29 神域の森
「お天気も良いし、過ごしやすくて絶好のピクニック日和ね!」
神域の森の入口となる大神殿の庭園で、私はぐっと拳を握り締めた。
アルベール枢機卿様からの依頼によるジェロームの強制休日ではあるけれど、私とクロヴィス様、ジェローム。それにシエルちゃんとルフレくんでのお出掛けだなんて初めての事ではないだろうか。
あんな状態のジェロームを放っておけないというのはあるものの、純粋に皆でピクニックというのは楽しみで仕方なく、ついつい口元が緩んでしまう。
「それにしてもメラニーさん、随分と気合を入れて用意されたみたいですね」
クロヴィス様の視線の先には、今日の昼食を詰めた大きなバスケットがあった。これは今朝早起きして用意した力作なのだ。
「そりゃそうよ!これはあたしとルフレがメラニーと一緒に作ったのよ!頑張ったんだから、感謝しなさいよね!」
「姫様の祝福がたっぷりと詰まった料理にデザートだなんて、本当はぼく達だけで食べたいんだから。ジェロームもクロヴィスも、特別に分けてあげるって事なの解ってる?」
「まぁまぁ。二人共とっても頑張ってくれて、私は助かったわ。本当にありがとう」
よしよしとシエルちゃんとルフレくんの頭を撫でれば、二人は嬉しそうに私に抱きついてくれるのだから本当に可愛いものだ。
私が二人の妖精さんにくっつかれて幸せに浸っている内に、ジェロームがさっとバスケットを持ち上げる。
「じゃあオレはメラニー様の作ってくださった料理を持つから、お前はそっちな」
「……そもそも私がいるのだから、わざわざ持ち歩かなくてもこの鞄に全て入れていきますよ」
クロヴィス様が溜息を漏らしつつ、料理のバスケット以外の敷き布や釣りの道具などの様々な物を鞄に入れていく。シエルちゃんの空間に繋がるそれに入れてしまえば身軽に動けるのだからその方がいいと思うのに、ジェロームは頑なにバスケットを手放そうとしなかった。
「ジェローム、バスケットは重いしクロヴィス様の鞄に入れてしまった方が楽だと思うわ。これから森の中を歩くのだもの」
「ご心配はありがたいのですが、これはメラニー様がオレ達の為に丹精込めて作ってくださった物ですから、その尊さの重みを身をもって感じていたいのです!」
「そ、そうなのね……」
どうやら気持ちを既に切り替えたのか、今日はいつも通りのジェロームみたいだ。キラキラとした満面の笑顔を前にして私が頬を掻いていれば、彼の隣からはあからさまな溜息が漏れた。
「それを感じていた所で君は満足するでしょうけれど、私は賛成しかねますね。その様に両手が塞がっていては、いざという時にメラニーさんにすぐ手が伸ばせず守れない、なんて事になりかねません」
「なんだよ、そんな事言ったって本当はお前だってメラニー様の手料理を持ちたかったんだろ?」
「持ちたくないとは言いませんが、いいですか。そもそも君は――」
「もう、二人共!!」
口喧嘩が始まりそうな険悪な雰囲気に、私は思わず大きな声をあげる。声の大きさにか、一瞬びくりとした二人の視線が私に向けられるのを眉尻をあげて見ながら、つかつかと二人に歩み寄るとジェロームが大事そうに持っていたバスケットを取り上げた。
「今日は一日のんびり楽しく過ごすようにってアルベール枢機卿様も仰っていたでしょう!」
そうしてバスケットの二つある持ち手をジェロームとクロヴィス様、それぞれの片手に握らせる。
「喧嘩しないで二人で持てばいいんだわ。そうすれば、ほら!」
二人の空いた片手を私が握れば、三人とバスケットでぐるりと円ができた。ジェロームは一気に顔が赤くなって、クロヴィス様は眼鏡の奥の瞳が零れ落ちそうなくらい見開かれているものだから、私はしてやったりという満面の笑顔を向ける。
「これなら片手はこうして手を繋げるもの!ね!」
「あ……う……そ、そうですね!?」
「メラニーさん……本当に貴女という人は……」
こくこくと何度も頷いてくれるジェロームとは裏腹に、クロヴィス様はなんだか呆れ顔だ。
「あー!!ちょっと、あたし達もいれなさいよ!」
「ぼくだって姫様と手を繋ぎたいです!」
「ふふ、そうね。皆で繋ぎましょう」
文字通り飛んできたシエルちゃんとルフレくんも加えて輪になってみれば、思った以上にわちゃわちゃとしてしまってなんだか可笑しくて笑みが溢れた。それに釣られたのか、他の皆も笑顔になっていくのだから、今日のピクニックはやっぱり楽しくなりそうな予感がしていた。
結局バスケットはそのままジェロームとクロヴィス様で持って行く事になり、私はシエルちゃんとルフレくんにくっつかれながら神域の森の中を進んでいく。
森の中は風による葉擦れの音と、穏やかな木漏れ日が心地良い。ただ時折小動物や小鳥の姿は見えるけれど、妖精さんの姿は全く見えなかった。
「妖精さんが棲んでいるというけれど、やっぱり簡単には出会えないのね」
「もともと頻繁に人の前に姿を現す者達でもありませんからね」
「そうね。しかもメラニーの姿は感じられてないだろうし、クロヴィスもジェロームもあたしとルフレっていう上級妖精の契約者だもの。中級以下の妖精じゃあおいそれと近寄って来ないわよ」
妖精さんは契約者が生きている限りは他の人とは契約しないし、それは人にとってもそうだ。既に契約している二人とは新たに契約できる筈もないし、近寄る意味がないという事なのだろうか。
「成程、そういうものなのね……」
「姫様は、ぼくたち以外の妖精に会いたいですか?ぼくたちだけじゃ役不足ですか?」
しゅんとして私の服の裾を摘むルフレくんに、私は慌てて首を横に振った。そんな風に思わせてしまっただなんてとんでもない事だ。
「そんな事は絶対ないわ!二人が居るだけで、私は毎日楽しいもの」
「あたしも!あたしもメラニーと居ると毎日楽しくて幸せよ!」
「ぼくもです!」
ぎゅうぎゅうと私に抱きついてくれる二人に目元が緩む中、クロヴィス様とジェロームもなんだか私達の事を微笑ましく見てくれている事に気付いて少しだけ照れてしまう。二人共私が契約している訳ではないのに、こんなに好きでいてくれて本当に嬉しいものだ。
そうしてその後も妖精さんに出会うことはないまま、森の木々が少し開ける。そこには小さな滝があり、滝壺やそこから流れる水は驚く程に澄んでいて水底まで見渡せるくらいだ。少し手を浸せば、歩いて少し火照った体には丁度良い冷たさだった。
「うわぁ!凄く綺麗ね!それに気持ち良いわ」
「結構歩きましたし、ここでお昼にしましょうか?」
「そうだな、オレが敷くから敷き布を出してくれ。メラニー様は準備が整うまでルフレ達と周辺を見ていてください」
「え、私も手伝うわよ?」
「最初に喧嘩して迷惑かけたお詫びです。それに既に昼食を作ってくださっているのですから、準備と片付けくらいはオレ達にさせてください!」
ジェロームもクロヴィス様も笑顔で頷いてくれているものだから、今回は御言葉に甘える事にして私はこくりと一つ頷く。敷き布が敷かれ、バスケットの中から昼食に必要な物が準備がされていくのを横目に見つつ、私とシエルちゃん、ルフレくんは滝の周囲を歩く事にした。
落差は5メートルくらいだからそれ程の高さはないけれど、水飛沫は絶えずあがっていて周囲はとても涼しく感じる。よく見れば滝の裏に回れそうな気もするけれど、一人では危ないだろうからやめておいた。
「あ、メラニー!こっちにあなたが好きそうな花が咲いてるわよ!」
滝壺からは綺麗な水が沢となって流れ出ており、その沢の方を飛んでいたシエルちゃんが声をあげる。水生の花も種類があるから、何だろうかとわくわくしながらそちらに行けば、彼女が指差すものを見て私は驚きで目を見開いてしまった。
目の錯覚や私の願望ではないかと何度も目を擦るものの、それは確かに水の中に存在していて可憐な花を咲かせている。
「く……クロヴィス様!早くこちらにいらしてください!」
私は震えそうになるのを必死に抑えながら声をあげれば、何かあったのかと弾かれた様にクロヴィス様とジェロームがこちらへと駆けてきた。
「メラニーさん、何か緊急事態ですか!?」
「あ、あれ……!あれを御覧になってください!」
あれだと指差した沢を見て、クロヴィス様も先程の私と全く同じで沢を凝視しながら目を見開いている。一方のジェロームはといえば、何をそんなに驚くのかと怪訝な顔で首を捻っていた。
「うん?あの、メラニー様……オレにはなんか小さい白い花が藻に生えているのが見えるんですけど、これがどうかされたんですか?」
「ジェローム……!これは本当に珍しい花なのよ!」
「へぁっ!?あああの……!て、手が……それに近いです……!」
ジェロームにもこの素晴らしさを知ってもらおうと、つい興奮して彼の両手を握ってしまったのだけれど、彼は真っ赤になってしどろもどろになってしまう。慌てて手を離した時、隣で呆然と沢を見詰めていたクロヴィス様はふらりふらりとそちらへと近付き始めた。
「ま……さか……こんな所に自生しているだなんて……!」
「これ、もしかしなくても『バイカモ』ですよね!?私、古い図鑑に描かれた絵でしか見た事が無くて、実物は初めて見ました!」
バイカモというのは水草の一種だ。流れのない所では育たず、しかも一際綺麗な水中でしか育たないと言われている。
遥か昔はまだ自生しているのが見つかっていたのだけれど、人が生活範囲を広げた事で水は汚れ、最近では殆ど姿を消したと言われている幻の花だ。それがまさかこの神域の森に自生していただなんて夢にも思わず、今でもまだ夢を見ているみたいだ。
「えぇ、バイカモに間違いありません。あぁ……私はもしや夢を見ているのではありませんか?」
「私も全く同じ気持ちですが、夢ではありませんよ!」
「そうだ、こうしてはいられません。ジェローム、このバイカモを本当に少しだけで構いませんから、採取しても問題ありませんか?」
既に鞄から採取用の道具を取り出しながら、クロヴィス様はジェロームに懇願する目を向けられる。こんなに必死なクロヴィス様の御顔を見たのは初めてかもしれない。
私達の盛り上がりについていけていないジェロームはぽかんとしていたけれど、ややあってこくりと頷いた。
「オレには何が凄いのか解らねぇが、別に構わねぇぞ。お前がそんなに頼むのも珍しいしな」
「ありがとうございます!私は今日ほど君が教皇様で良かったと思った事はありませんよ!」
「おい!なんだよそれ!……ったく、現金な奴だな」
ぶつぶつと文句を言いながらも、ジェロームはどこか楽しげな表情だ。そんな二人の様子に私もつい笑みが溢れた。
こうして私も手伝いながら採取したバイカモは、大切にクロヴィス様の鞄に仕舞われ、私達は少し遅くなってしまった昼食を頂く事になるのだけれど、最初に険悪だった空気が嘘の様に穏やかで楽しい一時となるのだった。
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次回は月曜日の更新です。




