閑話 第二回司祭審問会
「それでジェロームの坊や、またしても審問会を開かねばならん事について、勿論心当たりがあるだろう?」
ブノワはにっこりと笑顔を浮かべているものの、その目は全く笑っていなかった。見渡せば集まっている司祭達全員、オレの事を射殺さんばかりの殺気立った笑顔だ。
「なんだよ、揃いも揃って!オレが何したっていうんだよ!?」
「それを本気で言っているのでしたら呆れますね。私達にとって最重要事項であるメラニー様の事に決まっているでしょう」
冷たく蔑む様なルノーの視線がオレに突き刺さる。
メラニー様がこの神殿にいらしてから3年近くが経とうとしているが、最早この東の神殿での序列一位は実質メラニー様であると言えるだろう。
それは決してアベラ様の魂の欠片をお持ちだからだけではなく、いつも笑顔でお優しく、何事にも真摯に取り組まれる御姿は見ているだけで癒されるからだ。
その為に花屋の仕事を手伝おうとする者は続出し、彼女のご迷惑にならない様に交代制にはしたものの、信徒達の為の花の販売だというのに毎日の様に花を求める者ばかりだった。
確かにメラニー様が触れられた花は癒しの力が強いし、他にも特殊な効果がある場合が多いから、オレだって本当は毎日でもあの店の花を買い占めたいくらいだ。そこをぐっと我慢して3日に1回……いや、2日に1回、たった一輪だけに留めているのだ。
要するに揃いも揃ってメラニー様の信者と化している訳だが、最近は数日後に控えたメラニー様の成人祝いの宴をどうするのかという話で浮かれていたこいつらがここまで殺気立つ原因はたった一つだ。
王都の大神殿へメラニー様が移られる話はまだ内密の筈だが、恐らくそれがどこからか漏れたのだろう。
これまでは花屋に行けば確実にメラニー様にお会いできていたのが、王都に移られてしまえば頻繁にはお会いできなくなってしまう。
毎日の様にメラニー様の御姿を拝められる現状に慣れきってしまっているこいつらには確かに死活問題には違いない。だが、何故それが全てオレのせいの様な雰囲気になっているのか。首を捻っていれば怒りも露なサミュエルが声をあげた。
「イヴァンから全部聞いたよ!ジェローム様が教皇様になって王都に行くのは構わないけど、なんでメラニーまで連れて行くのさ。ジェローム様一人で行けばいいでしょ!」
成程どうやらこれは次期東の大司教に指名する事を話したイヴァンから漏れたらしい。当のイヴァンはサミュエルの横で沈痛な面持ちをしていて、風に煽られれば吹き飛んでしまいそうな程に傍目に見ても萎れていた。
「あのなぁ、オレがメラニー様を無理矢理連れてくみたいな言い方をすんなよ。大神殿へ越すのは養父殿の計らいだ。メラニー様が妖精の加護持ちである事をご存知の上で、安全に守る為の配慮だぞ!」
「アルベール様のご配慮というのは解る。解るが、そう簡単に割り切れんだろう。我らのレディが遠く離れた王都に行ってしまうだなんて、考えただけで胸が張り裂けそうだ」
ぐっと眉根を寄せるナルシスは相変わらず無駄に顔が良い。こいつの場合は慰めてくれる女は大勢いるからまだいいとして、問題は真面目で人の良さそうな顔してる奴らの方だ。そういう奴らの方がいざという時に何するか解ったもんじゃない。
現にいつも穏やかで人の良いルノーは、変わらずにオレを氷の様に冷たく睨みつけているし、公平で優しいマルクがオレをゴミ屑の様に見ているだなんて初めての事だ。視線だけで人を殺せるのなら、オレは間違いなく既に死んでいるだろう。
オレは一つ大きな溜息を漏らすと、この場にいる司祭達を見渡した。
「……養父殿から司祭の半分は大神殿の司祭との異動許可をもらってるが、お前らがそんな態度なら全員置いてく事にするぞ」
「「「「「「は?」」」」」」
そう言うや否や、全員の動きがぴたりと止まる。殺伐とした空気は一気に薄れたものの、今度は目の色を変えてお互いの顔を見合わせ始めた。
「待って、半分って事は3人って事!?それなら僕は当然王都に行きたいなぁ。この中じゃ僕が最年少だから、王都で学びたい事いっぱいあるしさ」
「成程、それなら私も王都行きを希望します。以前から他の神殿に興味があったんですよ」
「東のレディ達は悲しむだろうが、王都のレディ達は俺を歓迎してくれる筈さ。王都に行くのは俺で決まりだな」
「私も僭越ながら王都行きを希望する。大神殿でアルベール様にまた師事できるのも魅力的だ」
「ふむ、若者達よりも経験豊富なわしが共にいた方がジェロームの坊やも心強かろう?何せわしはお前がアルベールに引き取られた時から孫の様に思っておる」
さっきまでの悪態が嘘の様に掌を返し、口々に王都行きを希望する中、イヴァンだけががたりと音を立てて勢いよくその場に立ち上がった。
「皆様ずるいですよ!わたくしは……わたくしは……!」
ふるふると震えていたと思えば、イヴァンは恨めしそうな目でオレを見る。
「ジェローム様!わたくしはやはり次の大司教の器ではありません!どうかわたくしも王都へお連れください!」
「はぁ!?馬鹿言え!お前もう受けるって言ったろうが!教皇様にも養父殿にも報告済みなんだから無理に決まってるだろ!?」
「それは司祭の異動が可能だなんて知らなかったからです!わたくしだってメラニー様のお傍に居たいというのに、皆様だけずるいではありませんか!」
いくらイヴァンが言った所で既に次期東の大司教になる事は決定しているし、神力の強さを考えても最も適任なのだからこればかりはどうしようもない。
だがメラニー様のお傍に居たいという気持ちは痛い程解るだけに、確かに一人だけ王都に行くチャンスすらないのはあまりに酷だ。
今にも泣き出しそうなイヴァンの両肩を、オレはがしっと掴む。
「イヴァン、いいかよく聞け。メラニー様は王都で新しい花屋を開かれるが、ここの店は継続させるお考えだ。その為に特別に許可を得てクロヴィスが王都とここを空間で繋ぐ予定だが、使用出来るのは大司教以上の神力の持ち主だけという制約がある。人は移動できねぇが、メラニー様が触れた花や菓子なんかを定期的にここに送るのにはお前が必要なんだよ」
「……!め、メラニー様が私を必要とされておられると……?」
「そうだ。しかもメラニー様はお前なら草花に詳しいから安心だと仰っていたんだぞ。その信頼に応えねぇつもりか?」
大神殿からの帰りの馬車でその話を聞いた時にはこいつに嫉妬したものだが、本当は言うつもりじゃなかったものの、これを今言わなくてはイヴァンは大司教という重要な役目でさえも放り出しかねない。
思った通り、メラニー様から信頼されているという言葉にイヴァンの瞳は喜びに揺れていた。その瞳からは一筋の涙が溢れ、頬は赤く染まっていく。
「わたくしにしか出来ない重要な御役目を賜り光栄です!必ずやメラニー様の御期待にお応え致しましょう」
「それを聞いたらメラニー様はお喜びになられるだろう」
これでイヴァンについては解決だ。残りは自分こそが王都に行くと主張する5人の司祭達だけだが……これについてはもう運をアベラ様に託すしかないだろう。
すっかり元気を取り戻したイヴァンが夢見心地で座るのを見届けると、オレはくるりと司祭達に向き直る。期待に満ちた視線が集中する中、一つ咳払いをした。
「それで、お前達の誰を王都に連れてくかだが……オレにはとても選べねぇ。女神様に決めて頂くのが恨みつらみなしで一番だろ」
「まぁ確かにお前の言う通りだな。で、何で決める?」
「ここはやはり『女神の幸福』が相応しいでしょう。これなら選ばれた者が女神のお傍に居る権利があると示される様なものです」
『女神の幸福』というのは、よく神殿での宴を盛り上げるのに行われるゲームの事だ。聖水に稀少な透明の蜂蜜を溶かした極上の蜂蜜水を当たりとして、それを選んだ者は女神の幸福を授かるというものだ。
これならどこの神殿にも常に用意されているからすぐに用意できるし、女神を冠したゲームでならもし負けたとしても諦めもつくだろう。
「よし、解った。今から用意させるからちょっと待ってろ」
オレは扉を開けて、外で待機していた助祭に5杯の聖水と、その内の3杯は蜂蜜水を用意する様に指示する。程なくして用意されたのは、銀の杯が5つだ。
5人はそれを囲み、一斉に杯を取る。
「誰が女神様に選ばれるか、恨みっこなしだ。では、女神様に祝福を!」
「「「「幸福を与え給え!」」」」
そうして一息に杯を飲み干す。と、程なくしてその場に崩れ落ちたのはブノワとマルクだ。どうやら女神様に選ばれたのはルノー、ナルシス、サミュエルの3人らしい。
「よし、決まったな!ルノー、ナルシス、サミュエル。お前らも引っ越しの準備と、後任として来る大神殿の司祭への引き継ぎを纏めとけよ」
「えぇ、万全に用意しておきます」
「俺はレディ達へ暫しのお別れの挨拶に回るとするか」
ルノーとナルシスが嬉々として頷く中、イヴァンはサミュエルの手をおもいきり握りしめていた。
「サミュエル、どうかわたくしの分までメラニー様を頼みますよ。それと、メラニー様のご様子を手紙で教えてください」
「うん、もちろんだよ!僕に任せといて!」
あいつらは本当に仲が良いなと横目に見つつ、未だに言葉無く項垂れているブノワとマルクになんて声を掛けるべきか考えあぐねていた所で、扉が勢いよく開かれる。
「お?なんだ、もう『女神の幸福』は終わっちまったのか?」
「ガエル、乱暴に開けない様に何度も言った筈ですよ。ジスランも苦笑いしてないで、この熊を止めなさい」
「ルノー司祭様、そんな無茶な……」
どうやら『女神の幸福』を見物に来たらしいガエルとジスランはルノーに説教をくらっているが、まさかのこの2人の登場にオレは内心冷や汗をかいていた。
何故ならこの2人は既にメラニー様のたっての希望で大神殿の聖騎士団の団長、副団長として異動が決定しているからだ。そんな話をこの場で出されればまたややこしい事になりかねない。
どうか余計な事は言ってくれるなよというオレのささやかな願いは、この後ガエルによってあっさりと打ち砕かれ、結局この日も朝まで審問会は続いていくのだった。
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