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閑話 戻れない程に深く落ちて

「あぁ、成程。メラニーさんはまだ恋を知らないのですね」


 そう告げた後のメラニーさんは、どこか戸惑った様子だった。


 彼女はまだ恋を知らない。手紙のやり取りをしているという少年は特別な存在なのかと思っていたけれど、どうやら彼もメラニーさんにとっては恋しい相手ではなかったらしい。


 それには安堵したものの、それは私も同じ事だ。これまではっきりとした好意を言葉にはしていないものの、彼女が好きそうな花を贈ったりと私なりに彼女を大切にしてきたつもりだった。


 一人で旅をしていた彼女を最初に助けたのが私だったからか、神殿で過ごすようになって交流が広がってからも、彼女が一番頼りにしているのは私だという自負はある。


 何の打算もなく無条件に寄せられる信頼は、最初は嬉しく心地良かったのだけれど、それは逆を言えば異性としては全く意識されていないという事だったのだろう。


 出会った時から何故か彼女は私の事を良い人だと信じきっている節があるし、私の方から後見人を申し出た訳だから、彼女にとっては私程安全で無害な男はいないと思っているのかもしれない。


 私だって最初はこのお人好しで危なっかしい少女をただ放っておけないだけの筈だったというのに、いつも笑顔で出迎えてくれる姿や、ころころと変わる解りやすい表情にいつの間にか絆されてしまっていたのだ。


 メラニーさんが居る場所を帰る場所だと思ってしまっている時点で、この想いは既に重症だとさえ言える。


 ただ彼女はまだ成人前の少女だ。成人まで後3年はある上に、私の家は問題だらけだ。そこに彼女を巻き込むつもりはないし、暫くはこのまま彼女にとって一番信頼できる存在でいるのもいいとそう思っていた。


 それが浅はかな考えだったと知るのは夏至祭初日の朝だった。


「うわぁ……!皆様とっても素敵です!普段と違う衣装だと非日常な感じがして良いですね」


 メラニーさんが可愛らしい事は十分知っていたというのに、にこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべ、淡い赤色のエプロンドレスに身を包んだ彼女は本当に言葉を失う程に愛らしかったのだ。


 私と同じくぽかんと惚けていたジェローム達が口論を始めた声でようやく我に返り、手にしていたルリマツリの花を彼女へ贈ろうと近付いてみれば、その花冠には既に彼女が編み込んだ薔薇以外の花が差し込まれていたのだからどうしようもなく心は揺れた。


 何の根拠もなくメラニーさんにとっての一番は私だと思い込んでいたのだからとんでもない自惚れだ。私はまだ彼女にとって特別では無かったのだと、そう感じた時に箍が外れてしまったのだろう。


「……どうやら先を越されてしまった様ですね」

「え?」


 つまらない嫉妬心から漏れた言葉を覆い隠す様に、にっこりと念入りに笑顔の仮面を被る。よく聞き取れなかったのか、彼女が小首を傾げると花冠に差された花も僅かに揺れた。


「蔓薔薇は無邪気で可愛らしい貴女にぴったりですね。そこにこのルリマツリも加えさせてください」

「蔓薔薇みたいだなんて光栄です!ルリマツリも半つる性ですからぴったりですね」


 私の手の中にあるルリマツリを見て目を輝かせたメラニーさんは、私に対してわざわざ花を差し込みやすい様に頭を此方側に傾ける。それはいいのだけれど、彼女はあろう事か目を伏せてしまっているのだからつい自嘲が漏れた。


 無防備に目を伏せるだなんて、それこそ私が何もしないと完全に信じきっているからこそだ。ここでもし、私が彼女にとって安全な男ではないのだと示せば、少しは私を意識してくれる様になるのだろうか。


「メラニーさんは相変わらず不用心ですね。それだから私はいつだって貴女の事が心配で、だからこそ貴女の事ばかり考えてしまうのでしょう」

「え?」


 気付いた時には無防備な彼女の額にそっと口付けていた。


 それは少しの悪戯心もあったけれど、こみあげてきたのは愛おしさだった。今まで手で触れる事はあっても、口付けるのは初めてだ。


 もっと触れたいという気持ちを抑えつつ彼女の反応を窺えば、大きな瞳を溢れんばかりに見開いている。どうやら意表を突く事ができた様で、口元は自然と緩んだ。


「そんなに簡単に目を閉じてはいけませんよ。特に貴女に好意を寄せる男の前ではね」

「く、クロヴィス様!?」


 メラニーさんはようやく事態を飲み込めたのか、その顔はみるみるうちに赤く染まっていく。これで少しは意識させられたのか、この後の彼女はあからさまに私を避けている様だった。


 私が見えない様に影に隠れたり、その割に此方を気にしている様子が見られるのだから、今までの事を思えばこれは良い傾向だ。それだけ私の事を意識しているという事なのだから。


 ただ逃げ方があまりに露骨で、ダンスを踊る事さえ出来なかった事は誤算だった。彼女がジェローム達と楽しそうに踊っている姿を見るのはやはり心が揺れたし、広場で何もせずにいれば見知らぬ女性から誘われる事も多くなる。


 笑顔で応えてはいたものの、これがメラニーさんだったら良かったのにと何度思った事だろう。そうして迎えた夏至祭最後の日の夜。


 神殿の屋台は相変わらず賑わっていたけれど、祭も既に終盤だ。客の波が引き、ジスランと会話していた彼女の様子を窺って声を掛ければ、まるで恐ろしい者に見つかった様な顔をするのだから、あれには流石に少し傷付く。


 ここまで警戒させるつもりはなかったというのに、口付けたのは早計だっただろうか。


 私の後を大人しくついてくるメラニーさんの表情はいつもよりも明らかに暗い。彼女に似合うのは明るい笑顔だ。こんな顔をさせてしまうくらいなら、私の想いなど覆い隠してしまった方が余程いい。


 このダンスが終われば、私はまた彼女にとって安全で、一番信頼できる存在に戻ろう。そう心を決めて足を止めれば、俯いていた彼女は私の背に顔をぶつけてしまったらしい。鼻の頭をさする姿でさえ可愛らしいと思ってしまうのだから、この想いを隠すだなんて可能なのだろうか。


「さぁ、踊りますよ。お手をどうぞ、メラニーさん」


 差し出した手に、恐る恐るといった様子で重ねられた手をぐっと引き寄せる。メラニーさんは最初は体が強張っていた様だったけれど、次第に楽しくなってきたのだろう。


 彼女がいつも身につけているファイアオパールのネックレスの様に美しい瞳の色はみるみるうちに輝きを増し、弾む吐息とかろやかな動きは全身で喜びを表しているみたいだ。


「凄い……!クロヴィス様はダンスがお上手なのですね!私まで上手くなったみたいでとっても楽しいです!」

「ふふっ、ようやく私を見て笑顔になってくださいましたね」


 あぁ、私が焦がれる程に見たかったのはこの笑顔だ。もう少しでこの笑顔を失っていたのかもしれないと思えば、それはあまりに恐ろしい。


 そんな気持ちの恐れが顔に出てしまったのだろうか。ハッとした様子で何かを察したメラニーさんが口を開きかけたので、私は勢いよく体を回す事でその言葉を押し留める。


 きっと彼女が言いたかったのは私を避けていた事に対する謝罪だ。けれどそれは私の想いまでも否定されてしまう様で、今はそれを聞きたくなかった。


「謝らないでください。私も貴女に謝らないのですから」


 そっと耳元に口を寄せれば、彼女の頬は僅かに紅くそまる。その反応を見れば、やはりいつも以上に意識されている様で嬉しく感じてしまう。それに頬を染める彼女はとても愛らしくて、ずっと見ていたくなるのだ。


「あの口付けがなければ、貴女はきっと今まで通り何の疑いもなく無条件に私を信頼していた事でしょう。こうして手を取り踊っていても警戒なんてしなかったに違いありません」


 虚を突かれた様な表情をしている所を見ると、彼女が無意識にそう感じていた事が、私の言葉で裏打ちされたという所だろう。


 メラニーさんは私の言葉に逡巡すると、少しだけ眉を顰める。


「なんだかそれではまるで、クロヴィス様の事を警戒しろと言っている様ではありませんか」

「貴女からの信頼は確かに心地良く、温かな気持ちになります。ですが信頼されすぎるというのも問題だと気付いたのですよ。貴女は私の事を優しくて無害な男だと思っているでしょう?」

「そんな……事は……」


 言い淀むメラニーさんは、私の言葉を否定出来ないのだろう。今までの私は、彼女にとって真実そうだったのだろうから。


 その絶対的な信頼は心地良くはあるけれど、それは穏やかな水面の様なものだ。今回私がした事はそこに一石を投じて波紋を広げた程度なのかもしれないが、必要な一手であったのだと信じたい。ずっと穏やかなだけの関係では、変わる事もないのだから。


 そんな彼女は少し言い難そうな様子で私の表情を上目遣いに窺うと、ぽつりと呟く。


「……最近はちょっと意地悪だなって思う時もあります。今だって私を無理矢理ダンスに連れ出しましたし」

「おや、メラニーさんは私と踊るのを楽しいと仰っていた様に思いますが?」

「ほら!そうやって揚げ足をとるのですもの!」


 ムッとした表情で頬を膨らませる彼女があまりに可愛らしくて、つい声をあげて笑ってしまう。笑顔も良いけれど、少し怒った顔も、こんな風に気兼ねないやり取りも全てが心地良くて楽しい。


 こんなに楽しい気持ちはいつ以来だろう。陽気な音楽も、祭の楽しい空気も、ここに来て初めて心から楽しいと感じていた。


 ずっとこの時間が続いたらいい。そんな夢の様な事を考えていれば、いつの間にか驚く程近くに瞳を輝かせたメラニーさんの顔があって目を見開く。


「今の顔!」

「え?」

「今の笑顔、私は好きです!クロヴィス様が笑うと、私まで嬉しくなるって知っていましたか?」


 花も恥じらう様な眩しい笑顔でそんな事を言われたものだから、私は彼女の言葉を処理できずに固まってしまう。


 私が彼女の笑顔を見て幸せな心地になるのと同じ様に、彼女もまた私の笑顔で嬉しくなる?


 私にとって、笑顔はずっと心を守る仮面だった。けれどメラニーさんと居る時はいつだって自然と笑顔になってしまっていたから。それを彼女は嬉しいと、好きだというのだから、どんな顔をしたらいいのか解らない。


「もっとそんな顔で笑えばいいのに、どうして時々取って付けたような笑顔をされるのですか?」


 ぐいぐいと踏み込んでくる彼女に、私の頭は全く平静を保てない。あれだけ私から逃げていたのは何だったのかと思える程のこの吹っ切れ方は何なのだろう。


 それにしても距離が近い。


 触れた体の柔らかさや、花よりも甘い彼女の香りに理性が飛びそうだ。これを無意識でやっているとしたらとんでもない事だし、始末に負えない。こういう所が不用心だというのだ。


「っ……ちょっと待ってください。先程まであんなに私を避けていたというのに、どうして貴女という人は……!」


 理性が吹き飛ぶ前にどうにか彼女を少しだけ押しのけた所で、あれだけ賑やかだった音楽が止む。繋がれていた手が解けた事で、間違いを犯さずにすんだ事にホッと息をつく。


 あのままでは衝動的に抱き締めて、口付けてしまいそうだったから。そんな事は後見人である現状は許されない事だ。


 そんな私の気持ちなんて全く理解していない様子のメラニーさんは、何故か満足そうだ。きっとダンスをする前までは私達の間に確かにあった緊張感がなくなったからだろう。


「クロヴィス様、もう少し近くで見てみましょう!」

「……そうですね、せっかくのメラニーさんにとって初めての夏至祭ですから。喜んでお付き合いしますよ」


 無邪気に私を誘う彼女に、少しだけ苦笑を漏らす。


 無害で安全な信頼できる男に戻るつもりだったけれど、この想いは既に隠せない程に大きく育ち、私の心はどうしようもなくこの少女に落ちてしまっている。


 遅い初恋だという事はもう誤魔化しようもなく、私に出来る事はせめて彼女が成人する3年後までは、理性を固めて私自身からも彼女を守る事だけなのだろう。






読んでくださってありがとうございます!


作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!


次回はテオ視点のお話になります。

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