
「えっ?」
「人間とはそういうものだと理解していますが、今回は本当に危なかったのですよ。ここに連れてくるのが後少し遅ければ、そなたの魂は消滅していた事でしょう」
物憂げに溜息を漏らされるアベラ様のお言葉に、私は何がなんだか解らず、頭の中はぐるぐると思考が空回りする。
「今回も私の魂で補いましたが、これが最後と考えてあまり無茶をしてはなりませんよ」
「あの……!少しお待ちください……!」
突然私が大きな声をあげたからか、彼女は目をぱちぱちと瞬かせて私の事を見詰められている。私は呼吸を整えると、頭を必死に働かせながら言葉を選んだ。
「解らない事だらけで混乱しているのですが、まず私がアベラ様そのものとはどういう事なのでしょうか?『妖精に愛されし者』はアベラ様のお力を人より多く魂に宿せるだけの存在ではなかったのですか?」
アベラ教に伝わっていた古の聖書にはそう記載されていた筈だ。私がそれだとは理解はしていたけれど、アベラ様そのものだなんて思ってもみない恐れ多い事だ。
混乱している私に対して、アベラ様はくすりと可笑しそうに笑みを漏らされる。
「それは正解ではありますが、全てではありません。人間の中には、わたくしと魂の質がよく似ている者が時折生まれます。その者は、わたくしが人間を作り出した時に使った魂の欠片を有しているのですから、わたくしそのものであると言えるでしょう。そなた達を通して、わたくしは地上の様子を見る事ができるのですよ」
その言葉に私は思わず小さく叫び声をあげてしまう。私の目を通してアベラ様が地上の様子をご覧になれるというなら、まさかあのバルコニーでクロヴィス様に告白した時やあれやこれやもご覧になられていたのだろうか。
「ふふっ、安心して良いですよ。わたくしとて常に様子を見ている訳ではありませんから」
「そ、そうなのですね!?」
「えぇ、ですからそなたの方から時空の妖精の契約者に飛びついたところなどは全く見ていませんよ」
「ご覧になっているではありませんか!」
涙目になっている私とは裏腹に、アベラ様はころころと笑われてとても楽しそうなご様子だ。
「実の所、人間達の恋愛模様は見ていて楽しいのですよ。わたくしの数少ない娯楽なのですから、大目に見てください」
なんだかどっと疲れてしまったけれど、これ以上この話題を続けても私が恥ずかしくなるだけだというのは解りきった事なので、こほんと一つ咳払いをする。
「それはともかく、あの……哀れな魂というのはもしかしてテオの事でしょうか?私がまた魂を分け与えたというのはどういう事ですか?」
真剣な表情でそう問いかければ、アベラ様は少し考え込む表情をされると私の瞳を真っ直ぐに見据えられた。
「時に、そなたには制約の魔法がかけられている事は知っているでしょうが、それがいつ掛けられたものかを覚えていますか?」
「いえ……私には全く身に覚えがない事です」
「先程のそなたがわたくしそのものであるという事も、制約によってそなたに伝える事はできなくなっていたのですよ。わたくしには制約など関係ありませんから何の問題にもなりませんが、他にもこの魔法をそなたに掛けた際の記憶も封じられているのです」
それは要するに、私には失われた記憶があるという事に他ならない。物心つくまえの記憶ならそもそも覚えていなくても不思議にも思わないけれど、いつ頃の記憶なのだろうか。
不安気な私に対して、アベラ様は優しく微笑まれた。
「ふむ、これはもう実際に見た方が早いでしょうね。そこにそなたの知りたい答えもある筈です」
そっと伸ばされたアベラ様の手が私の手に触れると、視界が一気に切り替わった。先程まで常夜だった所からいきなり明るい所に切り替わったので、眩しさに目を細める。
ここはどこだろうかと辺りを見渡してみれば、見覚えのある邸が見えて私は思わず声をあげた。
「っ……!ここは、私の邸だわ……」
そこは今はもう人手に渡ってしまった、懐かしいトレランス子爵家の庭だった。お母様が大切にされていた薔薇園の中に佇んでいる事に気付き、堪らない郷愁に胸がざわりと騒ぐ。
「ほら、あそこに幼いそなたがいるでしょう?」
アベラ様の指し示す方には、まだ3歳くらいだろうか。幼い私と――
「お母様……お母様がいらっしゃるわ……」
もう随分前に亡くなってしまったお母様の姿に、私の目からは勝手に涙が溢れる。薔薇園の少し開けた所に敷かれた敷布の上に腰掛けられたお母様は、元気にはしゃいでいる幼い私を愛おしそうに眺められていた。
『おかあさまー!みてみて!』
幼い私がお母様に呼びかけ、薔薇の若木に触れると、その薔薇は瞬く間に育って美しい花を咲かせているのだから私は目を丸くする。
今の私が触れれば癒しの力を付与させたり、植物の特性を引き出す事はできるけれど、植物の成長を早めるなんて事は出来ない。それを幼い私はやっていただなんて、俄には信じられない事だ。
『あらあら、メルちゃんは本当に妖精さん達に好かれているのね』
『うん!いまもね、この子がちからをかしてくれたのよ!』
更に驚く事に、幼い私の周りには金色の光を纏った小さな妖精さん達がたくさん飛び交っていたのだ。シエルちゃんやルフレくんよりも体が小さいのだから、きっと中級か下級の妖精さん達なのだろう。
「もしかして、先程の薔薇が急速に育ったのは妖精さんが力を貸してくれたからなのですか?」
「えぇ、そうですよ。幼いそなたの周りには常に妖精達の存在がありました。そなたの邸のこの薔薇、そなたは母御の薔薇だと思っていましたが、あれらは全てそなたと妖精が育て上げたものだったのです」
私の記憶と全く重ならない事実に、呆然と目の前の光景を見詰めてしまう。私が信じていたものは、一体何だったのだろうか。
そんな中、幼い私は薔薇園の先、森の奥をじっと見詰めている事に気付く。その視線を辿った先にいたのは一人の少年だった。
夜の闇よりも濃い漆黒の髪にオニキスの様な瞳をした、妖精の羽をした美しい少年だ。シエルちゃんやルフレくんよりも少し背が高く見えるけれど、彼も上級妖精なのだろうか。
『うわぁ!あなたみたいにきれいなおめめをはじめてみたわ!おかあさまのほうせきみたいにキラキラね!』
幼い私の無邪気な言葉はなんだかとても聞き覚えのあるものだった。私はこれと似た言葉を、以前聞いた覚えがある。
そう、それは私と出会った時、テオが初めて言った言葉だ。その事に気付いて、胸はぎゅっと締め付けられる思いがする。
あぁ、きっとこの子がテオに違いない。なんの根拠もないものの、私には確信めいた思いがあった。
この出会いをきっかけに、幼い私とその少年妖精はどんどん仲良くなっていった。穏やかな日々は、けれど少年妖精が私に制約の魔法を掛けた事で一変する。
制約の魔法により、今まで当たり前に周りに居た妖精さん達がいなくなり、傍には彼しかいなくなったのだ。突然奪われた当たり前の光景が彼のせいだというのだから、幼い私が癇癪を起こしてしまうのは仕方ない事だろう。
『どうしてこんなことするの!?……きらい!だいっきらい!!』
それを聞いた瞬間、彼の瞳からはぽたりぽたりと涙が溢れ、あの大広間でのテオの時の様に力が暴走してしまったのだ。全く同じ事を繰り返してしまった事実を知り、私は愕然とするしかなかった。
「私は……2回もテオを傷付けていたのね……」
「この時も、そなたは暴走した哀れな魂を救う為にそなた自身の魂を分け与えたのですよ。暴走した妖精は、本来消滅させるしかないのですが、そなたの魂を分け与えられたこの魂を、わたくしは人間に生まれ変わらせたのです。それがまさか再び出会い、同じ結末を迎えてしまうとは……」
気がつけば私とアベラ様はまたあの花の灯りの中に居た。
今見てきた光景は幻の様だったけれど、私の胸に残る痛みと記憶は確かに存在していたのだと、目から溢れ落ちる涙がそれを証明しているかの様だった。
涙を拭う中で、アベラ様の手の中には弱々しく光る小さなゆらめきがある事に気付く。見ているだけで愛おしさと痛みが込み上げてくるその光を、私はぼんやりと見詰めた。
「そなたの魂を分け与えられたとはいえ、二度も暴走してしまったのです。哀れな魂は暫くわたくしが癒しましょう。時がくればそなたの元へと行きたがるでしょうから、その時は今度こそ受け止めてあげてくださいね」
こくりと頷くと同時に、周りの景色が酷く朧気に変わっていく。それはこの不思議な逢瀬ももう終わりなのだという事は私にも解った。
「そろそろお戻りなさい。そなたの帰りをずっと待っている者達が大勢いるのですから」
アベラ様の御声がだんだんと遠ざかっていくのを感じながら、私はそっと目を閉じた。
読んでくださってありがとうございます!
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明日の更新で完結になりますので、最後まで宜しくお願いします。




