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2 目指すは国一番

 約束の三日間にやる事は山積みで、忙しく準備に追われている間に時間はあっという間に過ぎてしまった。


 当面の生活資金の為に、残していた僅かなドレスはモニクに頼んで全て売ってきてもらったし、売ったお金で動きやすいワンピースを何着かと必要な雑貨を買ってきてもらった。


 装飾品は既に殆ど売ってしまっていたけれど、お母様が私の誕生日にくださったファイアオパールのネックレスだけは手元に残し、他は全て今まで残ってくれた使用人達に感謝を込めて贈ることにしたのだ。


 今まで殆どお給金を払えなかったのだから、これでも少ないと思ったのだけれど、彼等はとんでもないとばかりに最初は受け取ってくれなかった。皆、私の生活費にあてて欲しいと主張したからだ。


 確かにドレスを売って必要な物に買い替えたから、手元にはあまり残らなかったけれど、贅沢をしなければ仕事が決まるまでは保つくらいのお金はある。


 きっと皆に会うのもこれが最後だし、他には推薦状くらいしか用意できないのだからどうか受け取って欲しいと何度も頼み込んで、どうにか受け取ってもらえたのが二日目の夜だった。


 そうして迎えた三日目の朝。


「荷物はこんな所かしらね……」


 着替えのワンピースに下着が何着か、化粧品とピクニック用のカトラリーセット。お気に入りのマグカップと文箱。植物辞典に料理の教本。後はモニクが選んでくれたロマンス小説。


 そんな品々を旅行鞄に詰め込み、そうして忘れてはいけないテオからの手紙の束と押し花にした贈り物の花を潰れない様にそっと入れる。


「住む所が決まったら早めにテオに連絡しないといけないわね。もしこの邸宛に送っていたら、受け取る私がいなくてきっと心配させてしまうわ」


 前回の手紙は少し前に受け取ったし、何もなければ暫くは来ない筈だ。次の手紙が来る迄に状況が落ち着くといいのだけれど。


 ふーっと額に滲む汗を拭きながら、空いたスペースには保存がきく手作りのジャムなんかを詰めて鞄の鍵をかける。


 旅行鞄は大きいから、肩から下げるポシェットにお財布とハンカチを入れ、ファイアオパールのネックレスと帽子、手袋、ケープを身につければ準備は完了だ。


「よし、これでいつでも出て行けるわ!」


 よいしょっと重たくなった旅行鞄を両手で持ち上げた所で、コンコンと部屋の扉がノックされる。返事をすれば、入ってきたのはコンスタンだった。


「お嬢様、準備は――万端の様ですね」

「えぇ、いつでも大丈夫よ」


 私はにっこりとした笑顔を向けるのだが、コンスタンの表情は心配そうに曇ったままだ。この三日、コンスタンとモニクは特に表情が暗くなるばかりで、私の事で心労をかけている事は明らかだった。


「お嬢様はここを出たら王都に向かわれるのですよね?」

「そうよ。王都なら人も多いから働く所も多いでしょうし、どうにかなるんじゃないかと思ったの。暫くはどこかで働いて、資金が貯まったらお花屋さんを開くつもりよ。生花やハーブを使ったお菓子も売りたいわね」


 お店を開くなら人が集まる王都がやりやすいし、王都で人気店になればそれは国一番の店という事になる。どうせやるなら一番を目指してみたいし、綺麗な花やハーブで誰かが笑顔になるのならこんな素敵な事はないだろう。


「お嬢様は既に先を見据えていらっしゃるのですね」

「だってくよくよしたって仕方がないわ。これからは私の力で生きていくしかないんだから、後悔だけはしない生き方をするつもりよ」


 ずっと心配そうな表情のコンスタンに、私はからっとした笑顔を浮かべる。もう15歳になったのだが、コンスタンにとって私はいつまでも小さいお嬢様のままらしく、どうしても不安が拭えない様だ。


 彼は少しだけ目を伏せると、懐から手紙を取り出した。


「でしたら、せめてこちらをお訪ねください」

「これは?」

「実は私の娘夫婦が王都で宿屋をしております。お嬢様を宜しく頼むようにしっかり申し付けておきましたから、もしお嬢様が宜しければ住み込みで宿屋を手伝ってくださってもいいですし、宿屋を拠点に他の仕事をして頂いても構いませんので」


 渡されたのは手紙ではなく地図だったのだ。きっとあてもなく王都に行かせるのは心配で堪らなかったのだろう。


 自分の力でどうにかするつもりだったけれど、住む所と仕事の候補があるのは有難い事だ。何よりコンスタンが私の為に心を砕いてくれた気持ちが嬉しい。


「解ったわ。とりあえず王都についたらコンスタンの娘さんを訪ねるわね。お名前は何て言うのかしら?」

「娘はリディと言います。生前の奥様よりも年齢は少し上で、お嬢様よりも少し上の孫息子が騎士団に入っていますから、そういう意味でも安心してお嬢様を任せられます」

「まぁ、騎士様なのね。それは頼もしいわ」


 行き当たりばったりのつもりだった王都での暮らしの見通しが立って、私は不安よりも楽しみの方が増している様だった。コンスタンの娘さんなら間違いなく良い人だろう。


「……本当は、私がずっとお嬢様にお仕えしたかったのですが……」


 コンスタンの目元には、うっすらと涙が浮かんでいる。それを見た瞬間、私は子供の時の様に、コンスタンにぎゅっと抱き着いていた。


「コンスタン、本当に今までありがとう。体に気をつけて、これからはゆっくりしてちょうだいね」

「お嬢様も、あまり無茶はなさらないでください」

「ふふっ、出来るだけ気をつけるわ」


 そうして使用人全員との別れを済ませ、リシェス男爵に邸を明け渡す為に私も残ろうとしたのだが、何故かコンスタンとモニクが彼には二度と会わせないと憤慨していたので、私はそのまま隣接するフィエルテ公爵領へと向かう辻馬車に揺られる事になった。


 確かに彼の瞳は苦手だったけれど、国一番のお花屋さんを目指すという目標は彼の言葉がきっかけでもあったのだから、その事についてはお礼を言いたかったというのに。


 がたごと揺れる辻馬車からは遠ざかる領地が見える。道中は使用人の皆の事を思い出して切なくなるかと思ったけれど、辻馬車は子爵家で使用していた馬車よりもかなり揺れる上にお尻も痛い。別の意味で涙目になりながらも夕方にはようやく公爵領にある大きな街に着いた。


 ここからは節約の為に乗合馬車にでも乗って、のんびり王都を目指すつもりだ。


 今まで領地の外に出た事もなかったし、この5年は殆ど邸に引き篭もって仕事をしていた。急ぐ旅でもなし、どうせならいろんな領地の美味しい物や珍しい花なんかを見られたらいいと思ったのだ。


「とりあえずは日も暮れるから、今晩の宿を確保しないといけないわね」


 きょろきょろと辺りを見渡すが、流石公爵領だけあってかなり人通りも多く、どこも物凄く賑わっている。それに見える所に緑も多くて、常に花の優しい香りに包まれている様な幸福感も感じる。街の人達の顔色も良いし、きっと素晴らしい領主様なのだろう。


 確かフィエルテ公爵様は外交を担う外務大臣を務めていらっしゃった筈だ。だからなのだろうか、隣国からの行商人なんかも来ているらしく、この国では見た事もない珍しい品物も並んでいる様に見える。


 宿屋を探すつもりだったというのに、ついつい珍しい物が並ぶ市に吸い寄せられてしまう中、花売りの屋台に目が留まる。


「まぁ!あれはエガリテ王国にしか咲かないフロックスだわ!テオが前に贈ってくれたのとは違う色ね」


 フロックスは5枚の花弁があり、複数密集して咲く花だという。テオが留学しているエガリテ王国には一面にフロックスが咲いている場所があり、それは美しい光景なのだと手紙に書いてあった事を思い出す。


 贈られたのはオレンジ色のフロックスだったけれど、売られているのはピンク色で可愛らしい印象だ。もっと近くで見てみようと近付こうとした所で、同じ目的と思われる人とタイミング悪くぶつかってしまった。


「きゃあ!?」

「っ……!?危ない!」


 旅行鞄の重さもあって、反動で尻もちをつく所だったのを、伸びてきた彼の手にかろうじて支えられる。そのままゆっくりと元の体勢に戻してくれたお陰で、大事には至らなかった。


 ホッと息をついた所で、慌てて目の前の人に頭を下げる。


「申し訳ありません。助けて頂いてありがとうございます」

「いえ、私も珍しい花が気になって周りが見えていませんでした。こちらこそ申し訳ありません。お怪我はありませんか?」

「すぐに支えてくださったので、私も荷物も無事です」

「それは良かった。安心しました」


 彼は心底安堵した様子で、ふわりと微笑む。少し低めの声は柔らかく、笑顔は春の陽だまりの様な印象を受ける優しそうな男性だ。


 年は二十代前半だろうか。ふわふわとした黒髪の癖毛に、眼鏡の奥にある瞳はタンザナイトみたいな落ち着いた色をしている。服装は少しくたびれたローブを羽織っているのだが、腰より下辺りに草が所々付いているのを見るとまるで山野から出てきたばかりの様にも見える。


 私がじっとローブを見ていた事に気付いた彼は、自分のローブを見下ろし、ハッとした表情を浮かべる。と、慌てて付いていた草を手で払い、少しだけ困った表情で微笑んだ。


「お見苦しい格好ですみません。つい先程までこの近くの森に自生している植物の調査をしていた所でして……」

「まぁ!という事はあなたは学者様なのですか?」

「そんなに大層な者ではありませんが、時々アカデミーで講師もさせて頂いています」


 アカデミーという言葉に、本当だったら私も今頃は通っていた筈だった事を思い出し、少しだけ胸は痛む。けれども、それ以上に多くの知識をもつ学者様に出会えた事が嬉しくもあった。


「実は私も花やハーブが好きで……将来は王都でお花屋さんを開けたらいいなと思っているのです」

「あぁ、それでこのフロックスに目を留められた事に納得しました。この国には自生していないエガリテ王国の花ですからね」


 彼は嬉しそうな笑みを浮かべると、ブーケに纏められているピンク色のフロックスの花を購入し、それを私の方へと差し出した。私が驚いて目を丸くしていれば、彼はその瞳を少しだけ細める。


「こちらは危ない目にあわせてしまったお詫びの印です。どうかお受け取りください」

「えっ!?そんな、私も悪かったのに申し訳ないです……!」

「でしたら、貴女が将来開くお花屋さんの前祝いとして是非。それに、この可愛らしいフロックスは、貴女の様な可憐な方に似合いますから」


 流れる様な褒め言葉に自然と頬が赤くなるのが自分でも解る。これ以上拒めば、きっと彼はもっと恥ずかしい事を言いだしそうだったので、私は恐る恐るブーケを受け取る事にした。


 嫌な訳では全くないけれど、こういう言葉に慣れていなくて気恥ずかしさの方が勝ってしまうのだ。


 私が受け取ったのを確認すると、彼はまた花が綻ぶ様に微笑む。眼鏡をしているけれど、よく見ればとても整った顔立ちをしている事にようやく気付く。テオも綺麗な顔をしていたけれど、彼もまた違った魅力のある美青年だったのだ。


「私は暫くこの周辺で調査活動をしていますから、また何処かでお会いするかもしれませんね。その時は宜しくお願いします」


 そう言って彼は丁寧に頭を下げると、人混みの中へと消えていってしまった。その後ろ姿を私は暫く見詰めていたのだが、彼の姿が見えなくなって初めてハッとする。


「あっ!お名前を伺うのを忘れてしまったわ……」


 有名な学者様だったら、王都で調べれば解ったかもしれないのに。手元に残ったフロックスのブーケを見下ろし、私は少しだけ残念に感じていた。






読んでくださってありがとうございます!


作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!

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