32 手取り足取り
「……成程、それでダンスの練習を始めたという訳なのですね」
大神殿のとある一室。
夕食後、部屋にあったテーブルや椅子を端に避けてダンスができるくらいの広いスペースを確保した後、私とジェロームはクロヴィス様に見守られる中、真剣な面持ちで手を取り向かい合っていた。
結晶石を利用した道具から優雅な音楽が流れてはいるものの、私達の動きは優雅さの欠片もなく、酷くぎこちないものだった。
そもそも私とジェロームはダンスが苦手なのだ。
夏至祭で踊る正式なステップが特になく、その場の音楽に合わせて雰囲気で踊る様なものなら誤魔化しがきくのだけれど、今回私達が参加しなくてはならないのは王城で行われる正式な舞踏会だ。
「とりあえずワルツよ!ワルツさえ踊れれば、多分どうにかなるわ!」
「そうですよね!ワルツだけでもどうにかできれば……」
「甘いですよ、お二人共」
空元気で笑う私達に対し、クロヴィス様は大きな溜息を漏らされる。
「いいですか、今回はただの舞踏会ではなく格式ある王家主催の仮面舞踏会です。ワルツは基本ですが、その他にもスローフォックストロット、タンゴ、クイックステップ辺りは必須でしょう」
「す、すろーふぉっ……?」
「そ、そんなにたくさんあるのですね……」
私達の僅かな期待は、クロヴィス様によって無惨にも打ち砕かれてしまった。ダンスの種類もまるで呪文にしか聞こえないし、どんなステップなのかも全く想像がつかない。
「メラニーさんはともかく、ジェローム。君はアカデミーの卒業パーティーでダンスを踊りましたよね?」
「いや、それもう何年前だと思ってんだよ。あれっきりだってのに覚えてる訳ねぇだろ!?」
「えっ!?じゃあ完全に初めてなのは私だけなのね……」
仲間だと思っていたジェロームが実はダンス経験者だった事に、私はなんだか裏切られた気分だ。そんな私に対し、ジェロームが慌てて首を横に振った。
「メラニー様!本当の本当にオレもほぼ初心者ですから!大丈夫ですよ!」
「何が大丈夫なものですか。初心者のお二人であの舞踏会に挑もうだなんて無謀もいい所ですよ。どうして断らなかったのですか……?」
「だってクリスティーナ王妃殿下自らお誘いくださったのですもの。断れませんよ……」
しかも王妃殿下は良かれと思って私達を招待してくださったのだ。それをただダンスが苦手だからという理由だけで断れる筈もない。
「……でしたら特訓しかありませんね。仮面舞踏会は一月後でしたか。まぁ毎日やればどうにか形にはなるでしょうか」
「えっ!?ま、毎日……ですか?」
「まさか一月ずっとやるつもりか!?」
「勿論そのつもりですよ。正直な所、毎日やっても間に合うかどうかといった所なのですから」
クロヴィス様はにっこりと笑顔を浮かべられているというのに、私とジェロームは有無を言わせぬ圧を感じていた。これはもう逃れられない決定事項なのだろう。
けれどクロヴィス様だって最近はアカデミーで講義をする事も増えていて、今日も講義をされてきた後なのだ。お忙しいというのに、私達に付き合ってくださるというのだから、本当にありがたい事だ。
私はぐっと拳を握り締めると、クロヴィス様に頭を下げる。
「解りました……!宜しくお願いします、クロヴィス様!」
「メラニーさんはやる気があって大変素晴らしいですね。ジェローム、君はどうしますか?」
「う……オレだってやるぞ!せっかくメラニー様と踊れるってのに、恥ずかしい真似はできねぇからな!」
クロヴィス様は私達の言葉を聞き、満足そうに頷かれると、羽織っていたローブを脱がれる。ローブの下はシンプルなシャツにサスペンダーという御姿だったのだけれど、これがとても様になっておられて、つい感嘆の声が漏れた。
「……そんなに見られると気恥ずかしいですね」
「あっ!すみません、本当によくお似合いだったものですから……その格好で講義をされているのですか?」
「そうですね。動きやすくて機能的ですから、植物採取の屋外実習にも向いていますよ」
シャツの袖を捲りながら、彼はふわりと優しく微笑まれる。しかしクロヴィス様がお優しかったのはここまでだったのだ。
「さぁ、それでは今夜は基本のワルツから始めましょうか」
その後のダンスの特訓は、本当に特訓という言葉に相応しいとても厳しいものだった。
ダンスがお上手なクロヴィス様の指導は、言葉は丁寧でお優しいというのに、姿勢やステップに関しては全くお優しくなかったのだ。
「ワルツは3拍子に合わせて優雅に美しく踊るダンスです。まずジェローム、君は姿勢が全く美しくありません。もっと背筋を伸ばして、恥ずかしがらずにしっかりメラニーさんをリードしてください。メラニーさんも足を踏みそうで怖いのは解りますが、視線は下を向いてはいけません。頭から糸で引っ張られている様な姿勢を意識してみてください」
「は、はい……!」
「背筋……背筋だな……」
音楽とクロヴィス様の手拍子に合わせて少しずつ踊りながら悪い所は指摘してくださるのだけれど、私達が悪い所だらけで特訓は困難を極めていた。
それでも回数をこなしていく内、息も絶え絶えになりながらではあるものの、一曲通して踊り終える事ができるまでにはなっていた。ただ、優雅なダンスと言えるにはまだ夢のまた夢だ。
「少し休憩したらもう一度始めからやりましょう。お二人の場合、とにかく数を重ねて体に覚えさせてしまう方が良さそうです。ステップをあまり難しく考えてしまうと動きが目に見えて悪くなりますから、とにかく踊って考えなくても勝手に手足が動くくらいにしなくてはいけません」
「な、成程……確かに頭で考えると余計に解らなくなって、ステップが遅くなっていた気がします」
「オレもです……」
床に座り込み、はぁぁと重たい溜息を漏らす私達に対して、クロヴィス様はそれでも笑顔を向けてくださっていた。
「ですが最初に比べれば良くなりましたよ。とにかく練習あるのみです。動きは大きく、優雅に。揺れと上下運動を意識してほしい所ですが、一番はお二人がダンスを楽しいと思って笑顔で踊る事でしょう。お二人共ダンスに対する苦手意識が強くて、全く楽しそうではないのが一番の問題かもしれません」
「楽しく……」
「笑顔で……」
クロヴィス様の仰る事は尤もな事かもしれない。とにかく上手く踊らなくてはという事に必死で、練習はきついばかりで楽しくないと思ってしまっていたのだから。
それが表情や動きに表れているのだとしたら、私達のダンスはいつまでたっても良くはならないだろう。
「少し気分転換をしてみましょうか」
そうして座り込んでいた私の前に、クロヴィス様の手が差し出される。
「メラニーさん、私と踊っていただけますか?以前私と踊るのは楽しいと仰っていたでしょう?」
その言葉にハッと顔をあげる。私と目が合うと、クロヴィス様はふっと優しく目元を緩められた。
彼は夏至祭でのダンスの事を言っているのだとすぐに解り、いろいろと余計な事まで思い出してしまった。自然と顔が赤くなる中、その思い出を振り切る様に首を横に振ると、私はその手を掴んだ。
「ジェロームは私の動きをよく見ていてくださいね」
「あぁ、解った」
こくりとジェロームが頷くのを横目に見ながら、私はクロヴィス様に向き直る。ダンスでのこの距離感は初めてではないのに、ジェロームと踊っている時とはまた違う緊張感を感じて、心臓はどくどくと音を立てていた。
「顔が強張っていますよ。そんなに緊張しないでください」
「く、クロヴィス様がいつもそういう事をされるから緊張するんです!」
そっと耳元で囁かれる低い声に、ムッとして眉尻をあげるのだけれど、彼は何故か嬉しそうな笑顔だ。
「さぁ、踊りましょう。ダンスは好ましい相手と踊るとより楽しいものなのですから」
そういう思わせぶりな発言が良くないのだと言いたかったというのに、それを言葉にする前にゆったりとしたワルツの音色が流れ出す。
決して強引ではないのに、力強いリードはやはりとても踊りやすくて頼もしい。安心感があるからなのか、私の視線も自然とあがっていくし、これまでの特訓で正しいステップを学んだからなのか動きも軽やかに感じる。
「うわぁ……!前よりも足が上手く動いてる気がします!」
「基本のステップがそれだけメラニーさんの身についていたという事ですよ。もっと練習すれば、確実に上達する筈です」
「本当ですか!?上手くなるだなんて夢みたいに思っていたのですけれど、なんだか出来そうな気がしてきました!」
無理だと思っていたというのになんだか希望が見えてきて、つい笑みが溢れた。それに釣られたのかクロヴィス様もふわりと温かい笑みを向けてくださるものだから、私の心臓はまた一つ音を立てる。
あぁ、やっぱり私はこの笑顔が好きだわ。
そう感じてしまえば、余計に心臓は煩いくらいに音を立てるのだけれど、これはダンスをしているからなのだと必死に心に言い聞かせる。
落ち着こうと少し視線を下げれば、私の左腕にはいつもと変わらずイベリスの花のブレスレットがゆらゆらと揺れていた。
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