27 小さなお客様
「ジスラン、これ新作なんだけどどう?見た目が華やかでしょう?」
大神殿の一角にアルベール枢機卿様が用意してくださったお花屋さんの店舗で、私は今日の護衛兼お手伝いのジスランに完成したばかりのエディブルフラワーのババロアを差し出す。
ジェロームの教皇就任式から早数日。あの日はテオらしき人を見かけた事で、動揺した私は結局まともにパレードは見られず、大神殿に戻ってからも皆様に本当に心配をかけてしまったのだ。
暫くはゆっくり休んだ方がいいと皆様言ってくださったのだけれど、寧ろゆっくりしていると余計な事を考えてしまうので、用意してくださったこの新しいお花屋さんを始める事にしたという訳だ。
東の神殿でのお花屋さんの評判は、本当に王都にも伝わっていたらしく、開店するや否や貴族から平民まで本当にたくさんの人がお花を買いに来てくださったのだから有難い限りだ。
お花屋さんとしては東の神殿の時とやっている事は殆ど変わらないけれど、大神殿の方がお店の広さがある上に、水の結晶石を利用した最新式の冷蔵庫を始めとした小規模な厨房設備をアルベール枢機卿様がお店と続き部屋に作っておいてくださっていたので、こうしたエディブルフラワーやハーブを使ったお菓子作りの幅が広がっていた。
何より専用の厨房なので、以前の様にクッキーを作る為に居住空間にある厨房の一角を借りずに済むものだから、料理人の皆さんの邪魔をせずに済むのが良い所だ。
なのでせっかくの冷蔵庫を使わないのは勿体ないという事で、もうすぐ暑くなっていく季節でもあるから、こうした冷たいお菓子や冷たいハーブティーなんかも提供できる様に庭園が見える窓側をカフェスペースに変更していた。
お持ち帰りも可能なので、最近ではここでお菓子を食べて、気に入ってくださったお客さんが買っていってくださるという事も増えていた。
ちなみに大神殿でも司祭様達や助祭の皆様が日替わりで手伝いに来てくださるものだから、彼らにはカフェスペースでの接客を任せてしまう事が多く、それ目当ての女性客が一定層いらっしゃる気もする。
いずれにしろ、お花を目で楽しみ、食べて楽しんで皆さんが笑顔になってくださるのは見ていてとても嬉しい。お花が日々の暮らしの癒しになっていれば良いのだけれど。
そうして今もカフェスペースにはゆったりとハーブティーを飲みながら、庭園のお花を眺めてくつろがれているお客さん達がいるものの、お花の販売の方はお祈りの時間が過ぎた事もあって落ち着いていたものだから、こうしてジスランに休憩も兼ねて試食をお願いしているという訳だ。
彼はエディブルフラワーのババロアを繁々と興味深そうに眺めると、感嘆の声を漏らした。
「え、凄いなこれ。これも食べられる花なの?そもそもこれがどういう菓子なのかも俺はよく解らないんだけど、物凄く美味そうだな」
「この花はカレンデュラよ。こんなに綺麗なのにいろいろと効能があって万能薬とも呼ばれている凄いお花なの。ちなみにこのお菓子はババロアって言うのよ」
「へぇ……こんな洒落た菓子なんて普段食べないから新鮮だよ」
ババロアは簡単に言うと牛乳、卵黄、砂糖、生クリームをゼラチンで固めた冷たいお菓子の事だ。いろいろなお菓子で使われる牛乳、卵黄、砂糖を混ぜて作るアングレーズソースに、更にゼラチンと生クリームを加えて混ぜ、型に入れて冷やして固まれば完成だ。
型の方には先にエディブルフラワーであるカレンデュラの花びらと、それと相性の良いパイナップルを配置しているので、出来上がった時には表面に花びらとパイナップルが散りばめられていて、見た目にも可愛らしくて華やかな仕上がりになっている。
この反応なら見た目は合格だろうか。私は食べやすい様に小さくカットすると、ジスランにそれを渡そうとするのだけれど、ここで思いもよらない声が割り込んできた。
「まぁ!すっごくキレイなお菓子ね!わたくしにも一つくださる?」
甲高く可愛らしい少女の声が聞こえてカウンターの方を覗き込めば、いつの間にそこに居たのかそれよりも小さな背の幼い少女の姿があった。
透明感のある美しい波打つ金の髪に、アメジストの様に綺麗な瞳は大きくてぱっちりとしたとても可愛らしい美少女だ。年はまだ8歳くらいだろうか。彼女の視線は一心に私の手にあるババロアに注がれ、キラキラと目を輝かせている。
近くに親御さんの姿は見えない様だけれど、とても良い身なりをしているし、貴族のお嬢様には違いない。まさか迷子ではないだろうけれど、ここまで一人で来たのだろうか。
ちらりと隣を見れば、ジスランも私と同じ考えなのだろう。互いに顔を見合わせ、こくりと一つ頷くと、私はカウンター前に移動して少女と視線を合わせる様にしゃがみ込む。
「まだ試作品だから味の保証はできないのだけれど、よかったら食べる?」
「うん!いただくわ!」
カフェスペースにある一人がけのソファに少女を案内すると、彼女の目の前のテーブルにことりとババロアの一切れを置く。そうして嬉しそうに頬張る姿は、なんとも言えず愛らしい。
「どう?美味しいかしら?」
「えぇ、とっても!可愛くて美味しいだなんて凄いわ!それにここまで歩いて疲れていたのに、食べてるうちに元気になったみたい!」
凄いわ凄いわとはしゃぐ少女に、私は思わずくすりと笑みを溢す。元気になったのは間違いなく祝福のお陰でだろうけれど、食べてこんな風に喜んでくれるのはとても嬉しい。
けれど暫くはしゃいでいた少女は、ハッとした表情を浮かべると、しゅんと落ち込んでしまうのだから一体どうしたのだろう。
「どうしたの?何かあった?」
「これ、お母様も食べたら元気になるかしらと思ったの。お母様、最近ずっと元気がなくて、寝ている事が多いの……」
「まぁ……そうだったの……」
どうやら急にお母様の事を思い出してしまって、こんなに落ち込んでしまったみたいだ。お母様は病気か何かなのだろうか。
「お医者様や司祭様に診てもらったのだけれど、お母様の体はなんの問題もないのですって。気持ちの問題だって言うのよ。だからちょっとでも元気になってもらえたらって思って、綺麗なお花を買っていったら喜ぶかなってここに来たの。ここでお花を買うと、元気が出るって評判だもの」
それでこの幼い少女が一人でここまでやって来た理由がよく解った。彼女はただお母様を元気づけたかったのだろう。
「事情は解ったわ。少し待っていてね」
私は生花を並べている方に向かうと、いくつかの花を見繕いアレンジメント用の籠に生けていく。花に触れながら、少しでも彼女のお母様が元気になる様に願いを込めて。
ある程度出来上がった所で、先程までソファに座っていた少女も近くに来て目を輝かせている事に気付く。本当に表情に気持ちがよく出て可愛らしい子だ。
「後は仕上げだけなのだけれど、やってみる?」
「いいの?やってみたいわ!」
そうして少し手伝ってあげながら、少女の手を借りて完成したアレンジメントは、彼女のお母様への思いが詰まった素敵なものに仕上がった。
黄色やオレンジ色のガーベラやフリージアを中心に明るい色で纏めたから見ているだけで元気になる筈だ。
「うわぁ!凄く可愛い!それに良い香りだわ!」
「見ているだけで元気になれる色合いにしたし、あなたが仕上げたのだからきっとお母様も喜ばれるわよ」
「うん!これならお母様もきっと元気になるわ!ありがとう、お姉様!」
そうして彼女は私にぎゅっと抱きついて、笑顔を向けてくれるものだから、私も堪らずぎゅっとしてしまう。こんな妹が居たらきっと毎日幸せに違いない。
そもそも私は一人娘だったから、弟や妹に強い憧れがある。だからこそテオや、この子みたいな可愛らしい子を放っておけないのだろう。
「そうだ、お姉様のお名前はなぁに?」
「私はメラニーよ」
「それなら愛称はメルね!わたくしはエレーヌよ。メルお姉様なら特別にレニって呼んでもいいわ」
「まぁ、光栄だわ。そうだレニちゃん、さっき食べたババロアも持って帰る?持って帰るのなら包んであげるわよ」
「本当!?ありがとう、メルお姉様!」
小さな体でアレンジメントフラワーとババロアを詰めた箱を持って、レニちゃんは満面の笑顔で帰っていった。支払いに置いていった金貨が多すぎて目を丸くしたのだけれど、それに気付いた時には彼女の姿はもうなかったものだから返しようもない。
「あの調子ならまた来るだろうから、その時に多い分は返せばいいんじゃない?」
「確かにそうね。でも凄く可愛い子だったわね」
「うーん、でもなんか俺、あの子に見覚えがあるんだよ。誰かに似てるのかな?」
首を捻るジスランに笑みを漏らしつつ、私はレニちゃんが消えていった方向を暫く見詰めるのだった。
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