20 3日目の夜
「これが噂の『恋の叶うクッキー』なのね……!一袋ください!」
「ありがとうございます。あなたの恋が叶いますように!」
夏至祭ももう3日目ともなればこの売り文句にも慣れたものだ。
大方の予想通り生花もよく売れたけれど、一番人気だったのはこのローズマリーのクッキーだった。どうやら本当に『恋の叶うクッキー』として噂になっている様で、女性だけでなく男性にもよく売れたのだ。流石、夏至祭は恋の祭と言われるだけはある。
「やっぱりローズマリーのクッキーが一番売れるわね。本当に効果があるのかしら?」
「そりゃメラニーちゃんの手作りだからな。効果は抜群だと思うよ」
夕暮れ近くなってもまだまだ暑い。汗を拭いながらも在庫を確認すれば、クッキーももう残り僅かだ。本当にたくさん用意したというのに、この調子なら夜を待たずに完売してしまうだろう。
「でもこんなに暑いとは思わなかったから、どうせなら冷たいハーブティーも販売すれば良かったわね。きっと物凄く売れた筈よ」
周りの屋台の売れ行きも見ていたのだけれど、食べ歩きできる軽食は勿論よく売れていたものの、一番は冷たい果実水や氷菓子だった。踊って疲れた喉を潤すのにも良いし、あれを見ていたらハーブティーを用意するべきだったと思ったのだ。
「それなら来年販売したらいいよ。来年もこの先も、夏至祭はずっと続いていくんだからさ」
「!そう、よね……!来年に売ればいいのよね」
当然の様に来年の話をしてくれるジスランに、なんだか心がぽわっと温かくなる。私はこのままずっとあの場所でお店を続けていいんだと言われている様で、どこかホッとした様な、そんな気持ちがしたのだ。
「それなら来年に向けて食べられるお花を使ったお菓子も作ってみたいわね……凄く可愛らしい見た目になるのよ」
「え、花って食べれるの?ハーブとかじゃなくて?」
ぎょっとした表情をしているジスランに、私はくすくすと笑みを漏らす。あまり詳しくなければ花は鑑賞用だと思うのだろうけれど、食べられる花は割とあるのだ。
「ジスランも知っているお花なら薔薇も食べられるのよ。ジャムにしても華やかな香りが口いっぱいに広がるから、今度作ってあげるわね!」
「へぇ!それは楽しみにしてるよ」
薔薇のジャムなら食べやすいし、女性客の受けもいいだろう。今度試作してみて好評ならお店の商品にしても良さそうだ。
うきうきと今後の商品計画を考えていれば、ジスランが微笑ましく私を見ている事に気付く。
「それにしてもメラニーちゃんの花冠、いろんな花がいっぱいで花畑みたいになってるよな」
「私が作ったのは蔓薔薇の花冠だった筈なのにね。皆様が毎日いろんな花をくださるんだもの」
夏至祭の初日にサミュエルとイヴァン司祭様が花をくださった事から始まり、クロヴィス様にジェローム、他の司祭様達にジスラン。他にもお花屋さんの常連のお客さん達や助祭の方達がどんどん花をくださるものだから、最早何の花冠だったのか面影は全くなくなってしまっていた。
「それでモテモテのメラニーちゃんはその花冠、誰かにあげるの?今夜は夏至祭最後の夜だよ。ダンスだっていろんな人と踊ってたしな」
「もう!他人事だと思って揶揄っているでしょう!」
ニヤニヤとした顔で私を見るジスランは、どう見ても揶揄っている様にしか見えない。ジスランだって私に花をくれたというのに、この態度はどうなのだろう。
少しだけムッとしながらも、私は広場の中央にある柱へと視線を向ける。
「……皆様大切な人達だもの。たった一人になんて絞れないわよ」
「そう?確かにメラニーちゃんにとって大切な人は多いだろうけど、俺が知る中ではクロヴィス殿が一歩前に出てるんじゃない?」
「クロヴィス様にとって私はまだまだ守らないといけない子供だわ。良くて妹みたいなものよ」
あれからクロヴィス様はいつも通りなのに、私だけが変に意識してぎこちなくなってしまっていた。だというのに、クロヴィス様は誘われれば知らない女性とも笑顔で踊っているのだから、あの額への口付けだってそこまで深い意味なんて無かったのだ。
きっとあれは親愛のキスだ。クロヴィス様にとって、私は面倒を見ている親戚の子供の様なものなのだろう。そう考えると大袈裟に受け取りすぎた私の自意識過剰みたいでなんだか恥ずかしくもある。
「そういえばクロヴィス殿とはまだ踊ってないよな?メラニーちゃんがやたらと逃げ回っていたから」
「に、逃げてなんてないわよ。丁度忙しかっただけだわ」
「でしたら今なら私と踊って頂けそうですね?ジスランと仲良くお話しされている様ですから、忙しくはないでしょう?」
いきなり聞こえた声にひっと声が出そうになるのだけれど、振り向いた先には予想通りクロヴィス様の姿があった。満面の笑顔なのに、心なしか怒っている様にも見える。
「あ、う……クロヴィス様……」
「どうぞどうぞ、俺が店番をしていますからクロヴィス殿がお連れください」
「!?ジスランの裏切り者……!」
私の叫びも虚しく、ジスランによってあっさりとクロヴィス様に引き渡されてしまい、大人しく後をついていく事しかできない。広場には楽しげな音楽が流れているというのに、私の心はさながら処刑を待つ罪人の様だ。
とぼとぼと歩いていれば、いきなりクロヴィス様が止まられるものだから、その背中におもいきりぶつかってしまった。鼻の頭が少しだけ痛い。
「さぁ、踊りますよ。お手をどうぞ、メラニーさん」
目の前に差し出された手におずおずと自分の手を重ねれば、思っていたよりも力強く握られて私の体はくるりと回り出す。
夏至祭のダンスは貴族の舞踏会の様に決まったステップがある訳でもない。流れる陽気な音楽に合わせて、皆それぞれの思いで踊るのだ。
そんな中でもクロヴィス様は今まで踊った皆様の誰よりもリードが上手い。私はただクロヴィス様に身を任せるだけで面白いくらいにくるりくるりと回り、その度にふわりとスカートが翻る。
踊る前まではあれだけ暗い気持ちだったというのに、明るい音楽と雰囲気が相まって今はただ楽しいという気持ちばかりが募っていくみたいだ。
「凄い……!クロヴィス様はダンスがお上手なのですね!私まで上手くなったみたいでとっても楽しいです!」
「ふふっ、ようやく私を見て笑顔になってくださいましたね」
そう言って少しだけ眉尻を下げながらも、クロヴィス様はとても優しい笑顔を向けてくださっていた。この時になってようやく、私はこの数日まともにクロヴィス様の顔を見ていなかったのだという事に気付く。
それにクロヴィス様は怒っていたんじゃない。たぶん私が一方的に避けていたせいで傷付けてしまっていたのだ。クロヴィス様にはいつだってあの優しい春の陽だまりみたいに笑っていてほしいのに。
反射的に謝ろうとした私が口を開く前に、音楽に合わせて勢いよく体はくるりと回ってしまう。
「謝らないでください。私も貴女に謝らないのですから」
あっと思った時には耳元に息がかかるくらいの距離で囁かれていた。顔が離れた時の彼の顔は、してやったりといった表情だ。今はもう少しも悲しそうには見えない。
「あの口付けがなければ、貴女はきっと今まで通り何の疑いもなく無条件に私を信頼していた事でしょう。こうして手を取り踊っていても警戒なんてしなかったに違いありません」
クロヴィス様の仰る事は確かにその通りだ。私はずっと、出会った時からどうしてか彼の事は信頼できると感じていたから。
けれど彼の口ぶりではまるでそれが悪い事みたいだ。信頼される事は良い事だと思うのに、何が気に入らないのだろう。
「なんだかそれではまるで、クロヴィス様の事を警戒しろと言っている様ではありませんか」
「貴女からの信頼は確かに心地良く、温かな気持ちになります。ですが信頼されすぎるというのも問題だと気付いたのですよ。貴女は私の事を優しくて無害な男だと思っているでしょう?」
「そんな……事は……」
ない、とは言えなかった。私にとってクロヴィス様はいつだって優しくて、絶対的に安心できる存在だったから。でも今はどうなのだろう。
今だってクロヴィス様は優しいと思うし、傍にいれば安心する。けれど額に口付けされたあの時から、顔を見ると落ち着かないから避けたり、それでも気になってこっそり見たりと矛盾した行動をしてしまう事もあった。
それにクロヴィス様は――
「……最近はちょっと意地悪だなって思う時もあります。今だって私を無理矢理ダンスに連れ出しましたし」
「おや、メラニーさんは私と踊るのを楽しいと仰っていた様に思いますが?」
「ほら!そうやって揚げ足をとるのですもの!」
ムッとして見上げれば、クロヴィス様は可笑しそうに声をあげて笑われる。その笑顔は春の陽だまりみたいな優しい笑顔ではないけれど、心から楽しんでいるのが伝わってくる子供みたいな笑顔だった。
「今の顔!」
「え?」
「今の笑顔、私は好きです!クロヴィス様が笑うと、私まで嬉しくなるって知っていましたか?」
どうしてクロヴィス様が他の女性と踊っているのを見た時にもやもやとしたのか、この時すとんと腑に落ちた気がした。あの時もクロヴィス様は笑っていたけれど、今みたいな笑顔じゃなくて何というか余所余所しい笑顔だったのだ。
クロヴィス様の笑顔はもっと素敵なのに。
だからこそ、私と踊っている今、こんなに素敵な笑顔を見せてくれたのが嬉しく思えるのだろう。
「もっとそんな顔で笑えばいいのに、どうして時々取って付けたような笑顔をされるのですか?」
「っ……ちょっと待ってください。先程まであんなに私を避けていたというのに、どうして貴女という人は……!」
丁度その時、あれだけ賑やかだった音楽が止んだ。どうやら夏至祭の最後、柱を炎にくべる時間になったらしい。
ダンスが終わった事で繋がれていた手は解ける。少し名残惜しい気持ちもあったものの、ダンスをする前と比べてぎこちなさは消えたし、クロヴィス様の素敵な笑顔も見られて私はなんだか満足感でいっぱいだった。
「クロヴィス様、もう少し近くで見てみましょう!」
「……そうですね、せっかくのメラニーさんにとって初めての夏至祭ですから。喜んでお付き合いしますよ」
少しだけ苦笑を漏らしたクロヴィス様は、それでも最後まで私に付き合って柱が天に還るのを見守ってくださっていた。
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次回はクロヴィス視点のお話になります。




