閑話 時は満ちる
「テオドールくん、合格です。この短期間でよく頑張りましたね」
エガリテ王国宰相であるフェラン様は、そう言いながら満足そうに微笑まれる。
時が経つのは無情とも言える程に早く、メルちゃんが行方不明になってから既に3年近くが経とうとしていた。国中を騎士達に探させたものの、メルちゃんに繋がる手掛かりは全く得られず、途方に暮れるばかり。
心は重く沈んでいく日々だったけど、メルちゃんはきっとどこかで元気にしている筈だ。彼女はいつだって僕の笑顔が好きで、僕が笑えば笑顔になってくれていた。だからこそ、こういう時に笑っていなくてはメルちゃんは悲しむだろう。
そう思えばこそ、どうにか踏みとどまってアカデミーを首席で卒業したのが1年前。そこからは第二王子であるベネディクト殿下のつてで、フェラン宰相様に政務の合間で特別講義をして頂いていたのだ。
「フェラン宰相様、お忙しいのにここまでご指導頂き、本当にありがとうございました」
「テオドールくんは真摯に取り組んでくれますから、私としても大変教えがいがありましたよ。本当にベネディクト殿下も君くらい真面目に取り組んでくださればいいんですけどね……やれば何でもお出来になるというのに、あの方は敢えてその才能を隠されるのですから」
やれやれといった様子で溜息を漏らすフェラン宰相様に、僕は苦笑するしかなかった。
ベネディクト殿下には3歳上で現在19歳になる第一王子エヴァリスト・ラデュ・エガリテ殿下がいる。輝く様なブロンドに整った容姿という絵に描いたような王子様なのだが、性格も穏やかで優しく、本を読むのが好きという物静かな御方だ。
エガリテ王国は未だ王太子が決まっていない為、エヴァリスト殿下とベネディクト殿下のどちらが次期国王に相応しいのか、周りが駆け引きをし合っている現状なのだが、少なくともベネディクト殿下は王太子になるつもりが全くない。
それというのも彼はこの3歳上の兄君の事がそれはもう大好きで、尊敬してやまないのだ。彼と出会ってからもう4年近い付き合いになるけど、事あるごとににまるで我が事の様に自慢げに語られる兄君語りはうんざりする程だ。
兄君のここが凄いだの、兄君はこんな難しい本を暗記しているだのと毎日の様に聞かされ続けたおかげで、殆ど面識もないというのにエヴァリスト殿下について物凄く詳しくなってしまっていた。
彼がそれ程好きな方でもあるし、実際優れた方だとは思うのだが、僕が見る限りではエヴァリスト殿下は努力型で、ベネディクト殿下の方が天才型だ。本当に何でもすぐに出来てしまうからこそ、真面目に取り組むという事をしないのだ。
少し怠惰な所はあるけど、明るくて憎めない性格のベネディクト殿下の方が国王には向いているんじゃないかと僕は思っているけど、本人は兄君を支える事こそ最上の喜びだと豪語しているのだからまぁ彼が思うようにしたらいいと思っている。
最近の彼はエヴァリスト殿下の苦手分野である剣術を極めて彼の助けになろうと思いついたらしく、エガリテ王国騎士団長に師事している。そこでもあっという間に才能を発揮してしまい、今や騎士団内でかなりの実力だという。
その一方で最初は僕と一緒に受けていたこのフェラン宰相様の特別講義も、最近ではすっかり顔を見せなくなっていた。騎士団に入り浸りなのだから当然ではあるけども。
フェラン宰相様は平民出身でありながら、この地位までその才覚だけで登り詰めた稀代の天才だ。そんな彼にしてみれば、才能がありながら本気を出そうとしていないベネディクト殿下に溜息をつきたくなるのも無理はないだろう。
「それにしても、テオドールくんは本当にレヴール王国に帰ってしまうのですか?君程の優秀な人材なら、このまま私の補佐として教育したいくらいなのですが……」
「その様に仰って頂けるだなんて光栄です。ですが今後は父の下で外交官として、まずは見習いから始める予定をしておりますので、フェラン宰相様とは今後も末永くお付き合いをさせて頂けたらと考えております」
敢えて恭しく礼をとれば、フェラン宰相様は少しだけむすっとした表情をされるのだから、それだけ僕に気を許してくださっているという事なのだろう。
「ほら、そういう抜け目がない所ですよ。君が我が国出身か何の柵もない平民であったなら、このままベネディクト殿下の側近に取り立てていたでしょうに」
「僕には過分な褒め言葉ですが、ベネディクト殿下とは今後も友人として仲良くさせて頂くつもりですので、此方にはできるだけ顔を出させて頂きますよ」
「私としてもレヴール王国とは今後も友好的なお付き合いを望んでいますから、君のように優秀な方が外交官として来てくださるのは願ってもない事ですが……惜しいですね」
最後にぽつりと漏らされた言葉は彼の本心の様で、本気で僕の事を買ってくださっている事が伝わってきたものだから妙にくすぐったい心地がする。本当に凄い方だから、彼に認められているというのは素直に嬉しい。
確かにエガリテ王国は優秀な人材が多く集まる良い国だと思う。でも僕にとって一番大切なものはずっと変わらない、たった一人の存在だから。
僕が外交官になろうとしているのも、外務大臣である父上からの課題の一つがエガリテ王国の要人達と懇意になるというものだったからではない。国内でこれだけ見つからないメルちゃんがもし国外にいる場合に探しやすいと思ったからに他ならないのだ。
「暫くはレヴール王国で過ごされるのですか?」
「はい。父とも4年近く手紙のやり取りしかしていませんでしたから、暫くは父がいる王都の邸で過ごすつもりです」
ここまで一度も帰国していないから、父上からの手紙と報告にくる騎士達からの話でしか聞いていないけど、どうやら父上は領地の管理は信頼できる部下に一任して、ご自分は王都で相変わらず仕事ばかりしているらしい。
領地の邸には母上との思い出ばかりが詰まっているから無理もないとは思うけど、元気にしているのか心配だ。母上の遺した香水に救われてはいる様だけど、それだって限りがある。僕では何の慰めにもならないかもしれないけど、いないよりはマシだろう。
僕は留学するまでずっと領地で過ごしていたから王都に行くのは初めてだ。人も多い場所だというから、メルちゃんがどこかにいるんじゃないかという僅かな希望もある。見習いとして働くまでまだ猶予があるし、暫くは国内でのメルちゃん探しに精を出すつもりだ。
記憶の中のメルちゃんは変わらずに可愛いままだけど、最後に会ってからもう4年近い。きっともっと美人になっているんだろうけど、絶対に一目で解る自信がある。あの夕焼けみたいに美しい瞳の色は他にないのだから。
それよりも心配なのは、あれから僕は背もかなり伸びたし、声も低くなった。ストロベリーブロンドは変わらないけど、あの頃みたいに肩で揃えた子供っぽい髪型でもない。果たしてこれでメルちゃんに僕だって解ってもらえるだろうか。
そもそも、会えたら本当は貴族だって事も言わないといけないし、こっそり護衛をつけてた事も謝らないといけない。でもまずは、メルちゃんが邸を手放さなくちゃいけなくなった時に傍にいられなかった事、一番辛かった時に傍にいられなかった事を謝りたい。
「そういえば、レヴール王国にいらっしゃるアベラ教の教皇猊下がもうすぐ代替りされるそうですね。まだそこまで御年を召されていなかったと記憶していますが、より強い神力の者に道を譲られるとか」
ふと思い出した様なフェラン宰相様の言葉に、メルちゃんの事ばかり考えていた思考は現実へと引き戻される。
そういえばそんな話を聞いたけど、僕はそこまでアベラ教の熱心な信徒ではない。母上は欠かさずに神殿での礼拝に参加されていたから、それについていく事はあったけど、女神様に縋った所で結局は自分で何とかするしかない。現にメルちゃんがいなくなっても、女神様は僕の前にメルちゃんの手掛かりを示してはくれないのだから。
でもそこでハッとする。メルちゃんはアベラ教の礼拝には必ず参加していた筈だ。信心深い彼女なら、新しい教皇様の就任式は見に来るんじゃないだろうか。就任式はアベラ教の総本山である王都の大神殿で行われる筈だ。きっと王都はそれに合わせてお祭り騒ぎの賑わいだろうから人出もいつもより多いに違いない。
あれだけ騎士に探させたというのに、全く見つからなかったメルちゃんがそう簡単に見つかる筈はないと解ってはいても、僅かに見えた希望の光に心はどうしても弾む。
「フェラン宰相様!本当にありがとうございます!なんだかうまくいきそうな気がしてきました!」
「?なんだかよく解りませんが、君のそんな嬉しそうな顔が見れて私も嬉しく思いますよ。何か困った事があれば、私も力になりますから遠慮なく言ってくださいね。何せ君は私の可愛い教え子ですから」
そう言って優しく笑うフェラン宰相様に、僕も釣られて笑みを返す。レヴール王国に戻るまで、ようやく後少しだ。
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