閑話 この街のどこかで
「テオドール、俺は大神殿での新教皇就任式に出席してくるが、お前は本当に行かないのか?」
他国での重要な儀式という事で、いつもよりも王子らしい煌びやかな装いのベネディクト殿下がそう尋ねるものの、僕は首を横に振る。
「この格好を見ればお解りでしょう」
「まぁ、その粗末な身なりでは入口で止められるだろうな」
今の僕の格好は、できるだけ平民に見える様に装ったお忍び姿だ。王族や高位貴族、神殿に多額の御布施ができる裕福な者しか出席できない格式ある儀式にはとても参列できる姿ではない。
「儀式には父上が出席しますから、僕まで出る必要もないでしょう。そんな事よりも僕にはもっと重要な用事がありますので」
「レヴール王国だけでなく、この大陸で最大の宗教団体であるアベラ教の教皇が新しく代わる大事だというに、お前にとってはメルちゃん以外は瑣末な事なんだろうな」
「当たり前です。顔も知らない教皇の代替りよりも、メルちゃんを探す方が重要に決まっているでしょう」
やれやれと呆れた様子のベネディクト殿下に、僕は何を当たり前の事を言うんだと真顔で返す。
アベラ教の新しい教皇が歴代最年少であるという話題性は、予想通り多くの人をこの王都に集めているみたいだ。これだけ多くの人が集まっているのだから、この中にメルちゃんが居てもおかしくはない。
大神殿にある大聖堂で行われる就任式には限られた人しか出席出来ないが、その後のパレードは誰でも新しい教皇を見れるとあって、多くの人達の目的はこのパレードだ。
メルちゃんを探すのなら街中が最適だし、その為に服装まで変えたのだから、今更その予定を変えるつもりはない。けれどベネディクト殿下は一応我が家で迎えている賓客だ。
他国の王族は普通王城に滞在するものだけど、彼はこの国での知り合いが僕しかいないからと王都にある公爵家の邸に滞在していた。王城には同じ年頃の王子殿下と王女殿下もいらっしゃるから、既に彼等と対面して今はもう知り合いが僕しかいない訳ではないけど、王城よりも気楽でいいと結局暫く我が家に滞在しているのだ。
ベネディクト殿下がこうして何回も僕を誘ってくださるのも、この短い滞在が終われば彼はエガリテ王国に帰国する訳で、そうすれば僕が留学していた頃の様に頻繁に会うのは難しくなる。
彼は第二王子としての仕事があるし、僕だって父上付きの外交官見習いだ。暫くはこのレヴール王国で父上に付いて学び、その後は他国へ赴く事も増えるだろう。
それは解っているし、僕にとってもベネディクト殿下は大切な友達だ。でもこれだけの人が王都に集まる機会はそうない事だし、信仰深いメルちゃんがここに来る可能性がある以上、このパレードの日だけは譲れなかった。
「ベネディクト殿下、夜の晩餐までには戻りますから、その時には就任式の様子を聞かせてください。僕も街中でお土産を買ってきますから」
「なら何か美味い物を頼む。たまには庶民的な物が食べたくなるんだよな。……これが公務でなければ俺だってお前とお忍びしたかったんだがな」
心底残念そうなベネディクト殿下に、僕は少しだけ苦笑を漏らす。
エガリテ王国でもよく街へのお忍びに付き合わされたものだけど、ベネディクト殿下は変装した所で本当によく目立つ。自国の王族だからこそ、街の人達は殿下だと解っていても気付かない振りをしてくれていたけど、他国ではそうもいかないだろう。
「じゃあ屋台で何か買ってきます。あ、くれぐれも父上には内緒にしておいてくださいね」
「あぁ、それは構わないがフィエルテ公爵はお前の行動などお見通しだと思うぞ。現にいつだってお前に護衛騎士を付けてるじゃないか。そういう重い所が本当に親子だよな」
「父上は生前の母上にも過剰なくらい護衛をつけていましたから、そういう人なんですよ。まぁとにかく僕は行きますから、後は宜しくお願いします」
それだけ言うと、僕は窓から外にある木を伝って下に降りる。見つからないように抜け出したつもりだったけど、話を通していた裏口を出て暫くした所で何人かの騎士が付いてきている気配を感じる。
かなり離れているから、僕の邪魔をしない限りは放っておいても大丈夫だろう。人混みに紛れてしまえば、騎士達の事はあまり気にならず、僕は不審にならない程度にブルネットの髪の女性を探す。
メルちゃんの今の髪の長さが解らないけど、あの綺麗なブルネットを彼女は気に入っていたからきっと髪の色を変えたりはしていない筈だ。
道行く女性が緩やかなブルネットならより注意して見るものの、顔を見れば全然違う人で落胆する事の繰り返しだった。そう簡単に見つかる筈はないと解っているけど、何の成果もなくてどうしても心は沈んでいく。
「……そうだ、宿屋にも聞いてみよう。もし地方から出て来てるなら何処かに泊まってるかもしれない」
パレードの為に来ているとしても、祭の様な賑わいだから地方から来るならついでに何泊かしていくだろう。そう思いついて街行く人を観察しながらも、王都にある宿屋を巡っていく。
今はどこも満室の賑わいで、ブルネットの女性客も多く居たけど、メルちゃんの特徴的なファイアオパールみたいな瞳をしている人は一人も居なかった。
「残念だけどうちにはそんな子は泊まってないねぇ」
「そうですか……教えてくださってありがとうございました」
その内の一軒の宿屋で、対応してくれた女将さんに僕は頭を下げる。ここはメルちゃんが好きそうな自然が多い宿屋だっただけに、またしても空振りでつい溜息が漏れた。
「そんなに落ち込むだなんて、その子は坊やの大切な子かい?」
「婚約者みたいな人なんです。僕が外国に留学している間に行方不明になってしまって……」
「そうかい……それは心配だねぇ……なに、坊やが諦めない限りはいつかは見つかるさ」
親身に励ましてくれる女将さんに、僕は再度頭をさげた。
そうだ、僕が諦めたらそこで希望は無くなってしまうのだ。どんなに可能性が低くとも、探し続けていれば可能性はゼロじゃなくなる。
だから僕だけは諦めたりしない。そう決意し直した所で、女将さんを呼ぶ声が聞こえた。
「リディ、私もパレードを見てくる事にするよ。パレードの警備をしているアランの様子も見てみたいしね」
「あぁ、お父さん。あの子が立派に御役目を務められているのか、あたしの代わりにしっかり見て来てよ。あたしはここを離れられないしさ」
どうやら声を掛けてきたのは女将さんの父親らしい。親子の会話を邪魔しない様に、ぺこりと頭を下げて出ていこうとしたのだけど、何故かその男性から呼び止められてしまった。
「君、ちょっと待ってくれないかい?」
「……?どうかされましたか?」
何かあっただろうかと首を傾げながらも振り返り、男性の顔を見た所で僕は驚きに目を見開く。よく見ればその顔は随分と懐かしく、見覚えがありすぎたからだ。
「やっぱりテオくんだ!そうでしょう?」
「あ……!コンスタンさん、ですよね!?メルちゃんのお邸で執事をされていた……!」
懐かしそうに目元を細め、優しく微笑む初老の男性は、見間違えようもなくトレランス子爵家の執事だったコンスタンさんその人だった。
思いもかけず出会えた懐かしい人に、僕は嬉しくなってコンスタンさんに抱きついてしまう。もうあの頃みたいに子供でもないのに、それでもコンスタンさんは昔みたいに優しく僕を撫でてくれた。
「え、その坊や、お父さんの知り合いだったの?」
「私の、というよりテオくんはメラニーお嬢様のお友達だよ。そうだ、テオくん、お嬢様がどこに行ってしまったのか知らないかい?」
「という事は、コンスタンさんもメルちゃんがどこに行ったのか知らないんですね……」
もしかしたらコンスタンさんならメルちゃんの行方を知っているのではないかという淡い期待は打ち砕かれて、僕はしゅんと項垂れる。
「立ち話もなんだから、座って話そうか。リディ、二人分のお茶を淹れてくれるかい?」
「解ったわ。ちょっと待ってて」
リディさんがカウンターの裏に消えていったのを見送り、僕はコンスタンさんに促されて宿屋の一階にある食堂の椅子に腰掛ける。
コンスタンさんは息を大きく吐き出すと、僕の方へと真剣な眼差しをむけた。
「どこから話したものか……テオくんはトレランス子爵家が売り渡されてしまったのは知ってるかい?」
「はい……それで僕も邸を追われたメルちゃんを探してるんです」
「そうか……旦那様の身勝手に振り回された一番の被害者はお嬢様だからね。そういえば結局子爵家を買い取ったあの男爵は最近破産したらしい。裏ではいろいろと悪どい事をしていたという話だよ」
「因果応報とはこの事でしょうね」
素知らぬ顔で答えてはいるものの、例の男爵を破産させたのは他ならないこの僕だ。
アカデミーに通っている時からうちの騎士達に奴の調査をさせていたけど、調査すればする程奴からは後ろ暗い事柄ばかりが出てきたのだ。違法賭博に違法な借金の取り立て。果ては見目美しいが貧しい少年少女の人身売買にまで手を染めていた正真正銘の悪党だ。
だが奴の最大の罪は、あの時はまだ未成年だったメルちゃんを事もあろうに娼館で働かせようとした事だろう。娼館のなんたるかも知らないであろうメルちゃんに隠語を使って騙そうとしていたのだから、それだけで万死に値する。
本当はこの世から消してしまおうかとも思ったけど、集めた数多くの証拠を父上を通して国王陛下に直々に提出し、全ての罪を白日に晒したのが僕がこの国に帰国して最初にした事だ。
奴は今頃二度と出て来られない辺境の流刑地で労役をしている事だろう。そうして奴から合法的に国が没収した領地のうち、メルちゃんのトレランス子爵家の領地だけは国王陛下から褒賞として頂ける様にお願いしたから、今あの領地は我がフィエルテ公爵家の管轄にある。
メルちゃんが無事に見つかって僕と結婚した時に、サプライズで領地とあの邸を彼女に贈る為に今はあの邸は修繕中なのだ。
「……実はお嬢様が邸を出て行かれた日、私はお嬢様にこの宿屋を頼ってくださる様にお伝えしたんだよ。お嬢様は王都を目指してらしたから、娘にお嬢様の世話をする様に言いつけていたんだが、結局未だに訪れてはおられないんだ」
「そうだったんですね……メルちゃんから連絡も無かったんですか?」
「あぁ……だからお嬢様が今頃どこでどうされているのか、無事でおられるのか……そればかりが気掛かりでね」
コンスタンさんはメルちゃんが生まれる前から執事をしていたと聞いているから、孫の様に可愛がっていたメルちゃんの事を心配するのは無理もない。
僕だって気が狂いそうなくらいメルちゃんの事を心配しているから、気持ちはよく解る。
「でもこうして、お嬢様をよくご存知なテオくんと話せただけでも嬉しいよ。邸で働いていた使用人達は故郷に帰ったり、他の邸で働いたりと散り散りになってしまったから」
「僕もメルちゃんを知っているコンスタンさんと話せて、本当に良かったです」
僕の周りにはメルちゃんと直接関わった事がある人は一人もいなかったから。こうして彼女の事を話せるだけでも、なんだか救われた気分だ。
「実は僕が留学する事になったあの日……メルちゃんに帰ってきたら結婚してくださいってお願いしたんです。メルちゃんはいつまでも待ってるって言ってくれたから……」
「おやおや!お嬢様とテオくんが……お嬢様も今は平民となってしまいましたから、テオくんとも釣り合うでしょう」
「そう、ですね……」
ほほほと嬉しそうに顔を綻ばせるコンスタンさんとは裏腹に、僕は少しだけ俯いてしまう。本当は僕の方こそ公爵家子息だから、平民になってしまったメルちゃんとは世間的にも許されない関係だ。
ただそれを可能にするのは、メルちゃんが妖精の加護を受けているという事実だ。それなら例え平民だろうと、どんな身分よりも尊い存在だから。
「あの……!もしメルちゃんが今後こちらを訪ねてきた時には連絡をください!今はどんな手掛かりでも欲しくて……!」
「それは勿論。どこに連絡すればいいか教えてくれるかい?」
「フィエルテ公爵家の邸です。今は僕、そこに居るので」
そう言った途端に、コンスタンさんは目を丸くする。ややあってにっこりと笑顔を浮かべた。
「アカデミーに飛び級で入学する程優秀なテオくんなら、公爵家でも立派に働けているのでしょうね。成程、何か解れば公爵家にお知らせするよ」
どうやら僕が公爵家で働いていると勘違いしているみたいだけど、今はとにかく情報がほしい。使用人を大切にしていたメルちゃんなら、いつかはここを訪ねるに違いないから。
「宜しくお願いします……!」
メルちゃんに繋がる希望が見えた僕は、宿屋を後にしてからはベネディクト殿下へのお土産を買ったり、呑気にパレードを見物していた。
まさか誰よりも会いたいメルちゃんに目撃されていただなんて思いもせず。
読んでくださってありがとうございます!
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